才事記

父の先見

先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。

ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日本もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。

それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、若いダンサーたちが次々に登場してきて、それに父が目を細めたのだろうと想う。日本のケーキがおいしくなったことと併せて、このことをあんな時期に洩らしていたのが父らしかった。

そのころ父は次のようにも言っていた。「セイゴオ、できるだけ日生劇場に行きなさい。武原はんの地唄舞と越路吹雪の舞台を見逃したらあかんで」。その通りにしたわけではないが、武原はんはかなり見た。六本木の稽古場にも通った。日生劇場は村野藤吾設計の、ホールが巨大な貝殻の中にくるまれたような劇場である。父は劇場も見ておきなさいと言ったのだったろう。

ユリアのダンスを見ていると、ロシア人の身体表現の何が図抜けているかがよくわかる。ニジンスキー、イーダ・ルビンシュタイン、アンナ・パブロワも、かくありなむということが蘇る。ルドルフ・ヌレエフがシルヴィ・ギエムやローラン・イレーヌをあのように育てたこともユリアを通して伝わってくる。

リカルドとユリアの熱情的ダンス

武原はんからは山村流の上方舞の真骨頂がわかるだけでなく、いっとき青山二郎の後妻として暮らしていたこと、「なだ万」の若女将として仕切っていた気っ風、写経と俳句を毎日レッスンしていたことが、地唄の《雪》や《黒髪》を通して寄せてきた。

踊りにはヘタウマはいらない。極上にかぎるのである。

ヘタウマではなくて勝新太郎の踊りならいいのだが、ああいう軽妙ではないのなら、ヘタウマはほしくない。とはいえその極上はぎりぎり、きわきわでしか成立しない。

コッキ&ユリアに比するに、たとえばマイケル・マリトゥスキーとジョアンナ・ルーニス、あるいはアルナス・ビゾーカスとカチューシャ・デミドヴァのコンビネーションがあるけれど、いよいよそのぎりぎりときわきわに心を奪われて見てみると、やはりユリアが極上のピンなのである。

こういうことは、ひょっとするとダンスや踊りに特有なのかもしれない。これが絵画や落語や楽曲なら、それぞれの個性でよろしい、それぞれがおもしろいということにもなるのだが、ダンスや踊りはそうはいかない。秘めるか、爆(は)ぜるか。そのきわきわが踊りなのだ。だからダンスは踊りは見続けるしかないものなのだ。

4世井上八千代と武原はん

父は、長らく「秘める」ほうの見巧者だった。だからぼくにも先代の井上八千代を見るように何度も勧めた。ケーキより和菓子だったのである。それが日本もおいしいケーキに向かいはじめた。そこで不意打ちのような「ダンスとケーキ」だったのである。

体の動きや形は出来不出来がすぐにバレる。このことがわからないと、「みんな、がんばってる」ばかりで了ってしまう。ただ「このことがわからないと」とはどういうことかというと、その説明は難しい。

難しいけれども、こんな話ではどうか。花はどんな花も出来がいい。花には不出来がない。虫や動物たちも早晩そうである。みんな出来がいい。不出来に見えたとしたら、他の虫や動物の何かと較べるからだが、それでもしばらく付き合っていくと、大半の虫や動物はかなり出来がいいことが納得できる。カモノハシもピューマも美しい。むろん魚や鳥にも不出来がない。これは「有機体の美」とういものである。

ゴミムシダマシの形態美

ところが世の中には、そうでないものがいっぱいある。製品や商品がそういうものだ。とりわけアートのたぐいがそうなっている。とくに現代アートなどは出来不出来がわんさかありながら、そんなことを議論してはいけませんと裏約束しているかのように褒めあうようになってしまった。値段もついた。
 結局、「みんな、がんばってるね」なのだ。これは「個性の表現」を認め合おうとしてきたからだ。情けないことだ。

ダンスや踊りには有機体が充ちている。充ちたうえで制御され、エクスパンションされ、限界が突破されていく。そこは花や虫や鳥とまったく同じなのである。

それならスポーツもそうではないかと想うかもしれないが、チッチッチ、そこはちょっとワケが違う。スポーツは勝ち負けを付きまとわせすぎた。どんな身体表現も及ばないような動きや、すばらしくストイックな姿態もあるにもかかわらず、それはあくまで試合中のワンシーンなのだ。またその姿態は本人がめざしている充当ではなく、また観客が期待している美しさでもないのかもしれない。スポーツにおいて勝たなければ美しさは浮上しない。アスリートでは上位3位の美を褒めることはあったとしても、13位の予選落ちの選手を採り上げるということはしない。

いやいやショウダンスだっていろいろの大会で順位がつくではないかと言うかもしれないが、それはペケである。審査員が選ぶ基準を反映させて歓しむものではないと思うべきなのだ。

父は風変わりな趣向の持ち主だった。おもしろいものなら、たいてい家族を従えて見にいった。南座の歌舞伎や京宝の映画も西京極のラグビーも、家族とともに見る。ストリップにも家族揃って行った。

幼いセイゴオと父・太十郎

こうして、ぼくは「見ること」を、ときには「試みること」(表現すること)以上に大切にするようになったのだと思う。このことは「読むこと」を「書くこと」以上に大切にしてきたことにも関係する。

しかし、世間では「見る」や「読む」には才能を測らない。見方や読み方に拍手をおくらない。見者や読者を評価してこなかったのだ。

この習慣は残念ながらもう覆らないだろうな、まあそれでもいいかと諦めていたのだが、ごくごく最近に急激にこのことを見直さざるをえなくなることがおこった。チャットGPTが「見る」や「読む」を代行するようになったからだ。けれどねえ、おいおい、君たち、こんなことで騒いではいけません。きゃつらにはコッキ&ユリアも武原はんもわからないじゃないか。AIではルンバのエロスはつくれないじゃないか。

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自己創出する生命
普遍と個の物語
ゲノムが語る生命
新しい知の創出

中村桂子

哲学書房 1993 2004

編集:(自)中野幹隆/(ゲ)鯉沼広行 
編集協力/三好秀英(綜合社)
装幀:(自)神田昇和/(ゲ)原研哉

20数年前の暑い夏のこと、「スーパーコンセプトとしての生命について考えたい」という書き出しで、中村桂子の『自己創出する生命』(哲学書房→ちくま学芸文庫)は始まっていた。そうそう、これこれ、こうじゃなくちゃ。桂子さんやったねと思った。

 二十数年前の暑い夏のこと、「スーパーコンセプトとしての生命について考えたい」という書き出しで、中村桂子の『自己創出する生命』(哲学書房→ちくま学芸文庫)は始まっていた。生命をスーパーコンセプトにするのか。そうそう、これこれ、こうじゃなくちゃ。桂子さんやったねと思った。
 一読、多田富雄さんの「スーパーシステムとしての免疫の意味」に呼応しているようにも、ヴァレラやマトゥラーナのオートポイエーシス型の意味創出仮説に向けて、ちょっと骨っぽい生命論的なルーツと科学が語る物語のパースペクティブを与えようとしているようにも思えた。たんなる生物学者の呟きではない。「ゲノムで考える」に徹しようとしていた。そのうえで生命論的世界観に向かいたいのだということが、ひしひし伝わってきた。

生命誌絵巻
生命誌という見方で生きものの歴史と相互関係を把握したその姿を、的確に表現する方法はないかと考えた結果、この図にたどり着いた。(『自己創出する生命』の巻頭より)

 ゲノム(genome)というのは、その生物、酵母菌なら酵母菌が、マグロならマグロが、チンパンジーならチンパンジーが、ヒトならヒトが生きていくために必要な遺伝情報の全セットのことをいう。生命進化を支えてきた遺伝と変異にまつわって継承され変化していく生体情報のすべてがゲノムだ。
 わが家にはナカグロという黒猫がいて、庭のサルスベリの枝に憧れている。この子はナカグロという猫ゲノムで、ナカグロが好きな百日紅はサルスベリという樹木ゲノムなのである。同様にわれわれ一人ひとりも、中村桂子というヒトゲノム、松岡正剛というヒトゲノムなのだ。
 ゲノムにはDNAのような化学的な高分子物質のふるまいのことだけでなく、遺伝情報に間接的にかかわるしくみや調節のためのソフトウェアも、がらくたかとおぼしいジャンクDNAやイントロンなどの役割不明な部分も、含まれる。塩基配列だけではゲノムは語れない。言いかえればマグロもライオンもヒトも、ゲノム情報の何が欠けても白紙部分や余計部分が欠けても、マグロやライオンやヒトではなくなるということだ。
 だから、ヒトゲノムという情報組成の上に成り立ってきた人間という生きものを哲学したり、社会学したり心理学したりするなら、つまりヒトという人間にまつわる情報のあれこれを本気で相手にしたいなら、まずはまるごと「ゲノムで考える」ということがどうしても必要なのである。
 われわれはそういうゲノムの種的継承を軸に進化を遂げつつ、変異や絶滅をくりかえしつつヒトに達し、そこへ脳神経系による情報処理力や身ぶり情報や道具扱い能力や言語コミュニケーション能力を重ねてきた。その全貌をゲノムから考えていくには、どうすればいいのか。どうすればいいかわからずとも、ゼッタイにそう考えるべきなのだと桂子さんは決めた。しかし本書が登場した当時、そんなことを標榜するのはけっこう勇気のいることだった。

文部科学省が制作しているヒトゲノムマップ
ゲノムとはgen(遺伝子)+ome(全体)から名づけられた。

 桂子さんは早くから頭角をあらわしていて、ぼくも筑波の科学万博(1985年開催)を組み立てていた下河辺淳さんから早々に紹介されていた。
 下河辺さんは先だって92歳で亡くなった(2016年8月13日)。東大建築学科在学中に敗戦となり、すぐに戦災復興院に勤めたのちは国土事務次官や国土審議会会長として「全総」(全国総合開発計画)を推進して、角栄以降の日本列島改造などを支えたが、一貫して権力に阿ず、既存の学術に注文をつけ、新たな才能の出現に目を届けることを厭わなかった。日本の官僚としてはめずらしく大河のような器量の持ち主で、願わくは、晩年に就任したNIRA(総合研究開発機構)の理事長としては日本のシンクタンクの強化をもっと指導してほしかったけれど、そこはまにあわなかった。その下河辺さんが早くに目を細めて応援していたのが桂子さんだったのである。
 桂子さんは小柄でふだんは控えめだが、いったん決断すると退路を断てる人で、それに加えて話しっぷりがたいへんチャーミングである。その言い分にはなんとも颯爽とした切れ味があった。その後、ぼくも幾つかの会で同席し、下河辺さんが団長となったアメリカ議会図書館でのシンポジウムなどに村上陽一郎さんらとともに一緒に出向いたりもした。

下河辺淳
終戦直後から50年間にわたって国土開発行政に携わった。松岡とは『ボランタリー経済の誕生』で共著を出版した。

 桂子さんはもともと生化学者・江上不二夫さんのお弟子さんである。
 そのころ日本を代表していた生物学者には八杉龍一・木原均・大沢文夫・渡辺格・岡田節人・日高敏隆・木村資生などがいたと思うのだが、江上さんはなかでもその牽引者の一人で、日本で最初に「生命科学」(ライフサイエンス)にとりくんだ。晩年は三菱化成が生命科学研究所をつくったときに初代所長に招かれ、そこに桂子さんが“就職”したのだった。
 ということは桂子さんは生命科学という枠組とその統合にとりくんだ江上さんの薫陶を受けて斯界に登場したということになるのだが、その後のライフサイエンスは予想していたものとはちがっていた。
 ことごとくバイオテクノロジーの最前線と混じっていって、どこか納得がいかない。そのうち遺伝子操作やクローニングや遺伝子組換えが流行し、大量の資金投入とともに食品や医療や薬剤を変えはじめていった。桂子さんは合点がいかないだけではなく、あからさまに反旗を翻したくもなっていたようだ。
 私がやりたいのは個別の遺伝子をいじるようなあれこれの科学技術の議論じゃない。その成果の競い合いでもない。そういうものではなく、生命論的世界観をあらわすような、「学」ではなく「誌」のような、いわば「生命誌」ともいうべきものであってほしい。それにはDNAや遺伝子をピンポイントで扱って生命の部分にこだわっていくのではなく、ゲノムまるごとを大前提にして、生命情報まるごとで考えたい。そう宣言をして、本書にとりかかったのである。

江上不二夫
日本における生化学の導入・普及の貢献者であり、戦後における進歩的科学者のリーダーの一人。ワトソンの『二重らせん』を翻訳したことでも知られる。

 今夜はそういう桂子さんの2冊をとりあげる。
 『自己創出する生命』は1993年の上梓だったから、世界が湾岸戦争によって第一次文明戦争を経験し複雑多様な社会に向かっていった時期、日本はバブル崩壊後の混迷に突入したままアメリカに制御された経済成長しか目に入らなくなってきた時期にあたる。生命科学の情況のほうでいくと、アメリカ主導のヒトゲノム解析計画が本格始動したのが1991年だから、その直後にあたる。桂子さんはこうした動向を早くからキャッチしながら、こんなことで生命の意味が摑めるのだろうかという疑問をもって『自己創出する生命』を書いたのだったろう。
 しかしそんな疑問をよそに、ライフサイエンスの主流は遺伝子工学やバイテクのオンパレードだった。時代は生体いじりの方向へどんどん驀進していった。1994年にはアメリカで初の遺伝子組換えトマトが出現し、1996年にクローン哺乳類「羊のドリー」が誕生したと思ったら、2年後にはヒトのES細胞(胚性幹細胞)が実験室の片隅で生まれ、2000年にはアベンティス社の遺伝子組換えトウモロコシ「スターリンク」の技術プロセスが発覚して問題になった。
 そして21世紀が幕をあけた2001年、ヒトゲノムの塩基配列の約30億にのぼるデータが各機関各企業のシークエンサー群によって突き止められ、決定されたのである。

中村桂子著『自己創出する生命』
左が哲学書房の初版本。右がちくま学芸文庫版。いずれも増刷重版を続けた。

『自己創出する生命』p.46-47
右の写真は二重らせんの相補的な構造を「将棋のコマ」で表現したもの。

 ヒトの塩基配列がすべて確定的に拾えるということは画期的なことではあったし、それが号砲となってゲノムに対する関心が一斉開花して医療や薬学に新たなステージが拓けていくのはよろこばしいことでもあったが、桂子さんはやっぱり納得しきれなかったようだ。テクノロジーが先行しすぎてフィロソフィが追いついていないのだ。
 桂子さんはまたまた一念発起して2004年に『ゲノムが語る生命』(集英社新書)を書いて、あらためてゲノムによる生命像のフィロソフィカル・イメージがいかに重要かを訴えた。『自己創出する生命』が文庫になるときも、細胞とゲノムを一蓮托生で考える重要性をやや長めの「補遺」に書いている。

 いったい科学や科学者が何をめざしてきたかというと、総じては「真理」を求めてきた。真理を求めると、その真理は何でできているのかが気になった。そこで世界の現象を構成しているであろう「要素」を想定し、その要素間の「因果」を数学的に記述し、どんな現象や反応が可逆的であるかを突きとめてきた。しかし20世紀に入ってまもなく、現象のすべてを要素のふるまいで説明しようとしても、そこには確定不可能なこと、複雑すぎること、相補的なこと、観測矛盾になることなどがいくらでもあることが、見えてきた。
 そこに加わってきたのが「情報」という、モノともコトともつかない現象の役割だった。とくに生命という現象にはことこまかに情報がかかわっている。生命情報は「真理」「要素」「因果」の3つを無矛盾に鼎立させようとしているとは、かぎらない。

中村桂子著『ゲノムが語る生命』

 科学はイカもスルメも研究対象にできる。生物体の構造を知るだけならスルメでもなんとかなる。けれども生命が「生きている」ということを知ろうとすると、スルメは答えてくれない。イカがどんなふうに「情報」を活かしているかを知る必要がある。

 生物は代謝をしつつ、世代交代をする。外界と相互作用をおこして摂取と排泄をくりかえし、そのつどモノを複製したり変異させているが、その継続を保証しているのは情報がコーディングしているコトである。生物はまた同種間で交配をくりかえして次世代を生む。そこでは情報の持ち寄りがおこっていて、さまざまな化学反応をともなう情報編集のしくみが進行する。
 こうして、遺伝情報は38億年の生物史のごく初期にRNAを媒介にしたDNAの複写と転写によって「生きた情報」を継承するようになった。だったら、DNAが自分の親分や子供たちが「生きている」ことを知っているのかというと、そうではない。DNAは情報要素にすぎなかったのである。「ゲノムで考える」といっても、「DNAで説明できること」と「ゲノムを考えることで浮かび上がってくること」はいささか異なるということだ。

DNAからRNAへの転写の模式図(2002年版)
『細胞の分子生物学』という教科書に載っている転写の模式図。1984年版に比べ2002年版では多くのことが分かるようになった。(生命誌vol.45-48「観る」より)

 ところがふつうはDNAが遺伝情報をあやつる遺伝子で、ゲノムはその全体像だという程度にしか思われてこなかった。桂子さんは、そういうふうに見るのはおかしい。DNAや遺伝子のレベルの解読や技術革新だけでは「生きている」ということが説明しきれないのではないかと言ったわけである。DNAや遺伝子だけでは、生命現象がことごとく要素に還元されすぎるのだ。

連綿と続く生命の進化
ヒトゲノムの解析が終り、これを使ってヒトの「物語」を紡ぐ必要が出た。「生きものを知るとは、細胞や個体の物語りを誌(しる)すことである」(生命誌vol.41-44「語る」より)

 生命情報の多くの場面やしくみのすべてにかかわるものがゲノムであり、総ゲノム情報である。そんなふうにゲノムを見るために、ゲノミックス(genomics ゲノム学)という用語も使われている。
 だからおおざっぱにいえば、「ゲノム≧遺伝子≧DNA」というふうになる。染色体の中のDNAはゲノムとしてセットされるのだ。もうちょっと詳しく不等式を書けば「生物≧真核生物≧個体≧細胞≧ゲノム≧染色体≧遺伝子≧DNA≧RNA≧化学的高分子≧元素的物質」などとなる。ゲノムはこの不等式の真ん中を担っている生体情報概念のハブだった。
 それゆえ、ゲノムによって生命と情報のふるまいを語るには、うんとたくさんの関係を勘定に入れる必要がある。細胞の成り立ち、アミノ酸とタンパク質の関係、ときにはDNA以上に重要な役割を担っているとおぼしいRNAのはたらき、外から見るかぎりは遺伝情報にかかわっていないイントロンやジャンクDNAがなぜあるのかということの問い、転写や翻訳のときにおこる数々のミスマッチや誤植、そのほかさまざまな機能や場面などを勘定に入れるべきなのである。
 桂子さんは、この、うんとたくさんの関係でゲノムを考えるのが好きなのだ。そのプロに徹しようとした人なのだ。

DNAからタンパク質が生まれる流れ
DNAから写し取られたRNAによって、一部が書き換えられ、アミノ酸の鎖に変換され、タンパク質が生成される。このような面倒で間違いを起こしやすい仕組みをあえて生命は生み出した。(生命誌vol.65-68「編む」より)

 いま、桂子さんはJT生命誌研究館(BRH)というところの館長をしている。ずっとしてきた。この研究館は大阪の高槻に本拠があって、そこでも展示や体験などを提供しているのだが、その歴年の活動と刊行活動がべらぼうにすばらしい。
 BRHは長らくカード型の「生命誌」を構成編集制作してきた。コンテンツとスタイルがお洒落で説得力がある。毎号よく出来ていた。ぼくも編集の仕事をしてきたからよくわかるのだが、たんに充実しているだけでなく、企画発案がサイエンティフィック・エレガントであること、各号の視点の変化がいいこと、そのプレゼンテーションにおもしろみがあること、図解や模式化にいつも工夫が施されていること、利用者の視線のカーソルの誘導の仕方、キャプションなどの妥当性、いずれも行き届いている。
 だからほんとうはそのカード式それぞれを手に取って見てほしいけれど、今夜はそこは叶わないので、代わって紹介したいのはそれらをあらためてまとめ、研究館が編集して新曜社が刊行するかっこうにした季刊の「生命誌」という書籍型の冊子シリーズのほうだ。
 以下にその一端を紹介しておきたい。BRHの多彩な活動についてはホームページなどを見られたい。

季刊誌「生命誌」の一部
年間テーマを決め、対談や研究・研究者紹介など、研究者や思想者を通して考える季刊『生命誌』は、ホームページで閲覧する「生命誌ジャーナル」と、工夫した表現でのエッセンスを楽しむ「BRH カード」の組み合わせで季刊でまとめられている。

生命誌研究館のHP[外部リンク
「生命誌ジャーナル」ではたくさんのレポートを見ることができる。

 途中号から紹介するが、37~40号は「愛づるの話」がテーマになっていた。対話者は今道友信・岡田節人・佐々木丞平・金子邦彦で、この顔触れもみごとだが、「愛づる」で生命を語ろうというところが独特だ。
 むろん堤中納言物語の「蟲愛づる姫君」が念頭にあるのだろうけれど、花鳥風月まるごとをゲノムするという意気込みもある。細胞の培養と分化の研究に長年精力を注いできた岡田節人にも「細胞を愛する」というスタンスが一貫していた。
 一冊のなかには対談、インタヴュー・レポート、桂子さんのコメント、ゲストの一言など、いろいろ取り交ぜてある。つるつるしているテキストもあり、引っ掛かってくるものもある。たとえば本庶佑の振り返りはジョーシキ的でつまらなかったが、発生工学の黒岩常祥や分子進化に執着してきた宮田隆の話は愉しかった。リサーチレポートでは、シアノバクテリアのサーカディアンリズム(岩崎秀雄)、反り返り裏返しボルボックスのモデル(西井一郎)、ゲノム・インプリンティングの制御の問題(石野史敏)が印象に残る。
 「愛づる」については『ゲノムが語る生命』にも1章がふりあてられていて、「愛づる」はloveではなく、philosophyの“philo-”だろうという指摘がある。桂子さんの面目躍如であった。

『愛づるの話。』生命誌 年刊号 vol.37-40

『愛づるの話。』
写真はツマグロヒョウモンの幼虫と食草のスミレ。巻頭は、「虫愛づる姫君」の話から生き物を愛することが生命を大切にする社会づくりにつながる、というイントロダクションから始まる。

円山応挙の「写生帖」には蝶の姿が模写されている。日本人が古来どのように「愛づる」を絵にしてきたか追いかける。
(『愛づるの話。』より)

『愛づるの話。』を展示や舞台で表現
JT生命誌開館は10周年の節目に3つの特別活動を実施した。第一は生命誌の展示、第二は舞台で「生きもの愛づる人々」を表現、第三には館内に46億年の地球の歴史を描いた。

岩崎秀雄「時を刻むバクテリア」
生物時計のしくみをシアノバクテリアを通して解明に迫るレポート。(『愛づるの話。』p72-73より)

時を刻むシアノバクテリアの概日リズムの多重ループモデル
振動体の生み出すリズムによって染色体DNA上の複数の遺伝子が発現したり、ダイナミックな構造変化が起こると考えられている。(『愛づるの話。』p74より)

 41~44号は「語る科学」だ。科学にひそむナラティヴィティに焦点があたる。アフリカに幾つもの物語を発見してきた川田順造と横浜ボートシアターの遠藤啄郎が「語らなければ何も始まらない」ことを強調する。
 磯崎行雄のプレゼンテーションはおハコのもの、大村敬一のイヌイットの話や、いまではゲノムプロジェクトの成果としても脚光を浴びている日本のメダカの話、とりわけ形態形成シグナルを研究する丹羽尚の「付属肢」の土台さがしの話は、それぞれのエピソードがピリッとしていた。
 45~48号の「観る」では、写真家の港千尋が「誌」には生命誌とともに人生誌があること、写真は再認行為でもあることにふれ、桂子さんがそこから「プリント」と「再」の重要性を言及するところ、神経細胞を研究してきた廣川信隆と軸索内の微小管の役割の話を通して、生命がみずからの幾つかの階層をまたぐことがなぜ得意なのかというふうに進むところ、あるいは植物学の塚谷裕一が葉っぱの話を通して「植物はなぜ形を守るのか」にこだわっていくところが、生命誌らしい。
 が、「観る」で一番よく出来ていたのは、クロマチン(広瀬進)、細胞接着分子(小田広樹)、光合成タンパク質(栗栖源嗣)、オートファジー(水島昇)、アストロサイト(森田光洋)を並べてリサーチレポートにしている構成で、こういうあたりがもともとの「カード生命誌」の編集的自由力がモノを言っているところなのである。

『語る科学』生命誌 年刊号 vol.41-44

『語る科学』巻頭カラー
「『語る』ということをもう一度考えてみたい」「天文学、演劇、文化人類学、解剖学。自然・生命・人間について独特の見方を語っていらっしゃる方の思いを伺いたかった」(中村桂子)

遠藤拓郎による演劇「小栗判官・照手姫」
中村桂子が、演劇と対極にある「語る」とは何かを試行錯誤してきた遠藤拓郎に耳を傾ける。(『語る科学』p28-29より)

川田順造「生きものとヒトと人間」
「怖そうだけどアフリカの話を聴いてみたい」という中村桂子の思いから対談が実現した。「“言葉にとても厳しい方”であったものの、川田順造から大切なことをたくさん学んだ」(『語る科学』p28-29より)

丹羽尚の「付属肢」の土台
とりあげた研究だけを紹介するのではなく、その研究につながる分野全体の現状、研究者個人の視点を統合し、1枚の地図にまとめていく。(『語る科学』p.110より)

『観る』生命誌 年刊号 vol.45-48

ヤブガラシの原寸大写真
『観る』では「植物学者と語る」で塚谷裕一と対談。(『語る』p50-51より)

「植物学者と語る」塚谷裕一
塚谷氏は「遺伝子から野外、更には小説の中と、あらゆる植物を観て、形とは何かを考える魅力的な研究者」だった。(『語る』p52より)

観るで見えたもの
最近の研究では「細胞内の分子を見る」ということが特徴になっている。分子の研究は思いがけない発見をもたらしてくれる。(『語る』p68-69より)

細胞記憶を支えるクロマチン
染色体には遺伝子が働かないクロマチンの領域がある。ここに細胞記憶の秘密が隠されている。(『語る』p71より)

 49~52号は「関わる」だった。御大の大沢文夫さんが「いいかげん」の大事さをルースカップリングな見方による生命観で語っていた。中村義一のRNA研究に桂子さんが真っ正面から斬り掛かるところも読みどころだったが、ぼくにはノンコーディングRNAのほうが複雑になる理由がどうも見えてこなかった。ノンコーディングRNAには生命発現ドラマのもうひとつのシナリオがある。
 57~60号の「続く」はカバーを外して裏返すと、生物38億年の流れがダイアグラムになってあらわれる。フォーマットも横組から縦組に変わった。メディアのレイアウトというのは妙なもので、レイアウトの工夫ひとつで読みたくなったりうんざりしたりする。文字組の案配だけでも、外骨格の中から内骨格が待っていたかのように出てきた感じがしてくるものなのだ。
 この号は、日本のオートポイエーシス理論を先導してきた河本英夫とのセッション、形態進化を研究してきた倉谷滋とのセッション、個体ごとに遺伝子を使い分ける「柔らかいゲノム」に注目する郷康広のレポートがおもしろい。巻頭に桂子さんは「生きものは続こうとしている」のではないことを強調していた。生命活動は目的論的なんかではないのだ。「続く」とは中心の実体がでんとしっかりしているから保持されているということではなく、たえず変化があるから、何かが続くということなのだ。

『関わる』生命誌 年刊号 vol.49-52

『関わる』巻頭カラー1冒頭は「『愛づる』『語る』『観る』と動詞で考えてきたここ数年。今年は『関わる』です。生きていることは関わることと言ってもよいでしょう。細胞たちは社会と呼びたいほど相互に関わり合い、話し合っています」という言葉から始まる。

自然の関わりと文化の関わり人間は自然との関わり抜きに生きることはできないのと同様に、社会とも関わり続けている。(『関わる』巻頭カラー)

「Scientist Library」
研究者の歴史を研究者のライフヒストリーの視点で編集する。「興味深い成果をあげた研究者が語ってくださるのだからわくわくする」と興奮を隠せない。(『関わる』p144-145)

『続く』生命誌 年刊号 vol.57-60

『続く』では、カバーをめくると巨大な生命の来歴が現れる

 

 61~64号は「めぐる」だった。話題の『凍った地球』(新潮選書)の田近英一が登場して、スノーボール仮説のあらましを語るのだが、ピーター・ウォードの酸素濃度説を紹介しているのが、うん、よしよしだった。ウォードの本はそのうち千夜千冊するつもりだ。
 この号では石弘之さんがダントツの人である。朝日の科学記者だったが、環境問題に精通して東大大学院、北大、東京農大でも教鞭をとってきた。つねに問題意識が旺盛な人だ。日本ではこういう環境科学者はあまりいない。町田龍一郎と蘇智慧の昆虫をめぐる系統進化学と比較発生学のドッキングした見方は、今後に期待されるものだろう。

『めぐる』生命誌 年刊号 vol.61-64

『凍った地球』の著者田近英一
地球の全球凍結は、合計3回起きたと考えられている。「スノーボール・アース仮説」のもとで生物がどう生き残ってきたかが現在の大テーマとされている。(『めぐる』p44-45)

石弘之との対談
「水と風の惑星」である地球をめぐって日本のナチュラルヒストリーを語り合う。石弘之は松岡が敬愛する環境科学者。(『めぐる』p74-75)

町田龍一郎による胚発生の比較から描き出す昆虫進化の全体像昆虫の高次系統はいまだに議論が定まっていない。現在、比較発生学的アプローチによる昆虫類の系統進化学に取り組んでいる。(『めぐる』p.190より)

 65~68号は「編む」。いよいよ津田一郎の登場である。もう何度も書いてきたことなのでまたまた繰り返しになるが、30年ほど前、ぼくは津田一郎ほどのジーニアスなアブダクション能力の持ち主は日本にはなかなかいないなと確信したものだった。桂子さんとの会話にも、津田君のちょっとした言い回しがものすごい深みを抉っていることが滲み出ていた。
 この号はほかにも、由良敬の植物オルガネラに見るRNA編集仮説、藤島晧介の古細菌に見いだすtRNAのふるまいの話、澤井哲の粘菌の自己組織化の具合の話、あいかわらずではあるけれど吉田賢右さんのATP合成酵素をめぐる話などが入っている。
 69~72号は「遊ぶ」で、冒頭にぼくが登場する。だからいささか羞しいのだけれど、この号では医学と俳諧を重ねてきた永田和宏さんの知的な遊び方、世界を書き割りとして見る錯覚美術館の杉原厚吉さんも「遊」の先駆者なのである。そのほか、「海のオタマジャクシ」の西野敦雄のレポート、ZPA(極性化活性帯)を追いかけている田村宏治のレポートにも好感をもった。

『編む』生命誌 年刊号 vol.65-68

『編む』の表紙
表紙に特殊な加工で「編まれている」ような工夫が施されている。

数学者・津田一郎との対談
「白状すると(津田さんの著作について)本当にわかったと思ったことがないのです。思い切ってわからないままに話し合うことで何かを得たい」と思って中村桂子は対談を始める。(『編む』p.8-9より)

『遊ぶ』生命誌 年刊号 vol.69-72

松岡正剛との対談
「昨年は『編む』でした。編む、遊ぶ、と来ましたので、少し敬して遠ざけていた松岡さんにここで伺わなければ」と思っての対談。「遊」の編集時代から話は始まる。対談の全文はこちら[外部リンク

本書の最後には「生命誌すごろく」が付属している
地球上に生まれた最初の生命体から、現在の生態系をつくりあげる多様な生きものたちの変化を「すごろく」で遊びながら学べる。

 以上、ごくごく一端を紹介してみたけれど、こうした編集構成作業はもっともっと評価されていい。科学は狭い学問の部屋に閉じこもっていてはまずい。論文の引用回数を誇りあっていてばかりでは、いけない。桂子さんのような編集科学力にもっと包まれたほうがいい。
 そもそも遺伝にはジェノタイプ(遺伝型)とフェノタイプ(表現型)がある。科学者も何かフェノタイプの解釈からの転換を試みるべきなのだ。桂子さんは『自己創出する生命』の補遺にこんなことを書いている。
 ……生命そのもの。実は今、私の中ではこの言葉に疑問符がついている。これは、もう少し広い問でもある。つまり名詞ではものが考えにくいという実感である。(中略)生命尊重。ここでこの言葉を出してみても空しい。ここ数年、名詞でなにかを表現しても、具体的活動につながらないもどかしさを感じてきた。(中略)確かに、幸福、福祉、平和などという言葉は、とても素晴らしいですねと反応するしかなく、実体は何なのか、どのようにしたらその状態になれるのかを考えることにつながらないことに気づいた。そこで、できるだけ日常的で平易な言葉で考えようと努めた結果、名詞よりも動詞、漢語よりやまとことばがよいと考えるようになった。
 今夜、桂子さんの著書の案内にかこつけて「生命誌」を紹介したのは、こうした中村桂子館長とBRHの「努め」を伝えたかったからだ。

生命誌のバックナンバー
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⊕ 『自己創出する生命―普遍と個の物語』⊕
 ∈ 著者:中村桂子

 ∈ 発行者:菊池明郎

 ∈ 発行所:筑摩書房
 ∈ 印刷所:精興社
 ∈ 製本所:積信堂

 ⊂ 2006年 7月 10日 初版発行

⊕ 目次情報 ⊕
 ∈∈ 序章 発端の知―ゲノムから何が見えるか

 ∈ 第1章 記号・物質・全体―DNAとは何であったか
 ∈ 第2章 生命という自己創出系―発生は時間と空間を実現する
 ∈ 第3章 生命という「歴史的存在」
   ―唯一無二の「個」を生み出す
 ∈ 第4章 生命というスーパーコンセプト―来るべき知の神話素
 ∈∈ 補遺 “生命”から“生きている”と“生きる”へ―」
   ヒトゲノム解析を経て見えてきたもの

⊕ 『ゲノムが語る生命―新しい知の創出』⊕
 ∈ 著者:中村桂子


 ∈ 発行所:集英社
 ⊂ 2004年 11月 初版発行

⊕ 目次情報 ⊕
 ∈∈ はじめに 「生きる」―生きものとしての人間
 ∈ 第1章 変わる―科学技術文明の見直し
 ∈ 第2章 重ねる―分ける方向からの転換
 ∈ 第3章 考える―第二のルネサンス
 ∈ 第4章 耐える―複雑さを複雑さのままに
 ∈ 第5章 愛づる―時間を見つめる
 ∈ 第6章 語る―生きものは究めるものではない

⊗ 著者略歴 ⊗
中村桂子(なかむら・けいこ)

東京都出身。1936年生。理学博士。東京大学理学部化学科卒。同大学院生物化学修了。国立予防衛生研究所・三菱化成生命科学研究所人間・自然研究部長、早稲田大学人間科学部教授、大阪大学連携大学院教授などを経て、現在JT生命誌研究館館長。『あなたのなかのDNA-必ずわかる遺伝子の話』(ハヤカワ文庫)、『生命誌の世界』(NHK出版)など著書多数。