トーマス・フリードマン
フラット化する世界|上・下
経済の大転換と人間の未来
日本経済新聞出版社 2008
ISBN:4532313775
Thoms L. Friedman
The World is Flat
[訳]伏見威蕃
装幀:金澤孝之
グローバリゼーションとレボリューションが重なって、
「グローバリューション」がおこる。
そこではアップローディング、インソーシング、
アウトソーシング、インフォーミングの革命が連打され、
世界のフラット化が著しく加速した。
個人と企業における、情報と知識と物流の
サプライチェーンが変わったのだ。
けれども、そこにバリューチェーンの革命や
方法の学習革命がおきていったかといえば、
まだ、そこまでには至っていない。

  1999年の『レクサスとオリーブの木』(草思社)には「グローバリゼーションの正体」という副題がついていた。97年のタイ・バーツの暴落でアジア通貨危機のニュースがかけめぐり、ブラック・ショールズ式のブラックとショールズが役員をしていたLTCM(ロングターム・キャピタル・マネジメント社)が破綻し、ロシアにも経済危機が襲った翌年の刊行だった。トーマス・フリードマンもちょうどインターネット銀行に投資したばかりのことで、多少は儲けたあとだったらしいが、ロシアの債務不履行で大損した。

 なぜタイのアソケ通りの金融状況やロシアの政府の不手際がたちまち自分のところまですぐ届くのか。フリードマンは自分の身におこったその奇妙な問題意識から『レクサスとオリーブの木』を書いた。タイトルもうまく、中身も工夫されていたので、この本は世界的なベストセラーになった。
 レクサスはトヨタの海外ブランド車で(当時の日本ではセルシオ)、すべての技術のシンボルをあらわし、オリーブの木は大地に生えていながら、その土地も収穫物も誰かの所有になっているもののシンボルである。世界はレクサスとオリーブの木の反目と競争と協調によって成り立ってきた。
 そこへ3つの変化がやってきた。「通信方法の変化」「投資方法の変化」「世界を知る方法の変化」だ。それとともにこれらを「技術の民主化」「金融の民主化」「情報の民主化」だとみなす風潮が高まっていった。レクサスとオリーブの木の関係も変化せざるをえなくなった。

 これがトーマス・フリードマンの言うグローバリゼーションならぬ「グローバリューション」である。グローバリゼーションとレボリューションが重なったのだ。
 それでどうなったのか。それで世界は「フラット」(水平)になった。これを活かさない手はない。一部の金融機関の失敗に恐れてはいけない。もっとフラットな「グローバリューション」をどんどん活かしたほうがいい。それが本書のテーマになっている。
 この見解、むろんぼくには諸手を上げられないところがいくつもあるのだが、しかしそのようにグローバリゼーションあるいはグローバリューションを活用してしまうという立場のほうが、21世紀のマジョリティになっていくだろうことは、予想がつく。そして、もしそうであるのなら、そしてグローバル・ネットワーク大好きの企業人やユーザーなら、本書はかなり仕事上の指針になるだろう。
 本書は上下2冊の分厚いもので、かつ、たくさんの登場人物の扱いも、描写も畳み込みも、なかなかうまくて読ませるのだが、冗長度もそうとうに多いので、以下、かなり思いきった要約しておこう。( )内はぼくの寸評。

 トーマス・フリードマンによると、グローバリューションが広まって世界がフラットになった要因には、次の10の現象があずかっている。

 ①【ベルリンの壁の崩壊とウィンドウズ】‥‥‥1989年11月9日にベルリンの壁は崩壊し、ソ連圏が解体した。それが引き起こした「自由化」の波がいかに世界の印象を変えたかはいまさら説明するまでもない。
 そこに1990年のウィンドウズ3・0が重なった。アップル・IBM・ウィンドウズ革命がおこったのだ。マイクロソフトのクレイグ・マンディCTOは胸を張って言った。「これで文字・音楽・数字データ・地図・写真・音声・映像がすべてデジタル表示できるようになった。そのうち誰もがたいした費用をかけずにデジタル・コンテンツを作り出すことになるだろう」。その通りになった。

 ②【インターネットの普及と接続の自由】‥‥‥90年代の半ばになると、ティム・バーナーズ・リーが開発したWWWが登場し、ジム・クラークとマーク・アンドリーセンのモザイク・ウェブブラウザーが市販され、ほどなくしてHTML(ハイパーテキストの記述言語)が使われるようになった。1995年8月9日にネットスケープが公開、その1週間後にウィンドウズ95がインターネット・エクスプローラを装着して売り出したとき、世界は本気でフラット化に向かったのだ。11・9と8・9。これがフラット記念日だ。

 ③【ワークフロー・ソフトウェアと共同作業の開始】‥‥‥こうしてソフトウェア産業が躍り出てきた。まず単純メール転送プロトコルSMTPが種類の違うコンピュータをつなげると、誰でも電子メールのやりとりができるようになった。線路はTCP/IP(送信制御プロトコル/インターネット・プロトコル)が、言語はHTMLが引き受けた。そこへXMLというデータ記述言語とそれに付随するSOAPという通信プロトコルが加わって、どんなパソコンもたいていの情報を共同使用できるようになった。
 ここに「標準化」(スタンダード)という共有を求める価値観が生まれ、さまざまな場面のスタンダード・ソフトが連打されていったのだ。

 ④【アップローディングとコミュニティ】‥‥‥さぁ、そうなると、おたくのコミュニティが自在に動きはじめて、アップローディングのしくみを極端に便利にしていった。コミュニティは「リナックス」「ブログ」「ウィキペディア」「ポッドキャスティング」「ユーチューブ」を次々に世に送り出した。ティム・オライリーは「これからのユーザーは消費するだけでなく創造する」と断言した。(たしかにそんな感じもするが、それってバロックやダダや寛永文化や南米文学の“創造”にはとうてい及んでいないよね)。

 ⑤【アウトソーシングによる技術転移】‥‥‥インドにはIIT(インド工科大学)が7校ある。この出身者たちは、最初はGEの部品のアウトソーシングを担当し、ついでテキサス・インスツルメンタルのマイクロチップを担当し、次にアップル社のさまざまなソフトにかかわるようになり、ついにはアメリカのIT技術の多くのアウトソーシング・センターの中核者となっていった。
 こうしてフラット化された世界の技術はアウトソーシングの先に新たな技術と市場をつくっていく。これは、他のどの国のどの技術集団にもあてはまる。アウトソーシングがフラット化を促進するのだ。(とはいえ、それで潰れていった制作会社も数限りない)。

 ⑥【オフショアリングがおこった】‥‥‥オフショアリングとは何か。最近の「中国の資本市場という現象」そのものがオフショア・フラット化の代表例だ。グローバリューションは、それがケータイであれ電気自動車工場であれ、どこかにオフショア(海外上陸)しさえすれば、どこかへのオンショア(国内逆上陸)をおこす。たしかにその相互浸透性こそ2000年からの世界変化だった。

 ⑦【サプライチェーンが一変する】‥‥‥ウォルマートは、フラットな世界ではサプライチェーンが競争力と利益の根幹になっていくことを劇的に示した企業となった。ウォルマートは製品を一つも作らずに、サプライチェーンだけをビジネスにした。在庫を情報レポジトリーに変え、流通を情報ネットワークにした。(でも、知識というサプライチェーンをどのように高性能にするかということはちっとも進んでいない)。

 ⑧【インソーシングで世界が同期化する】‥‥‥1996年、運送会社のUPSが「シンクロナイズド・コマーシャル・ソリューションズ」という事業に乗り出したとき、渋滞しがちで合理性を欠いていた各社の流通が、UPSのインソーシングによって問題を解消できることになった。社内で管理していたロジティックスが社外のロジティック・システムに委ねられるようになったのである。なるほど、これまた世界のフラット化がおこっていなければできないことだった。(とはいえウォルマートで世界は生活したほうがいいなんてことはない。ユニクロだけでの生活なんておもしろくないように)。

 ⑨【グーグルによるインフォーミング】‥‥‥グーグルが世界の知識を平等化した。(たしかに、そうだ)。そこにはグーゴル(10の100乗)な数の人間がかかわれるようになった。グーグルは、アップローディング、アウトソーシング、インソーシング、サプライチェーン、オフショアリングのすべての個人化を可能にした。これによって、「自分で自分に情報を教える」というインフォーミングが可能になった。
 同じことがアマゾン、ヤフー、TiVoにおこり、世界はますますフラット化することになった。(これまたたしかにそうだが、情報や知はそもそもフラットなのではなく、むしろ複雑さに触知することで解発されるんだけどね)。

 ⑩【情報のステロイドホルモン化】‥‥‥「デジタル」と「ワイヤレス」と「モバイル」と「ヴァーチャル」と「パーソナル」が掛け算されると、強力な情報のステロイドホルモン化がおこる。ナップスターやiPodがその先兵の役目をはたした。

 ざっとは、こういうことだ。いろいろ文句も注文もあるけれど、当時の分析としては“先見の明”があった。しかも、トーマス・フリードマンは、次にも進んだ。以上の10のフラット化の促進は次の5つの関門を突破できるかによって、さらに成功するか、あるいは滞ってしまうかが決まるだろうと言うのだ。
 第1には早くグローバル・プラットホームを形成すること、第2にはこれらに見合うバリューチェーンが発見されること、第3にはそのグローバル・プラットホーム上のバリューチェーンをリアル≒ヴァーチャルで活性化していける人材チェーンができること、第4にそれらすべてが「指揮・統制」(コマンド&コントロール)から「接続・共同」(コネクト&コラボレート)に切り替わること、そして第5にこれらのあいだで何が「方法」として理解されるのかを知るようにすること。
 これらは、みんな当っている。さすがだ。ただし現実には、本書が書かれた時点ではむろん、いまなお関門突破ができていないか、その先の実現ができていない。
 しかし、その突破や実現のために、第5番目にあげた「方法」を学ぶことが最重要であることを、フリードマンはなんとか示唆できた。これは評価できる。第7章「学ぶ方法を学ぶには、どういう授業を受ければいいか」で書いているのは、次のようなことだった。イシス編集学校が伝授していることや訴えていることに、しごく近い。

 ①世間が「学ぶ方法を学ぶという能力」について、もっと注目しなければならない。②ナビゲーションのスキルを教える方法について、もっと深く考える必要がある。③フラット化する世界では、IQではなくて好奇心(CQ)と熱意(PQ)が要求される。④バリューチェーンとサプライチェーンにおける有能な合成役(シンセサイザー)が登場すべきである。⑤これらを総じて、離れた点と離れた面を結びつける能力を教える学校が必要である。
 なんだ、これは編集学校そのままだと言うしかない。ぼくは本書の第1版を読んだときにすぐにそう感じたが(本書は第3版)、ここではそれでもまだ、合成する能力や結びつける能力が「編集能力」だとは気がつかれていない。技術が編集技術であることにも気がついていない。
 しかしだからといって、われわれも楽観してはいけない。フリードマンもベンチャー投資家のジョン・ドーアに次のように言われたのだ、「中国の会社の指導陣は呑みこみが早い。みんな技術者なんだ。アメリカはそこがダメだ。みんな弁護士なんだからね」。

 本書が後半にのべていることはとくに要約するまでもない。フラット化がいくら進んでも政府の役割は残っていること、各国の事情によってグローバリューションの独自の活かし方があること(メキシコ、アイルランド、中国の例があがっている)、企業がフラット化によって変えるべきなのは「自分たちよりも顧客のほうが知恵がある」と思うべきだということ、結局はグローカリューションはグローカリゼーション(グローバル=ローカル)でもあること、だから最も発揮されるべきイマジネーションだろうということ、そんなところだ。
 ところで、いまさら言うまでもないことだろうが、フリードマンのこうした見方が楽観的すぎるとする意見は、前夜のマンフレッド・スティーガーの「グローバリゼーション誇張派」「グローバリューション懐疑派」の両方の陣営にいる。なかでもフラット化を、それってたんなるマクドナルド化じゃないかというふうにみなして、『マクドナルド化する社会』『マクドナルド化の世界』(いずれも早稲田大学出版部)、『無のグローバル化』(明石書店)といった著書をたてつづけに書いたジョージ・リッツアは、本書と同じ地平をまるで反対のほうから見ている例として、外せない。ぜひとりあげたい。
 しかし、その前にグローバル市場を信頼しようとしている見解にも、いくつかの判断や見解のバラエティがあるので、そのあたりをもう少し紹介しておいたほうがいいようにも思う。次夜からはそのあたりを徘徊する。

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【参考情報】
(1)トーマス・フリードマンは1953年、ミネソタ州ミネアポリス生まれのジャーナリスト。ブランダイス大学を主席で卒業後、オックスフォード大学で修士を取ったのち、UPI通信に入って79年から81年までベイルート特派員を務めた。その後「ニューヨーク・タイムズ」記者として長らく国際情報や外交問題を手掛けてきた。クリントン時代にホワイトハウス担当主席記者だったこともある。
 とくにレバノン、イスラエルからの報道は有名で、ベイルート侵攻の報道では1983年のピューリッツァー賞を受け、その体験と見解をまとめた『ベイルートからエルサレムへ』(朝日新聞社)は1988年の全米図書賞品を受賞した。2002年にはテロが世界に及ぼす報道で、またピューリッツァー賞をとった。
(2)つまりフリードマンはアメリカ人が大好きな、アメリカきってのバリバリのジャーナリストだったのである。だからその後は『レクサスとオリーブの木』(日本経済新聞出版社)が世界的なベストセラーとなって、執筆活動に邁進するようになっても、本書のようなIT技術革命の細部に立ち入ったものを書いても、その視点はまったくブレてはこない。
 しかし、その取材姿勢、その執筆方針は、いかにもアメリカのジャーナリストとしての“正義と事実を委曲を尽くして申し述べる”というものだ。本書は増補版なのだが、その最終章の増補で、フリードマンがいかにアメリカがフラット化の先頭を走ってきたとしても、その成果が全世界に流出してしまったからといって、決して保護貿易主義などにならないでもらいたいと書いてることなど、そのジャーナル・スピリットが面目躍如しているというところだった。
 グローバリゼーション、グローバリズムについての参考図書は前夜までにもちょっとずつ紹介してきたので、ここでは省く。
 

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