才事記

危険を冒して書く

ジェイソン・ワイス

法政大学出版局 1993

Jason Weiss
Writing at Risk 1991
[訳]浅野敏夫

 今日は「千夜千冊」を書いてきて最も辛い夜になった。
 どうにも体が言うことをきかない。頭痛が激しく、止まらない。何日か続いた寝不足もたたっていて、布団の中で縮こまっているしかない。
 なんとか起き上がって、何冊かの候補があるので、それらのメモや書きかけをもとにキーボードに向かったのだが、どうもうまくいかない。そこで何か別の本にしようとするのだが、外国文学も哲学書も科学書も、傷んだ体の調子にあわない。こういうとき句集や辞書や画集がいいのだろうが、前日が『土佐日記』で、それも長めに書いたので、できれば日本のものや文芸的なものではない一冊にしたいのである。
 実は『マルコムX自伝』を予定していて、少しは書いてあったのだが、その続きを書いてみようとしたら、さっぱり当初のノリがない。体が裂かれる感じがする。さっきファィルに戻してしまった。もうひとつ阿部謹也さんの『世間とは何か』も準備していたが、とうてい世間に立ち向かえる気分ではない。
 言葉というものはむろんメンタルな要素も大きいのだが、フィジカルな作用も大きい。当然である。そこでアスリートのトレーニングのように、その二つのグラデーションの重なりぐあいや対立ぐあいの微妙を、ふだんはあれこれ制御する訓練をしてあって、どういうふうにすれば文章を組み立てられるか、その手立てを幾通りにも発現する方法を心得ているつもりなのだが、今夜はどうもその乖離がひどすぎて、この、拡散し、中心がなく、ぼんやりしてしまった気分に合う一冊を選定することそのものが、たとえ何を選んでも、その一冊に対して失礼というのか、申し訳ないというのか、そんな変な感情にもなってしまうので、困ってしまっている。
 これはやはり「書き溜め」というか、何冊かは調子のよいときに仕上げておいて、こういうときにさっと提出するようにしなくてはいけないようだ。

 これまで「千夜千冊」にどの本を採りあげるかということは、よほどの事情がないかぎりは、せいぜい2、3日単位で決めてきた。10冊、20冊をあらかじめ選本して、それにしたがって書くということを避けてきた。それなりの臨場感がほしいからである。
 これはしんどいことなのだが、ぼくの気力が日々のリズムにもとづいて立ち上がるという修行にもなっていて、悪くはなかったのである。書き上げると、滝沢弘康君に本とフロッピーを渡す。滝沢君は「千夜千冊」を担当してくれている編集工学研究所の若いスタッフで、ぼくがどの本を選んだかはそのときに知る。そこでこの本の表紙をデジタル撮影し、校正をし、リンクを貼ったりして、これをISISサイトにアップロードする作業にとりかかる。毎日がこの連続なのである。確認すべきことがあればぼくと打ち合わせる。
 そういうことをして、なんとかその日のうちに「千夜千冊」の新しい一冊がウェブに公開されることになるのだが、今夜はもう夜の9時をまわったのに、ぼくはまだこんなことを書いている始末なのである。それに今夜はぼくは自宅にいて、このフロッピーを誰かに取りに来てもらわなければいけない。これも初めてのことになる。ぼくは何があっても、必ず「千夜千冊」のために赤坂稲荷坂の仕事場に出向いてこれを完成させ、にこにこしながらこれを自分の手でスタッフに手渡してきた。
 というようなことを、いま書きながら、ぼくは自分がいまどんな言葉の微細なハンドリングができるのかを、自分の体に聞いているわけである。
 で、今夜もなんとか書きあげてこれを12時がまわる1時間前には滝沢君に渡さなければならない。そうおもうと、ますます心が焦って、その焦りを体の各部が管理しようとはしなくなってくる。まるで数寄屋造りが解体していくような感覚なのだ。それならいっそ、これは禁を犯してぼくの本を採り上げようか。『フラジャイル』など、まさにいまのぼくの調子にふさわしいかもしれない。それに、それならどんな著者にも書物の歴史にも迷惑はかからない。

 いま、ほとんど諦めて自宅の書棚をふらふらとまわってみて、どうしようかどうしようかとおもっていて、ついに書棚の片隅に一冊の邂逅をえた。
 ジェイソン・ワイスが80年代にシオランやイヨネスコやクンデラにインタヴューした一冊だ。そうだ、これならいいかもしれない。なんといってもタイトルが『危険を冒して書く』なのである。
 改めて再読する気力も時間もないので、これを読んだ数年前の記憶をもとに綴ることにするが、この本で初めてシオランがヴァレリーやハイデガーによって開眼したことやイヨネスコが実際に見た夢を再生する訓練をしたことを知ったのだった。ナタリー・サロートが時間を不在にするためにトロピスムという領域に気がついた経緯も、ミラン・クンデラが古典的な対位法をこそ小説の技法として確信していたことも、この本で知った。
 これまで「作家の秘密」といった趣旨のインタヴュー本は数多くあったのだが、本書はちょっと違っていた。作家が自分の中の危機とか葛藤とかコンプレックスをどのように脱出したか、脱出するにあたって、その危機や葛藤をどのように引き取ったのか、そのことを訊ねていた。そこが「危険を冒す」ということなのだが、ぼくはそのころこれをざっと読んで、エドモン・ジャベスの語りにすごく惹かれたものだった。

 ジャベスはカイロに生まれてユダヤ人家庭のなかで育ち、エジプトとフランスの両方で詩集のようなアフォリズムのような出版をするのだが、ナセル時代のエジプトから追放され、結局は『私は住かを築く』が象徴していたように、パリに住む。
 ジャベスを読んで、その狙いがいっさいの奔放とは逆の古典的凝縮にあると感じたのは、『問いの書』であったが、それより驚いたのは『相似の書』であった。けれども、ジャベスがそんな冒険をしていることを、当時は、誰も話題にしなかった。いまでもぼくの周辺にはジャベスを語る者はほとんどいない。

 それはともかく、本書の中でジャベスが「書くというのは後戻りから始まるんだ」と言っていたのが気になっていた。しかも回想ではなく、記憶そのものを引っ張り出すために書く。回想を潰して記憶だけを言葉にする。これは参考になった。ジャベスは連続よりも断絶を好んだのである。
 これはジャベスが「記憶の原型」としてのユダヤというものに一挙に飛ぶために必要な方法だった。
 ぼくにもそういうところがある。ぼくの「記憶の原型」が何であるかは、ながいあいだはっきりしなかったのだが、感情や思想によってではなく、ぼくは「方法」によってその「記憶の原型」に行きついた。こういうときは思想やイデオロギーや感情は役にたたないばかりか、多くの間違いをおこす。そこでは方法だけが重要なのである。
 危険を冒すには方法が必要なのだ。方法だけが危険となかよくなれるのだ。

 ふーっ、なんとか今宵の「千夜千冊」がやっとかたちをあらわした。まったく予想していなかった内容である。
 ほんとうはここからが本番で、以上の前提的な作業をもとに、ふだんなら、ひとつのささやかな冒険に立ち向かうのだが、今宵はこれで終わりだ。せめてエミール・シオランミラン・クンデラやエドモン・ジャベスとともに最悪の夜をおくれたことに感謝したい。また布団にもぐりこむことにする。