川端康成
雪国
岩波文庫 他 1937
ISBN:4003108132

 『雪国』を読んだのは高校2年か3年かのころだったとおもう。赤い函に入っていた新潮社日本文学全集の川端康成集だった。2段組だったのが密度があって好きだった。
 高校生が読むには、主人公の島村はあまりにも恵まれすぎた和風の高等遊民であったが、それが妙に気にいった。そこで、大学に入ってからも、しばらくつづけさまに川端を読んだ。まあ、誰もが読む読み方である。
 そのころ、ぼくはその後10年ほどにわたることになるのだが、毎月、文芸誌を読んでいた。巡回雑誌というもので、貸本なのだが、毎月係員が巡回してきて、雑誌や本をおいていく。それで『文学界』『群像』『新潮』をとっていた。単行本を買うより安かったし、それに、当時の文芸誌はおもしろかった。花田清輝吉本隆明が論争していたりした。

 だから、当時はめぼしいものは欠かさず読んでいた。ときどき『文藝』も手にしたが、この雑誌はあまりそぐわなかった。やたらに石原慎太郎のヘタな小説を載せたがっていた。
 その文芸誌のどれかに川端の『片腕』が載って、短編だが、いたく共感した。一夜をともにした女の片腕の感覚がその後も去来するという幻想的な作品である。おりから大学の文学部の誰かに頼まれて、何かのサークル同人誌に川端論を書くことになった。いまではどんなことを書いたかすっかり忘れたが、川端康成におけるシュルレアリスムといったことを書いたとおもう。『片腕』の影響だった。

 いまおもえば、ぼくの川端の読み方は、文学としての読み方ではなかった。
 そこに登場する女たちに共感していただけだった。いや、もうすこしいえば、そのような女を描く川端に共感していた。
 川端の作品は、その作品そのものが「文芸の宿」のようなもので、ぼくはそこに泊まりにいって、一夜、料理を食べたり風呂に入る。そんなふうなのである。それを純文学などとは一度もみなしたことはない。
 それはそれとして、今度、それこそ35年ぶりか、40年ぶりに『雪国』を読んでみて、あらためて感じたことがある。そのことをちょっと書いておく。べつだん耳を傾けてもらうほどの話ではない。

 まず、長いあいだ再読していなかったのに、ほとんど細部までおぼえていた。
 ひょっとしたらどこかで再読したのかもしれないが、また映画などで場面を見たせいかもしれないが、おそらくはそういうことではない。川端作品をつづけさまに読んでいれば、だいたい見当がついてしまうのだ。
 読みなおしはじめて、すぐにうんざりしたのは、これも以前からそう思っていたことなのだが、「悲しいほど美しい声であった」という常套句である。冒頭、有名な「駅長さあん、駅長さあん」と汽車の窓から声をかけた葉子が駅長とかわす言葉から、島村が最初にうけた印象としてつかわれた言葉だが、これが葉子が出てくるたびにつかわれる。
 青年時代、この常套句に引っぱられて読みつつも、これはないよなと、そのころから感じていた。川端は『雪国』だけではなく、この常套句をどんな作品にものべつつかっている。

 もともと川端はあまりにも「美しい」で何事もすましてきた。ノーベル賞講演の「美しい日本の私」などでも、そういう使い方をする。
 われわれは、つねづね「花が美しい」と言ったところで、その美しさを表現したことにはならないと教えられてきたものだが、川端はこれを逆手にとった。あらためて考えてみると、これが川端の作戦だったのだ。
 川端においては、これは童話の手法として生きているわけなのである。

 ある女は美しい。そこで、それ以外のよけいな描写はしないようにする。
 こうした常套的な女の描写に対比して、男の周辺の描写や別の女たちの描写には、淡々とではあるが、細かいことを書きこんでいく。
 こうしておいて、筋書や心理が絡んで進むうちに、いよいよというときに、ふたたび「その女」のことを「美しい」としか言いようがないと書く。
 これが薄情で、なかなか計算されている。どうもそんなふうにおもえてきた。
 こういう芸当は、たいしたものではないけれど、ちょうどどこかの座敷に行って、料理について一言の説明もなく、頃合をみはからったように女将がやってきて、「いかがでございますか」とだけ言われるようなもので、「うん、いいね」と言いたくなるような、そういう気分にさせてくれるのである。

 ここにとりあげた本書は岩波文庫版であるが、この文庫には川端自身の「あとがき」がついている。
 それを読むと、川端がこの作品をけっこう苦労して書いていたことがわかる。昭和9年から昭和12年までの4年間をかけている。川端の36歳から39歳にあたる。
 だいたい流行作家の多くがそういうモチベーションで書くことが多いのだが、川端もこの作品の想を練るために温泉に行った。「文芸春秋」に原稿を頼まれて、湯沢温泉に行った。
 そこで、原稿用紙を前にして「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」と書いてみる。それから食事をして、宿の者と話し、風呂あがりに温泉場をうろついていると、何人かの人物が浮かんでくる。
 翌日、「夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった」と書いてみて、さあっと想念が浮かんでくる。「向こう側の座席から娘が立って来て、島村の前のガラス窓を落とした。雪の冷気がながれこんだ」としてみると、案外、話は進みそうである。
 ここから先は行ったり来たりであろう。
 どうも川端は難渋したようだ。駒子と葉子はつくれたが、島村がむずかしい。いくつか小さな事件を挟んでみると、それが目立ちすぎる。そこで削っていくと、今度は島村の心理か駒子の心理が大きくなりすぎる。

 こんなふうにして『雪国』は彫塑されていったのだろうが、川端自身が告白しているように、この作品はところどころ辻褄があわない。
 4年にわたって書き継いだせいもあるし、そのような辻褄のあわないところに自分の身をおくことが、そもそも川端の生き方だったようにもおもう。
 30歳代の最後といえば、だいたいの男は自分の限界がどんよりのしかかっている時期である。いまさらきれいごとですませるものなんてないということも、わかっている。
 けれども美学というものは、存外にどんな時期でもはずせない。そこで美学と辻褄とがソリを競いあう。ひっこんでもらうほうは辻褄のほうである。

 こういう感覚が『雪国』ではうまくまとまった。
 ところが、評判がよすぎて、川端はふたたび続編を書くことになる。「あとがき」によると昭和22年に『続雪国』という題名で「小説新潮」に書いている。
 これが、葉子が火事の場面で落ちていく話になっていく。なんと10年後の「つけたし」なのであるが、本人にはそれがうまくいったかどうかは、見えないらしい。世間の評判では、この「つけたし」もさすがに川端康成だということになっている。
 ぼくは川端が敗戦後に、ふたたび『雪国』の世界に戻ろうとした気持ちが、今度読みなおして、なんとなく理解できた。そのことは、作品の最後の一行、「踏みこたえて目を上げた途端、さあと音を立てて天の川が島村のなかへ流れ落ちるようであった」にもおぼつかなく集約されている。

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