記憶の茂み
三輪書店 2002
[訳]ジェームズ・カーカップ+玉城周
この一冊は手元においておいたほうがいいだろう。いろいろな意義がある。
第一には、斎藤史という歌人の代表短歌が一望できる。700首が選ばれている。それは、さまざまな意味において現代の歌人にひそむ「快楽」(けらく)とは何かを見せてくれる。
斎藤史なんて知りませんでしたという事情は、許されない。斎藤史をはずして現代短歌は毫も語れない。16歳で太田水穂に出会い、17歳で父親のところに滞在していた若山牧水から作歌を勧められ、18歳には佐佐木信綱の『心の花』に歌を発表した。それが昭和2年である。与謝野晶子や九条武子の次の世代として、この時期の女流歌人はめずらしい。しかし、無視された。「詩は短歌ではない」という批判も多かった。第一歌集『魚歌』の若き才能に注目したのは萩原朔太郎だった。
たそがれの鼻唄よりも薔薇よりも 悪事やさしく身に華やぎぬ In the evenings, more than my humming of songs, more than the roses - more gentle are sinful things that brighten my existence. |
第二に、その父が陸軍軍人の斎藤瀏であって、2・26事件を幇助したとして連座させられたこと、友人知人に青年将校が何人もいたことが、斎藤史という歌人の言葉をどのように蝕み、それにもかかわらず、逆にそこからさえ花鳥風月をかこつ言葉が放ちうるのだということが告示されている。
それは「告別」ということではないかと思う。この歌人ほど四季を見ても、父母を見ても、時代を見ても、犬を見ても、別れを告げるのが上手だった人はない。その告別は自身が取り残されて存在するままの、振り向きざまの告別だった。
昭和の事件も視終へましたと 彼の世にて申し上げたき人ひとりある There is one person in the world that lies beyond to whom I shall say: “I have been a witness to all the events of Showa" |
さくら散るゆふべは歌を誦しまつる 古き密呪のさきはひは来む In the evening cherry petals are falling. I chant rituals praying this incantation's secret spell may bring us luck. |
第三に、すでに察せられるように、この本では700首すべての斎藤史の短歌が英訳されている。英訳にあたったのはジェイムズ・カーカップと玉城周である。
カーカップが日本の詩歌を英訳するにうってつけの才人であることは夙に知られている。ぼくは早稲田を出て父の借金を返すために入社したMACという会社で、英語学習を専門とする英潮社の仕事をしばらくしていたことがあるのだが、そこではカーカップこそが日英対訳世界の王様だった。
それはともかく、本書は日本短歌史上にも比類のない英語対訳詞歌集となった。出版編集史上の画期的業績とも評価されるべきである。それがしかも斎藤史において結実したというところが、なんとも心を打つものなのだ。
すべての英訳された歌は5行、かつ31音節で仕上がっている。5行は5・7・5・7・7に対応し、31音節は短歌のシラブルに対応する。これは驚異的なことで、よくぞこんな芸当をしてのけたとおもう。ぼくは不幸にも、この英訳のリトムを万全に観照しきれない語才を忿むものではあるけれど、それでもこの訳業がとんでもない詩的成果に達していることは、ほとんど完全な感動をもって迫ってくる。
それは「慟哭」なのである。日本語のもつ意味と律動がついに国境を突破して、英語の5行詩に変容されつづけるまで慟哭したというべきなのだ。そのことはこの詞歌集が適確にも『記憶の茂み』と名付けられたことにも、よく象徴されている。斎藤史の次の歌から採られた。
この森に弾痕のある樹あらずや 記憶の茂み暗みつつあり Within this forest, is there not a tree that bears the mark of a bullet ? In thickets of memory undergrowth keeps darkening. |
「快楽」と「告別」と「慟哭」。
ぼくはとりあえず3つの言葉で斎藤史の英訳歌集のアイコンを指摘してみたが、もとより斎藤史の歌をこの言葉だけで説明することは不可能である。
だいたいこの3つの言葉にしてから、ちょっと奥まれば「懸想(けそう)」「背き(そむき)」「顰み(ひそみ)」などと変化する。
本書には、今日において斎藤史を語るにもっともふさわしい樋口覚による解説がついているのだが(樋口覚には斎藤史との対談集『ひたくれなゐの人生』があり、かつ樋口自身による400首の主題別アンソロジーの編集作業がある)、そこからもたとえば「交歓」「アシンメトリー」「寓話詩」「裏切り」「凝集」といった示唆が散っているのが読みとれる。
しかし、ぼくが斎藤史に惹かれてきた理由は、一言でいえば「うつそ身」という存在の捉え方にあったのではないかと思っている。「うつそ身」をフラジャイルにしたままで傲然と歌いつづけてしまうこと、それが斎藤史の昭和平成を渉ってきた歌だったのではないかということだ。本書に選ばれた歌でいえば、次の2首である。
ほろびたるわがうつそ身をおもふ時 くらやみ遠くながれの音す When I imagine this present body of mine falling in decay, there is a sound of water running in distant darkness. |
〈コワレモノ注意〉と書ける包み持ち 膝病むわれが傾き歩く Holding in my arms the package written “Fragile - handle with care", I suffering from a bad knee walk with my body slanted. |
ところで、いつか斎藤史の全歌を読みたいとおもいながら(この人の歌はどこか「まるごと」とか「攫(さら)う」ということがぴったりなので)、残念ながら、そのままになってきた。いまぼくの机上には大和書房が新版した『斎藤史全歌集』も置かれていて、そこには5000首に近い短歌群が待っているのだが、どうにも果たせないままにある。
もうひとつ気になっていることがある。その全歌集の付録にも何人かの斎藤史についての感想集がアンソロジーされているのだが、亀井勝一郎が「舞踊性」の登場を指摘したり、保田與重郎が源頼光と相模の父娘に擬していたり、それらの感想にはなるほどと頷けるものも少なくないものの、どうもまだ「斎藤史を日本人が語っている」というところまではいっていないような気もしているのだ。
その原因も思い当たらないわけではない。どこかで「史さんに騙されきるのが惜しい」のだ。
日本人にはどこかにそういう同時代の表現者に対する気後れのようなものがある。ぼくはずっとそのことが気になってきた。しかし、そんなことを言っていては、和泉式部も伊勢も読めないのである。誰かが突破する必要があるのだろう。