才事記

父の先見

先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。

ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日本もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。

それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、若いダンサーたちが次々に登場してきて、それに父が目を細めたのだろうと想う。日本のケーキがおいしくなったことと併せて、このことをあんな時期に洩らしていたのが父らしかった。

そのころ父は次のようにも言っていた。「セイゴオ、できるだけ日生劇場に行きなさい。武原はんの地唄舞と越路吹雪の舞台を見逃したらあかんで」。その通りにしたわけではないが、武原はんはかなり見た。六本木の稽古場にも通った。日生劇場は村野藤吾設計の、ホールが巨大な貝殻の中にくるまれたような劇場である。父は劇場も見ておきなさいと言ったのだったろう。

ユリアのダンスを見ていると、ロシア人の身体表現の何が図抜けているかがよくわかる。ニジンスキー、イーダ・ルビンシュタイン、アンナ・パブロワも、かくありなむということが蘇る。ルドルフ・ヌレエフがシルヴィ・ギエムやローラン・イレーヌをあのように育てたこともユリアを通して伝わってくる。

リカルドとユリアの熱情的ダンス

武原はんからは山村流の上方舞の真骨頂がわかるだけでなく、いっとき青山二郎の後妻として暮らしていたこと、「なだ万」の若女将として仕切っていた気っ風、写経と俳句を毎日レッスンしていたことが、地唄の《雪》や《黒髪》を通して寄せてきた。

踊りにはヘタウマはいらない。極上にかぎるのである。

ヘタウマではなくて勝新太郎の踊りならいいのだが、ああいう軽妙ではないのなら、ヘタウマはほしくない。とはいえその極上はぎりぎり、きわきわでしか成立しない。

コッキ&ユリアに比するに、たとえばマイケル・マリトゥスキーとジョアンナ・ルーニス、あるいはアルナス・ビゾーカスとカチューシャ・デミドヴァのコンビネーションがあるけれど、いよいよそのぎりぎりときわきわに心を奪われて見てみると、やはりユリアが極上のピンなのである。

こういうことは、ひょっとするとダンスや踊りに特有なのかもしれない。これが絵画や落語や楽曲なら、それぞれの個性でよろしい、それぞれがおもしろいということにもなるのだが、ダンスや踊りはそうはいかない。秘めるか、爆(は)ぜるか。そのきわきわが踊りなのだ。だからダンスは踊りは見続けるしかないものなのだ。

4世井上八千代と武原はん

父は、長らく「秘める」ほうの見巧者だった。だからぼくにも先代の井上八千代を見るように何度も勧めた。ケーキより和菓子だったのである。それが日本もおいしいケーキに向かいはじめた。そこで不意打ちのような「ダンスとケーキ」だったのである。

体の動きや形は出来不出来がすぐにバレる。このことがわからないと、「みんな、がんばってる」ばかりで了ってしまう。ただ「このことがわからないと」とはどういうことかというと、その説明は難しい。

難しいけれども、こんな話ではどうか。花はどんな花も出来がいい。花には不出来がない。虫や動物たちも早晩そうである。みんな出来がいい。不出来に見えたとしたら、他の虫や動物の何かと較べるからだが、それでもしばらく付き合っていくと、大半の虫や動物はかなり出来がいいことが納得できる。カモノハシもピューマも美しい。むろん魚や鳥にも不出来がない。これは「有機体の美」とういものである。

ゴミムシダマシの形態美

ところが世の中には、そうでないものがいっぱいある。製品や商品がそういうものだ。とりわけアートのたぐいがそうなっている。とくに現代アートなどは出来不出来がわんさかありながら、そんなことを議論してはいけませんと裏約束しているかのように褒めあうようになってしまった。値段もついた。
 結局、「みんな、がんばってるね」なのだ。これは「個性の表現」を認め合おうとしてきたからだ。情けないことだ。

ダンスや踊りには有機体が充ちている。充ちたうえで制御され、エクスパンションされ、限界が突破されていく。そこは花や虫や鳥とまったく同じなのである。

それならスポーツもそうではないかと想うかもしれないが、チッチッチ、そこはちょっとワケが違う。スポーツは勝ち負けを付きまとわせすぎた。どんな身体表現も及ばないような動きや、すばらしくストイックな姿態もあるにもかかわらず、それはあくまで試合中のワンシーンなのだ。またその姿態は本人がめざしている充当ではなく、また観客が期待している美しさでもないのかもしれない。スポーツにおいて勝たなければ美しさは浮上しない。アスリートでは上位3位の美を褒めることはあったとしても、13位の予選落ちの選手を採り上げるということはしない。

いやいやショウダンスだっていろいろの大会で順位がつくではないかと言うかもしれないが、それはペケである。審査員が選ぶ基準を反映させて歓しむものではないと思うべきなのだ。

父は風変わりな趣向の持ち主だった。おもしろいものなら、たいてい家族を従えて見にいった。南座の歌舞伎や京宝の映画も西京極のラグビーも、家族とともに見る。ストリップにも家族揃って行った。

幼いセイゴオと父・太十郎

こうして、ぼくは「見ること」を、ときには「試みること」(表現すること)以上に大切にするようになったのだと思う。このことは「読むこと」を「書くこと」以上に大切にしてきたことにも関係する。

しかし、世間では「見る」や「読む」には才能を測らない。見方や読み方に拍手をおくらない。見者や読者を評価してこなかったのだ。

この習慣は残念ながらもう覆らないだろうな、まあそれでもいいかと諦めていたのだが、ごくごく最近に急激にこのことを見直さざるをえなくなることがおこった。チャットGPTが「見る」や「読む」を代行するようになったからだ。けれどねえ、おいおい、君たち、こんなことで騒いではいけません。きゃつらにはコッキ&ユリアも武原はんもわからないじゃないか。AIではルンバのエロスはつくれないじゃないか。

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ゴシック

アンリ・フォション

鹿島出版会 1976

Henri Focillon
Le Moyen Age Gothique 1938
[訳]神沢栄三・加藤邦男・長谷川太郎・高田勇

Q:今日はどうしても松岡さんのヨーロッパ美術論の骨格を伺いたいんです。セイゴオ流の美術論の原点を。
A:そんなものはないよ。どうして?
Q:かなり東西にわたって偏愛するものが多いように感じるのですが、どのように流れを見ているのか、一度聞きたかったからです。
A:以前から言っているように美術史には強くないし、また美術史の成果に騙されてきたという気もしているからね。でも、それはどちらかというと東洋とか日本の美術史ね。ヨーロッパは立派ですよ。そこには「世界のあり方」「世界の見せ方」のタテ・ヨコ・ナナメの検討がある。なにしろヴァールブルク研究所が深みをつくったからね。それにパノフスキーがいる。もうちょっと痛快なものを知りたいなら、ぼくなんかに聞くよりマリオ・プラーツなんかを読んだほうがいいよ。
Q:マリオ・プラーツ?
A:『ムネモシュネ』とか『官能の庭』とか『ペルセウスとメドゥーサ』(いずれもありな書房)とか。ロマン主義からアヴァンギャルドまでびっしり応えてくれる。とくにヨーロッパにおいて想像力というものがどのような表象をとるのか、ピクトとかピクチャーとかピクトグラムの動きをもって理解できると思うけど。
Q:いや、近代前後とか現代芸術はいいんです。もっと以前の骨格を知りたい。
A:もっと以前って?
Q:ルネサンスとかバロックとか。
A:それもぼくが答える必要はないね。自分で分け入りなさい。ルネサンスについてはブルクハルトはともかく、ウィリー・サイファーがばっちり答えているし、マニエリスムやバロックならそれこそマリオ・プラーツもホッケも、バルトルシャイティスも若桑みどりさんや高山宏もいい。
Q:そうですか。じゃ、話になりませんか。
A:ならないね。君たちは自分で取り組もうとしていない。
Q:松岡さんにとって美術って何ですか。
A:なんだかふてくされた質問だな。
Q:ちょっとふてくされました。
A:ほんとうはね、美術とか芸術っていう言葉が嫌いなんだ。
Q:じゃ、何って言えばいいんですか。
A:クラナッハとか《モナリザ》とか、ターナーの《雨・蒸気・速度》というふうに言ったほうがいい。それを通して「世界のあらわし方」を見る。まさにアルスだね。そうじゃないとしたら、様式の発生と素材の変化に注目するしかない。「アルス・コンビナトリア」だ。編集工学の眼目はそこだよ。
Q:はあはあ、素材と作品と様式の相互編集ですね。じゃ、それを伺いたい。それを聞いてみたかった。
A:なんだか付け足しのような質問だな。
Q:いえ、そんなことないです。そのヨーロッパの秘密を聞きたかった。
A:ヨーロッパの?
Q:ええ、ヨーロッパの様式の秘密です。
A:だったらゴシックだねえ。
Q:えっ、ゴシックですか。
A:ゴシックが見えなければその前もその後もわからないでしょう。ヨーロッパがヨーロッパになるにはどうしてもいったんゴシックを通過するしかなかったわけだ。でもそのことだってウィルヘルム・ヴォリンガーの『ゴシック美術形式論』(岩崎美術社→文春学藝ライブラリー)をはじめ、いくらでも参考書があるよ。つまらないけどね。
Q:じゃ、やはりセイゴオ流で。
A:そうはいかないよ。
 
Q:ゴシックって建築様式ですよね。
A:建築であって空間であって、民族の記憶であって、リセプタクル(容器)であって、部品の組み合わせかな。かつ栄光や荘重というもののもとに、すべての要素を統合するための様式だよね。ヨーロッパを編集した最初の様式。西洋建築史でいえば、反古典主義な相貌をもつ建築様式ってゴシックだけなんだね。
Q:なぜゴシックが出てきたんですか。
A:そこから話すの? キリスト教社会が支配していたからだよ。
Q:だってキリスト教はその前からあったわけですよね。
A:そうだね。ただしその社会が空間を求めて極端に変質したのは中世の後期からだからね。その前はシナゴーグ(ユダヤ集会堂)やカタコンベ(地下教会堂)だからね。
Q:中世っていつからいつまでですか。
A:ふつうは476年の西ローマ帝国の滅亡から中世が始まったというね。あのね、ヨーロッパの原形がどこにあったかということが大事なんだよ。最初はプラトンやオリゲネスでしょう。次は東西のローマ帝国だよね。そのあいだに千年王国の幻想があって、そしてその次がフランク王国だよ。ゲルマン諸民族が次々に国をつくったときに、ガリアにブルグンド王国ができて、そこへ後からやってきたフランク族がクローヴィスを族長にしてフランク王国をつくる。そのときフランク王国がカトリックに改宗してラテン語を公用語とする。このとき滅亡したはずの古代ローマ帝国の様式と文化を新たに採り入れる。この入れ替えが今日のヨーロッパの原形だよ。
Q:それがゴシックになった?
A:いやいや、それはずっとあとのことで、まずメロヴィング朝やカール大帝(シャルルマーニュ)のカロリング朝ができて、そもそもは遊牧民だったフランク族の社会に定住と建造が始まるんだね。文化と様式というのは、だいたい遊牧的に動いてきたものが、どこかで定着して、そこにあった先行の習俗や服装や美意識とまじって形成していくわけですよ。移動中の遊牧民は様式なんて関係ない。“定住遊牧民”を自称しているナム・ジュン・パイクがつねに言っていることだ。遊牧民は「運べるもの」しか持たないからね。そうでないばあいは、どこかが吹きだまりになって、そこへ外から多様なものが入ってくる。このどちらか。京都とか東京とかソウルはこの吹きだまり型だね。
Q:フランク王国のばあいは?
A:アーヘンという都市なんかは、遊牧的なものが止まったほうです。かつてのバグダッドとかコルドバとかもそうだね。吹きだまりじゃなくて、ノーマッドな先頭の動きが止まった都市です。で、そのアーヘンでカール大帝が教皇のレオ3世から西ローマ皇帝の称号をもらって戴冠する。
Q:ええ、800年の有名な出来事。
A:そうそう、あれで東の大帝国だったビザンティン帝国に対して西の帝国の原形ができるわけです。初めて世俗権力と宗教権力が合体する。このフランク王国からフランスとドイツとイタリアがつくられる。これがヨーロッパですよ。いまのEUの原形。
Q:そのような出来事が建築とか美術の様式になるんですか。
A:なるんだな。アーヘンというのは森の中に強引につくった都市で、ゴシックというのは「森を石に変えてしまった建築」なんです。ただ、その前の歴史がある。カール大帝がアーヘンに築いた宮廷に礼拝堂が作られるんだけれど、その見本になったのはラヴェンナにあったサン・ヴィターレ聖堂で、これは八角形の基本プランで円蓋に覆われている。中はモザイク。それを見本に工夫した。まあ、蘇我氏が若草伽藍や法隆寺を朝鮮の建物を見本にして飛鳥ふうに造ったようなものだ。引用による編集です。あるいは重源が焼け落ちた東大寺大仏殿をまぜこぜ方式で再建したけれど、ああいうものです。これがいわゆるカロリング様式というものになる。
Q:はあ。
A:で、これがいったん定着すると、フランク王国の分裂によって、その様式と文化が各地に散っていく。フランス型、ドイツ型、イタリア型、さらにイギリス型、スペイン型というふうにね。そこで今度はロマネスク様式というものがいろいろ出てくる。これは日本を例にすると小さすぎるけれど、奈良の都が終わって、恭仁京や長岡京や山城京になっていったようなもので、どこにでもおこることです。
Q:いつごろですか。
A:なんだか歴史のお勉強みたいになるなあ。ロマネスクというのは11世紀半ばからで、十字軍とともに始まったと思えばいいでしょう。ということは異教徒の恐怖が、できたばかりの原形ヨーロッパを覆った時期ということだね。やっとキリスト教国家のようなものを作ってみたら、すぐにイスラムの恐怖にさらされた。イスラムの恐怖というのはね、マホメット(ムハンマド)の恐怖じゃなくて、彌永信美さんが『幻想の東洋』(青土社→ちくま学芸文庫)という名著で書いているんですが、「プレスター・ジョンの恐怖」というもので、東の方から巨大な怪物のようなものがいつかやってくるという恐怖。つまりチンギス・ハーンが噂になった恐怖ですよ。イスラム化したモンゴルの脅威です。チンギス・ハーンがユーラシアを一挙に征服したでしょう。いつその征服王の余波がヨーロッパにやってくるのか。そのイスラムの異質力に対する恐怖です。そこで、ロマネスクは巡礼型に発達するんです。漏電させるわけだね。
Q:巡礼型で漏電?
A:ディスチャージするわけだ。11世紀と12世紀というのは十字軍の時代で、ひとつはエルサレムに道が開いていくんだけれど、もうひとつは各地に放射状に巡礼道が延びていった。プレスター・ジョンの恐怖から各地がネットワーク型につながって守ろうとしたわけだね。逆にいえば、中心が破壊されることを恐れたわけです。このあたりのことについては高橋秀元君に頼んで編集構成してもらった『巡礼の構図』(NTT出版)という本に詳しく説明してあります。その巡礼地のひとつが有名なスペインのさきっぽのサンチャゴ・デ・コンポステーラで、その道々にロマネスク建築が造られていく。ルイス・ブニュエルが《銀河》というすばらしい映画でその道々のロマネスク様式を映していましたね。それを見るとわかるけれど、ここで従来の木骨天井が石造ヴォールトに変わるんですね。このヴォールト(vault)が次のゴシック建築の骨格になる。
Q:ヴォールトというのは?
A:蒼穹構造だね。例のアーチ状に天井がなっていくやつ。ロマネスクの身廊部は半円筒式・尖塔式・交差式など、いろいろ造られます。石の積み上げ幾何学の勝利ですね。ダラムの大聖堂とかピサの大聖堂なんてすばらしい。ダラムはすでにゴシックの肋骨蒼穹を先取りしていた。そういうことは、アンリ・フォシヨンの『ゴシック』になかなかうまく書いてありますよ。読むといい。とてもいい本でした。ヴォールトの変容こそヨーロッパの様式の骨格にあることなんですが、フォシヨンはそこを詳細に書いている。ぼくもそれでいろいろわかった。フォシヨン以外ではわからなかった。

ダラム大聖堂

ダラム大聖堂
ピサの大聖堂

ピサの大聖堂

Q:ロマネスクの意義というのはどこにあるんですか。
A:言葉通りだよ。ロマネスク、つまり「ローマっぽい」ということですね。いい? ヨーロッパというのは、何回も何回も古代ローマの「もどき」に戻るんです。その最初がカール大帝、次がロマネスク。そしてゴシックを挟んでルネサンス。そのつどローマを再編集してしまう。
Q:なるほど。そういうことですか。
A:日本が何度か古代王朝文化に戻ろうとしたのと同じだね。ロマネスクもそのひとつだ。しかし日本の王朝文化だって、平家の王朝趣味と足利の王朝趣味と光悦や宗達の時代の王朝文化が違っているように、ヨーロッパも次々に変化する。ロマネスクの時代では、その「ローマっぽい」という特徴の原型は修道院です。修道院にすべてあらわれる。次のゴシックではすべて大聖堂にあらわれます。で、ロマネスクではローマっぽいものを各地に分散させるという意味をこめて、各地にどんどん修道院を造った。だからロマネスクは修道院時代です。とくにシトー派とクリュニー派の修道会の時代。
Q:ロマネスクは建築様式ばかりですか。
A:いや、その建築の内部にたくさんの壁画や絵画が出現する。イコンと説話のオンパレードだね。それからもうひとつはカロリング朝以来の写本です。とても豪華なもので、書物というより工芸品に近い。これは《平家納経》の世界ですよ。文字のイリュミネーションですよ。あとはタペストリーかな。こうしてゴシックの大聖堂時代に入っていく。カテドラルの時代だね。
 
Q:ゴシックは「ゴートっぽい」という意味ですよね。
A:そうそう、東ゴート王国や西ゴート王国の、あのゴート。民族の名前です。
Q:なぜゴートっぽいものが建築様式になったんですか。
A:先鞭をつけたのはサン゠ドニ修道院の修復です。シュジェールという修道院長がいてね、この人が徹底して文化編集をした。そのとき「新しい光」(lux nova)という言葉をつくった。その改築サン゠ドニ修道院の1144年にできた内陣は尖塔アーチで、肋骨ヴォールトの交差蒼穹です。それとともに大窓にステンドグラスが嵌めこまれた。
Q:ゴシックといえばステンドグラス。ステンドグラスといえばシャルトル大聖堂。
A:ステンドグラスだけじゃない。さっきも言ったように、ゴシックは森林をメタファーにした“石の森”だったんです。それとともに「石で読む聖書」「石による百科全書」を作ったのがゴシックです。パノフスキーが『ゴシック建築とスコラ学』(平凡社→ちくま学芸文庫)でその解読を試みていますね。これがいわゆる「大聖堂の時代」「カテドラルの時代」です。十二世紀末からがピーク。シャルトルだけでなく、ランスの大聖堂も、ブルージュ、アミアンのノートル゠ダム大聖堂、ボーヴェの大聖堂とか、イギリスのソールズベリー大聖堂やケルンの大聖堂とかとかね。それが約100年続く。のちのちヴィクトル・ユゴーやユイスマンスもこのカテドラルの解読にとりくんだ。

シャルトル大聖堂(内部)

シャルトル大聖堂(内部)

Q:そういうカテドラルがどうしてゴートっぽいんですか。
A:ゴート人の文化とかゴート人の様式というのではなくて、のちのルネサンスの連中が王朝回帰するでしょう。そうすると、前時代のものが野蛮に見える。たとえば「バサラ」はのちの東山文化から見ると野蛮だったし、「カブキ者」は後水尾の寛永文化から見ると粗雑だったと見えるわけで、そういう意味でルネサンス人が「ゴートっぽい」「ゴシック」という差別用語を使ったわけだよ。けれども、ゴシックそのものは野蛮なんてものじゃない。精神的には崇高すぎるほど崇高で、技術的にも圧倒的にすぐれていた。
Q:天高く聳えるから崇高なんですか。
A:神に近づくから、その証明に徹した意匠を作ろうとした。フライング・バットレスって知ってる?
Q:いや、知りません。
A:バットレス(buttress)というのは、壁体を強化するために、その壁に直角に突き出して作られた短い壁体部分のことで、よく体育館などにあるね。控え壁とか扶壁ともいいます。そういうバットレスは昔からあるんだけれど、これがだんだんその突出量を大きくしてヴォールトや屋根の水平力を支持する力をつけた。
Q:恐竜の蛇腹みたいなもの?
A:その外部的なバットレスを、ゴシック建築ではアーチ状の構造物で補ったんだね。いわば外部の構造を内部化させて、そこに徹底して部材を組み合わせていった。それがフライング・バットレスで、内側から見る外観は半アーチのように見えるんだけれど、実際には起点の高さが異なるアーチを上下数段に架け渡してあるんです。これがゴシックの大聖堂を神に近づけた。
Q:高いから神に近いというだけですか。
A:そうじゃなくて、構造のもつ力学が1点に集中したということだ。日本の建築は横に組み合わさって、たとえば寝殿造りのようになるわけなので、何かの力学が一点に集中するということがないのでわかりにくいんだけれど、ヨーロッパの科学と技術は1点集中をこよなく愛した。
Q:たとえば?
A:わかりやすい例でいえば一点透視の遠近法かな。ルネサンスになってブルネッレスキやアルベルティが完成させましたね。それに象徴されているように、ヨーロッパは一点に集中できるかどうかに美学も幾何学も道具論もかかっているんです。唯一絶対神をもった文化の宿命だよね。それをゴシックは立体的に、かつ階層的にやってのけた。
Q:はあ、はあ、なるほど。やっぱり一神教の成果ですか。
A:そういう面が強いね。ゴシック全体が「神が定めたもの」の再発見を編集したからね。その中心にあったのは「オジーヴ」(ogive)なんだ。ぼくはアンリ・フォシヨンを読んで一番考えさせられたのは、このオジーヴのことだった。
Q:オジーヴ?
A:ヴォールトの負担を軽減するために、ヴォールトの下に対角線方向に架けられた補強アーチのことで、いろいろの形態があっていちがいに機能をいえないんだけれど、どうもロマネスクからゴシックにいたるすべての要素のなかで、最大の鍵を担っているのがオジーヴみたいだね。でも、このことはふつうのゴシック論ではあまり議論されていない。ジョン・サマーソンの『天上の館』(鹿島出版会・SD選書)もおもしろいゴシック建築論なんだけれど、「アエディクラ」(家と屋根の関係をあらわすラテン語)のことは詳しいのに、オジーヴまで言及していない。
Q:松岡さんはどうしてそんなことに興味をもつんですか。
A:きっと日本ではまったく考えられない問題だからだろうね。ぼくは日本が好きだけれど、それを鍛えるには、日本以外で発達した概念や様式や部分品やファッションに自分をさらす必要があると思ってきたんだね。君たちが各国の映画やロックに関心をもつように、建築にも目を向ければいいんですよ。
Q:そういう話を聞きたかったんですよ。それがゴシックのオジーヴになるんですか。
A:ほかにもいろいろあるよ。ありすぎる。
Q:たとえば?
A:ダンテもスピノザもジョン・ラスキンも。ユダヤ教もユークリッド幾何学も錬金術も。レンズ光学も蒸気機関車も紡織機も、ね。とくに写真術以降に世界に普及した技芸と技術はものすごい。でも、それらのヨーロッパ独特の技法の元をただしていくと、いくつかの扇の要が出てくる。そのルーツのルーツはやっぱりモーセの一神教でしょう。これは第8
95八九五夜そのほかに、いろいろ書いた。もうひとつはピタゴラスの定理とオジーヴの発明じゃないかと思っている。でもオジーヴのことはまだ研究しはじめたばかりで、よくわからない。ただ勘では、ここにいろいろの鍵があると踏んだ。
Q:松岡さんはその歳になって、そんなことも研究するんですか。
A:何だよ、その言い方は。いつまでたってもわからないことだらけだよ。歳はカンケーない。ゴシックもまだ見えてこないし、オジーヴもわからないし、オリーブもわからない。オリーブだってヨーロッパの鍵を握っているからね。明治以前の日本にはなかったものですよ。
Q:そのオジーヴは結局何をもたらすのですか。
A:すべてをもたらした。たとえばジョットの絵はオジーヴだよ。ファン・アイク兄弟だってオジーヴだ。
Q:えっ、わからないなあ。
A:わからなくていいよ。どうせわかる気もないんだろうから。だって、ターナーが水蒸気を描いた理由とか菱田春草が朦朧画を描いた理由をどうしても考えたいなんて思わないだろ?
Q:はあ。
A:ぼくは気になるんだね。同じように、フラ・アンジェリコが《受胎告知》でゴシック・リバイバルをしたこと、水を感じたくて水を抜いた枯山水のことが気になる。これらは両方一緒に考えなければならないことなんだ。枯山水とフラ・アンジェリコをね。
Q:そうですか。これはちょっとついていけないな。
A:ついてこなくて、いいよ。最初からついてくる気なんてないんだから。それに、こういうことは、夢中にやるしかないときがあるもんなんです。
Q:そういうもんですか。
A:そういうもんだ。そりゃそうだよ。しかも、そんなことしているのはぼくだけでなく、いっぱいいるよ。たとえば志野や備前の味をどうしても出したいとおもえば、ジョージア・オキーフがアイリスの色合いの変化を描こうとおもえば、それは一人でやる以外はないからね。
Q:オジーヴも? 松岡さんは建築家じゃないんだから、そこまでしなくともいいんじゃないんですか。
A:だってぼくは編集工学で、概念工事の専門だからね。好奇心の研究者だからね。オジーヴもそうだけれど、滝沢馬琴が「甕襲」を出したことも、パースが「アブダクション」を提案したことも、みんな好奇心のための概念だからね。それならそういうものの編集を引き受けなければならないんです。
Q:うーん、そういうものですか。まあ、なんとなくわかりました。では、話を戻してゴシックのことですが、ゴシックはそうしたフライング・バットレスやオジーヴをもってどうなっていったんですか。
A:ゴシックはいろいろの焦点の準備をするんです。ステンドグラスもそうだし、タペストリーも。そういうものがどこで製作されたかによって、その後の歴史が変わるんです。タペストリーならフランドル地方が製作地で、だからのちにそこからフランドル絵画が出てきた。オランダ絵画のルーツははっきりいってタペストリーですよ。ルネサンス絵画のルーツは城内演劇としてのタブロー・ヴィヴァンです。書割舞台ですね。
Q:ああ、そういうことですか。なるほど。ほかにもそういう例はありますか。
A:たとえばゴシック聖堂の正面扉口に板絵が集中して発達した。これがジョットやファン・アイクの板絵になっていく。正面の板絵というところが大事です。
Q:ああ、そうか。それもそういうことだったんだ。それでゴシックはどうなるんです?
A:あとは自分でやりなさい。どんな様式もそうだけれど、ゴシックは拡散して各地に飛び火するわけで、それをふつうは国際ゴシック様式といっている。そのひとつがフィレンツェのサンタ・クロチェ聖堂になって、そこからじょじょにルネサンスが開花する。もう14世紀ですね。ダンテの時代。
Q:絵画もですか。
A:キリスト教社会のお膝元のアヴィニヨンの教皇庁の近くにゴシックが飛び火したのがシエナ派で、ここにはぼくの好きなドゥッチオやシモーネ・マルティーニとかが出ますね。あとのフィレンツェ・ルネサンスにくらべて格段に中世的ですよ。ダンテとジョットを結びつけるのはシエナ派だね。
Q:なんだか松岡さんがたのしんで、頭の中のハイパーリンクを辿っているような話ばかりになりましたね。
A:それは、そんなことをわざわざ聞くからだよ。ぼくはべつだん説明したいわけじゃない。それにヨーロッパの研究は、ぼくはほとんどの問題で入口にいるにすぎませんよ。
Q:でも、かなり気になることが多いようですね。
A:それは日本を知るためにも必要なんです。
Q:アメリカは参考になりませんか?
A:アメリカについては個人の才能を気にすればいいでしょう。大統領とか絵の値段とか株なんて気にしちゃ終わりだよ。どうしてもアメリカを気にしたいなら歴史や様式は関係ない。ジャズとロックを気にしたほうがいい。
Q:はあ、そういうことですか。
A:はい、そうです。では、おしまい。

附記¶アンリ・フォシヨンの『ゴシック』は、『ロマネスク』(鹿島出版会)の続篇で、原書では〝Art d’Occident〟という1冊にあたる。ほかにゴシック論は本文中にもあげたヴォリンガーの『ゴシック美術形式論』(岩崎美術社→文春学藝ライブラリー)やフローレンス・ドイヒラーの『ゴシック美術』(グラフィック社)、パノフスキーの『ゴシック建築とスコラ学』(平凡社→ちくま学芸文庫)、ジョン・サマーソンの『天上の館』(鹿島出版会)など、いくらでもあるが、フォシヨンの1冊だけが断然に光っている。フライング・バットレスのことはたいていの建築書でもわかるが、オジーヴのことは建築書でもちゃんと言及できていない。これからの課題であろう。