モーリス・メーテルリンク
青い鳥
岩波文庫 1929 新潮文庫 1960
ISBN:4102013016
Maurice Maeterlinc
L'oiseau Bleu 1908
[訳]堀口大學

 メーテルリンクの『青い鳥』なんて読むまいとおもっていた。
 ぼくはアンデルセンならオーケーだが、善意だけでできているような童話や物語は苦手だったのだ。宮沢賢治だって、『銀河鉄道の夜』『風の又三郎』『注文の多い料理店』をはじめ、大半の作品はオーケーだが、『雨ニモマケズ』だけは中学の教科書で読んだときに、途中で嫌になったような青少年だったのである。

 ところが、メーテルリンクの『温室』を読んで考えこんだ。詩集であるが、これは深かった。それでも『青い鳥』はやめておいた。
 ついで『埋宮』を古本屋で見つけて読んでみて、やはりメーテルリンクは只者ではないことがどんどんはっきりしてきた。物語の構造も本格的である。
 そのうちドビュッシーやシェーンベルクを聞くうちに、これはどうでも『青い鳥』を読むしかなくなった。こういうひどい読者だったのである。

 『青い鳥』は戯曲である。ウェデキントの傑作がそうであるように、これは6幕12場のレーゼ・ドラマなのである。むろん舞台で子供たちが上演できるようにもなっている。
 しかも冒頭、他の戯曲とはちがって、「服装」というト書から始まっていく。次のように指定されている。

チルチル=ペローの童話に出てくる「親指小僧」の服装。
ミチル=グリムの童話に出てくる「グレーテル」または「赤ずきん」の服装。
光=月色の着物。型はギリシア式あるいはウォーター・クレーン風のイギリス・ギリシア式。
時=昔ながらの時の服装。
妖女ベリリウンヌ=例の貧しい女の服装。

 以下、とうさんチル、おばあさん、太った幸福たち、夜、水、犬や猫などの服装が指定されている。
 これでだいたいのことが告げられているのだが(つまりはすでにメーテルリンクの独壇場にわれわれは引きこまれてしまっているのだが)、そこでさらには舞台の説明があって、きこり小屋で寝ているチルチルとミチルがベッドに起き上がって会話するところになっていく。その会話もすぐに妖女との会話に変わり、われわれは早くも「となりのトトロ」を相手にしているような世界に一挙に入っていく。

 メーテルリンクの作劇術は尋常ではない。
 むろん用意周到であるけれど、それを感じさせないものがある。
 すべては指定され、指示され、物語の「からくり」や「しかけ」さえ見えるようになっているのだが、その術中にはまりたくなっていく。そこがメーテルリンクなのである。文芸の哲学なのである。
 おそらく、そこには人生の大半の感情がもりこまれている。どんなふうにもりこまれているかというと、むろん童話のような登場人物たちが交わす会話にちりばめられている。ところが、それぞれはかわいらしい会話なのに、その総体は哲学になっている。文芸の哲学であり、人間の哲学なのである。そこが忖度されている。
 その忖度がなぜ哲学かということを、試みに第3幕の「夜の御殿」を例に、あえて不束な文章にしてみることにする。

 ここは夜である。
  猫は痩せこけて憔悴しきっている。猫の属する夜の界隈の秘密が暴かれつつあるからだ。もし、その秘密が公開されれば、夜は終焉となる。
  すでに光が“彼等”に籠絡されて、夜への案内を買って出た。のみならず月光に育てられた青鳥が夜の界隈に棲息しているという情報が洩れていた。
  しかし“彼等”はそこまでやってきている。夜はフィクショナルな現実を演出するしかなくなっていた。“彼等”に虚偽の青鳥を見せることである。そこで夜の演出者たちは、多様な門と扉と鍵を用意した。
  案の定、“彼等”は門と扉と鍵を渡すと、その方面の探索に乗り出した。しかし、それらの門は入口であって出口であり、扉は奥をつくるものか、外をつくるものかがわからない。まして鍵には鍵穴という逆鋳型がついている。“彼等”は迷い、夜はほくそ笑む。
  やがて“彼等”はおびただしい数の青鳥に出会うことになる。それらはすべて虚偽の鳥なのである。

 ざっとこんなふうなことが、こんなふうな言葉をひとつもつかわずに、子供用の会話に置き換えられているわけである。
 これでは子供ならずとも、メーテルリンクの術中にはまっていく。そして、けっこう深いことを考えさせられる。それが『青い鳥』なのだ。

 この物語は、よく知られているように、チルチルとミチルが眠っているあいだの夢になっている。
 その夢に妖女が出てきて青い鳥の探索を依頼する。二人の子供は「記憶の国」で最初の青い鳥を見つけるが、これは籠に入れたとたんに黒い鳥になる。
 「夜の国」では大量の青い鳥に遭遇するものの、つかまえると同時に死んでいく。見えているのに捕獲はできない。つまりは、籠に入れても、つかまえるだけでも、ダメなのである。
 次の「森の国」では青い鳥が飛んでいるのに、つかまえられず、「墓の国」では死に出会って退散させられ、「幸福の国」では不幸という連中が邪魔をする。死を悼み、不幸に同情しては、青い鳥は見えなくなってしまうのである。
 こうして最後にたどりついた「未来の国」で、ついに青い鳥を生きたままつかまえるのだが、これを運ぶと赤い鳥になっていった。

 妖女との約束ははたせなかった。チルチルとミチルはしかたなく家に帰っていく。
 そこで目がさめ、隣のおばあさんが駆けこんでくる。自分のうちの病気の娘がどうもチルチルの家にいる鳥をほしがっているらしい。
 すっかり忘れていた自分の家の鳥を見にいくと、それはなんと青い鳥になっている。なんだこんなところにいたのかと、二人がその鳥を娘のところへもっていくと、娘の病気がよくなった。
 よろこんだ3人が、よかった、よかったと鳥に餌をあげようとすると、青い鳥はさあっと飛びたち、どこかへ逃げていった、とさ。
 さて、あとは諸君が考える番である。

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