初めて会ったのはいつだったか。1978年か1979年くらいじゃなかったか。わが早稲田時代の先輩の上野圭一に紹介されたのだと憶う。
上野さんはフジテレビで将来を嘱望されていた辣腕ディレクターだったのに、テレビの現状に失望して鍼灸師の免許をとって、ターミナルケアの研究をしていた。翻訳も始めた。『人はなぜ治るのか』(日本教文社)、『癒す心、治る力』(角川ソフィア文庫)、『心身自在』(角川書店)などのアンドルー・ワイルの翻訳は、みんな上野さんだ。ぼくは早稲田に入ってすぐに素描座にとびこんだのだが(アカリ=照明をやりたくて)、そのときのカッコいい演出家が上野さんだったのである。
その上野さんと伸ちゃんとが二人でババ・ラム・ダスの『ビー・ヒア・ナウ』を翻訳して、それをエイプリル・ミュージックから出版した直後か、その前かに会ったのだろう。『ビー・ヒア・ナウ』(Be Here Now)がエイプリル・ミュージックという音楽屋で出版されたのは、伸ちゃんがもともとがジャズのベース奏者で、ぼくと同じ早稲田の文学部(西洋史学科)にいた途中にアメリカのバークレー音楽院に行って、本格的にジャスに挑んだのち、そのままずっとアメリカで大学に行ったり、南米やインドを旅行をしていたから、久々に日本に戻ってきても最初は音楽関係の版元にしか知り合いがいなかったからなのだろう。ちなみに『ビー・ヒア・ナウ』はいまは平河出版社から出ている。
それにしても、いったん破綻させると言っても、そんなこと、どうすればいいのか。カナヅチでは叩けない。自傷しても節食しても一人旅をしても、それだけでは効果は少ない。
伸ちゃんは「想起の川」(streams of reconnection)を渡ってみることを勧める。「想起の川」にはいろいろの印象がごちゃごちゃに詰まっている。それらは「気づいていない膨大な印象」(body of impression)として、われわれの心身に蟠っている。この印象の束を少しだけでも無意識のほうへもっていって、ちょっと動かすのだ。
けれども無意識の中で「想起の川」を動かすのは、これまた容易なことではない。瞑想をするとしても、ラクではない。瞑想は瞑想でちゃんとしたエクササイズをしたほうがいい。それより最初はむしろ、いろいろの助けや補助力を借りたほうがいい。伸ちゃんは本書の語りのなかで、その助けは「思考の力」(power of brain)、「感情の力」(power of emotion)、「存在の力」(power of being)というものだろうと言う。一種の“心のサブミッション”にあたる。
ただし、この三つの力はバラバラにしてはいけない。たとえば「感情の力」がまだ自分の背景のほうにあるのなら、「思考の力」はうんと前景にもってきて活動させるといいし、「想起の川」とのやりとりも、その渡し場はどんなところでもヒューリスティック(発見的)になるように仕向けておくといい。
ということは、三つのサブミッションをアクチベイトするには、これらをそれぞれ動的にコーポレートしていく、もうひとつの作用が関与する必要があるということになる。それはきっと「なる力」(power of becoming)のようなものだ。「有る」ではなく「成る」である。伸ちゃんは亡くなる前に、この「なる力」のことを三つのサブミッションがともにグルーヴするような「パワー・オブ・ダンス」(power of dance)みたいなものだとも言ったようだ。このダンスの感じ、とてもよくわかる。
ところで、ぼくが最後に伸ちゃんと会ったのは『流体感覚』の対談のときだった。そのときはアルタード・ステーツ(alterd state of consciousness)をめぐる雑談をした。
アルタード・ステーツはチャールズ・タートが提案した用語だが、最初のころはトランスに入るときの意識状態をさしていた。その後、脳波研究がすすんで、覚醒時のベータ波が出るような意識状態とは異なるピークモメントを示すことがわかってきて、ジョン・C・リリー(207夜)やティモシー・リアリー(936夜)やババ・ラム・ダスがその研究にとりくんだ。グロフのトランスパーソナル心理学もアルタード・ステーツの掘り下げだ。最近は「ゾーン」と呼ばれる意識状態に近いとも言われている。