ブライアン・グリーン
エレガントな宇宙
草思社 2001
ISBN:4794211090
Brian Greene
The Elegant Universe 1999
[訳]林一・林大

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 科学の発展は「見えないもの」を想定しつつ、そこに実体を発見していくことでずっと保証されてきた。今後もきっとそのように発展していくだろう。これはまちがいない。ただし、「見えないもの」はベンゼン核やオランウータンや黒体輻射のように偶然に発見されるばあいもあれば、数学的な提案が先行するばあいもあるし、中間子のように理論的に提案されてそれがのちに発見されることもある。それはいろいろだ。
 いま、宇宙物理学や理論物理学ではいくつもの「見えないもの」の候補があがっている。ダークマターもヒッグス粒子もその候補だったし、「ひも」もスーパーストリングもその候補である。残念ながら、いまのところは「量子ひも」や「重力ひも」は発見されてもいず、検証されてもいない。けれども、おそらくはそのようなものが物質世界か宇宙世界のどこかに「ある」だろうことは、この10年の数学的アプローチと理論的アプローチを検討するかぎりは、高い確率で予想できるようになってきた。少なくとも世界が点粒子で出来ているのではなく、「ひも」っぽい要素で出来ていて、その「ひも」にはたとえ各種の特徴があったとしても、それらはスーパーストリング(超ひも)というつながりの中にあるだろうことも、予想されてよい。そのように考えれば「四つの力」の連携も見えてくる。
 では、このような数学と理論だけがするする先行したスーパーストリング仮説からどのような宇宙像や物質像が生まれるのか。また、それはかつての言い方を変更しなければならないような宇宙像や物質像なのか。
 これまでの話を総合しながら、いま考えられるかぎりのことをまとめてみたい。

 1980年代にマイケル・グリーンとジョン・シュワルツ(本書ではシュワーツと表記)が提案した「11次元のスーパーストリング理論」は、すでにのべてきたように量子重力理論のモデルだった。この理論にはいまのところ数学的な矛盾はないとされている。
 そこで、ここまでの成果を第一次スーパーストリング革命としておく。きっとのちの科学史は、とくに1984年からの3年間をこの第一次革命の白熱期とみなすであろう。この3年間だけでも、ざっと1000本をこえるスーパーストリングについての論文が世界中で発表されたからである。
 その後また1000本の論文が出たものの、飛び抜けた成果は出なかった。それが1995年に南カリフォルニア大学で開かれたスーパーストリング理論国際会議で、エドワード・ウィッテンが並みいる科学者たちを呆然とさせ陶然とさせた仮説を発表したとき、事態が急に動きだした。M理論の萌芽であった。そこで、ここからを第二次スーパーストリング革命が始まったということにしておく。Dブレーン理論やM理論はここから生まれてきたものだった。

 第一次スーパーストリング革命の成果を一言でまとめると、量子力学と相対性理論と超対称性理論をつなぐために「ひも」を活用したということだ。いいかえれば「ひも」を活用しないかぎり、この三つは結びつかないということを証明した。
 これによって大きくは二つのことが判明した。
 ひとつは、従来の「点」の量子力学がほぼ完全に「ひも」の量子力学にジャンプしたのだ。いわば「量子ひも」の誕生(正確には理論的な誕生)である。もうひとつは、その「量子ひも」は同時に「重力ひも」でもあろうということだった。
 すでにのべてきたようにこの二つのことから、重大な“内定”がなされた。「量子重力ひも」、つまりスーパーストリングは、それが振動しているときには素粒子やクォークに見え、かつまた重力子(グラヴィトン)のように観測されるものだろうというふうに。
 これらはまことに画期的な描像だが、実はこのフィジカルイメージは必ずしも新しくはない。前々々回に記しておいたように、すでに湯川さんや南部さんが思い浮かべてきたものだった。「物質の究極の奥はハンカチがたためるようになっているはずや」という、例の推測だ。
 しかし、湯川・南部のみならず、このようなフィジカルイメージを思い浮かべて仮説にとりくんだ科学者たちの試みのすべては、つねに「発散」や「無限大」の問題で座礁した。点を「ひも」に変え、線を面にするための格好の数式がつくれなかったのである。グリーンとシュワルツはこの難問を魔法のようにクリアした。
 こうして第一次スーパーストリング革命が驀進し、おおよそ次のような仮説を次々に確立していったのだ。

 このように説明することがわかりやすいかどうかは別にして、ひとまず「ひも」の種類から言っておけば、第一には、「ひも」には26次元の「ボソン・ストリング」と10次元の「スーパーストリング」があることになった。
 なぜ26次元とか10次元が確定できるかというと、これは臨界次元というもので、この臨界次元を守らないと量子力学と相対性理論の両方の整合が成立しないからだった。これはちょっとしたコロンブスの卵、いやコロンブスの紐ともいうべき着想で、これまでたいていは時空の次元を設定してから理論的な組み立てがなされてきたのであったのが、ここで初めて数学的理論の要請から時空の次元が決定されることになったのである。これは従来にない、まったく新しいアプローチだった。
 このうち「ボソン・ストリング」はその後、脱落する。26次元のボソン・ストリングは相対論とは矛盾しないのだが、タキオンという虚数の重さをもつ超光速粒子が出てきてしまい、真空が不安定になりすぎるのだ。
 第二に、ストリングには「閉じたひも」と「開いたひも」があるということになった。「開いたひも」は互いにぶつかったり交じったりして、新たな開いたひもを形成する。最近ではその相互作用の確率のようなものをgであらわし、「ひもの結合定数」としている。電磁場でいえば「電荷」にあたる定数だ。「閉じたひも」のほうは結合定数はgの2乗になっていて、重力子をあらわすと考えられている。ここにスーパーストリング理論が重力理論でもある根拠がメキメキとあらわれる。
 第三に、スーパーストリングには一種の励起状態が想定でき、その状態は指数関数的に増すことがわかってきた。「ひも」にも質量スペクトルがあるということだ。
  わかりやすくいえば「ひも」には重さがあって、それが振動エネルギーをあらわし、その振動は重さによってはいくらだって激しくなるということである。スーパーストリング理論はしばしば「超弦理論」ともいわれるのだが、その弦のメタファーでいうのなら、このスーパーストリングという弦楽器はいくらだって高い音が出せるとみればよい。

 それから第四に、「ひも」はいまのところ5種類まで“認定”されることになった。ただ、この種類の見分け方がちょっと難しい。基本的に「閉じたひもと開いたひも」の組み合わせによるタイプⅠと「閉じたひも+何か」というタイプⅡがあるのだが、そこに超対称性による“与しやすさ”ともいうべきが加わって、面倒になる。
 そもそも究極の物質パターンを求めようとすると、前々回にも説明したことだが、現代の物質理論では、力を伝える素粒子としてのボース粒子(ボソン)と、物質を構成するためのフェルミ粒子(フェルミオン)をその発生特徴で分ける。これは植物や動物にオスとメスがあるようなもので、人間界の男女がバラバラにいるように、通常は宇宙空間に自在に分布する。
 ところがこれを宇宙全体の究極的な姿にあてはめたり、極小世界にあてはめようとすると、どうしても厳密なルールにもとづく組み合わせが要求される。すでにのべたヒッグス粒子は、宇宙特質においてボース粒子でもフェルミ粒子でも計算できない粒子像を引き取ったもので、宇宙全体ではこうした「見えないもの」をどこかであてがわないと、勘定が合わなくなる。
 同様に極小世界を「ひも」で描こうとすると、ボース粒子とフェルミ粒子に新たな組み合わせルールが自生する。ボソンとフェルミオンが“ペア”になるか(タイプⅠのスーパーストリング)、それとも、ボソンひもとスーパーストリングが組み合わされるか(タイプⅡのヘテロストリング)、この二つなのだ。これを決めているのが超対称性というもので、組み合わせを記述する数学になる。

 だいたいこんなところが第一次スーパーストリング革命があきらかにした成果を、特色のある現象におきかえてみた描像である。
 しかし、第二次革命ではこれらにさらに複雑な現象が加わり、その理論化が試みられた。その“つなぎ役”をはたしたのがDブレーンという考え方である。カリフォルニア大学の若き俊才、ジョゼフ・ポルチンスキーが提案した。
 スーパーストリング理論では「ひも」はおおむね自由に動きまわっている。けれども一部ではもっといろいろなことがおこりうる。そのひとつに「ひも」が切れ、それによってその開いた端っこが別のくっつき方をするばあいが想定できる。これがディリクレ・メンブレーンと呼ばれる現象で、略してDブレーンという。つまり「ひも」はつねにこうした欠陥や切れ目やひびをもっているわけで、それがためにスーパーストリングをたえずトポロジカルにする。
 が、この見かけの現象をDブレーンを主語にしていいなおすと、実はDブレーンこそが「ひも」の“隙間としての本体”であって、Dブレーンから「ひも」がはえている(!)とも見られるわけなのである。また、「ひも」はDブレーンの上を泳いでいるとか、滑っているとも見られるわけだ。
 こういう逆転の発想あるいは転換の発想は科学ではよくおこることで、とくに境界条件(ディリクレ・コンディション)の科学に慣れてくると、こうした発想をしょっちゅうするようになる。
 実際にも第二次革命後は、Dブレーンだけではなく、pブレーンなども提案されて、スーパーストリングの本体は「ひも」から「ひもをとりまく状態」に発展しつつある。加うるに、そのように考えることによって、最近ではDブレーンをコンピュータがはじきだしたものと、ホーキングがブラックホールのためにつくった計算式を比較する作業が連打されていたのだが、これがぴったり一致した。このことは衝撃のように世界をかけまわったニュースで、ブラックホールがDブレーンで説明できるなら、ひょっとしてスーパーストリング理論の先のM理論は信憑性があるのではないかと騒がれたものだ。

 さあ、前期スーパーストリング理論の大筋は理解してもらえただろうか。あまり自信はないが、この理論の周辺をめぐる解説書もなかなかこれ以上の説明はしてくれない。
 ぼくがスーパーストリング理論についてとりあえず推められる日本語で読める入門書は、そんなに多くない。たとえば湯川秀樹『素粒子第二版』(岩波新書)、南部陽一郎『クォーク第二版』(講談社)、後藤鉄男『拡がりをもつ素粒子像』(岩波書店)、ホーキングとペンローズ『時空の本質』(早川書房)、バロー『万物理論』(みすず書房)、レオン・レーダーマン『神がつくった究極の素粒子』(草思社)、ポール・ディヴィス『宇宙を創る四つの力』(地人書館)、ピート『超ひも理論入門』(講談社)、吉川圭二の『弦の量子論』(朝倉書店)や『超ひも理論と宇宙』(裳華房)、竹内薫の『次元の秘密』(工学社)や『超ひも理論とはなにか』(講談社)、リー・スモーリン『宇宙は自ら進化した』(NHK出版)、ミチオ・カク『超弦理論とM理論』(シュプリンガー・フェアラーク東京)、広瀬立成『超ひも理論』(PHP)、二間瀬敏史『宇宙論』(ナツメ社)、そして本書、ブライアン・グリーンの『エレガントな宇宙』(草思社)といったあたりだ。
 が、正直いって、このどれか1冊を読んでも、また勇敢にその全部を読んだとしても、スーパーストリング理論やM理論のフィジカルイメージは掴めないだろうと思う。やっぱり関連図書をざっと100冊ほど渉猟する必要がある。
 だから、ぼくの上記のような説明でも、とうてい解説にはなるまいと思われる。けれども、そこをもっと詳しくするのは勘弁願いたい。これは冒頭に書いたように、「千一夜目の付録としての一冊一尾」なのである。
 まあ、それはともかくとして、では最後にスーパーストリング理論の内側から生まれたM理論のラフスケッチに入ることにする。

 時空の現象を統一的に記述するには、いくつかの前提を確立しなければならない。まず座標系をつくる必要がある。その座標系は、時空の現象というものは各所で性質を変えるのだから、そのつど変換しても性質が変わらないようにしておかなければならない。
 これは「時空の並進変換」というもので、一般的にはゲージ変換の可能性を追求する。
 次に、時空の次元を想定しなければならない。アインシュタインは重力と電磁気力を統一的に記述するにあたって4次元の時空連続体を想定したのだが、統一には成功しなかった。そこに浮上してきたのがそれまで眠っていたカルツァ・クライン理論というもので、カルツァは時空を「空間4次元+時間1次元」の5次元にした。空間の4次元目は方向の広がりが小さすぎて観測にかからないと考えたのだ。このカルツァのアイディアは抜群だった。5次元の時空をモデルにすると重力と電磁気力は統一して記述できたのである。
 しかし、ここに「4つの力」をさらに埋めこんで、時空の現象をきれいに記述しようとすると、どうなるか。ここから先はカルツァ・クラインのモデルだけではまにあわない。ゲージ対称性を満足させるだけでは、足りなかったのである。

 第二次スーパーストリング革命が産み落とした成果に、T対称性がある。対称性というのは「ある操作をしても元と変わらない性質がそこにある」という意味であるが、スーパーストリング理論では、宇宙の半径Rを逆数の1/Rにしても元と変わらない性質が保存されるということがわかってきた。
 さらにS対称性があることも知られた。大きな電荷と小さな電荷をとりかえても状態に変化がおこらないという性質である。これに加えて、すでに説明したボソンとフェルミオンをめぐる超対称性もスーパーストリングが保存していることが見えてきた。そうだとすると、スーパーストリング状態こそは、これらの対称性のすべてを満足させる究極の時空であって、究極の物質状態であるという可能性が出てきたのである。
 この理論を統括するのがM理論なのだ。
 M理論からすれば、究極の時空を記述するにあたって生じた各種のこれまでの理論は、その大半がM理論の近似値だったのではないかということになる。こうしてM理論は「空間10次元+時間1次元」の究極的な時空をあらわす最終理論の候補ではないかという予告的名声を得たわけである。エドワード・ウィッテンの勝利であった。

 最後にちょっとした補足の説明がいるだろう。そんなに輝かしいM理論によっていったい何がわかったのか、おそらく多くの読者はまだ納得していないだろうからである(あるいは考えようともしていないかもしれないが)。
 しかし、事態はかなりはっきりしてきたのだ。宇宙は11次元であることが見えてきた。そのうちの空間の10次元は、その6次元ぶんが縮退しているか、あるいはクシャクシャにまるまっているか、それとも意外にも別の見え方をしているにちがいない。残りの4次元こそ、われわれがこれまで観測し、実感してきた宇宙だった。
 では、縮退しているか、まるまったかとおぼしい6次元はどうなっているかというと、おそらくはDブレーン状態なのである。ひょっとすると、4次元に巻きついているのかもしれないし、べつの言い方をすれば、宇宙には6次元ぶんの情報をDブレーン状態に“押しこめている”なんらかの作用がはたらいているのかもしれない。
 そもそも宇宙とは、n次元の情報を「n+1」次元に投影したものであるか、逆に、「n+1」の情報がn次元に押しこめられていたものなのである。ブラックホールでは、2次元の情報が4次元にさかさまに押しこめられていた。だからブラックホールには「毛」がなかったのである。
 これを総じてM理論ふうにいうと、われわれの科学的な知覚のすべてが4次元のブレーン時空モデルに押しこめられている、というふうになる。

 では、もし、われわれの科学的な知覚がM理論ふうに拡張できたら、どうなのか。そんなことはありえないのだが、思考実験をすることは許される。
 たとえばビッグバンである。宇宙はたった3分間で生まれたというのだが、その直前には極小高次元宇宙があって、そこには少なくとも二つのブレーン(膜)世界が先行していたはずだ。この二つのブレーンはおかしなバネののようなものでつながっていて、そのバネから重力が発生していったのだろう。だとしたら、このブレーンの衝突か重合かがビッグバンの正体だったのである。
 ブレーンが超高速で衝突重合すると、それまで内在されていたブレーンの「皺」がエネルギーの「ゆらぎ」となり、それがやがては銀河の「種」となったのだろう。それでは残りの「皺ゆらぎ」はどうなったのか。おそらくはそれが宇宙の90パーセントを占めるダークマターやダークエネルギーであるにちがいない――。
 ふっふっふ、おわかりかな。ま、これらは冬至の祭祀のナイトメアだと思われたい。

【ロング・グッドバイそれとも、世界はまた蘇る?】

 長きにわたった「千夜千冊・一尾の巻」も、これでおしまいだ。途中に、ぼくの胃癌による入退院が挟まれて、どうしたものかと左見右見(とみこうみ)、さすがにいろいろ迷わされたが、ともかくもこれで全巻をめでたく閉めることになった。
 では、これで何もかもがクロージングなのかというと、そうではない。このあと、「千夜千冊」はしだいに姿を変えて諸君の前を滑空し、またコスプレをしながらダンスを始め、ときには携帯からの信号となり、ときに電読カードとなってウェブサイトを襲い、ときに書物となって新たなフォントとフォーマットを獲得するにちがいない。また、これを継続し、発展させるのは諸君そのものでもあった。
 ぼくとしては、これで「千夜千冊」が了ったとは、これっぽっちも思っていない。ひょっとしたら、「千夜千冊エンサイクロメディアとしてのセカンド・ヴァージョン」があらわれるかもしれないし、「千夜千冊辞書」の準備がデノテーションとコノテーションの両面にわたって進むのかもしれない。
 実は、もう組み替えはおこっている。そのひとつは求龍堂で発刊される全7巻・補1巻の『松岡正剛・千夜千冊』だ。ここには諸君がまだ見たことがない千夜千冊がお目見えを待っている。詳細は正月あけに、このサイトで“暗示”されることになっている。
 「千夜千冊」を電子ネットワーク上の「本の国」(図書街ですね)に配架する計画も始まっている。これについてはまだ何にも“予告”はできないが(秘密プロジェクトなので)、あるときに一挙に諸君を驚かせることになるだろう。
 ともかくも、いろいろお世話になりました。いろいろお騒がせしました。しばらくは、ぼくは休みます。だって体重が63キロを割ってしまっているんです。では、お雑煮がたのしみです。みなさん、さようなら、グッドバイ!

【千夜千冊アップロード委員会より】
 2000年2月以降、5年にわたって続いてきたISIS立紙篇『千夜千冊』の連載は、今回が最後の更新となりました。長期間にわたるご愛読に、深く感謝いたします。
 1000冊目に到達した今年7月7日以降、松岡正剛の胃癌の発見と手術という事態を迎え、多くの方にご心配をお掛けいたしましたが、松岡の全面治癒とともに、「千夜千冊の一尾」も本日、無事に結びの日を迎えることができました。

 この激動の間に、中断を交えて綴られた1001夜『エレガントな宇宙』は、記事本文4万1000字、60冊を数える欄外の書籍紹介と、結果的に『千夜千冊』最大の記事となり、掉尾にふさわしいスーパーな一本の“ひも”となりました。  『千夜千冊』は1000冊到達後もアクセスが増加し続け、今も多くの新しい読者を生み続けています。本を軸にした知のテキストアーカイブとしてweb唯一の存在であり続ける一方、『千夜千冊』は松岡正剛の新たなメディアと試みを発生する母体となっていきます。

 「本」という知の姿を自在に強力に拡張した『千夜千冊』の次世代に、どうぞご期待ください。

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