サミュエル・ハンチントン
文明の衝突
集英社 1998
ISBN:4087732924
Samuel P.Huntington
The Order 1996
[訳]鈴木主税

 フランシス・フクヤマの『歴史の終焉』はつまらなかった。ヘーゲルの「認知を求める闘争」にこだわりすぎた。そういう歴史家の考察とくらべるのも何だが、本書は戦略家がどういうことを考えるのかという意味では、読ませた。大袈裟なパラダイム幻想だという者もいれば、9・11事件はまさにハンチントンの予告したとおりの兆候の始まりなのではないかという者もいた。ハンチントンの予告とは、「西洋文明」と「イスラム・儒教コネクション」とはやがて必ず衝突するだろうというものだ。
 ハンチントンは冷戦時代の戦略理論家で、ハーバードのジョン・オリン戦略研究所の所長である。そのハンチントンの「文明の衝突?」という論文が「フォーリン・アフェアーズ」に掲載されたのは、1993年の夏だった。いまおもうとさすがに早耳の提案である。論争も噴き出て、日本でもすぐに「中央公論」が特集を組んでいた。蓮實重彦と山内昌之は東大でいちはやく『文明の衝突か、共存か』というシンポジウムを開いた。
 そこでハンチントンが論文を膨らませた。それが本書である。ただし、はたして文明が衝突するのかという根本的な見方には、いまなおいろいろあやしいところがある。

 ハンチントンが“衝突”という用語をつかうから言うのだが、それをいうなら文明が衝突しなかったためしはない。文明はいつも衝突してきた。そもそもホメーロスの『オデュッセイアー』が文明の衝突を扱っていたのだし、ヘロドトスの『歴史』もペルシア戦争を通した東方イラン文明とギリシア文明の衝突を主題にしていた。大航海時代がおわったあとの、東インド会社以降の歴史はつねに文明の衝突の連打だったとさえいえる。
 もっとも文明は衝突したのではなく、一方の文明が他方の文明を支配下におきたかったというだけだったとも見られる。アヘン戦争やコソボ紛争は、衝突ではなく侵略であり、勝手な介入だった。戦争の多くがそういうものである。侵略や介入を国家の横暴とか失敗とかとはよばないで、あえて文明の衝突と見ようというのは、よほどの戦争、すなわち第三次世界大戦のようなものを想定するからであろうけれど、そこばかりを見ると、さまざまなエスニック・ステートとナショナル・ステートの摩擦や衝突が看過されるし、またその文明の衝突の勝ち負けを予想することがそんなに大事なことかという気にもなってくる。なんといっても、それでは文化を軽視することになる。

 文明とは、その文明圏で技術による物的な所産や生産手段が発達して都市化が平均的に進むことをいう。いまではそこに情報ネットワークがゆきわたることを加えておいたほうがいいだろう。
 文化はこのような文明の特性を一部にしかもっていない。そのかわり、どんな文化も多様であり、複雑な心情をともない、習慣と生活を営む顔や体をもっている。文化には嬉しい文化もあるし、気にいらない文化もあるのが当然なのだ。そういうものの半径はすぼめていけば、川の流域や鎮守の森の周辺や一家族の家系にまで文化ミームを認めることができるはずである。だからこそ文化は一様には語れない。一国の文化のなかでも文化は多様になっている。たとえば連歌茶の湯の文化距離は近いが、雅楽と歌舞伎の文化は距離があいているというふうに。
 文明はそういう文化を一様に覆いつくす不細工な傘なのである。バスクやカタロニアがどんな文化で濃淡をつけようとも、それが政治経済的な損得勘定にのらないかぎり、文明はバスクもカタロニアの差異など無視してかかる。
 それゆえ、文明は一個の中心をもった半径と質量が強大になっていくかぎりで、他の文明とたいてい“衝突”せざるをえないのだが、文化は最初から小さな多様性をもって芽生えていったのだから、そもそもが小さな蕾を前提にしてできあがっていく。文化は発生を歓び、文明は結果を恐れるものなのだ。

 けれどもこのようには、ハンチントンは文明と文化の関係を見なかった。文化を無視した。しかし二つは切り離せない。ブローデルは「文明は文化の領域性である」とみなしたし、ウォーラーステインは「文明は世界観・生活習慣・組織・文化の特定の連鎖である」とみなした。文明と文化を分けたがらないフクヤマはそういう歴史の見方はおかしいと言って、人間には理性と欲望のほかに「他者に認められたい願望」があって、それが次々に高じて「認知をもとめる闘争や戦争」になると見た。これはいささか文明や文化を心理的に見すぎている。そこでノベルト・エリアスは『文明化の過程』で、そうした生得的な衝動を克服するのが文明なんだと、まったく逆のことを書いた。
 ここではこれ以上文明や文化の定義に入らないが、しかし、もし文明と文化の説明をしろというふうに各民族各国各地域のその手の才能の持ち主に問うてみれば、かなり各種各様の応えがかえってくるはずである。たとえば、あるドイツ人なら「文明は量だが、文化は質である」と答えるかもしれないし、あるアフリカ人なら「元からあるものが文化、外からやってきたものが文明」と答えるかもしれない。文明も文化も言葉の文明であって言葉の文化でもあるからだ。イヌイットの長老はいくつものトナカイ語に詳しいので、「トナカイしか知らない問題だ」と笑うだろう。
 どちらにせよ、しょせん文明の将来を議論したがるのは、古代文明に比する文明をその後に累々とつくって、近現代までそれを強大に発展させてきたと自負する者たちだけなのである。負け組の遠吠えではなく、勝ち組の遠吠えなのだ。
 次のような例でそういう学者たちをわからせるのは無理だろうが、仮に柳田国男や折口信夫に同じ質問をしてみれば、二人ともが「関心があるのは文化だけです」と答え、「なぜ文明が気になるんですか」と逆に問うたろう。いやエドワード・サイードノーム・チョムスキーも同じような反応をしたにちがいない。

 いまや、多くの日本人も文化よりも文明が気になるようになってしまっている。
 一週間ほど前、ある会合で若手のKという将来を嘱望されている自民党の政治家が、日本に必要なのは天皇制と日本語で、それを守るための施策をしなければいけないという発言をしていたのだが、これなどは文明にあらかじめ境界線を作っておいて、そこで日本というアイデンティティが守れるようにしたいという、ぼくなどにはとうてい考えられない発想だった。多様な文化は流れのままに放っておいても、廃れるものは廃れ、残るものは残るのだから大丈夫という楽観なのである。
 いつのまに日本人は文明論者になったのか。福沢諭吉の時代をべつにして、文明論は苦手だったはずである。山内昌之は、ハンチントンの『文明の衝突』を読んだ日本人が不愉快になるのは、日本が孤立を強いられていくような展望が書かれているからだと言っていた。他の文明の優位を説かれても気にしないくせに、"日本文明"の小ささや影響力の少なさを指摘されると気分を害するのだという。そうだろうか。そんな日本人すらいまは少なくなっているのではないかとぼくにはおもえる。

 実際には、ハンチントンが書きたかったことは日本の孤立のことなどではない。日本については、日本が米中対立のなかでどっちつかずの迷いを見せて孤立するだろうとは書いてはいるが、そういうことはハンチントンが新たなシナリオを提案しようというときの新たなプロットには入ってこない。ハンチントンはどのように分析しても、このさき西洋(ヨーロッパとアメリカ)の相対的なパワーは非西洋圏のパワーに対してしだいに低下していくだろうから、西洋文明の保存対策に着手すべきだと言った。
 日本が同じパラダイムに乗っかって、このような見方に腹を立てたところで、対策など打てるわけがない。このパラダイムそのものがすでに対策含みなのである。
 ハンチントンの対策がどういうものかというと、文明の衝突に備えて、欧米諸国は政治・経済・軍事面での統合を拡大しなさい、他の文明の国家からつけこまれないようにしなさい、EUに中央の諸国を早く巻きこみなさい、ラテンアメリカの西洋化をすみやかに促していくつかの同盟関係を結んでおきなさいというものだ。その一方で、イスラム諸国と儒教文明圏の通常戦力と有事戦力の両方ともを抑制し、日本が中国と接近するのを極力遅らせなさいというのだ。とくにアメリカは他の文明の問題に絶対に介入してはいけない。
 これがハンチントンのパラダイムにあらかじめ含まれた対策である。これはこれで、ハンチントンなりの良心的な老婆心なのである。もっともこの進言は、1993年以降のブッシュ父子やクリントンにはまったく聞こえなかった。ハンチントンから見ても、アメリカこそが「文明の衝突」の危険にむかってまっしぐらになりかねない国なのである。しかしハンチントンの提案は、新たな大統領がいずれ採択すればいいわけで、それなら本書は根っからの“アメリカ憂国の書”だったということである。

 ハンチントンがこのような進言をするのは、そのうちいつか西洋と非西洋とが衝突し、西洋文明とイスラム・儒教コネクション文明とが衝突するだろうと予想したからだった。
 この構図の前提には、近未来の世界は次のような8つの文明の時代を迎えるだろうという予想がある。すなわち、西洋文明(欧米)、儒教文明(中華文明)、日本文明、イスラム文明、ヒンドゥ文明、スラブ文明、ラテンアメリカ文明、アフリカ文明の8つである。
 この予想に関しては、これまで東アジアの片隅で扱われていた日本が、一個の独立した日本文明に“昇格”したことで、一部で沸いた。従来は日本は韓国などと一緒くたか、大きくは漢字文化圏としての中国文明の一隅におかれてきたからだ。
 しかし、このような予想分類が当たっているかどうかを議論してもあまり益はない。こういう分類は欧米社会が自身の未来に極端な不安をもつときにたいていあらわれるものなのだ。
 もともとこういう分類が話題になるようになったのは、ヨーロッパを敵味方に分けた第一次世界大戦で衝撃をうけたシュペングラーが、歴史をさかのぼって、世界史上の文明圏をエジプト、バビロニア、インド、中国、ギリシア・ローマ、アラビア、西洋、メキシコの8つに分類し、トインビーがこれを26にふやしてそのうち16がすでに滅亡したと整理したうえで、最後にのこったのが西欧キリスト教文明、東欧・ビザンチン文明、イスラム文明、ヒンドゥ文明、極東文明の5つだろうと予測したことに始まった。ハンチントンはこれを踏襲しただけだともいえる。

 新たな文明の構図の予想が役に立たないというのではない。そうではなくて、ハンチントンはまったくふれていないけれど、構図が問題なのではなく、資本主義と自由市場を世界大にしてしまったのが抜き差しならないのである。どこもかしこも、都市化を進めて、情報ネットワーク化してしまったことがのっぴきならないのだ。
 そのことを除くなら(あとは実践的なプレゼンスの割り振りしかのこらないのだが)、本書はきわめて現実的な提案をしつづけている恰好の一書になっているといっていい。

 ところで、文明が衝突するのかどうかをべつとして、これを戦争とは何かという問題におきかえれば、まだまだ議論しなければいけないことがいっぱいある。とくに政治と戦争の関係を問題にするとキリなく問題が出てくる。
 クラウゼヴィッツのような戦略家はハンチントン同様に、最初から戦争にどのように勝つかを前提にしたから、戦争を政治の継続というふうに見たが、同じドイツのカール・シュミットは『政治的なものの概念』で、政治は誰が敵かを決定し、戦争はその決定のもとに独自の規則を創案するものだと考えていた。ウォーラーステインは「余剰が集中する中核地域」が国家機構と政治機構をつくりあげるのだから、戦争も資本主義もそこに生ずると見たが、ジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリは『千のプラトー』で、むしろ暴力装置は国家の形成を妨げることがありうるのだから、国家と戦争はもともと異質なものであるはずだという見方をとった
 こういうところはまだまったく決着がついていない問題なのである。しかもこれらの議論の奥では、ジョルジュ・ソレルの『暴力論』やウォルター・ベンヤミンの『暴力批判論』が目を光らせている。暴力の正体を問わない文明論や戦争論は21世紀には通用しない。

 現実の世界の均衡や緊張がすすむなか、戦争と政治の関係をさらに複雑で難解にさせた事態には二つのことが顕著である。ひとつは「冷戦」であろう。「抑止力」が戦争の裏の代名詞になったからだ。
 このときの議論とキューバ危機やベトナム戦争のときのアメリカのトラウマは、まだ世界を覆っている。第1077夜の『ゲーム理論を読みとく』に、その一端の流れをスケッチしておいた。
 もうひとつは、ハンチントンが本書を書いたときには思いもよらなかったであろう自爆テロの横行である。それまでは、ハンチントンのみらず多くの歴史家や戦略家はなんであれ文明や国家を問題にしていればよかったのだが、それが自爆テロでは文明と文明が衝突したのではなく、文明と個人が刺し違えることになった。この事態に直面して、歴史家たちも戦略家たちも言葉を失った。
 これをたんに「冷戦」の難問に匹敵する「テロ」の難問と片付けるわけにはいかない。テロリズムなんて歴史の最初から始まっていたし、フランスの歴史ジャーナリストが書いて話題をまいたローラン・ディスポの『テロル機械』は、フランス革命こそが近代テロの起源だというふうに見たものだ。だからテロの歴史を言い出すと話は広がりすぎるのだが、少なくとも9・11以降のイスラム過激派テロをどう見るかということにかぎっても、欧米側ではいまのところまったく“思想”にも“戦略”にもできないでいる。

 テロは政治でも戦争でもないわけではない。テロもゲリラも政治であって戦争である。それを封印するために戦争をしようというのは通らない。そこでとりあえずイスラム過激派のテロを「信仰」とみなし、そこにイスラムと欧米の対立を読もうというのが、いまのところハンチントン以降のふつうの読み方になっている。
  この見方が、欧米がつくったパラダイムの押し売りであることは見え透いている。宮田律が『イスラム世界と欧米の衝突』で証拠を詳しくあげて書いていたけれど、イスラム・テロからすれば、戦争を持ち出したのも「文明の衝突」を持ち出したのも、どう見てもアメリカなのである。それを自爆テロが頻発してきたからといって文明の衝突だと説明するのは、戦争の正当性を個人の自爆のサイズにしたくないので、文明というサイズで言いくるめていると見なされても仕方がない。本当は戦争とテロのあいだのサイズ、すなわち「文化の衝突」こそが問題になるべきなのである。

 ところでちょっと心が傷むままに思い出すことがある。さきごろ亡くなったスーザン・ソンタグが生前に「ニューヨーカー」に寄せた9・11についてのコメントが、ひどい晒しものになったという一件だ。
  ソンタグのコメントは1000語たらずのものであるのだが、それが深夜テレビのコメンテーターによって強調され歪曲され、「アメリカ人は臆病だ、テロリストは体ごとビルにぶつかっていったのに、アメリカ軍は遠くからミサイルを撃つだけだ」というふうに伝わっていった。これでソンタグが一斉攻撃された。売国奴呼ばわりされた。ソンタグは呆れた。
 これは、ブッシュがテロリストに「臆病者」呼ばわりしたこととをソンタグが皮肉った文章を、メディアがアメリカ人の勇敢とは何かという問題にすりかえていったという例である。経緯はともかく、いまやアメリカの戦争は「勇気」の問題になってしまったのだ。
  これは話にならない。これでは、フクヤマのいう「気概」も、さらには「戦争」も「政治」も、文明が営々と築き上げてきたコンセプトの大半は、いまやその意味すら崩れつつあると言われてもしょうがない。
 こうした問題が何であったかということについては、いちはやくソンタグの一件を引いた大澤真幸が『文明の内なる衝突』という象徴的なタイトルの本のなかで言及しているので、いずれ別の夜にとりあげたいとおもうのだが、ことほどさように、いまだ文明論者というもの、「冷戦」にも「テロ」にも有効な議論ができないままにいるといっていい。事態はますます深刻になっている。「文化の衝突」を"勇気"をもって議論できないというのなら、われわれはまだ「文明」を議論するにさえ至ってさえいないというべきだ。

附記¶ハンチントンの『文明の衝突』をめぐって嵐のように巻きおこった論争については、ぼくはほとんどフォローしなかった。それこそ大澤真幸が『文明の内なる衝突』(NHKブックス)で書いていたように、ハンチントンの構図は「誰も本気になって主張していないのに、反論だけされている」という奇妙なところに立たされているともいえる。そういうなかでは、蓮實重彦と山内昌之がいちはやく世に問うた『文明の衝突か、共存か』(東京大学出版会)は時宜も論点も心得ていた。そのほか上にとりあげたものでは、ローラン・ディスポ『テロル機械』(現代思潮新社)や宮田律『イスラム世界と欧米の衝突』(NHKブックス)を勧めておく。アメリカの9・11反応についてはナンシー・フレイザーとエリ・ザレツキーの『9・11とアメリカの知識人』(御茶の水書房)などが参考になる。その後、「文明の衝突」は流行語のようになって、たとえばぼくの知人の町田宗鳳の『文明の衝突を生きる』(法蔵館)のような勇ましい本にもなったものだった。

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