才事記

和をもって日本となす

ロバート・ホワイティング

角川文庫 1992

Robert Whiting
You Gotta Have Wa 1989
[訳]玉木正之

 20世紀最後の年だというのに、阪神タイガースに鳴り物入りで入ったタラスコもハートキーも、途中から日ハムから貰い受けたフランクリンも、まったく活躍しない。阪神から巨人に移ったメイは阪神を手玉にとっている。まったく腹立たしいことだ。
 ガイジン選手。日本のプロ野球にとってガイジン選手の当たり外れほど、その球団のシーズン運命を左右している出来事はない。けれども実際には、ガイジン選手の浮沈は表立っての話題にはならない。デストラーデ、ブライアント、バースなどの例外を別にして、たいていは“消耗品”扱いされている。
 ただし、巨人のばあいは、つねに法外な話題になってきた。ダメ・ジョンソンといわれた大リーガーが長嶋との宿命の対立をして以来ずっと、巨人のガイジン選手はクロマティにしてもガルベスにしても、良くも悪くも大問題になるようになったのである。

 いったい日本のプロ野球はどういうルールでやっているのか、球場でおこっていることは「野球」なのか「日本」なのか。
 こういう疑問は日本に訪れて帰っていった多くのガイジン選手によって、何十回となく囁かれてきた。それほど、日本プロ野球の本質はガイジン選手の目には異様に映ってきた。曰く練習のしかた、曰くペース配分、曰くフォーム改造、曰く作戦の立て方。いったい日米どちらの言い分がまともなものなのか。
 そこで本書の著者ロバート・ホワイティングが敢然と立ち上がったのである。著者は日本人を奥さんにもつ在日ジャーナリスト。なにしろガイジンから本音の話が聞けるところが強い。また、日本の謎を解きたいと真剣におもっているところが強い。
 たとえば、それまでまずまずのピッチングをしていた日本人のピッチャーがホームランを打たれて敗戦したとする。そのピッチャーは試合後のインタビューに答えて「ぼくの一番のまっすぐで勝負しましたから、いいんです」と言う。監督もコーチも解説者も「あれはしかたがない。いい度胸ですよ」と言う。ところが、これがガイジン選手にはわからない。だって、彼は打たれたのである。自分の得意のボールを投げようとも、単に打たれたのだ。それが日本人のあいだでは「度胸がよかった」という美談になっていく。
 なぜ、こんなふうになるのか。何が日本人とガイジン選手とのちがいなのか。それは日本とアメリカのちがいなのか。野球は野球ではないのか。ホワイティングはその疑問に答えるべく立ち上がったのである。

 ホワイティングには、すでに『菊とバット』『日米野球摩擦』『ニッポン野球は永遠に不滅です』といった著書がある。つまりホワイティングは日本野球に日本文化の本質を嗅ぎとるために著述活動をしているような変な人物なのである。
 しかし、それまでの本にくらべると、本書ほど全米で話題になった本はなかった。ニューヨーク・タイムスが「日米貿易摩擦の口論を中断して、書店に走ってこの本を買うべきだ」と書いたのをはじめ、本書は日米の貿易摩擦どころか、日米間によこたわるいっさいの社会文化問題の教科書のように取り沙汰され、売れに売れまくったのだ。
 もっとも、このようなアメリカ人によくわかる日本人論の本が、日本でウケるとはかぎらない。ぼくがアメリカにいたとき、ちょうどマイケル・クライトンの『ライジング・サン』が話題になっていたが、日本に帰ってみると、この本はまったく無視されていた。所変われば品変わるというけれど、まさにそんなもんなのだ。

 正直に見て、この本は「きっと日米間のコミュニケーション・ギャップを解消してくれる」とアメリカ人が騒いだほどの効果は日本では期待できないにしても、日本人がぜひとも読むべき本である。
 キーワードは「和」に対する理解の仕方というもの、本書はそこを日米両側の野球選手のインタビューや事例を次々にくりだし、なんとか浮き彫りにしようとしてくれている。
 読んでいくうちに、こういうことこそ日本人が取り組んで解明に乗り出すべきではなかったかという気にさせられる。プロ野球のとんでもない内幕がごっそり紹介されているのが、かえっておもしろいかもしれない。