三木成夫
胎児の世界
中公新書 1983

 開口一番、「そうか、あなたが松岡さんですか、うーん、デボン紀の顔ですね」と言われた。
 芸大の生理学研究室(保険管理センター)でのこと、1978年くらいのことだったろうか。それより2年ほど前だったか。「遊」の読者が多かった芸大のイベントに学生たちから呼ばれ、かれらがそのあと「三木先生という芸大でいちばんおもしろい先生がいる」というので、研究室に入っていったときのことだった。なるほど開口一番に「あなた、デボン紀!」と言うのは、よほど変わっているか、かなりおもしろいか、ひょっとしたら天才か、バカのひとつおぼえしか言わない人か、傲慢か、そのいずれかだろう。
 研究室には胎児が成長順にホルマリン漬けになって標本化されていた。そこに白衣を着た三木先生がいる。それだけでも十分に不気味だが、その胎児の“顔”がオルドビス紀、シルル紀、デボン紀、石炭紀、ジュラ紀、白亜紀と順に並んでいて、ぼくの顔はそのうちの、なんとデボン紀だというのだ。カンブリア紀やジュラ紀でなくて意味なくホッとしたが、まったく失礼な話である。が、三木先生は実に嬉しそうに笑っている。「いやあ、デボン紀でよかったですね、さすが、さすが、松岡さんだ」と、これまた意味のないことを言う。

 このあと、三木先生とぼくは「ねじれ」の話に終始した。人間はねじれている、人体のどこかしこもねじれている、生命の本質はねじれであろう、そんな話だった。
 これはぼくがジル・パースのスパイラロジー(螺旋学)を持ち出してから弾んだもので、ぼくの造語による「捩率」(れいりつ)に関する談義なのである。ぼくはそのころ、自然界の動向を捩率のふるまいによって見ていて、「捩れ的相似律」に凝っていた。けれどもそれを人体のすべてにあてはめるなんてことまではしていなかった。ところが三木先生は、体も命もなにもかもが捩率でできていると言うのだった。それをまたまた嬉しそうに話した。ぼくは最初こそ大きな声で快活に話していたのだが、なんだかだんだ小さい声になっていった。
 「だって松岡さん、内臓の末端は全部ねじれているんです」「そうですよね」「へその緒だって、十二指腸だって、大腸だってね、そうでしょう」「ええ、ええ」「実はね、耳もねじれですよ」「はい、はい、三半規管なんて、全部ねじって出来ている」「いや、それだけじゃない。うんこだってねじれているんです。えっ、そうでしょう」「うん、うん」「あれはハッキリ言って、捩れドーナツです」「いや、ねじりドーナツ、でも、そういえば‥」「あのね、実は脳もねじれてます。ニューロンそのものが松岡さんのいう捩率の産物なんです」「ええ、捩率脳」「声だってねじれているから発声できるんだと思いませんか」「はあ」「それから、歩き方ですよ。人間は体をねじって直立二足歩行しているわけですよ」「ええ、ロボットも」「もっと決定的なのはね、赤ん坊がねじれて出てくるということです!」「はあ、こう、ぐるぐると。ずうっとそうかなって思ってました」。
 いや、ずうっと思っていたわけではなくて、そのときハッとそう思ったのだが、ずうっとデボン紀のころから思っているフリでもしないと、この会話の異様な高揚感が失われそうだったのだ。

 こうして、ぼくは三木先生と親しくなった。ふらりと工作舎にもやってきて、ぼくがそのころ無料で開催していたレクチャー「遊学する土曜日」を聞き、おおいに感心してくれたりもした。
 ただし、その感心というもの、「ねえ松岡さん、般若心経はもっとゲーテ的に、松岡ふうに言うなら遊学ねじれ的問題で、つまりは“おもかげ物質”で説明したほうがよかったんじゃないかなあ」というものだった。何が松岡ふうだかわからないが、なにしろぼくは会った当初から“デボン紀の男”としてクリッピングされているのだから、抵抗のしようがあるはずもなかった。
 しかし、そのあとの時間は至福の対話時間、ぼくは三木先生とついに「心のアリバイ」さえ突きとめるに至ったのである。そう、心は脳だけにあるにはあらず、体の各所にも出入りしているという仮説であった。三木先生はこれを「脳は内蔵を反映する鏡にすぎない」と宣言しつづけていた。

 三木先生はもともとは解剖学者である。ただしゲーテを愛した形態学者でもあった。それから徹底した反還元主義者であり、言霊主義者でもあり、そしてタオイストであった。近頃えらそうな顔をして思想を息巻いている解剖学者とは格がちがっていた。
 けれども、その三木先生の考え方を一貫して読める本がない。なかなか書こうとしないのだ。先生、本を書いてくださいよと言っても、まあそのうちねというだけで、いっこうに取り合わない。だいたい芸大の保険管理センター所長などというポストではこの風変わりな天才の間尺にあわなすぎるのに、まったくおかまいなし、平気なのである。
 その三木先生がついに“メジャー”の版元で本を出したのが本書『胎児の世界』であった(ほぼ同じころ築地書館から『内臓のはたらきと子どものこころ』も刊行された)。それは、ぼくがしばらく先生と会わなくなってしまった時期のことだった。
 むろん、とびつくように読んだ。『胎児の世界』まえがきの第1行目にはこうあった。「過去に向かう“遠いまなざし”というのがある。人間だけに見られる表情である」。本文の冒頭にはこうあった。「生命記憶。みなさんはあまりお耳にしたことがないでしょうが、このことばには何か心の奥底に響くものがあります」。そして「椰子の味」と「玄米の味」と「母乳の味」の比較。最後に伊勢神宮の遷宮と生命のリズムの比較。なんだか涙がたまってきてしょうがない一冊だった。

 本書は胎児が刻々とかたちを変えて、1億年の生命の歴史を再現していくことを詳細に追っている。そしてそのつど、解剖学の成果と形態学の推理が第一ヴァイオリンのごとくに奏でられていく。その曲想の演奏がすばらしい。
 例の「ねじれ」も出てくる。赤ん坊がついに羊水を飛び散らせてズボッという音とともに出てくる瞬間だ。「頭のツムジをなぞるかのように赤ん坊の大きなからだが螺旋を描いて飛び出してくる」と三木先生は書いていた。こういう書きっぷりは随所にあらわれる。たとえば「植物のからだは、動物の腸管を引き抜いて裏返したものだ」。たとえば「この小さな胎児は喉を鳴らして羊水を思いきり飲み込む」。たとえば「母親の物思いによって無呼吸の状態が続くようなとき、増量した血中の炭酸ガスが臍の緒を通って胎児の延髄に至り、そこの呼吸中枢を刺激するといった事態がおこるという。ここで胎児もまた大きく溜息をつく。母と子の二重唱といったところか」というふうに。
 圧巻は、「いったい生命はどうしてリズムを知るのか」という自問自答に始まるくだりである。女性の排卵は月の公転と一致して、左右の卵巣から交互に一個ずつ体腔内に排卵される。このとき暗黒の体腔でかれらはどのようにしてだか、月齢を知る。三木先生は、この問題は魚鳥が移動するとき、その時刻と方角をどのように知るのかという問いに集約されると考える。そして、この問題を解くための指針はただひとつ、それは卵巣こそがその全体が一個の「生きた惑星」ではなかったかということに合点することなのだ、と考えていく。こうして三木先生は、「地球に生きるすべての細胞はみな天体なんだと知ることなのである」と喝破する。すなわち、胎児たちはすべて「星の胎児」なのだと宣言をする。

 本書を一貫しているのは、「面影」というものである。これはゲーテの「原形」にあたるキーワードで、むろん生きた面影のことをさす。
 この面影が数億年の太古に蘇り、胎児に宿る。この面影を消し去ることはできず、この面影を含まない科学は生きた生物学にはなりえない。ぼくにデボン紀の面影を見たのは、三木先生の一貫した哲学による御神託だったのである。それにしても、ぼくはずっと“デボン紀の男”としてありつづけるのだろうか。

参考¶三木成夫は1987年に亡くなった。それから5年ほどたって、どこからだったか『生命形態学序説』という大判の横組の本が静かに送られてきた。「うぶすな書院」という発行元である。なんという版元名なのだろう。三木成夫の多くのシェーマ原図が収められている。これがすばらしい。このほか『生命形態の自然誌』全3巻(築地書館)もある。三木成夫のエッセンスが理解されるには、日本の科学の批評状況はまだ狭く、また、まだ幼い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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