植草甚一
ぼくは散歩と雑学がすき
晶文社 1970
ISBN:4794952082

 ノーマン・メイラーを天井が高い喫茶店で話題にできたのは、ほんの半年か、1年くらいのものだった。
 早稲田時代に上野圭一のところに泊まりこんだとき、この『1分間で100万語』の作家について夜中にちょっと話しこんだことと、のちに田中泯がニューヨークでのダンス・パフォーマンスをノーマン・メイラーに見せたいと言ってきたので、その連絡をするために久々にメイラーを読んだ。その2回程度のわずかな記憶があるばかりである。
 ノーマン・メイラーは1960年代の時代のシンボルだった。その後も、70年代のベトナム戦争の終焉まで、メイラーは一部のアメリカ主義者の“神様”だった。本書のもとになっているエッセイが巷に出回っているころも、メイラーの『なぜぼくらはベトナムに行くのか』が話題になっていたようにおもう。ただし、ぼくは『鹿の園』や『アメリカの夢』、そして当時読んだばかりの『ぼく自身のための広告』のメイラーのほうがずっと好きだった。

 植草甚一は、そのノーマン・メイラーの時代感覚をそのまま引っ張って歩いているような、しかもちょっとした喫茶店では必ず出会う変なおじさんだった。
 少なくともあの独得な植草エッセイを、「話の特集」や「宝島」などの雑誌の片隅で読んだときは、そういう印象をもった。
 実際にも、本書も「ヒップって何だ、スクウェアって何だ」の感覚を遊ぶところから始まっている。「ヒップとスクウェア」は、ノーマン・メイラーが好んで言い分けてみせたアメリカン・テイストの代表的な感覚用語なのである。ここから「ヒッピー」という言葉もつくられた。もっと以前の50年代は「ホットとクール」などともいっていた。
 そのうち話は「キャンプ」に移っていく。キャンプはスーザン・ソンターグが『反解釈』のなかでごくまじめな議論にとりあげて有名になった社会感覚用語だが、植草甚一にかかると、「スタイルがよいのに中身のないもののすべて」がキャンプということになっていく。
 このあたりの、ふーん、うーんという感覚談義のスピードが早い。そこが植草エッセイの特徴で、しかもひとつのエッセイがけっして長くはならないところに、スペアミント・リキュールのような持ち味がある。

 本人が書いているように、植草甚一は雑学の大家である。やたらとペーパーバックスを読みちらし、やたらとミステリーと文房具に詳しく、やたらとジャズと映画と雑誌記事を知っている。
 エッセイは、どんなときも、まるで喋るように書いてある。いま書こうとしているテーマや出来事を書く気になったきっかけが一緒に書いてあるために、誰もが入りやすく、読みやすい。そして捨てやすい。おそらく、今日のどんな雑誌のコラムにもつかわれている「フツーの文体」「ジョーゼツ文体」の基本スタイルは、きっと植草甚一がつくったのではないか、元祖なのではないかとおもわれる。

 ところで、植草本で困るのは、そのピックアップする題材のほとんどがアメリカの話題か、アメリカ雑誌経由の話題だということにある。
 いまではまったくそういうことはなくなったのであるけれど、ぼくはアメリカのポップカルチャーは好きなのだが、また科学者の書くものもけっこう感心するものが多いのだが、「アメリカっぽいもの」に関するヨイショについては、ともかく虫酸が走ったのだ。
 それが植草甚一にも見られるのが、当時は困ったことだった。ただし、実際にはその逆のことがおこっていった。植草本がぼくのそのような虫酸をゆっくり溶かしていったのだ。
 これはD・H・ロレンスを読んでいるとだんだんイギリスが好きになってしまうようなもの、あるいは岡本太郎を読んでいると縄文がだんだん好きになってしまうようなもので、植草マジックである。つまりはアメリカ漢方薬なのだ。
 ともかくも、どうしてイタリアの若い女性記者オリアーナ・ファラーチがアメリカで有名なのか、クリーブランドのラルフ・ハーバー教授が好きなスリラーがかっこいいこと、フィリップ・ロスはなぜマスターベーション文学としかいいようがない『ホワッキング・オフ』を書いたのか、というようなことは、植草甚一を雨の日の喫茶店で読まないかぎりは、わからなかったことなのだ。

 まあ、こうやって70年代の植草本は、ぼくに未知のアメリカ的発想をふんだんにもたらした。それは常盤新平や片岡義男がもたらすものよりも、ずっと多かった。
 たとえば「ニューピープル」という言葉。この意味はdesexializationをおこしつつあるアメリカの男女のことで、そのことについて当時はニューヨーク大学のチャールズ・ウィニックが大論文を書き、それを植草が紹介したのだが、そこにはアメリカのそういう“人種”がどのような下着をつけ、どんなヘアスタイルを好み、ゴムバンドをどこにするか、そういうテイストをそれぞれどんなスラングでよぶのか、そういうことがしこたま書かれているわけである。
 これは社会学者が「ニューピープル」や「フリーク」や「トラスヴェスティズム」(異装趣味)をくだらない学術用語で解説するよりも、ずっと粋であり、かつ有用だった。
 いま、そんなことを書く“平成の植草甚一”がいないことが寂しいが、きっとそれは孫悟空の毛のようにたくさんの甚一分子として雑誌のコラムを今日も書いているのだろう。
 ただし、一言だけ加えるが、いまのぼくには植草甚一よりも、当時はちゃんと読まなかった片岡義男がずっとおもしろいのである。

参考¶植草甚一の本は晶文社が一手に出している。そのしゃれたタイトルとともに最も話題になった『雨降りだからミステリーでも勉強しよう』、『ジャズと前衛と黒人たち』『ワンダー植草・甚一ランド』などである。ちなみに「宝島」という雑誌は当時は新聞ふうで、植草甚一のためにつくられたメディアで、エディトリアル・デザインを羽良多平吉が担当していた。

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