西郷信綱
梁塵秘抄
筑摩書房 1976 ちくま文庫 1990
ISBN:4480088814
仏はつねにいませども  
現(うつつ)ならぬぞあはれなる
人の音せぬ暁に
ほのかに夢に見へたまふ

 後白河法皇が今様に狂った。狂ったというのは、当時は熱中したという意味だ。遊女たちが口ずさんでいた今様に法皇が熱中したのだから、これは珍事であった。
 たんに熱中しただけでなく、少年期から今様が好きで名のある女芸人を次々に召し寄せては、自分でマスターした。ついには青墓(岐阜県大垣近辺)の乙前(おとまえ)という老いた遊女のところに通って、口移しに習い、当代一の歌唱力といわれるほどにまでなった。その今様を後白河みずから撰歌し、編纂し(むろんいろいろ手助けがあったのだが)、そうやってまとまったのが現在の『梁塵秘抄』である。
 この今様が歌われれば、建物の梁の上に積もる百年の塵さえ動くというほど、心を揺さぶる歌だったというのだ。いったいどういう歌だったのか。

 今様は「当世風」(モダンスタイル)という意味である。だから、今様というのはポップスとか流行歌とかと思えばいい。それでまちがいはない。
 が、ポップスとしては、いまどきの出来とは格段に異なる。何が異なるかといえば、歌詞のバックヤードにたくさんの神仏が控えていて広大で深遠である。かつ言葉が徹底して、まことに陶冶され、それでいてシンプリファイされた編集推敲がされている。リズムもいい。字余りもうまく入れこんである。
 編集推敲されているのは多くの語り方や歌い方が錬磨されてきたからで、今様のどれひとつとして一夜でできたものではないからだ。
 ただし、どんな歌いぶりだったかはわからない。『紫式部日記』には「今様はをかしかりけり」というふうに、『枕草子』には「今様はながくてクセづきたる」とあるから、ともかくもよほど気分の乗るニューポップスだったのだろうと想像できる。クセとは曲節のことをいう。伴奏はおそらく鼓や小太鼓やササラだけ、もしくは手を打った。

 今様の曲節はどんなものだったのだろうか。ぼくはかつて、宮内庁楽部の芝祐博が『蓬莱山』を復曲したものを国立劇場で聞いたことがあるのだが、そのときはどうにも間延びしすぎていて、これが今様なのだろうかと訝しく思ったものだ。
 それよりも桃山晴衣の試みのほうが今様めいていると感じた。桃山さんはただ歌うだけではなく、自身、岐阜の郡上に住んで青墓の乙前(おとまえ)のことを徹底して調べ、そのことをめぐる本も書こうとしている。その桃山さんのクセのほうがおもしろい。『梁塵秘抄口伝集』にも、「はかせのゆふゆふときこえるは悪しく、只一息に声のたすけなく、さらさらと常の言葉をいふ如く謳ふべし」とある。「はかせ」とは楽譜のことをいう。ようするに、かなり素直で軽快だった節まわしだったのである。

 かくて今様の当時の曲節はあきらかではないのだけれど、実はそれを含めて、作詞者も一人としてあきらかではないところが、今様のいいところでもある。
 想像をたくましくするしかないところが、今様に接したわれわれのたのしみなのでもあった。
 きっと歌い手あるいは作り手の多くは遊女であろうと思われるが、そこに数多(あまた)の語り部たちも加わったろう。そういう遊女と語り部たちが語り継ぎ、歌い継いだ文言が、七五調あるいは五八調子の独得のリズムとなって定着した。一人の才能ではここまでの今様にはならなかった。そこにとてつもない面目がある。

 西郷信綱がものした本書は、もともとは筑摩の「日本詩人選」というユニークなシリーズの第22巻に書きおろされたものだった。当時、このシリーズを愛読していたぼくは、やっと『梁塵秘抄』を「当時の意味の内側」から解いている一書に出会ったという感じをもった。
 西郷信綱は歴史学や人類学にもあかるい国文学者で、『梁塵秘抄』の専門家ではない。しかし、その今様読みはさすがのもので、ずいぶん堪能させられた。その前に読んだ『古代人と夢』もすばらしく想像力ゆたかなものだったけれど、この一冊にも満足した。今宵はその30年ほど前の“読中感”なども思い出しながら、ぼくなりの今様案内をしたい。
 その前に『梁塵秘抄』に収められた今様がどのくらい幅広いものだったかということを書いておく。

 
 もともと今様には、法文歌(ほうもんのうた)、四句神歌(しくのかみうた)、二句神歌、長歌(ながうた)、古柳(こやなぎ)、郢曲(えいきょく)、足柄(あしがら)、黒鳥子(くろとりこ)、伊地古(いちこ)、旧川(ふるかわ)、田歌(たうた)、旧古柳、初積、片下(かたした)、早歌(はやうた)、婆羅林(しゃらりん)、権元(ごんげん)、満古(まんこ)‥‥といったものがある。
 これらがどういうものであったかは略するが、『梁塵秘抄』に収録されたものは法文歌や神歌が最も多い。
 法文歌は仏教的な内容を歌った今様をいう。後白河は天台教学に関心が深かったので、日吉や熊野にまつわる今様を多く撰歌しているのだが、法華経もの、大日如来を謳った真言もの、浄土ものも少なくない。
 とくに『法華経』については、二十八品ことごとくを今様にしているのが壮観だ。そうしたなかで最もよく知られているのが、「仏はつねにいませども 現(うつつ)ならぬぞあはれなる 人の音せぬ暁に ほのかに夢に見へたまふ」であろう。これは『法華経』寿量品に取材したもので、「われは常にここに住すれども云々」をもとに、これに和讃の響きを加えている。夢と現(うつつ)が往復し、出入りし、息をひそめて仏の面影を追っているのが、やるせない。
 舌を巻いたのは、各種の経典の特色をそれぞれ歌い分けている今様だ。まさに“仏典キャッチフレーズ”として巧みに練り上げられている。こんなキャッチがつくれるコピーライターは、平成の世には一人としていない。たとえば、次の通り。

  (華厳経)
  華厳経は春の花 
  七所八会(しちしょはちえ)の園(その)ごとに
  法界唯心(ほっかいゆいしん) 色深く
  三草二木 法(のり)ぞ説く

  (阿含経)
  阿含経の鹿の声
  鹿野苑(ろくやえん)にぞ 聞こゆなる
  諦縁乗(たいえんじょう)の 萩の葉に
  偏真(へんしん) 無漏(むろ)の 露ぞ置く

  (般若経)
  大品(だいぼん)般若は 春の水
  罪障(ざいしょう) 氷の 解けぬれば
  万法空寂(ばんぽうくうじゃく)の 波立ちて
  真如の岸にぞ 寄せかくる

  (法華経序品)
  空より 華(はな)雨(ふ)り 地は動き
  仏の光は 世を照らし
  弥勒 文殊は 問ひ答へ
  法華を説くとぞ かねて知る

 神歌も、神々の名や神社の名をあげて、これを歌い分けている。よほど遊女たちにとって、神仏は“お仲間”だったのだろうことを感じさせる。一首のうちにいくつもの神奈備を織りこんだ歌もある。たとえば、

  神のめでたく現(げん)ずるは
  金剛蔵王はちまん大菩薩
  西宮 祇園天神大将軍 日吉山王賀茂上下

  関(せき)より東の 軍神(いくさがみ)
  鹿島香取(かんどり) 諏訪の宮
  また比良の明神 安房の州 滝の口
  小鷹(おたかみ)明神 熱田に八剣(やつるぎ)
  伊勢には多度の宮

 ぼくは2004年から「連塾」というものを始めて、1年半にわたって八荒(8講と称ばなかった)をほぼ5時間ずつ語ってみたのだが、その第2荒で、「住吉四所の御前には 顔よき女體ぞおはします」をタイトルにもってきた。
 これは、今様神歌の「住吉四所の御前には顔よき女帝(にょたい)ぞおはします。男は誰ぞと尋ぬれば、松が崎なる好き男」から採ったもので、住吉の女神を偲んだものが元歌である。住吉あたりにいた遊女たちとのダブルイメージが歌の外へ滲み出していて、忘れがたい。「連塾」ではこのタイトルにふさわしく、冒頭を椎名林檎の『罪と罰』のアヴァンギャルドな映像で始めてみたものだった。
 法文歌も多様だが、神歌も多様かつ出来がいい。諸国の神さま大好き歌が多いけれど、決して神にひれ伏してはいない。それでいて、どの章句にも敬虔な姿勢が香ばしい。
 ざっとこういうぐあいに『梁塵秘抄』は集歌されているのだが、ともかくも何度読んでも、神仏習合・和光同塵、こみあげる律動がある。

『梁塵秘抄』原本(和田本)より

 さて、こういう今様を各所で歌い継いでいた遊女たちだが、『梁塵秘抄』をたのしむには、この遊女たちに親しんでおく必要がある。
 遊女たちは当時は「遊女」(あそび)とか「傀儡子」(くぐつ)とか「白拍子」と呼ばれていた。傀儡子は箱状のものに小さな人形を入れて各地をめぐり、それを出して箱の上で人形ぶりを見せ、それに歌をつけていた。だから厳密には傀儡子といえば人形遣いのことになるのだが、当時はもっと広い意味で傀儡子と呼んだ。
 白拍子も各地を巡遊する芸能の民で、白い装束に男の烏帽子をつけて舞い歌った者たちをさすのだが、やはりもっと広く女の遊民をさす呼称になっていた。
 そういう遊女(あそび)たちが、ではどんな日々をおくっていたかというと、歌い、舞い、春をひさぐとともに、さまざまな神仏に祈り、神仏に遊んでいた。『梁塵秘抄』にもそういう遊女の独特の好みが示されている。

  遊女(あそび)の好むもの 
  雑芸(ぞうげい) 鼓 小端舟(こはしぶね)
  おおがさ翳(かざ)し 艫取女(ともとりめ)
  男の愛祈る百大夫

舟に乗る遊女(『法然上人絵伝』より)

 これでわかるように、遊女は雑芸に秀でていた。鼓をもっていたこともわかる。大笠をがぶった艫取女の漕ぐ小端舟というものに乗って、貴族たちの舟に近づいていった光景も目に浮かぶ。
 大江匡房に『遊女記』というものがあり、当時の遊女が江口や神崎などの淀川沿いに遊女宿を営んでいたことを綴っている。「小端舟」はそういう河川に遊びにきた男たちを相手にするための舟だった。遊女たちは、こうした男たちに媚を売っていたのだが、その実、心のなかで百大夫に祈って、身の無事を案じていた。そういう今様だ。まさに自分たちの境遇や心境を歌っている。
 百大夫は遊女や郭の女たちが信仰していた民間神のことをいう。道祖神に似たもので、陽物を象っていた。つまりペニスである。

 その遊女たちは、一方では、わが子の行く末を案じていた。有名な今様がある。

  我が子は十余に成りぬらん
  巫(こうなぎ)してこそ歩(あり)くなれ
  田子の浦に汐汲むと いかに海人(あまびと)集ふらん
  まだしとて 問ひみ問はずみなぶるらん いとをしや

 この歌は十二、三才ほどになっただろう我が子が巫(こうなぎ)となって諸国を歩いていると聞いているが、「田子の浦あたりで海人たちにからかわれてもいるのであろう、いとおしい」といった意味だが、あきらかに遊女の親がこの心情を言葉にしたのだと推察される。
 それを557、77、5575にまとめ、さらに575、5とまとめた。それだけではない。ここには「汐汲み」という苛酷な職能をもった者たちの悲哀と強さ(それが『山椒太夫』の物語にあらわれているのだが)、田子の浦という歌枕がもっている当時の風景(名所)の普遍性、その世界に我が子を送りこんだ遊女の家というもの、そういうことが過不足なくあらわされていて、切々たるものがある。
 同じく我が子をうたったものとして、次の今様がある。

  我が子は二十(はたち)に成りぬらん
  博打してこそ歩(あり)くなれ
  国々の博党に さすが子なれば憎かなし
  負かいたまふん 王子の住吉西の宮

 ここでは我が子は二十(はたち)ほどになっている。男の子であろう、博打をしているという噂だ。
 前の歌もこの歌にも「歩く」という言葉が出てくる。これはたんに歩くことをいうのではない。行方定めず流浪するという意味である。だから遊女が歩けば「歩き巫女」であり、男が歩けば浮浪者か博打者のたぐいをあらわした。『宇津保物語』にも「博打不幸のもの」とある。
 よほど我が子の境遇と博打者の境遇とがくらべられたのであろう。今様には博打のことを歌ったものが多い。たとえば「博打の好むもの 平骰子(ひょうさい) 鉄骰子(かなさい) 四三骰子(しそうさい) それをば誰か打ち得たる 文三(もんさん) 刑三(けいさん) 月々清次」とか、「博打の願ひを満てんとて 一六三と現(げん)じたる」とか、「法師博打の様かるは 地蔵よ迦旃(かせん)二郎 寺主」とかといふうに出ている。
 もっと痛切なのは、次の今様だ。「媼(おみな)の子供の有り様は 冠者(かんざ)は博打の打ち負けや 勝つ世なし 禅師(ぜじ)はまだきに夜行好めり 姫が心のしどけなければ いとわびし」。

 こうした遊女の日々をさらに比喩的に歌って、みごとなアブダクションを見せているのが、次の今様だ。

  舞へ舞へ蝸牛(かたつぶり) 舞はぬものならば
  馬の子や牛の子に 蹴(く)ゑさせてん 踏み破(わ)らせてん
  真(まこと)に美しく舞うたらば 華の園まで遊ばせん

 西郷信綱も、この蝸牛の歌にはよほど関心をもったと見えて、それだけで1章をもうけた。「舞ふ」という感覚が遊女の日々にも通じるからである。
 実際にも『梁塵秘抄』には、ほかにも、「をかしく舞ふものは」と問うて、「巫(かんなぎ) 小楢葉 車の筒(どう)とかや 平等院なる水車」と続け、さらに「囃せば舞ひ出づる蟷螂(いぼうじり) 蝸牛」というふうに「舞ふ者の宿命」を結んだ今様が入っている。やはり巫女と蝸牛がくらべられているのだ。その舞々する遊女が、いずれは「華の園」でこそ遊ぶものなのだという理想が語られているのであろう。表現は平明だが、やはり哀切が漂っている。

 このような『梁塵秘抄』について、兼好法師は『徒然草』に次のように書いていた。「梁塵秘抄の郢曲(えいきょく)の言葉こそ、また、あはれなる事は多かめれ」。
 今様が歌われているのを聞いたのではなく、『梁塵秘抄』という冊子を文字として読んだという感想である。すでにニューポップスとして法皇まで夢中にさせた今様は、兼好の時代にはもはや歌われなくなったか、遊女の宿にしか聞こえぬものになっていたのであろう。少なくとも世間の噂に聞き耳をたててきた兼好にも、さすがに聞こえぬものになっていた。
 そこで兼好は、これは読んでもおもしろいと言ったのだ。つづけて、こうも書いている、「昔の人は、ただいかに言ひすてたることぐさも、皆いみじく聞ゆるにや」(十四段)。
 歌いっばなしの歌の文句にも、昔を偲ぶ「あはれ」がよくもあらわれているものだという感心である。「音楽の次元」としての今様が「言葉の次元」としての今様になっていた時代の感想なのだが、それがかえって、やはり今様の節回しを知りえないわれわれが、いまもって今様を偲びたくなるのと同じ感想になっている。

 われわれはいったい「古様」と「今様」をどのように感じていけばいいのであろう。『梁塵秘抄』ばかりのことではない。どんな流行も今様であり、それはいずれ古様になっていく。そこをどう見るか。どう感じるか。
 ぼくはかつて、神楽歌、催馬楽(さいばら)、唄(ばい)、声明(しょうみょう)、講式、朗詠に分け入ったことがある。『梁塵秘抄』に堪能してから10年ほどあとのことだ。そのとき実は、今様の大半の起源がこれらにあるのではないかと思った。
 たとえば神楽歌ならば、こうである。「深山(みやま)には 霰(あられ)降るらし 外山(とやま)なる 真拆(まさき)の葛(かずら) 色づきにけり 色づきにけり」(庭火)。また、「何つけいづれそれも や 止まり かの崎越えて 深山(みやま)の小葛(こつづら) 繰れ繰れ小葛 鷺の頸(くび)取らろと いとはた長うて あかがり踏むな 後(しり)なる子 我も目はあり 先なる子」(早歌)。
 催馬楽の「東屋(あずまや)の 真屋(まや)のあまりの その雨そそき 我立ち濡れぬ 殿戸(とのと)開かせ」や、「伊勢の海の きよき渚に 潮間(しおがい)に なのりそや摘まむ 貝や拾はむや 玉や拾はむや」などにも、今様の先行を感じる。 
 ところが、神楽歌や催馬楽は宮廷歌謡だったので、いまでも宮中楽部の楽人たちが当時をほぼ再現して継承している。それらを聞くと、いかにも雅びなのである。それにくらべて、さきほど書いたように、現在の今様の再現の節回しは雅びすぎて、とうてい今様とは思えない。ということは、われわれは今様の音楽性だけではなく、身体性を失ってしまったのだ。兼好法師は「読む今様」をおもしろがったけれど、実は「動く今様」をわれわれは喪失したままなのである。

 これに対して、唄(ばい)、声明(しょうみょう)、講式、朗詠などは仏教音楽だけに、いまだに寺院のなかで朗唱されているものが多く、だいたいの歌いっぷりがわかる。そしてあきらかに仏教音楽としての濃い特色をもっていることが実感できる。今様はそういうものとも異なったのである。
 そのうち、『閑吟集』を読む機会があった。『梁塵秘抄』から300年ほどたったのちに流行した小歌を集めたもので、大和節、近江節、田楽節、早歌、放下歌、狂言小歌などが収録されている。
 どんなものかというと、たとえば以下のようなものをいう。

  月は傾(かたぶ)く泊り舟 鐘は聞こえて里近し 枕を並べて 
  お取梶や 面梶に さしまぜて 袖を夜露に濡れてさす

  忍ぶ身の 心に隙(ひま」はなけれども
  なほ知るものは涙かな なほ知るものは涙かな

 こうした小歌も節回しは残っていない。しかしながら、謡曲や早歌やその後に流行した隆達(りゅうたつ)小歌などからさまざまな推理ができて、だいたいはこういうものだったろうという見当がつく。
 今様は、この小歌や隆達小歌ともちがっている。ということは、今様は、宮廷歌謡の神楽歌や催馬楽とも、仏教的な声明や講式とも、また小歌とも隆達小歌とも異なるもので、それは時代がすぎても古様とならなかったものなのだ。ただ、復活しなかっただけなのだ。
 それはいま、高峰三枝子の『湖畔の宿』や美空ひばりの『悲しい酒』が古様にならないのと同じことで、いつまでたってもその時代の流行歌謡としての色と響きと節を保ちつづけていることに近い。ぼくが高校生のころ、フランク永井の『君恋し』という歌謡曲が大流行したことがあった。この歌は昭和初期の流行歌であって、それをフランク永井が低音で歌ったものだった。『君恋し』は再び蘇ったのである。
 今様は、江戸時代にも明治時代にも復曲しなかっただけなのだ。今日なお、復活していない。ということは、ぼくからすれば、桃山晴衣さんのような試みが大流行することこそ、今様の宿命を今日に蘇らせる一番の近道だということになるわけなのである。
 北原白秋が、こう詠んでいた。

  ここに来て梁塵秘抄を読むときは
         金色光(こんじきこう)のさす心地する

第2回織部賞授賞式で演奏する桃山晴衣さん

附記¶『梁塵秘抄』の研究は数多い。おおざっぱには佐佐木信綱の『梁塵秘抄』(明治書院)の流れをくむもの、志田延義や小西甚一や荒井源司の流れをくむもの、この二つがある。前者は岩波文庫版に、後者は朝日新聞社の「日本古典全書」(小西甚一校訂)や荒井源司『梁塵秘抄評釈』(甲陽書房)にいかされている。なお、志田延義の『日本歌謡圏史』(至文堂)の成果はいまなお大きい。
 それとはべつに、ぼくとしては折口信夫の『芸能史ノート』の指摘、本書の西郷信綱の解釈、また泰恒平の『梁塵秘抄』(NHKブックス)などが遊べた。とくに馬場光子の『走る女――歌謡の世界から』(筑摩書房)では、ぼくが知らない見方を教えられた。ついでながら加藤周一の『梁塵秘抄』(岩波書店)はつまらなかった。神楽歌や催馬楽・閑吟集などについては、日本古典文学全集の『神楽歌・催馬楽・梁塵秘抄・閑吟集』(小学館)がぴったり。

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