才事記

天才セッター中田久美の頭脳

二宮清純

新潮社 2003

 最近とくにその傾向が強くなっているのだが、ぼくはスポーツ中継をずうっと最初から最後まで見る観戦癖がある。以前は相撲、ラグビー、陸上競技、それに贔屓のチームの野球ばかりだったのだが、15年ほど前からこれにプロボクシングが、ついでプロレスを含む格闘技が加わり、そのうちサッカーからスキーまで、やたらに何でも見るようになった。ただし、ゴルフは絶対に見ない。
 いずれそんなこともちゃんと書くことにはするが、スポーツというのは他のジャンルのものに比べて、ぼくにはそのストイシズムと集中的加速感がたまらない。これはかつて剣道や合気道を遊んだころの何かの原体験が蘇っているのかとも思うけれど、そうではなく、おそらくはテレビが収納放出する情報量が圧倒的に多いせいだろう。体を動かすことがほとんどなくなったぼくにとっては、この情報量をじっと見ながら自分の体に浴びせているのが、いまや何かの快感になっているにちがいない。
 ところが、スポーツによってはその情報量の「質」が読みとれないものがある。そのひとつにバレーボールがあった。それが本書によってやすやす一端が突破されたのだ。

 本書はあまりにすごいタイトルで、これは新潮社にしてはやりすぎだとは思ったのだが、どっこい、読んでみてそれなりにすごい内容だった。失礼しました。
 最近売出し中のスポーツジャーナリストの二宮が、“元日立・元オリンピック”のセッター中田久美にバレーボールの話を聞いているにすぎないのに、読んでいるとだんだん汗が出てくるのだ。
 たとえば、こうだ。「試合の日は朝起きたときから選手の顔色をずっと見ているんです」「どうしてですか」「最初の1本目のトスを誰に上げるかを決めるためです。これを失敗すると試合が作れない」「そのために朝から?」「ええ、試合直前の練習まで」「人間観察のプロですね」「そうじゃなきゃ勝てないですよ」。
 これだけで、けっこう参る。また、こうだ。「サーブレシーブのよしあしは球質でわかります」「回転のことですか」「はい、こちらに返ってきたときのボールの重さです」「重い? センスがいい人は軽い?」「癖がないんです」「球質は何で決まるんですか」「来るボールに対して腕がそれをどのくらい吸収するかで決まります」「はじかない?」「体のコントロールで受けるんです。そのコントロールがボールを送り出す」。
 こういう話が次々に続く。そこにちょいちょいと、「攻撃のスピードはつねにトスの高さだけで決まっていく」とか、「他人を輝かせることで自分が輝く」とか、あるいは「チームを作るには全員の性格が把握できないとダメ」「勝負はギリギリのところでしか決着がつかない」といった“哲学”が無造作に挟まれる。これでは当方も、汗が出る。

 バレーボール、とりわけ女子バレーというものは、これを観戦する日本人の中ではある種の妙なもの、いわば“定食”のようなものになっていたのではないかと思う。
 東京オリンピックの金メダル以来、どうもラリーの応酬を感情的に見てしまうということが先に立って、その技術の味をじっくり伝えられてきたということがないのだ。
 誰もが「Aクイック」「一人時間差」「回転レシーブ」をテレビでさんざん見ているくせに、たとえば回転レシーブがいったいどのような全身の動きによって成立しているのか、とんと確認できないままになってきた。ましてセッターのトスの違いが試合に及ぼす影響など、ほとんど見えてはこない。
 だいたいAクイック、Bクイック、Cクイックの差を、ぼくは本書で中田の説明を読むまでまったく知らなかった。ぼくが知らないだけなのかもしれないが、考えてみると、そういうことを中継番組は決して伝えてくれなかったのだ。ましてバレーボールのゲームプランがどのように出来上がっていくのか、試合中継の解説を聞いているだけでは、絶対にわからない。
 本書はその謎を、中田が自由に喋った。もっともっと濃くてもよかったが、それでも充分におもしろい。これでバレーに対する見方が変わった。すごいタイトルも宜なる哉、なのだ。
 ちなみにAクイックはセッターのすぐ手前でアタッカーが打つ、Bクイックは2メートル先で打つ、CクイックはA・Bのタイミングをバックトスで制御することをいう。実際にはこれに左右前後、時間差が加わってたいへんなパターンの数になる。

 それにしても本書でよくよくわかったことは、バレーはセッターがほとんどすべての作戦を組み立てているということである。そもそもサインも監督ではなくて選手たちが決める。その中心になるのはむろんセッターである。
 攻撃はアタッカーが決めていると思っていたのだが、これもどうやらセッターのトスの仕方ですべてが決まるらしい。アタッカーは針の穴に打ち込むほど精度の高い練習をしていくつものパターンを身につけてきているので、セッターはそのパターンをトスで選択させるわけなのだ。
 そのためにはむろん相手のフォーメーションも読まなければいけない。ぼくはそれも7~8割がアタッカーの打ち込み方向の決定によると思っていたのだが、実は試合開始の3ローテ(3回のローテーション)を見てセッターがほとんど決めるのだという。というのも、試合が始まるとセッターがまず成し遂げなければいけないのは、敵のセンターがいったいどのように動くかというヨミを頭に入れてしまうことなのだ。

 つまり、セッターの敵は相手のセンター・ブロッカー一人なのである。このセンターをどう振り切っていくかが、その後の試合のターニングポイントになっていく。
 そこで、セッター対センターの火が出るような熾烈な闘いが最初の5分~10分間くらいで繰り広げられ、そのなかでセッターによるゲームの組み立てがほぼできあがる。あとは相手センターの動きを裏切りつづけるためにのみトスを上げ、それを正確にアタッカーが打ちこんでいくかというだけなのである。
 そのため中田は「セッターは絶対に目を切ってはいけない」と言う。バレーではたいてい、味方チームに点が入るとコートを回りながら手を叩きあったり、笑顔を交わしあっているが、セッターはそのときに相手コートにどのようにプレイヤーが破綻したのか、そこをさえすばやく読んでいくものらしい。

 本書には、実際のゲームをビデオで見ながら中田がそれを解説するという箇所もある。この体験をした二宮は、そのときの中田の驚くべきスピード解説にまったくついていけなかった。
 二宮はこれほどバレーボールの奥が深いものとは思っていなかったと正直な告白をする。40代になったばかりで、最近のスポーツ評論で名を売っている二宮にして、お手上げなのだ。バレーボールがすごいのか、中田久美がすごいのか、これだけではわからない話だが、おそらくは中田がとびきりの異能の持ち主であるせいだろう。それは次のような場面にもあらわれている。

 中田はつねに相手チームのことをビデオでそうとうに研究する。しかしそれでも情報はつねに不足する。バルセロナ・オリンピックのアジア予選のとき、韓国チームのレフトが17歳の選手になった。この選手の情報はあきらかに足りなかった。
 しかも日本はその当時、韓国に負けつづけていた。しかし、この試合はどうしても取る必要がある。そこで中田は試合前にその17歳に向けて、ネット越しにこう怒鳴ったというのである、「かかって来い、オラッ!」。
 これでその子はヒビってしまったらしい。プレーが機能せず、途中で交替させられた。やはり中田は只者ではなかったのだ。
 もうひとつ中田の異能を感じたのは、中田がチーム随一の「怒られ役」だったという話である。中田はそれを積極的に引き受けていた。天才少女とか天才セッターとか攻撃セッターとかの評判をほしいままにしてきた中田が、実はチームの急上昇のために、つねに山田重雄監督の叱られ役を担っていたということに、わたくし、ちょっとウルウルさせられたのであります。以上、ゲームセット。