アンリ・フォション
ゴシック
鹿島出版会 1976
ISBN:4306051161
Henri Focillon
Le Moyen Age Gothique 1938
[訳]神沢栄三・加藤邦男・長谷川太郎・高田勇

:今日はどうにでも松岡さんのヨーロッパ美術論の骨格を伺いたいんです。セイゴオ流の美術論。
A:そんなものはないよ。どうして?
Q:かなり東西にわたって偏愛するものが多いように感じるのですが、どのように流れを見ているのか、一度聞きたかったからですね。
A:流れにはそんなに関心はない。以前から言っているように美術史には強くないし、また美術史の成果に騙されてきたという気もしているからね。でも、それはどちらかというと東洋とか日本の美術史ね。ヨーロッパは立派ですよ。なにしろヴァールブルク研究所が深みをつくった。それにパノフスキーがいる。もうちょっと痛快なものを知りたいなら、ぼくなんかに聞くよりマリオ・プラーツなんかを読んだほうがいいよ。
Q:マリオ・プラーツ?
A:『官能の庭』とか『ペルセウスとメドゥーサ』とか。ロマン主義からアヴァンギャルドまでびっしり応えてくれる。とくにヨーロッパに想像力というものがどのような表象をとるのか、流れをもって理解できるとおもうけど。
Q:いや、近代前後とか現代芸術はいいんです。もっと以前の骨格を知りたい。
A:もっと以前って?
Q:ルネサンスとかバロックとか。
A:それもぼくが答える必要はないね。ルネサンスについてはブルクハルトはともかく、ウィリー・サイファーが答えているし、マニエリスムやバロックならそれこそマリオ・プラーツもホッケも、バルトルシャイテス若桑みどりさんもいい。
Q:そうですか。じゃ、話になりませんか。
A:ならないね。君たちは自分で取り組もうとしていない。
Q:松岡さんにとって美術って何ですか。
A:なんだかふてくされた質問だな。
Q:ちょっとふてくされました。
A:ほんとうはね、美術とか芸術っていう言葉が嫌いなんだ。
Q:じゃ、何って言えばいいんですか。
A:クラナッハとか『モナリザ』とか、ターナーの『雨・蒸気・速度』というふうに言ったほうがいい。そうじゃないとしたら、様式の発生と変化に注目するしかない。編集工学の眼目はそこだよ。
Q:はあはあ、様式の編集ですね。じゃ、それを伺いたい。それを聞いてみたかった。
A:なんだか付け足しのような質問だな。
Q:いえ、そんなことないです。これは聞きたかった。
A:ヨーロッパの?
Q:ええ、ヨーロッパの様式です。
A:だったらゴシックだねえ。
Q:えっ、ゴシックですか。
A:ゴシックが見えなければその前もその後もわからないでしょう。ヨーロッパがヨーロッパになるにはどうしてもいったんゴシックを通過するしかなかったわけだ。でもそのことだってウィルヘルム・ヴォーリンガーの『ゴシック美術形式論』をはじめ、いくらでも参考書があるよ。つまらないけどね。
Q:じゃ、やはりセイゴオ流で。
A:そうはいかないよ。

:ゴシックって建築様式ですよね。
A:建築であって空間であって、リセプクタクルであって、部品の組み合わせですね。かつ栄光や荘重というもののもとに、すべての要素を統合するための様式ですよ。ヨーロッパを編集した最初の様式。西洋建築史でいえば、反古典主義な相貌をもつ建築様式ってゴシックだけなんだね。
Q:なぜゴシックが出てきたんですか。
A:そこから話すの?キリスト教社会が支配していたからだよ。
Q:だってキリスト教はその前からあったわけですよね。
A:そうだね。ただしその社会が極端に変質したのは中世の後期からだからね。
Q:中世っていつからいつまでですか。
A:そんなことどうでもいいけど、ふつうは476年の西ローマ帝国の滅亡から中世が始まったというね。あのね、ヨーロッパの原形がどこにあったかということが大事なんだよ。もともとは、ゲルマン諸民族が次々に国をつくったときに、ガリアにブルグンド王国ができて、そこへ後からやってきたフランク族がクローヴィスを族長にしてフランク王国をつくるわけだね。そのときフランク王国がカトリックに改宗してラテン語を公用語とします。このとき滅亡したはずの古代ローマ帝国の様式と文化を新たに採り入れる。これがヨーロッパの原形だよ。
Q:それがゴシックになった?
A:いやいや、それはずっとあとのことで、まずメロヴィング朝やカロリング朝ができて、そもそもは遊牧民だったフランク族の社会に定住と建造が始まるんだね。文化と様式というのは、だいたい遊牧的に動いてきたものが、どこかで定着して、そこに発生していくわけですよ。移動中の遊牧民は様式なんて関係ない。“定住遊牧民”を自称しているナム・ジュン・パイクがつねに言っていることだ。そうでないばあいは、どこかが吹きだまりになって、そこへ外から多様なものが入ってくる。このどちらか。京都とか東京はこの吹きだまり型だね。
Q:フランク王国のばあいは?
A:アーヘンなんかという都市は、遊牧的なものが止まったほう。かつてのバグダッドとかコルドバとかも、そうだね。吹きだまりじゃなくて、ノーマッドな先頭の動きが止まった都市です。で、そのアーヘンでカール大帝が教皇のレオ3世から西ローマ皇帝の称号をもらって戴冠するよね
Q:ええ、800年の有名な出来事。
A:そうそう、あれで東の大帝国だったビザンティン帝国に対して西の帝国の原形ができるわけです。初めて世俗権力と宗教権力が合体するわけだ。ここからフランスとドイツとイタリアがつくられる。これがヨーロッパですよ。いまのEUの原形。

:そのような出来事が建築とか美術の様式になるんですか。
A:なるんだな。アーヘンというのは森の中につくった都市で、ゴシックというのは森を石に変えてしまった建築なんです。ただ、その前の歴史がある。カール大帝がアーヘンに築いた宮廷に礼拝堂が作られるんだけれど、その見本になったのはラヴェンナにあったサン・ヴィターレ聖堂で、これは八角形の基本プランで円蓋に覆われている。中はモザイク。それを見本に工夫した。まあ、蘇我氏が若草伽藍や法隆寺を朝鮮の建物を見本にして飛鳥ふうに作ったようなものだね。引用による編集です。あるいは重源が焼け落ちた東大寺大仏殿をまぜこぜ方式で再建したけれど、ああいうものです。これがいわゆるカロリング様式というものになる。

サン・ヴィターレ聖堂

サン・ヴィターレ聖堂
サン・ヴィターレ聖堂(内部)

サン・ヴィターレ聖堂(内部)

 で、これがいったん定着すると、フランク王国の分裂によって、各地に散っていく。フランス型、ドイツ型、イタリア型、さらにイギリス型、スペイン型というふうに。そこで今度はロマネスク様式というものがいろいろ出てくる。これは日本を例にすると小さすぎるけれど、奈良の都が終わって、恭仁京や長岡京や山城京になっていったようなもので、どこにでもおこることです。
Q:いつごろですか。
A:なんだか歴史のお勉強みたいになるなあ。ロマネスクというのは11世紀半ばからで、十字軍とともに始まったとおもえばいいでしょう。ということは異教徒の恐怖が、できたばかりの原形ヨーロッパを覆った時期ということだね。やっとキリスト教国家のようなものを作ってみたら、すぐにイスラムの恐怖にさらされた。イスラムの恐怖というのはね、マホメットの恐怖じゃなくて、彌永信美さんが『幻想の東洋』という名著で書いているんですが、「プレスター・ジョンの恐怖」というもので、つまりチンギス・ハーンの恐怖ですよ。イスラム化したモンゴルの脅威です。チンギス・ハーンがユーラシアを一挙に征服したでしょう。いつその征服王の余波がいつヨーロッパにやってくるのか。そのイスラム・ジンギスカンに対する恐怖です。そこで、ロマネスクは巡礼型に発達するんです。漏電させるわけだね。
Q:巡礼型で漏電?
A:ディスチャージするわけだ。11世紀と12世紀というのは十字軍の時代で、ひとつはエルサレムに道が開いていくんだけれど、もうひとつは各地に放射状に巡礼道が延びていった。プレスター・ジョンの恐怖を各地がネットワーク型につながって守ろうとしたわけだね。逆にいえば、中心が破壊されることを恐れたわけです。このあたりのことについては高橋秀元君に頼んで編集構成してもらったNTT出版の『巡礼の構図』という本に詳しく説明してあります。その巡礼地のひとつが有名なスペインのさきっぽのサンチャゴ・デ・コンポステーラで、その道々にロマネスク建築が作られていくんですね。ルイス・ブニュエルが『銀河』というすばらしい映画でその道々のロマネスク様式を映していましたね。それを見るとわかるけれど、ここで従来の木骨天井が石造ヴォールトに変わるんですね。このヴォールトが次のゴシック建築の骨格になる。
Q:ヴォールトというのは?
A:蒼穹構造だね。例のアーチ状に天井がなっていくやつ。ロマネスクの身廊部には半円筒式・尖塔式・交差式など、いろいろ作られます。石の積み上げ幾何学の勝利ですね。ダラムの大聖堂とかピサの大聖堂なんてすばらしい。ダラムはすでにゴシックの肋骨蒼穹を先取りしていた。そういうことは、アンリ・フォションの『ゴシック』になかなかうまく書いてありますよ。読むといい。とてもいい本でした。ヴォールトの変容こそヨーロッパの様式の骨格にあることなんですが、フォションはそこを詳細に書いている。ぼくもそれでいろいろわかった。フォション以外ではわからなかった。

ダラム大聖堂

ダラム大聖堂
ピサの大聖堂

ピサの大聖堂

:ロマネスクの意義というのはどこにあるんですか。
A:言葉通りだよ。ロマネスク、つまり「ローマっぽい」ということですね。いい? ヨーロッパというのは、何回も古代ローマに戻るんです。その最初がカール大帝、次がロマネスク。そしてゴシックを挟んでルネサンス。
Q:なるほど。そういうことですか。
A:日本が何度か王朝文化に戻ろうとしたのと同じだね。ロマネスクもそのひとつ。しかし王朝文化だって、平家の王朝趣味と足利の王朝趣味と光悦や宗達の時代の王朝文化は違っているように、ヨーロッパも次々に変化する。ロマネスクの時代では、その「ローマっぽい」という特徴は修道院です。修道院にすべてあらわれる。次のゴシックではすべて大聖堂にあらわれます。
で、ロマネスクでは、ローマっぽいものを各地に分散させるという意味をこめて、各地にどんどん修道院を作った。ロマネスクは修道院時代です。とくにシトー派とクリュニー派の修道会の時代。
Q:ロマネスクは建築様式ばかりですか。
A:いや、その建築の内部にたくさんの壁画や絵画が出現する。イコンと説話のオンパレードだね。それからもうひとつはカロリング朝以来の写本です。とても豪華なもので、書物というより工芸品に近い。これは『平家納経』の世界です。あとはタペストリーかな。こうしてゴシックの大聖堂時代に入っていく。カテドラルの時代だね。

:ゴシックは「ゴートっぽい」という意味ですよね。
A:先鞭をつけたのはサンドニ修道院の修復です。シュジェールという修道院院長がいてね、この人が徹底して文化編集をした。「新しい光」(lux
nova)という言葉をつくった。その改築サンドニ修道院の1144年にできた内陣は尖塔アーチで、肋骨ヴォールトの交差蒼穹です。それとともに大窓にステンドグラスが嵌めこまれた。
Q:ゴシックといえばステンドグラス。ステンドグラスといえばシャルトル大聖堂。
A:ステンドグラスだけじゃない。さっきも言ったように、ゴシックは森林をメタファーにした“石の森”だったんです。それとともに「石で読む聖書」「石による百科全書」を作ったのがゴシックです。パノフスキーが『ゴシック建築とスコラ学』でその解読を試みていますね。これをいわゆる「大聖堂の時代」「カテドラルの時代」というわけです。12世紀末からがピークです。シャルトルだけでなく、ランスの大聖堂も、ブルージュ、アミアンのノートルダム大聖堂、ボーヴェなどの大聖堂とか、イギリスのソールズベリー大聖堂やケルンの大聖堂とかね。それが約100年続く。のちのちヴィクトル・ユゴーユイスマンスもこのカテドラルの解読にとりくんだ。

シャルトル大聖堂(内部)

シャルトル大聖堂(内部)

:そういうカテドラルがどうしてゴートっぽいんですか。
A:ゴート人の文化とかゴート人の様式というのではなくて、のちのルネサンスの連中が王朝回帰するでしょう。そうすると、前時代のものが野蛮に見える。たとえばバサラはのちの北山文化から見ると野蛮だった、カブキ者は後水尾の寛永文化から見ると粗雑だったと見えるわけで、そういう意味でルネサンス人が「ゴートっぽい」「ゴシック」という差別用語を使ったわけです。しかし、ゴシックは野蛮なんてものじゃない。精神的には崇高すぎるほど崇高で、技術的にも圧倒的にすぐれていた。
Q:天高く聳えるから崇高なんですか。
A:神に近づくから、その証明に徹した意匠を作ろうとした。フライング・バットレスって知ってる?
Q:いや、知りません。
A:バットレスというのは、壁体を強化するために、その壁に直角に突出して作られた短い壁体のことで、よく体育館などにあるね。控壁とか扶壁ともいいます。そういうバットレスは昔からあるんだけれど、これがだんだんその突出量を大きくしてヴォールトや屋根の水平力を支持する力をつけた。
Q:恐竜の蛇腹みたいなもの?
A:その外部的なバットレスを、ゴシック建築ではアーチ状の構造物で補ったんだね。いわば外部の構造を内部化させて、そこに徹底して部材を組み合わせていった。それがフライング・バットレスで、内側から見る外観は半アーチのように見えるんだけれど、実際には起点の高さが異なるアーチを上下数段に架け渡してあるんです。これがゴシックの大聖堂を神に近づけたんですね。

Q:高いから神に近いというだけですか。
A:そうじゃなくて、構造のもつ力学が一点に集中したということでしょう。日本の建築は横に組合わさって、たとえば寝殿造りのようになるわけなので、何かの力学が一点に集中するということがないのでわかりにくいんだけれど、ヨーロッパの科学と技術は一点集中をこよなく愛した。
Q:たとえば?
A:わかりやすい例でいえば一点透視の遠近法かな。ルネサンスになってブルネレッスキアルベルティが完成させましたね。それに象徴されているように、ヨーロッパは一点に集中できるかどうかに美学も幾何学も道具論もかかっているんです。唯一絶対神をもった文化の宿命ですね。それをゴシックは立体的階層的にやってのけた。
Q:はあ、はあ、なるほど。やっぱり一神教の成果ですか。
A:そういう面が強いね。ゴシック全体が「神が定めたもの」の再発見を編集したからね。その中心にあったのは「オジーヴ」なんだ。ぼくはアンリ・フォションを読んで一番考えさせられたのは、このオジーヴのことだった。

:オジーヴ?
A:ヴォールトの負担を軽減するために、ヴォールトの下に対角線方向に架けさせられた補強アーチのことで、いろいろの形態があっていちがいに機能をいえないんだけれど、どうもロマネスクからゴシックにいたるすべての要素のなかで、最大の鍵を担っているのがオジーヴみたいだね。でも、このことはふつうのゴシック論ではあまり議論されていない。ジョン・サマーソンの『天上の館』もおもしろいゴシック建築論なんだけれど、「アエディクラ」(家と屋根の関係をあらわすラテン語)のことは詳しいけれど、オジーヴまで言及していない。フォションだけが注目している。
Q:松岡さんはどうしてそんなことに興味をもつんですか。
A:きっと日本ではまったく考えられない問題だからだろうね。ぼくは日本が好きだけれど、それを鍛えるには、日本以外で発達した概念や様式や部分品やファッションに自分をさらす必要があると思ってきたんだね。
Q:そういう話を聞きたかったんですよ。それがゴシックのオジーヴになるんですか。
A:ほかにもいろいろあるよ。ありすぎる。
Q:たとえば?
A:ダンテスピノザジョン・ラスキンも。ユダヤ教ユークリッド幾何学錬金術も。レンズ光学も蒸気機関車も紡織機も、ね。とくに写真術以降に世界に普及した技芸と技術はものすごいよね。でも、それらのヨーロッパ独特の技法の元をただしていくと、いくつかの扇の要が出てくる。そのルーツのルーツはやっぱりモーセの一神教でしょう。これは第895夜そのほかに、いろいろ書いた。もうひとつはピタゴラスの定理とオジーヴの発明じゃないかと思っている。でもオジーヴのことはまだ研究しはじめたばかりで、よくわからない。ただ勘では、ここにいろいろの鍵があると踏んだ。
Q:松岡さんはその歳になって、そんなことも研究するんですか。
A:いつまでたってもわからないことだらけだよ。オジーヴもわからないし、オリーヴもわからない。はっはっは。オリーヴだってヨーロッパの鍵を握っているからね。日本にはなかったものですよ。
Q:そのオジーヴは結局何をもたらすのですか。
A:すべてをもたらした。たとえばジオットの絵はオジーヴだよ。ヴァン・エイク兄弟だってオジーヴだ。
Q:えっ、わからないなあ。
A:わからなくていいよ。どうせわかる気もないんだろうから。だって、ターナーが水蒸気を描いた理由とか菱田春草が朦朧画を描いた理由をどうしても考えたいなんて思わないだろ?
Q:はあ。
A:ぼくは気になるんだね。同じように、フラ・アンジェリコが『受胎告知』でゴシック・リバイバルをしたこと、水を感じたくて水を抜いた枯山水のことが気になる。これらは両方一緒に考えなければならないことなんだ。枯山水とフラ・アンジェリコをね。

『受胎告知』 フラ・アンジェリコ

『受胎告知』 フラ・アンジェリコ

:そうですか。これはちょっとついていけないな。
A:ついてこなくて、いいよ。最初からついてくる気なんてないんだから。それに、こういうことは、孤独にやるしかないときがあるもんなんです。
Q:そういうもんですか。
A:そういうもんです。そりゃそうでしょう。しかも、そんなことしているのはぼくだけでなく、いっぱいいるよ。たとえば志野や備前の味をどうしても出したいとおもえば、ジョージア・オキーフがアイリスの色合いの変化を描こうとおもえば、それは一人でやる以外はないからね
Q:オジーヴも? 松岡さんは建築家じゃないんだから、そこまでしなくともいいんじゃないんですか。
A:だってぼくは編集工学で、概念工事の専門だからね。オジーヴもそうだけれど、滝沢馬琴が「甕襲」(みかそ)を出したことも、パースが「アブダクション」を提案したことも、みんな概念だからね。それは編集を引き受けなければならないんです。
Q:うーん、そういうものですか。わかりました。では、話を戻してゴシックのことですが、ゴシックはそうしたフライング・パットレスやオジーヴをもってどうなっていったんですか。
A:ゴシックはいろいろの焦点の準備をするんです。ステンドグラスもそうだし、タペストリーも。そういうものがどこで製作されたかによって、その後の歴史が変わるんです。タぺストリーならフランドル地方が製作地で、だからのちにそこからフランドル絵画が出てきた。オランダ絵画のルーツはタペストリーですよ。ルネサンス絵画のルーツは城内演劇としてのタブロー・ヴィヴァンです。書き割り舞台ですね。
Q:ああ、そういうことですか。なるほど。ほかにもそういう例はありますか。
A:たとえばゴシック聖堂の正面扉口に板絵が集中して発達した。これがジオットやヴァン・エイクの板絵になっていく。正面の板絵というところが大事です。
Q:ああ、そうか。それもそういうことだったんだ。それでゴシックはどうなるんです?
A:あとは自分でやりなさい。どんな様式もそうだけれど、ゴシックは拡散して各地に飛び火するわけで、それをふつうは国際ゴシック様式といっている。そのひとつがフィレンツェのサンタ・クロチェ聖堂になって、そこからじょじょにルネサンスが開花する。もう14世紀ですね。ダンテの時代。
Q:絵画もですか。
A:キリスト教社会のお膝元のアヴィニヨンの教皇庁の近くにゴシックが飛び火したのがシエナ派で、ここにはぼくの好きなドゥッチオやシモーネ・マルティーニとかが出ますね。あとのフィレンツェ・ルネサンスにくらべて格段に中世的ですよ。ダンテとジオットを結びつけるのはシエナ派だね。
Q:なんだか松岡さんがたのしんで、アタマの中のハイパーリンクを辿っているような話にばかりなりましたね。
A:それは、そんなことをわざわざ聞くからだよ。ぼくはべつだんたのしいわけじゃない。それにヨーロッパの研究は、ぼくはほとんどの問題で入口にいるにすぎませんよ。
Q:でも、かなり気になることが多いようですね。
A:それは日本を知るためにも必要なんです。
Q:アメリカは参考になりませんか?
A:アメリカについては個人の才能を気にすればいいでしょう。株なんて気にしちゃ終りだよ。どうしてもアメリカを気にしたいなら歴史や様式は関係ない。あと300年くらいしてからのアメリカでいい。
Q:はあ、そういうことですか。
A:はい、そうです。では、おしまい。

附記¶アンリ・フォションの『ゴシック』は、『ロマネスク』(鹿島出版会)の続篇で、原書では"Art d'Occident"という一冊。『ロマスネク』も『ゴシック』もすばらしい。ほかにゴシック論はヴォーリンガーの『ゴシック美術形式論』(岩崎美術社)やフローレンス・ドイヒラーの『ゴシック美術』(グフィック社)、パノフスキーの『ゴシック建築とスコラ学』(平凡社)、ジョン・サマーソンの『天上の館』(鹿島出版会)など、いくらでもあるが、フォションの一冊だけが断然に光っている。フライング・パットネスのことはたいていの建築書でもわかるが、オジーヴのことは建築書でもちゃんと言及できていない。これからの課題であろう。

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