福原義春
猫と小石とディアギレフ
集英社 2004
ISBN:4087813223

 資生堂のような美のミームを継承発信しつづけている日本企業があることが、日本人の誇りと香りであってほしい。それは鴎外鏡花の文学がいまも文庫や朗読テープになって読まれ語られているようなもの、資生堂の文化も全集にも文庫にも、朗読にも川柳や落語にすらなってほしい。それが企業文化というものだろう。
 フランスやイタリアやスウェーデンでならともかく、日本では企業文化の語り口が育っていないから、どこかの企業の歴史がもたらしてきた出来事と消息を、滋味のある人生のごとくに語りあっておもしろくなるという体験がわれわれには少ない。しかしぼくは、企業の営業成績や自己資本率や株価なんてものは50年くらいの単位で見ればいいと思っているし、企業の価値は100年単位で見ればいいと確信しているから、それでいけば資生堂は日本の近現代史では日本の十指に入る企業文化の体現者だったということになって、できればそういう話をいつも誰かとしたいのだ。

 それには企業家がまずもってその誇りと香りを語ってくれなくてはいけない。日本の企業人は自分の会社の語り方がへたっぴいなのだ。さいわい、資生堂は自身でそれを語る人物を輩出してきた。その中核に福原一族がいる。そこにはビジネスマン社会を超えたものがある。しかもそれが100年以上にわたっている。
 その100年の光陰を、創業者の福原有信が放った矢を嚆矢として、100年後にその孫である福原義春さんがいまなお輝かせて語っているというのが、なんとも香ばしいのだ。それはわれわれからすれば、露伴の話を青木玉さんから伺うようなたのしみなのである。光陰矢の如しとはいうけれど、その矢はいまだ落ちずに時空を滑空しつづけているというべきなのだ。

 今夜はその福原さんについて少々語っておきたい。いや、経営者の福原さんについては、たとえば『福原義春語録』や『多元価値経営の時代』や『文化資本の経営』などを読んでいただきたい。
 もっとも、その経営者としての発言や思想にも、そこにつねにユマニテとリアリテが、また小学校時代の吉田小五郎先生とマックス・デプリーが必ず登場してくることに、気がつかれるとよい。すなわち福原さんは、自分の信条を変えないことと、影響をうけた人物を忘れないということにおいて、まさに自身のなかの光陰を磨き抜いているのである。経営書にもそれがあらわれている。きっと百代の過客とともに福原さんの資生堂は生きているのであろう。

 それで、そういう福原さんの70冊を超える著書や対談集から、では今夜は何をとりあげるかというに、『猫と小石とディアギレフ』にした。
 この本は集英社のPR誌に連載しているものの第2弾で、第1弾の『蘭学事始』の続篇にあたる。続篇とはいっても毎回のエッセイはすべて独立しているので、いつも瀟洒なオードブルを盛り付けてもらっているようなものなのだが、その1本ずつの原稿の量がとてもよく、ぼくには福原さんの発想回路が一番よくあらわれるリテラル・パフォーマンスになっているように感じられたからだ。
 御本人は「こんな散らかった話題を読んでいただける読者はどんな方なのか」と訝っている。けれども、その件についてはすでにわれわれが調査済みのこと、福原さんの御長女が、次のように「散らかった父の本質」をばらしてくれているのだ。「家の中は本に埋もれて生活しているよう」「服だって春夏秋冬すべての服がぶら下がって」「母がいなければ父は出張にも行けない」「庭は植物だらけでジャングルみたい」なのである。
 会長時代の秘書室長もすっかりばらしている。朝の会長室はそこらじゅうに新聞が散らかっていた。
 しかしぼくは、この「散らかった」こそ福原さんの真骨頂だと思っている。多元価値型編集術なのだと思っている。散らかっているということは、そこから何かを選抜するということで、いわば多様性を拡張し、その関係の複雑性にネットワークを発見し、それを数点の結節点から同時に、かつ動的に語りたいということである。
 それが福原さんの、つまりはと小石とディアギレフの、資生堂パーラーふう三色アイスクリームなのである。散らかったものがいつしか連動していくということなのだ。

 もうひとつ、この本を選んだ理由がある。ここには福原さんが七転八倒して選び抜いた100冊の本が記録されている。これがすばらい。
 エッセイとしては雑誌「オブラ」でその100冊を選書したときの時ならぬ苦労を綴っていて、たとえば吉田満『戦艦大和ノ最期』、吉村昭の『天狗争乱』、阿刀田高の『ユーモア革命』、猪熊弦一郎の『画家のおもちゃ箱』などを入れられなかったのは痛恨の極みだと反省しているのだが、それはそれ、100冊を選んでみて、「これは自分が編集した人生そのものだ」と書き、「本によって自分の人生が編集されていた」と綴っているところが、片時も「学びあい」を反故にしない福原さんならではの配慮なのだ。つまりは「侘び」なのだ。
 その100冊をここでお目にかけたいけれど、それはぜひとも本書を手にとって見られることを勧めるにとどめよう。ぼくとしては、荘子マキアヴェリモンテーニュの古典、ブラッドベリエーコシビオクの類推学の傑作3冊、寺田寅彦・西堀栄三郎・今西錦司の御三家、ベンヤミン山本七平清水博の独自性、白秋朔太郎西脇順三郎の浪漫ぶり、それにカエサルの『ガリア戦記』ガモフ全集徳川夢声の『話術』を入れたことだけでも胸いっぱいなのだが、加えてぼくの『情報の歴史』とぼくが編集したスマリアンの『タオが笑っている』が100冊入選を果たしたというのだから、これはもう立つ瀬がないほどなのである。
 こんな100冊を選べる企業人は、いや文化人は、いま日本に福原さんたった一人ではあるまいか。第1110夜に、鈴木治雄を継ぐのは福原義春だろうと書いたけれど、その幅やその深さでは福原さんのほうがずっと強靭な文化アスリートだろう。

 さて、一見、散らかっているかのような猫と小石とディアギレフの関係である。
 福原さんはかつては犬派で、いまは猫派になっている。犬派のときの最後は前の犬が死んで、スーパーマーケットで「犬あげます」の告知を見て葉山まで貰いにいった犬のココとの関係だった(福原さんは鎌倉在住中)。ココは14歳で大往生し、それに代わるように黒の野良猫が3匹の子猫を運んできた。これで福原さんは犬派から猫派によんどころなく転向した。
 転向して、どうして犬や猫に人間は心をくだくのかと考えた。とくに犬や猫を通して「慰藉」とは何かを考えた。しかし、福原さんは実は犬派でも猫派でもあってそのどちらに加担するでなく、また人も知る植物派のなかの、とりわけての蘭派であって(だから『蘭学事始』だった)、さらに申せば人派のなかの人派なのである。福原さん自身はエッセイのなかでそのことに合点する。

 福原さんが人派であることはわれわれから見ても、よく納得できる。たとえば求龍堂の「サクセスフルエイジング対談」シリーズだ。
 これは石津謙介・淀川長治・下河辺淳から渡辺貞夫・朝倉摂・フローレンス西村におよぶ、いまのところ20人以上の人士と"聞き手対談"しているものなのだが、毎度、唸るほどの含味があって、人が人に話してかかわるユマニテとリアリテの度合い、すなわちメトリック(測度)というものが柔らかい複合レンズを通した光のごとく伝わるようになっている。
 こういうことは犬猫相手にはできない。しかも「慰藉」もある。いや「慰藉」を引き出せる話にしていくところが、福原さんの人派ぶりなのだ。
 もうひとつの人派たるゆえんは、その推理小説好きによくあらわれている。だいたい小栗虫太郎もカルル・チャペックも『三毛猫ホームズ』も好きなのに、一人だけ作中探偵を選べといわれるとロバート・ファン・フーリックのディー判事を選びたいというのが、とてもあやしい。"歴史変人"好みの人派なのである。シノワズリーというならさすがの中野美代子さんも敵わないだろうフーリックに、ぴたりと照準をあてる福原さんは、ぼくから見ると、福原さんこそが見えない人脈を探求しつづけている名うての探偵でしたね、と言いたくなるところなのだ。

 本書のエッセイで、最も意外な展開を綴っているのが「マルタ島訪問記」である。ちょっとした会合のためにマルタ島に行くことになったのだが、その話をしたところマガジンハウスの手塚宏一さんから「石ころ」を拾ってきてほしいと頼まれた。
 福原さんはパンフレットを見てマルタ島がとても美しいところらしいと知って行ったのだが、いざ着いてみるとどこが美しいのか、史跡が何を語りかけてくるのか、どうもいまひとつピンとこない。「石ころ」もこれといったものに出会えない。が、そのうちそうした殺風景にもなんとなく好感をもてるようになってきたところで帰国した。
 ある日、福沢諭吉の『西洋事情』を見ていたら、福沢が西欧使節団でヨーロッパをまわったときにマルタ島に寄っていたことを知った。福原さんは慶応幼稚舎からの根っからの慶応派で、福沢となると放ってはおけない人なのである。それで福沢も降り立ったマルタ島が気になってさらに調べていると、カラヴァッジョがローマで殺人事件をおこしてマルタに逃亡していた。そこでデズモンド・スアードの『カラヴァッジョ』を読んだ。そうしたらカラヴァッジョがマルタ騎士団になるつもりもあったということがわかった。そこからマルタ騎士団の歴史に深入りした。
 そんな話になっているのだが、小石とは、こういうふうに福原さんがイメージの歴史をちょっとした小石を片手に時空の光陰を旅することなのである。その小石がさらにあるときぴょんと跳ねて、しばらくするとセルゲイ・ディアギレフにも及んだと思われたい。

福原氏とセイゴオの『千夜千冊』全集をめぐる対談

福原氏とセイゴオの『千夜千冊』全集をめぐる対談

 福原さんは企業メセナ協議会を創設した人で、また文化資本について継続的な研究と発言を続けている人でもある。その手のセンサーはいろいろのところで動いている。だから、大阪商業大学の塩田眞典さんが「文化企業者ディアギレフの仕事」という論文を書いたなどということには、必ずどこかで出会える。出会えば、注意のカーソルがじっとしているわけがない。
 福原さんは小石を懐に、ディアギレフを訪ね、文化企業者とはおもしろい概念だと思いながら、ロシア・バレエ団に分け入っていく。そのことを新聞に書きもする。そこへいくつもの偶然が因縁のように重なってきた。やはり小石がはぜはじめたのだ。
 見知らぬ女性から手紙が届き、ディアギレフの時代のままの『春の祭典』をフィンランドで上演したときに主役を私の娘がつとめました云々という丁寧な内容である。また、チェース・マンハッタン銀行の昼食会ではトニー・ランドールのスピーチがあって、自分がオクラホマの田舎町タルサで生まれ育ったのだが、そこにディアギレフ率いるバレエ・リュスがやってきて、私を虜にした。いま考えても、なぜディアギレフがあんな田舎町を選んだのか理解できないけれど、そういうことが人々の人生を変えるのです、といった話だった。
 そこで福原さんは、自宅の壁にナターリャ・ゴンチャローヴァの絵が掛かっていて、それはおそらく福原信三(創業者福原有信の叔父、資生堂初代社長)が文化情報の収集のためにパリに送っていた川島理一郎によって入手されたもので、ゴンチャローヴァがディアギレフと親交が深かったことを記念したかったのではないかと感じる。
 そんなことをあれこれ左見右見(とみこうみ)していると、ディアギレフという一人の人間こそ文化であり、文化資本であって、またメセナそのものであると感じられてくるのだった。バレエ・リュスの組織に人は集まったのではなく、人々はディアギレフという求心力のある人間のもとに参じたにちがいない。こうして福原さんはそのエッセイを、次のように結ぶのだ、「何ごとも、人間なのである」と。

 いや、ぼくもこう言いたい。福原義春が文化なのである。人間文化そのものなのだ。
 ぼくを福原さんに最初に紹介してくれたのは、いくつものレストランをつくってきたフードコーディネーターの花田美奈子さんだった。その花田さんにどんな方ですかと事前に聞いたら、「とってもステキな紳士で、いつお会いしても忘れられないことをおっしゃるわ。ほんとの文化人ね」という案内だった。文化人ともいえるけれど、それでは足りない。人間文化そのものといったほうがいい。
 それから何十回もお会いしたが、花田さんが言ったように、忘れられないことは次々にふえるばかり、できれば1年まるまる話しこんで人間文化の祝祭に浸りつづけたいというほどだった。これはどうしてだろうと思っていたら、昭和6年3月14日に生まれた場所が水原秋桜子の神田の産院だったと知って、納得した。
 秋桜子はモネやセザンヌのような外光を俳句にとりこみ、そのうえで織部や遠州の侘びながらも華やかさをもつ句を詠んだ俳人である。山本健吉が「きれいさび」と名付けた句境だった。「来しかたや馬酔木咲く野の日のひかり」などという句を詠んできた。
 そう、秋桜子なのだ。福原さんはその「ひかり」とともに生まれてきたのだ。そういえば秋桜子には「鉢の蘭黄塵ひと日窓を占む」という、窓際の鉢植えの蘭と窓に寄せてきた黄砂の対比を詠んだめずらしい句もあった。福原さんが蘭の第一人者となったのも、秋桜子の病院のどこかに鉢植があったせいではなかったか。

 ところで、人間文化福原さんには、迅速で丁寧なFAXにもいつも驚かされている。実は福原さんをさらにぼくに近づけてくれたのは照明演出家の藤本晴美さんで、そしてその藤本さんのFAXがおそらく日本で一、二を争うほどの生産力と高速力と表現力なのだが、福原さんはきっと日本で3位くらいなのだ。
 FAXだけではない。メモが添えられた資料やコピーも送られてくる。ぼくの仕事場にはそれらをまとめた“福原棚”が設けられているほどなのだ。
 加えてさらに感心することがある。ふつう、かなりの人物でもリテラシーとオラリティーにはかなりの落差が出る。ぼくのように原稿をもらう身になってその人物と接することが多いと、あんなにおもしろい話をしているのに原稿がつまらない人物と、原稿はおもしろいのに話すと何も広がりが感じられない人物にしょっちゅう出会うのだが、福原さんはそのギャップがない。これは貴重なのである。
 自身は字がヘタクソだと言って、なんとかギャップをどこかにつくろうとしているけれど、モンブランとパーカ21で書いた文字ともがらに、その語りと文体のあいだには、齟齬などまったく感じられないのだ。

 ということで、福原さんをごく少々語ってみたのだが、ほんとうをいうと、ぼくには福原さんにはいっぱい借りがあって、それがいまなおふえつづけているのだ。そのうちのひとつが、この「千夜千冊」が求龍堂で全集になるきっかけをつくってもらったこと、さらなる借りはその全集の装幀を福原さん自身が取り組みつつあるということだ。
 ぼくの活動を支援する趣旨でつくられた中間法人「連志連衆會」(その活動のひとつが「連塾」)の代表もしていただいている。借りっぱなしなのだ。
 今夜はそういうことをできるだけ忘れて書こうとしたのだが、どうだったか。また、借りをふやしただけだったかもしれないと、いま悔やみつつある最中である。

福原氏装幀『千夜千冊全集』、全7巻の壮麗!

福原義春氏装幀『千夜千冊全集』、全7巻の壮麗!

附記¶70冊に及ぶ福原さんの著書は紹介できない。以下のものをお勧めする。『福原義春語録』(ソニーマガジンズ)、『文化は熱狂』(潮出版社)、『企業は文化のパトロンとなり得るか』(求龍堂)、『多元価値経営の時代』(東洋経済新報社)、『「無用」の人材、「有用」な人材』(祥伝社)、『生きることは学ぶこと』(ごま書房)、『蘭学事始』(集英社)、ルチアーノ・ベネトンとの対談『対話』(ダイヤモンド社)、それに「サクセスフルエイジング対談」シリーズ(求龍堂)と、福原さんの座右の書で監訳書のマックス・デプリーの『リーダーシップの真髄』(経済界)。蘭の専門家であることについて触れられなかったが、日本で刊行されている蘭の本は、どこかに福原さんが水をやっているのである。

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