才事記

基本手筋事典

藤沢秀行

日本棋院 1978

 これはいっとき遊ばせてもらったというか、お世話になったというか、しばらく手元で活躍していた碁のテキストである。
 ぼくは将棋・囲碁ともに、適当に遊ぶというほうで、あまり真剣に取り組んではこなかった。将棋については父親に教えられた子供のころに楽しみ、その後はほとんど遊びで打った程度、稀に鈴木忠志や河原温と打ったりしたが、専門家とは打ったことがない。
 一度、アメリカの行き帰りも滞在中も、プロデューサーの難波祐介とのべつまくなく打ち続けて消耗しきったことがあり、これに懲りてそれ以来はとくに避けた。わずかに「遊」の編集仲間で、いまも編集工学研究所の重大な研究員である高橋秀元とときどき打ち合うくらいのものである。けれども、テレビでうまい解説者による将棋中継をやっていると、たいていは見る。

 碁は大人になってからおぼえた。教えたのは、さきほどの難波祐介で、その後は別役実の家に行ったときに、楠侑子夫人の御馳走を食べながら囲むというほどのことで、これまたあまり懸命にはならなかった。
 ところが、ある時期に急速に碁がおもしろくなった。ル・グインなどのSF翻訳で名人芸を見せていた山田和子が碁を打ち始めたとおもったとたん、急速に強くなったのに出会ったからだった。彼女はもともとアマチュア女流将棋大会で優勝するほどの腕前で、そんな彼女と将棋を打つのはむろんのこと遠慮していたのだが、ある年の正月に遊びにきたとき、百人一首をして驚いた。ものすごく速くて、強いのだ。聞けば、ごく最近始めたのだという。ついでにいま碁にも凝っていると言った。
 話はしばらくそのままになっていたのだが、半年ほどたってからのことだったろうか、「その後、碁はどうなの?」と言ったら、やりましょうよということになって、うんうん久しぶりに遊ぼうかなという気持ちで打ってみて、惨めなほどに大敗した。ぼくが弱いというよりも(当然弱いからでもあるが)、山田和子の腕がものすごくなっている。
 この恐るべき短期上達ぶりに刺激され、囲碁の本を読む気になったのである。たちまち10冊、20冊を手当たりしだい手にしてみたが、いっこうに上達しない。そこで以前からその渋い手で感心していた藤沢秀行の指南書を読むことにしたところ、これがおもしろい。あれこれ読んだあとで、この『基本手筋事典』に定着したのであった。
 もっとも、山田和子に触発されたのは、大失敗だった。彼女は天才的な領域制覇者で、SF、将棋、百人一首、囲碁はもとより、競馬もサッカーも、なんであれ「これだ」というものに目を付けたが最後、たちまちその領域のすべてを集中的にマスターしてしまうのである。いわばクイズ王、カルトQの女王、十種競技のゴールドメダリストなのである。

 しかし、これがきっかけでぼくは碁の本を読むという醍醐味に出会えた。とくに呉清源と藤沢秀行である。
 本だけではなく、藤沢秀行が碁を打っているときの中継がよかった。ちょっと水上勉に似た風貌で、ときどき髪をくしゃくしゃにしながら打つ姿は、なんとも勝負師らしく、さらにいうなら“数寄者の碁打ち”という際立ちなのだ。のみならず、その打ち方が勝つための碁というよりも、自分の美学にもとづいていて、わざわざギリギリの打ち方をする。とくにカミソリ坂田(坂田栄男)との一戦は香港映画の呪術戦闘シーンのように、興奮させてもらった。

 碁の本を読んで感心したのは、その編集の手際にもあった。本書も藤沢が碁盤を前にいろいろ打ってみせ、それを相場一宏と酒巻忠雄が編集したものなのだが、手順の分解の仕方といい、手際のいい短い解説といい、目配りといい、まことにうまい。
 実はもっとうまい編集は他の将棋の本にも囲碁の本にも、かなりある。いかに将棋や囲碁がソフトウェア・システムとして充実したものかということなのだろう。ぼくの編集術には、これらがさまざまなヒントになっているということを、つまりは「局面の限定」や「次の一手」をどこで提示するかというあたりを大いに参考にしてきたということを、最後に白状しておこう。