才事記

トナカイ月

エリザベス・M・トーマス

草思社 1992

Elizabeth Marshall Thomas
Reideer Moon 1987
[訳]深町眞理子

 この本はかつて『ルナティックス』(作品社)に紹介した。物語が月の時間にしたがって進行しているからだ。すぐに田中優子が読みたいと言ってきたので、版元名を教えたら、のちにたいへん感動したという葉書をもらった。
 著者は文化人類学者であって、いわゆる作家ではない。ブッシュマンの世界に分け入った『ハームレス・ピープル』(海鳴社)や、ウガンダの遊牧民ドドスを紹介した『遊牧の戦士たち』(思索社)などの学術書がある。しかし文化人類学者でしか見えない目をもってこの作品が描かれたところに、本書の比類のない輝きと説得力がある。

 舞台はなんと後期石器時代である。
 驚くべきことに2万年前の氷河期のもと、まだマンモスが跋扈していた時代が小説の舞台なのである。場所はだいたいシベリアにあたる。そして、そこに生きた人々が登場人物なのだ。物語はその後期石器時代に狩猟で生活をしていた女ヤーナンの語りという様式をとっている。
 これだけでも、まことに珍しい。人類学者か考古学者でなければ描けない世界だといってよい。著者はそれだけではなく、この物語を英語で書くにあたって、ラテン語系の言葉をいっさい使わずに、徹してアングロサクソン系の言葉を使った。しかもロマン化された野蛮人がしゃべるような、そういう片言会話を安易に入れることを拒否した。
 ぼくには、そのような著者の努力は残念ながらわからないが、翻訳者の深町真理子さんがその意図をくんで、漢語や大和語の使い方に多大の神経を払っていることを通して、なんとなく著者の意志というものを感じた。
 ちなみに深町真理子さんは、ぼくが以前から信用している翻訳者で、かつ彼女の訳すものはできるだけ読むようにしてきた文学者である。

 標題はこの石器時代狩猟民がおそらく従っていたであろう原始暦から採っている。
 かれらは13カ月で1年を数えた。
 順に、氷解け月、仔ウマの月、行旅の月、ハエの月、クマコケモモの月、マンモス月、黄葉月、トナカイ月、あらし月、冬小屋月、飢えの月、咆哮の月、落ち角の月。
 したがってトナカイ月というのは、だいたい9月頃にあたる。1年が13カ月だったというのは古代太陰暦に従った時代や民族では多いことで、マヤ・カレンダーなどもそうなっている。
 物語には、大きな二つの原始家族が登場する。グレイグラグを家長とする一族と、アヒーを首長とする一族で、語り手ヤーナンはそのアヒーの娘だった。そのほかマンモスハンターたちと、「火の川の人々」と、オオカミを中心としたたくさんの動物たちと、そして「霊」たちが登場する。

 これだけを紹介して、さていったい読者はどのような物語が書かれているか、想像できるだろうか。おそらくまったく想像がつかないにちがいない。
 しかし、最初のページを読んだとたんに、この物語に引きこまれることは、ぼくが保証する。こんなことを書くと、この物語が紹介できなくなるが、まあ、そのほうがいいだろう。この作品は一人一人が読むべき作品なのだ。
 なにしろ、これはわれわれの原始点なのである。そうか、こういうふうなことから始まったのか、なんだこんな感情がもうあったのか、人間とはそのようにして始まったのか、そういうことをひとつひとつ“体験”してもらうのが、いい。オオカミとの交流も、譬えようもなく美しく、激しい。
 原始の気配、神々との出会い、闇の恐怖、自然の言葉、精霊との交流、風の音楽、そして月への確信。こうしたことも“実感”してもらうのが、いい。
 もうひとつ、おおかた察しがつくように、この作品には深い「母系の血」というものが流れている。物語にも交接や結婚や出産を乗り越えていく女性たちの想像をこえるドラマが縷々語られている。それを読んでいると、そこに立ち上がってくる原始的な“妹の力”というものに、ほんとうに圧倒される。女たちが読む一冊でもある。