才事記

英単語記憶術

岩田一男

カッパブックス 1981

 サンフランシスコへ行く飛行機で難波祐介が隣の席でしきりに本を読んでいる。他人が何を読んでいるのか覗くクセはないので、ずうっとほうっておいたのだが、二人旅の飛行機ではそれでは退屈しすぎるか、失礼かのどちらかなので、つい「それ、何?」と聞いてみた。それが本書だった。
 難波君は建築出身のプロデューサーで、世界中の空港を出入りした数と頻度ではめったに他人に負けないコスモポリタンである。体力にも民族にも風土にも自信があって、クウェートに石油パイプを引くプロジェクトもタイに300校の小学校をつくるプロジェクトなども、日本人は難波君ひとりが切り盛り役だった。
 したがって英語はペラペラ、しかも早口でも喋れる。その難波君がかわいいカッパブックスの英語学習の本を読んでいる。しかも、岩田一男だ。例の大ベストセラー『英語に強くなる本』の姉妹本なのだ。それもこれからサンフランシスコに行こうとしている飛行機で夢中に赤線やら青線を引っぱっている。
 「おもしろいの?」と聞くと、「いやあ、これ、よくできてますよ」と言う。そこでちょっと見せてもらった。「語源による必須英単語6000語の征服」というサブタイトルはカッパブックスらしいが、中身はなるほどうまくできている。少なくともエティモロジー(語源学)の学術本よりはずっと工夫がしてあるし、ハンディな語源辞典のたぐいの白々しさもない。
 「なんだか、自分のアタマの中の言葉が次々につながっていくようで、いいんですよ」と難波君は笑った。実践を通して英語をはじめとする外国語をものにしてきた難波君には、まさにオセロを返してそれぞれの石に連絡をつけるような醍醐味だったのである。いやいやえらそうなことは言えない。ぼくもその旅行から帰って、さっそく本書を買った。

 語源というものはぼくの趣味でもある。べつだん憶える気はないのだが、だいたいどんな言葉の語源にも惹かれる。
 ただし、それで外国語を習得するんだという野望にはまったくつながらない。どんな外国語も読めたり喋れたりすればおおいに便利だとはおもうけれど、いろいろ理由と事情があって、その努力を放棄した。そのかわり語源が気になった。言葉が歴史をともなって生きて見えてくるからだ。
 もうひとつ、語源探索には学ぶものがある。編集術の基本があるからだ。たとえば、partyとapartmentsという単語にはそれぞれに“part”という言葉が入っている。departmentもparticopate(参加する)もpartake(食事などの相伴をする)にも“part”が生きている。これらのいずれの言葉も「部分が動いて共になっていく」というイメージからできている言葉なのである。
 もともと言葉の部分が言葉の全体をつくっていくものなのだ。その言葉の部分がまた別の言葉を生んでいく。これは言葉の自己編集なのである。だから言葉を因数分解すると、言葉の情報編集史がいろいろ見えてくる。
 すべての単語がそのようにできているとはかぎらないが、多くの言葉は編集的につくられてきた。言葉が言葉をつくってきたばかりではない。意味が意味をつくってきた。そして新しい意味が古い意味を食べてきた。そもそも右手(right)が正しいと考えられていた古ヨーッロパの歴史があったから、正義もrightなのである。
 語源をいかした言語の編集生成のしくみでは、とくに語根がおもしろい。本書でも「語根による記憶術」「接頭辞による記憶術」「接尾辞による記憶術」「人名地名による記憶術」と章が分かれているのだが、語根の紹介が全体の3分の2を占めている。たとえばラテン語に「手」を意味する“manus”がある。これを語根にすると、手を使う者はmanner(マナー)にもmanual(マニュアル)にも詳しくなるということになり、だからmanager(マネージャー)にもなっていくというふうに派生する。そうだとすればmanifestだって手で書くべきなのである。

 いまぼくは「書物の森」のようなものをネットワーク上につくろうと準備をしているのだが、世界中の「書物」や「本」に関する語根を見ていると、いろいろ感慨が深いものがある。
 papyrus(パピルス)からpaper(紙)が出たのはよく知られているが、そのpapyrusの輸出地だった古代フェニキア都市の名がByblosだったからBible(聖書)が派生したことは忘れられている。イギリスでは古代エジプトとはちがってブナの木の皮に文字を刻んだのだが、そのbeech(ブナ)がいずれは“book”になったのだった。