ブライアン・グリーン
エレガントな宇宙
草思社 2001
ISBN:4794211090
Brian Greene
The Elegant Universe 1999
[訳]林一・林大

【1】 【2】 【3】 【4】 【5】

 では、宇宙における「火の鳥」の話をしておきたい。ぼくの「銀河鉄道」と思ってもらってもよい。物理は苦手だと思ってここまでぼくの話がさっぱりわからなかった諸君は、ここから一尾【3】、一尾【4】と読んで、だいたいの見当がついたら最初に戻ってほしい。
 まず、簡単な星と天体のスケッチから始めて一挙に宇宙空間の話に飛んでいくことにする。ジョバンニ君、よろしいか。できるだけ数字を入れることにした。数値に親しむことは宇宙的礼節なのである。

 地球から1億5000万キロ離れたところに太陽がある。半径70万キロの巨大な恒星だ。
 すでに過去46億年にわたってエネルギーを放出しながら輝いてきた。日本の原子力発電所が発電するエネルギーの1兆倍の1万倍になる。
 このエネルギーは核融合反応による。太陽の中心部は温度が1500億度になっている。太陽の主成分は水素だが、1500億度の中心部では水素原子は陽子と電子に分解している。陽子が互いに激しくぶつかりあっている状態だ。このプロセスがくりかえされると、最終的にはヘリウムの原子核ができる。このとき、水素1グラムにつき約20トンの石炭が燃えたのと同じ莫大なエネルギーが生み出される。
 これが核融合反応エネルギーで、太陽はこの状態のまま、まだ50億年は輝くだろうと予想されている。
 この太陽によって地球型(水星・金星・地球・火星)と木星型(木星・土星・天王星・海王星)の惑星ができた。そのほか冥王星、無数の微小天体ができた。そもそも惑星はこの微小天体が渦巻いてつくったものだった。

 太陽系を飛び出ると、冥王星のはるか彼方に「オールトの雲」がある。
 ここは彗星を作成している工場で、太陽系が生まれたときの初期の塵やガスの名残りが吹き溜まった空間だと考えられている。彗星はここから飛び立っていく。
 「オールトの雲」の先には空虚な空間が広がっていて、それをしばらく突き進むと、やっとケンタウルス座のアルファ星にぶつかる。これが太陽系から一番近い星である。ここまで、太陽中心から光速で飛んで4年半ほどかかる。すなわち4.4光年。「千夜千冊」を光速で書けば、千夜目にちょうどここまで着くということになる。1光年は地上の距離になおすと、約10兆キロになる。

 さらに進むと10光年の距離のあたりに10個ほどの恒星がある。こういう恒星はわれわれも夜空を見上げればだいたいわかる。これらは、およそ1000光年の距離までの星たちだ。
 見ていると、星々は夜空にびっしり針の穴をあけたように煌めいてはいるが、実際の恒星と恒星のあいだは少なくとも3光年(30兆キロ)ほどは開いている。恒星間の平均距離は直径の3000万倍以上はある。
 この疎密感はわかりにくいだろうが、太平洋にスイカが3個ほどぷかぷか浮かんでいる程度だとおもえばいい。だから、恒星どうしが衝突するなんてことは、まずありえない。

 もっと太陽系から遠ざかると、多様な天体が見えてくる。たとえば、おうし座のなかのスバル(約400光年)、白鳥座の北アメリカ星雲(約900光年)、オリオン座のオリオン大星雲(約1500光年)、こと座のリング星雲(約2600光年)、へび座のわし星雲(約5500光年)、おうし座のかに星雲(約2700光年)などだ。
 これらはすべて野尻抱影さん(348夜)のロングトムでも、ぼくが軽井沢に置いてあるちっぽけな天体望遠鏡でも、だいたい見える。アマチュア天文ファン垂涎の天体たちだ。これらはおおむね18世紀の天体観測者メシエによって精密に分類され、メシエ天体目録に登録された。「M31星雲」などの名称はここに由来する。
 そうら、またもや「M」なのだ。

 こういった星はすべて「星の一生」をもっている。星の誕生は、宇宙空間に漂っている星間ガスがゆっくり回転しながら“星の種”をつくっていくことに始まる。
 星間ガスは平均して直径100光年くらい、質量が太陽の10万倍ほどもある。密度は1立方センチあたり原子が1000個。温度は絶対温度で15度(摂氏マイナス258度)くらい。ガスの90パーセントは水素原子。
 残りはヘリウム原子だが、ごくわずかに炭素・窒素・酸素・ネオン・マグネシウム・珪素・鉄がまじる。この超微量な原子が星の一生が進むうちに、中心部にたまっていく。
 このガスがなんらかのきっかけでゆっくりと回転しはじめる。回転すると同時に、中心部ができてきて、そこに質量の収縮がおこる。ぼくはかつてここに「光圧」がかかわったという仮説にご執心だったのだが、いまこの仮説がどうなっているかは、知らない。
 回転と中心収縮とともに、それにつれて温度も上がり、1万年から10万年くらいたつと、温度は1000万度ほどになる。こうなると水素がヘリウムに変わる核融合反応が連続的におこって、ここに恒星が自立する。
 星は「回転する水爆装置」なのだ。アメリカの軍事力に対抗するには、この星を一個もってくる以外には、ない。
 やがて生まれたばかりの星は“進化”して表面温度を上げていき、だいたい太陽と同じくらいの規模に成長したときに、主系列星にランクされる。天文学ではつねに太陽が水準モデルなのだ。

 星が主系列星になるのは、水素がヘリウムに変わり始めたときと見てよい。ヘリウムに変わる量が大半を占めはじめると、ここで「星の一生」は次のステージに移る。いわゆる赤色巨星だ。
 ヘリウムは1億度程度以下の温度では核融合をおこさない。だから熱も発生しない。そういう状態では、熱発生による内部圧力が小さくなっていくから、星は自分の重みで潰れはじめるのである。
 ところが潰れはじめると、その勢いで中心部の温度が上がり、それによって水素がよく燃えるので、星の外側は逆に膨張する。そうすると表面温度が下がって、星は赤く見えてくる。これが赤い星の外見になる。
 赤色巨星は潰れ方が進むと中心温度が1億度に上がってしまう。そうなると今度はヘリウムが核融合に入る。ここで炭素や酸素ができあがり、メンデレーエフの元素周期律表の順に星の中に元素が着々と組成されていく。ここから先、星はまことに多様な展開を見せる。星の人生に“個性”が出てくるわけである。

 星の個性は質量によって決まる。
 でかいか小さいか、筋肉質か柔らかな体かで、個性の発揮が異なってくる(クレッチマーなどの仮説がそのひとつだが、実は19世紀初期までは人間の性格も体質によって区分けされると考えられていた)。
 天体では、太陽の質量の4倍以下と4倍以上で、体質を区別する。
 その4倍以下の「軽い星」では、中心部の温度もそれほど上がらず、元素複合星ができあがっていく。ただし、星が摂動してその外層をまわりの空間に吹き飛ばす(頻繁きわまりない火山噴火のようなものである)。そのため内部の高温部分が素通し丸見えになることもあり、この高温部分の明るさが吹き飛ばした外層を輝かせることもある。これがリング星雲である。まことに美しい。
 しかし、こんなことをしているうちに、優等生の「軽い星」も中心部が収縮をくりかえして、見かけはついに半径数千キロの地球くらいの星となっていく。そのくせ質量が1立方センチあたり1トンにものぼる。これが白色矮星である。白色矮星はしだいに冷えていって、静かにその一生を終える。

 一方、太陽の4倍以上の「重い星」のほうは、ヘリウムが核融合するまでは「軽い星」と同じ人生を歩む。「軽い星」と「重い星」は、小・中・高・大学が同じなのだ。
 ただし、スピードがちがう。「重い星」は飛び級をした。そのため中心部の温度は、大学を出るころには約3億度に達していた。
 この温度上昇はその後もとまらず、ここで「重い星」は二つのコースを選択する。
 ひとつは、炭素の核融合がおこって、星全体を内側から一挙に吹き飛ばしてしまうコースで、これがその名も有名な「ノヴァ」(超新星)になる。かに星雲はこうして生まれた。これをⅠ型超新星(スーパーノヴァ)という。

 もうひとつのコースは、太陽質量より8倍ほど重い星で、ここでは炭素の量が多いので核融合によって大量の熱が発生する。そのため中心部がいくぶん膨張して温度上昇を抑える。
 その結果、核融合反応が適度に進行して、次々にそこから元素が生まれ、最後に鉄の原子核ができる。鉄の原子核は核融合しないので、中心部は冷えていく。
 これがぼくが名付けた「宇宙のアイアン・ロード」というもので、これについては25年ほど前のことになるが、『全宇宙誌』(工作舎)に詳しい“解読”をしておいた。「重い星」はノヴァになって宇宙空間に飛び散るか、中心に鉄を作ってその荷重の宿命とともに進むか、この選択をしているという論考だ。
 鉄の荷重をふやした星は、やがてその荷重に耐えられなくなって、中心部が押し潰され、外層も中心部にむかってなだれこむ。ここでふたたび人生の岐路がくる。
 きわめて堅い中心部ができたばあいは、外層が中心部に急速にぶつかって、ここにまたまた大爆発がおこってノヴァになる。
 これをⅡ型超新星という(ハイパーノヴァ)。大爆発がないばあいは、さきほどの白色矮星に近い道を歩む。

 Ⅱ型超新星になった「重い星」は、その中心部分が鉄の原子核が溶けてできた中性子だらけになるので、ここで中性子だけからできた中性子星(ニュートロン・スター)に姿を変える。
 他方、太陽の質量より30倍も重い星では、この中性子星の段階になるより速く、鉄の中心核に星の外層が落ちこんできて、この小さな中心領域に重力が集中し、すべてのものがこの中に吸い込まれた状態になる。これがブラックホールである。
 ブラックホールは「毛がない」といわれるように(外がハゲているのではなく、中がハゲている)、この世で一番速い光さえもここからは抜け出られない。重力場の特異点がつくられたのである。

 ざっとこんなふうに、天体たちはそれぞれの体質にもとづいた別々の人生を歩んでいく。
 人生は別々だが、これらの星々はそれぞれ集まって銀河系をつくり、さらにその銀河系が集まって銀河団をつくっている。
 天の川は銀河系のひとつで、左右に長い腕(ハロー)をもった円盤状の姿をしている。それでもざっと2000億の恒星が集う。その中心には「バルジ」とよばれる半径15000光年の球状星団がある。バルジの星は古い星ばかりで、いわば銀河の古老集団にあたっている。ハローには約200個の球状星団がいる。
 銀河団には、たとえば、おとめ座方向約4000万光年のところにおとめ座銀河団がある。2000個をこえる銀河でできている。べらぼうなスケールだ。視線方向に細長く、9000万光年にわたるフィラメントをもっている。この世で一番大きなフィラメントである。
 われわれの銀河系(天の川)をふくむ局所銀河系群は、このおとめ座銀河団の重力のほうに引っ張られて悠然と動いている。銀河団の中心がほとんど楕円銀河で占められている理由ははっきりしない。

 銀河団が10個以上ほど集まったものを超銀河団という。その大きさは3億光年におよぶ。おとめ座銀河団も超銀河団に属する。かみのけ座銀河団もかみのけ座超銀河団の中に属する。
 ここで重要なのは、銀河団は銀河団どうしの重力によって引き合っているのだが、超銀河団は宇宙の膨張速度による影響をうけているということだ。
 超銀河団には、もうひとつ特徴がある。鮮明な境界がない。超銀河団がくっつきあっている。けれども超銀河団としての、まとまりもある。そこで1990年代に入って、このような超銀河団が形成する宇宙構造に「泡宇宙」という、いささかいかがわしい名称が与えられた。なんだか宇宙全体がソープランドのようになってきたのだった。
 しかし泡宇宙論は、きわめて重要な発見もした。泡の一部には巨大なボイド(空洞)があるのではないかというのだ。実際にも、うしかい座方向5億光年のあたりに、なんと2億光年にわたるボイドが発見されもした。

 さあ、こうになってくると、宇宙の全体はどのように決まっているのか、それが気になる。
 こうした銀河系や銀河団や超銀河団が宇宙全体に組合わさっているということまではわかるものの、では、これらが総じて、どういう大ドラマの中にあるのかということは、以上のような個々のドラマからは見えてはこない。
 ここには宇宙全体の進化というシナリオを用意する必要がある。これがビッグバンからビッグクランチにおよぶ宇宙進化劇というものになる。
 それではここからは、スーパーストリング理論やM理論の理解の前提になるための、宇宙全体の構造変化の物語を案内してみたい。これもちょっとだけ長い話になる。最初の鍵は宇宙は何によってどのように膨張しているのかという点にある。

 いま、宇宙の歴史は137億年くらいであろうということになっている。
 そう言われても見当もつかないだろうが、この年齢を、なんだそんな程度かと思う向きもあろう。生命の歴史が30億年とか40億年とかいわれているわりには、“浅い”気がするからだ。しかし、これは“浅い”のではなく、“速い”というべきなのだ。
 宇宙年齢の本格的な算定を最初になしとげたのはエドウィン・ハッブル(167夜)である。観測と計算によって宇宙が膨張していることから逆算した。最初に狙いを定めたのはアンドロメダの中のセファイド変光星だった。ウィルソン天文台の2.5メートル望遠鏡(当時世界最大)を自由に駆使できるハッブルならではの発見だった。
 遠く離れた銀河が互いに遠ざかりながら離れつつあることを知ったハッブルは、互いに1000万光年離れた二つの銀河が秒速300キロで遠ざかっているのなら、以前にはこれらがもっと近かったと推理して、100億年ほど前には二つの銀河は重なっていただろうと結論した。
 こうしてハッブルは、銀河の遠さの距離が2倍になれば遠ざかる速度も2倍になるという「ハッブルの法則」(後退速度は距離に比例する)を発見した。

 遠のく銀河ほど高速で遠ざかる。いったいこれはどういうことを意味しているのだろうか。
 たとえば、われわれがいる銀河が爆発していることは観測されているから、その銀河爆発の力によって星々が遠ざかっていると考えてみる。
 ところが、この説で後退速度が距離に比例することを説明しようとすると、昔に飛び出した銀河ほどより早く飛んでいることになる。銀河は昔のほうが威勢がいいということになる。しかし、われわれの銀河から銀河が飛び出していくとすると、われわれの銀河の数はどんどん少なくなっていくはずである。
 銀河は何万何十万とあり、一つの銀河に含まれる星は少なくとも1千億はある。太陽系が所属している銀河の星の数はだいたい2千億だ。そう考えていくと太古の銀河はばかでかかったことになる。それに、あと1、2回ほど銀河爆発がおこると、われわれの銀河の星はどうみてもほとんど飛び散らかって、なくなるにちがいない。
 どうも、こんなことがおこっているとは思えない。
 加えて、宇宙の膨張はわれわれが地球から天体を見て、そうなっているだけではなくて、どの銀河の1点から見ても、それぞれは遠のいて見えるはずなのだ(宇宙の等方性)。銀河爆発で宇宙が膨張しているという説は、この条件も満たさない。

 ハッブルの法則があてはまる宇宙膨張の理屈を考えるには、新しい考え方をとるしかない。とくに、宇宙に中心があってこれが膨張していくという見方を捨てなければならない。
 われわれの身の回りのものは、だいたい中心がある。森にも都心にも家にも“中心”が想定できる。が、これらはすべて端か周囲かがあるものであって、端がないものには中心があるとはかぎらない。球には中心がある。その中心が球に覆われている。
 しかし球の表面はどうか。球の表面世界にはどこにも中心はない。
 無限に長い棒にも中心はない。棒の中心はちょうど長さが半分のところにあたるのだが、無限に長い棒なら、どこをとってもそこが中心になる。これは中心がないに等しい。
 宇宙もこういうものなのである。かつてジョルダーノ・ブルーノが命がけで主張したように(結局、火あぶりになった)、宇宙はどこにも中心がないか、もしくは多中心なのだ(宇宙の多中心性=宇宙原理ともいう)。
 ということは、われわれの銀河から見てすべての銀河が遠のいているということは、他の銀河から見ても互いに遠のいているということなのだ。
 つまりは、すべての銀河は透き通った球の表面にくっついて動きまわっている巨大なアリの集団なのだ。そして、その球自体が風船のように膨らんでいるということなのだ。
 そこで、このアリ銀河とアリ銀河の距離の計算を、観測できたすべての“銀河アリ”にあてはめてみると、あらゆる銀河(銀河団・超銀河団)がほぼ100億年前には一点に集中していることになった。
 このような結論が得られるのは、やはり宇宙が膨張していることを告げている。

 ハッブルの算定はいまではさまざまな訂正をうけて改正されている。
 まず、膨張速度が宇宙史のフェーズによって異なっていた。最初期の爆発膨張力がものすごく、それがしだいに衰えていることがわかった。また、銀河と銀河集団(銀河団・超銀河団)の遠ざかりの度合がかなりちがっていた。
 銀河は遠ざかりあうばかりではないこともわかってきた。たとえば、われわれの銀河とアンドロメダ銀河は秒速200キロの速さで互いに近づいているのだが、これは、銀河団のなかではハッブルの法則があてはまらず、銀河間の重力の力が関与しているからだった。
 さらに、最近になってわかったことは、宇宙は星と真空ばかりで構成されているのではなく、そこらじゅうにおびただしいボイド(空洞空間)とダークマター(暗黒物質)とがあって(687夜)、星はほんの少々だということだ。そのダークマターにも、熱いダークマターと冷たいダークマターのちがいがあることも見えてきた。
 もっとごく最近には、時間の進みぐあいとともに変化する正体不明の「クインテッセンス」(第5番目の奴)という未知のエネルギーの影響があることもわかってきた。
 こうした条件を組み合わせて、宇宙半径をコンピュータではじくと、137億年という数値になったのである。そう、思われたい。

 この137億年の宇宙史のなかで最も重要なドラマは、すでに見当がついただろうと思うが、宇宙膨張と物質の量の関係である。
 宇宙膨張は重力によって引きとめられるが、その重力は物質の存在によって生じる。したがって物質の量が少なければ、宇宙膨張はいくらでも続く。その量がある分量に達すれば、宇宙は膨張したのちに収縮に転じる。そのある分量を「宇宙の臨界量」というのだが、この臨界量をこえてもなお物質の量が増えつづければ、宇宙はどんどん収縮しつづけて、論理的にはついに一点に縮んでしまう。これがビッグクランチである。一巻の終りではなく、一点の終り。
 このことから、宇宙が「閉じた宇宙」であるばあいは膨張はいつか収縮に転じ、「開いた宇宙」なら永遠に膨張をつづけるということになる。その決め手を握っているのが物質の臨界量なのである。

 臨界量は1立方キロメートルあたり、たった100兆分の1グラムしかない。
 銀河の平均密度はその10万倍の高密度だから、計算すると、宇宙の任意の1立方センチメートルあたり水素原子1個という物質密度になる。つまり宇宙はきわめて希薄なのだ。稲垣足穂がいう「薄板界」である。
 しかし、この話は観測可能な物質を計算の前提にしているだけなので、ダークマターを勘定に入れると、とたんに事情が異なってくる。宇宙が膨張するか収縮するか、宇宙のかたちが開いてるか閉じているかは、どうやら、いまのところは計測不能のダークマターこそが鍵を握っているということになる。
 と、いうことで、宇宙は137億年をかけてどのようになろうとしているかはまだわからないのだが、その逆に、かつてはどういうものであったかは、だいたいの過去の事情が見えてきた。

 137億年前の宇宙はどういうものであったのか。いまでは誰もがなんとなく知っている。
 ビッグバンがあったのだ。
 ビッグバンがあったということは、巨大宇宙はたった一点に集中していたということだ。どうにも信じがたい結論であるけれど、ハッブルの法則から帰結できる唯一の結論がこれなのだ。
 ということは、約120億光年以前あたりの宇宙光景こそが、落語の与太郎が大家に聞いても聞いてもわからなかったいわゆる「宇宙の果て」だったということになる。与太郎は驚いたであろう。「宇宙の果て」は実は「宇宙の原初」だったのだ。

 その原初の状態がどういうもので、その後どうなっていったかは、大家はむろん、ハッブルの法則をいくらいじくっても、まったくわからない。
 これを解きあかしたのがビッグバン理論である。宇宙は最初の爆発でその原形のすべてをつくってしまったという大胆な説だった。かつては「火の玉宇宙」ともいわれた。
 ビッグバン理論の最初の提唱者は「不思議の国のトムキンス」を語り部にした、かのジョージ・ガモフ(768夜)だった。協力者にラルフ・アルファやハンス・ベーテもいたので、いっときはかれらのイニシャルをとって「αβγ理論」ともいわれた。ぼくはそう言われたほうが懐かしい。

 ビッグバンによって何がおこったかといえば、まず最初に空間と時間が発生した。宇宙膨張は空間の膨張である。だから、論理的には、まず空間が生まれた。
 時間とは、ひとつずつの空間を1秒、1時間、1日、1年と積み重ねることをいう。これは物理的な時間にあたる。時間には、この物理時間とは別に生物的な時間などもある。いずれにしても、時間は空間なしではありえない。ライプニッツ(994夜)はいみじくも「時間は秩序の継起である」と言った。そうだとすると、ビッグバンによって空間とともに時間も生じたということになる。
 では、そのビッグバン時の宇宙がどういうものだったかということだが、ぼんやり眺めれば、火の玉宇宙にはガス状の水素とヘリウムくらいしかない。あとは光(電磁波)である。光の波長は宇宙膨張とともに伸びて長くなるから、過去にさかのぼれは光の波長はずっとずっと短かったと考えられる。波長が短くなるということは、高エネルギーになっているということであり、アインシュタイン(570夜)によればエネルギーは質量と同等だから、宇宙は過去にさかのぼればさかのぼるほど、光は“重く”なる。その、高エネルギーで重い光が最初に満ちていた。
 これが「火の鳥」である。ただし、この「火の鳥」は最初に翼を広げて飛び立つところが一番の見どころで、それもあっというまの飛び立ちなのだ。

 最初期のビッグバン宇宙は、「宇宙最初の3分間」といわれてきたように、超スピードで仕上がった。
 しかし、いくら「火の鳥」だとはいえ、いったいそんなことってあるのだろうか。宇宙が3分間でできたなんて、それじゃ、宇宙は“ゆで卵”みたいじゃないかと思いたくなる。ぼくも、スティーブン・ワインバーグの『宇宙創成はじめの三分間』(ダイヤモンド社)を1970年代半ばに読んだときは、そのあまりに明快な“解読”に呆気にとられ、数週間にわたって考えこんでしまった。
 そこで何がおこったかということは、なんら証明されているわけではない。いくつかの観測事実を組み上げてはいるものの、あくまで理論なのである。けれども、いまのところはこの仮説以上のものはない。
 別の理論もありうるだろうが(スウェーデンのノーベル物理学賞の受賞者ハンネス・アルヴェーンのプラズマ仮説など)、まだビッグバン理論の精緻な組み立てを崩すほどの反論は成立していない。それでも『ビッグバンはなかった』とか『宇宙誕生の疑惑』といった本は、つねに書店を賑わせている。
 そこでビッグバン理論を依りどころに考えるしかないのだが、そう思って詳細に立ち入ると、たしかにこれほどよく出来た理論はないということもわかる。なによりも素粒子の究極の姿がつかまえられる。今日のビッグバン理論が「素粒子的宇宙論」とよばれるのも、この魅力によっている。
 ともかく大筋を理解しておいてもらうことにする。だいたいは次のようなことだった。ここではあえて、おおざっぱに書いておく。

 宇宙の最初は「熱い光」そのものだった。温度は約1000億度。物質と輻射はまったく分化していない。想像つきにくいことだろうが、そのときの“宇宙”の大きさは米粒かボーリングの玉くらいだったろう。まあ、“ゆで卵”くらいだったと思えば当たらずとも遠くない。
 そこには瞬間的に陽子・中性子・電子・ニュートリノ・反ニュートリノなどが混じって現れては消えていた。最初の熱平衡状態なのである。
 この直後に宇宙が膨張を始めた。それとともに温度が下がり始めた。温度がちょっと下がると、水素からヘリウムができて、このときすべての中性子はヘリウム原子核の中にとりこまれる。最初の原子核の誕生である。最小宇宙の誕生だった。
 この出来事がビッグバンのほぼ3分後にたる。温度は約10億度になっていた。
 宇宙は「素粒子の缶詰」の蓋があいて、始まったのである。まさに宇宙水滸伝、まさに宇宙八犬伝の開闢だ。

 ビッグバン宇宙は超高温・超高密度のプラズマ状態だったのである。そのためそこでは、水素やヘリウムの原子核と電子は完全自由な状態でとびまわっていた。
 このときの完全自由な光の放射が、いまでも宇宙を観測するとうっすらと感知できる宇宙背景輻射というものになっている。この輻射は絶対温度3度の物体から放射されるマイクロ波と同質のものであることもわかっている。発見したのはベル研究所のペンジアスとウィルソンで、これがビッグバン理論の最初の歴史的証拠となった。
 7月7日の那須で、ぼくが七夕の天体に感じた「宇宙のさざなみ」というのは、これだった。

 ところで、あらかじめ注意を促しておきたいのは、宇宙最初の3分間には、最初の最初の“宇宙開闢の瞬間”は含まれていないということだ。最初の宇宙の温度が1000億度に下がったときから数えての、3分間の出来事だけが仮説されたということだ。
 ということは、この3分間の「直前」という状態があるわけで、この「直前」(すなわち缶詰の中)を問題にしたときにこそ、スーパーストリング理論やM理論が浮上してくるということなのである。
 もっともその「直前」とは、まさに1秒とか100分の1秒の宇宙の出来事になる。それを“宇宙”と言ってよいかはわからないが、その缶詰の中を覗けば、そこには「4つの力」が互いに分離して、自由クォークとレプトンと光子の“スープ”があったことが見えるにちがいない。
 が、この話はまたのちほどすることにする。いわゆるビッグバン理論では、このキャンベル・スープの缶詰の蓋はまだあいていないのだ。

 話を戻して、ビッグバン後の光景を眺めておく。光景としては、二つの出来事がとくに重要になる。ひとつは「インフレーション」とよばれる膨張が急速におこったこと、もうひとつは「宇宙の晴れ上がり」がおこったということだ。
 インフレーションについてはのちに素粒子的宇宙論の解説とともにのべるとして、後者の出来事のほうを先にとりあげておく。

 宇宙はビッグバンから10万年ほど時間がたった。温度は3000度くらいに下がっている。
 ここでは、それまで自由に運動していた電子が、陽子やヘリウム原子核のような正の電荷をもっている粒子に引かれ、それぞれ水素原子やヘリウム原子をつくった。原子は中性だから、この時期を「宇宙の中性化」ともいう。これは宇宙から電荷をもった粒子が消えた時期である。
 宇宙が中性化すると、光と物質の関係が変化する。宇宙の温度が3000度以上のときは高温のなかで電荷粒子が運動するので、光は放出されたり吸収される。そのため陽子と電子と頻繁に衝突する。それが粒子が中性になってからは、光は放出も吸収もされないので、物質の状況とはまったく無関係になる。
 かくて3000度以上の宇宙では、宇宙を飛び交う光は物質と衝突することなくまっすぐ走る。この光景が「宇宙の晴れ上がり」にあたる。雲がばっと晴れて見通しがよくなったからである。
 これで初めて光はまっすぐ進めることになった。「宇宙の晴れ上がり」は物質と光が無関係になって、宇宙に密度のゆらぎが登場してくる境目にあたる。

 さて、ここまでくれば、宇宙はいよいよ堂々たる進化の旅を始めてくれる。ここからさきは、星があらわれてもくれるし、銀河や銀河団も登場してくれる。太陽の一生の物語も始まっていく。
 けれども、問題はそれ以前の話なのである。
 初期の宇宙がどうして急激にインフレーション膨張できたのかということ、それ以前の3分間を素粒子的宇宙論として解読するとどういうことになるのかということ、そして、3分間以前(つまりビッグバン以前)はどうなっていたのかということだ。
 もう一度、ビッグバン前後の光景を組み立てなおしてみたい。次の夜にはその話をしてみよう。ここからが、いよいよ素粒子的宇宙論と量子重力理論による宇宙論になっていく。スーパーストリングとM理論は、この途中からあらためて姿をあらわしてくる。

【また、つづく】

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