才事記

官僚国家の崩壊

ジョン・ラルストン・ソウル

ベネッセコーポレーション 1997

John Ralston Saul
Voltaire's Bastards 1992
[訳]鈴木主税

 原題は『ヴォルテールの末裔』である。すばらしい標題だ。中身のほうも、邦訳書名からは想像できないほど、領域の広さと機知のタイミングに富んでいる。
 だいたい本書の中身は官僚国家の腐敗や崩壊を描いているのではない。そういうことも含まれているが、もっと広範に民主主義と資本主義の複雑なからみがつくる国家と組織の支配の仕方を問題にしている。だからこの書名はあやしいと言ったほうがいい。
 書名もそうだが、邦訳書はもうひとつ損をしている。ぼくは書店で手にとろうとしたときに、帯に「カレル・ヴァン・ウォルフレン氏、猪瀬直樹氏激賞!」と大きく打ってあったので、たじろいだ。ウォルフレン・猪瀬コンビではあまりに狭い。仮にこの二人が激賞していたにせよ、こんなふうに片寄った激賞にしないほうがよかった。もうひとつ注文がある。邦訳書は7・8・9・11章を割愛してしまった。この割愛はあまりに多すぎる。著者はカナダ人の作家で、本書に10年をかけたのだ。すでに邦訳書で上下2冊になっているのだから、割愛することはなかった。

 と、まあ、そんな事情で原著者には気の毒な印象があるので、ここでは以下、著者の言葉だけで綴ってみることにした。こういう紹介もあっていいだろう。
 引用は随所から採った。それでも以下の文章がひとつながりの論旨に見えるようなら、おなぐさみ。括弧の中を除いて、一言も鈴木主税の翻訳文を変えてはいない。ちなみに以下は、「セイゴオ読書術」のひとつの、マーキング読書術による"編集"で、全体を読みながらまずさまざまなマーキング(傍線や囲みや書きこみ)をし、そのうちの、ある特定のマーキングをしたフレーズやセンテンスだけを取り出して、再度、再々度、これらを自在に入れ替えてつくったものである。必ずしも著者の論旨の順ではない。しかし、それが読書というものなのである。

 aわれわれ欧米人が何をしてきたかといえば、3つの要素を、それがもともと家族であるかのようにごたまぜにしてきたのだ。3つの要素とは、民主主義と理性と資本主義である。
 bわれわれはともすると、西欧のこうした精神分裂症を国家の利益やイデオロギー闘争のせいにしがちである。(しかし)、b民主主義は西欧のさまざまな地域で、知性とはほとんど関係なく常識の産物として生まれた。cそれは組織的でもなければ分析的なものでもない。d資本主義は所有権および収入を分ける方法でしかない。e資本主義とは、社会に実在する動的な要素を所有し、使うことである。fだが今日、資本主義とされているものは、利潤動機とよばれるものを中心に動く。
 (3番目の)g理性は公平な行政手段にすぎなかったのである。g理性が所有しているのは、完璧に構築され、完璧に統合されて、完璧に自己正当化のできる制度なのである。(他方)h盲目的な理性がすべてをつなげる鎖の役目をはたしている。

 iそもそも民主的な政府と合理的な行政が結びついたからこそ、ほぼこの2世紀のあいだに社会的なバランスが劇的に改善されたのである。jとはいえ、その過程で、なぜどのようにしてこの両者が提携するようになったかという実際的な認識が失われてしまった。その結果、両者の役割が逆転することになった。k管理することがしだいに目的と化し、民主政治の指導者はそれにしたがわざるをえないと思うようになった。
 lその結果、民主政治の機能が衰えて、単なる手続きに堕してしま(った)。m効果と速度という技術的な道具のほうが価値があるとされるようになったのである。n合理的なメカニズムがこれほど容易に18世紀の哲学者の意図と正反対のことをするのに使われている。o言いかえると、社会全体のコンセンサスといった理念がむしばまれてきたのである。
 p一つの国家で、また多くの国家間で、富と倫理がこのように操作されることに加え、完全にそれと平行する世界がのしてきた。金融世界である。qこの管理を欠いた書類上の経済がもたらしてきた影響は、社会に催眠術をかけるようなもので、それは企業買収の世界にあらわれている。

 r現在は大いなるコンフォーミズム(体制順応主義)の時代である。西欧文明の歴史において、これほど絶対的なコンフォーミズムの時期はまずほかにないだろう。s精神、欲望、信仰、感情、直観、意志、経験――そのどれもがわれわれの社会の営みと関連していない。そのかわり、失敗した、罪をおかしたと言うと、われわれはそれを無意識のうちに非合理な衝動のせいにしている。
 (しかしながら)t人間を全体的な存在としてとらえるわれわれの意識――つまり意識的な記憶――は徹底的に粉砕されたので、われわれはいかにして公の法人組織である当局をしてその行動の責任をとらせるかについて、何の考えももてない。(こんなことではおそらく)u詭弁と偽善の現代文明は、これからの10年間でその真価を問われるだろう。(そうでないのなら、せめて)v文明の真髄はスピードではなく、考えることに向かわなければならない。
 (これまでは)w現代の解決策は、憲法と法律によって基準を設定することだった。xだが、憲法や法律は、われわれには容認しがたいほどに、それを管理する人の意志に支配される。(そこで、これからは)y社会全体として必要なのは、道徳を多様化することではなく、それを抽象化することである。zわれわれはいま、われわれ自身の過ちのなかにいるのだ。