山下主一郎
イメージ連想の文化誌
新曜社 2001
ISBN:4788507749

 ISIS花伝所はISIS編集学校の師範代になるための士官学校にあたる。昨日、その3期目の入伝式があった。花伝所では入学を入伝、卒業を放伝という。その入伝式である。編集術がどのようにイメージを連鎖させながら編集するのか、それをコーチングするにはどうしたらいいかということを交わす最初の顔合わせである。30人の士官候補生と10人の花伝師範たちが集まった。
 入伝式では最後に校長に質問が出ることになっている。校長とはぼくのことだ。
 いろいろ質問があったが、帰途、なぜISISってつけたのですかというものがあった。イシスが「オシリスとイシスの物語」のイシスであることをその質問者は知っているようだったが、わざわざその名を選んだ理由が知りたかったらしい。
 ISISは"Interactive System of Inter Scores"の略である。「相互記譜システム」とか「相互的情報編集記譜システム」などと訳す。インターネット上に「編集の国」というヴァーチャル・カントリーを想定したときに命名した。この「編集の国」の一隅に、2000年6月、編集学校が産声をあげたのである。だから相互記譜ということを重視してISISとした。ロゴタイプは仲條正義さんに頼んだ。命名にあたっては、やはり女神イシスを連想してもらえることを念頭においた。イシスは再生の女神であって、月の舟に乗るものなのである。
 本書に因んで、以下、イシスの話から好きにイメージを連鎖させていくことにする。本書も話題の素材の一部をオシリスとイシスの物語にしているのだが、以下のイメージ連鎖はぼくが枝葉をふやし、リゾーム(地下茎)の分岐を伸ばし、ついでにところどころにちょっとした翼をつけてある。こんなイメージの劇場での演目もあるというつもりで、おたのしみいただきたい。

 エジプトの祖神はヌー(ヌート)である。大地をアーチ状に覆うグレートマザーであった。そのヌーが4人の子を産んだ。オシリス、イシス、セト、ネフチスだ。オシリスとイシスは兄妹の関係で、やがて夫婦になった。オシリスが植物神、イシスが地母神である。
 セトとネフチスも夫婦になった。近親結婚であるが、古代初期にはインセスト・タブーはよく破られた。
 夫のオシリスは植物神であるだけに地上の王となり、牧畜・農耕・技術を統括して、よく国を治めた。とりわけナイルの治水をうまく制御した。古代の王は治水王であることが多いのはエジプトでもインダスでも中国でも同じことである。第987夜にもいくぶん紹介したように、中国では治水王と偏固の王(跛行する王)がしばしば結びついている
 このオシリスの活躍を軍神のセトが妬んだ。海幸彦・山幸彦と同断だ。セトは策略を練って、ある祭りの席上に豪華な櫃を持ち出して、ここにぴったり入れる者には櫃を進呈すると言った。次々に櫃に入ることを試みたがだれもうまくない。オシリスの番になって入ってみるとぴったりした、セトはいきなり蓋を閉じると鍵を降ろし、ナイル川に投げこんでしまった。

オシリス・ホルス・イシス

オシリス・ホルス・イシス

 植物神オシリスが死んだため、地上は凶作に苦しんだ。それまで"碧いナイル"と自慢されていた大河もどんより黒ずんだ。妻のイシスは悲しみ、せめてオシリスの遺体だけでも見いだしたいとおもって旅に出た。
 さんざん尋ね歩いたあげく、櫃が今日のレバノンのビブロスの浜辺に打ち上げられていることを知った。櫃は生い茂ったエリカの木に覆われて腐食を免れていたようだった。ビブロスの王はその木の美しさに魅せられて、実はすでにそれを宮殿の柱にしていた。イシスは事情を話して柱をもらいうけ、櫃の中からオシリスの死体を取り出してエジプトに持ち帰った。
 あらためてオシリスの遺体にとりすがったイシスは、これぞネクロフィリアの原型ともいうべき話だが、やがて意外なことに妊娠をする。子も授けられた。それがのちのちエジプトで万神の神の子とされるホルスである。
 オシリスの死体が戻ってきたことを知ったセトは、ふたたびイシスの目を盗んでオシリスの死体を奪い取る。一年中で夜が一番長い夜半のこと、人目を盗んで今度はオシリスの死体を刻み、各地にばらまいて捨てた。それを知ったイシスはまたまた各地を彷徨い歩いて死体の断片を集め、それらを縫い合わせて冥福を祈り、永遠の生を与えられるように儀式を営んだ。
 おかげでオシリスは冥界の王となって永遠に生きながらえるようになったのだが、ひとつだけ欠陥をもった。死体の断片を集めたとき、どうしても男根だけが見つからなかったのである。イシスはやむなく粘土で男根を作ってくっつけた。

 これが「オシリスとイシスの物語」のひとつのプロトタイプとなった話だ。そこに後日談がついた。
 オシリスが冥界の王となったため、イシスは極貧に喘ぐことになった。しかたなくイシスは幼いホルスを葦の束に隠して家をあけ、物乞いをする日々が続く。ある日、帰ってみるとホルスが半死の状態になっている。セトが毒蛇を遣わして(毒蛇となって)、ホルスを咬んだのだ。イシスは懸命に看病して、ホルスは回復する。
 長じたホルスが父の仇を討つために、セトに復讐することになったというのは当然の成り行きだ。ホルスはセトに挑むのだが、戦闘は苛酷で、ホルスは両眼をセトに抜き取られてしまった。それでも戦闘は続いて決着がつかない。やがて法廷にもちこまれ、セトとホルスのいずれが王位に就くかの判決を待つことになった。
 ところが法廷でも継承権をめぐる問題は当時も複雑だったようで、決着がつかない。そのため決闘が再開されるのだが、それでも優劣つけがたく、結局、冥界のオシリスに判定が委ねられ、ホルスが王位を継承した。イシスはその後、「月の舟」に乗りいつも再生を誓う神として君臨した。ところで、ホルスの両眼はその後、書記神であるトートが管理していたという話である。

 ふつうに考えると、この話にはエジプトの国家統一にからむ出来事が象徴されていることがわかる。ナイル川の上流の上ナイル(セトの国)と下流の下ナイル(オシリスの国)の分断と統合が物語に変じていたわけだ。
 また、オシリスが2度にわたって死体となりながら再生したということには、植物の根から発芽して成長してまた土に帰って発芽するというサイクルが象徴されていることも見てとれる。それをイシスが再生の女神として司祭したこともわかりやすい。オシリスが殺されることによって次の王ホルスが王位を継承したことは、ジェームズ・フレーザーの大著『金枝篇』に名高い「王殺し」の一場面にぴったり照合する。王は聖樹(ここではエリカ)のもとで殺されることによって次王への継承権を譲るのである。この手の「王殺し」の話はかなり各地に散らばっている。
 しかし、ここには妙な暗示も埋まっている。ひとつはオシリスの男根がなくなっていること、次にはホルスの両眼がなくなってトートに管理されていたことだ。

 なぜオシリスの男根がなくなったのかということを推理するには、セトがオシリスの死体を切り刻んだのが「一年中で夜が一番長い日」だったことに注目する必要がある。セトは冬至の夜にオシリスを切り刻んだのだ。
 冬至とは太陽の勢力が最も衰える日である。オシリスはおそらく4000年前くらいに、ラーに匹敵する太陽王として信仰されていた神だった。太陽の力に関係する王だとすれば、その力が最も衰えるのは冬至である。そのオシリスを冬至の日に切り刻んだということは、王の力が最も弱まったときに「王殺し」をする習俗が上古のエジプトにあったということになる。
 男根の切断あるいは紛失とは、王の象徴が王から離脱したことをあらわしている。男根がなければ世継ぎはそれ以上は生まれない。他の力をもつ血統に属する娘とも交われない。男根の喪失はそうした王権にまつわる出来事の暗示だったのである。これでとりあえずはオシリスの男根の意味の見当がつく。
 では、ホルスの両眼はなぜ失われてトートに預けられていたのか。トートはのちにギリシアのヘルメスと同一視された神で、呪詞と書記とを司っている。知恵がある。ということはホルスの両眼はきわめて神秘的な作業力をもつところで管理されたということで、いいかえれば、その両眼を他の者が傷つけたり奪ったりすることを避けたということなのだ。ということは、ホルスは王位を継承するにあたって、それまでのあいだの苦難を乗り越えられるように、また王位に就いたときに慧眼をすぐに発揮できるように、あえて両眼の力を温存したのだというふうに解釈できる。
 一説には、両眼は男根の代替物で、実はホルスも男根を奪われて王位継承能力を失いかねないので、これをトートが守ったというふうにもなるのだが、まあ、そのへんはいずれでも読み筋は変わらない。

 これでオシリスとイシスの話の謎が解けて、めでたし、めでたしかというと、そういうわけにはいかない。そもそもオシリスの神話はその後に盗まれてキリスト教のなかに換骨奪胎されたのである。
 キリスト教に換骨奪胎されたということは、その前にユダヤ教のなかでも蘇っていたということだ。だいたいクリスマスが12月25日の冬至に近い日であること、つまりその日にイエスが誕生しているというのがあやしいのである。その話を続ける。
 オシリスには実は200近い名前がある。エジプトの神々のほとんどすべてに習合しているといっていい。女神イシスのパートナーシップによって再生しているのだから、どこでも、どの時代でも、オシリスに肖(あやか)ったのは想像がつく。オシリス来てほしい、オシリス来てほしいということだ。事実、エジプトを越えて地中海や小アジアでもオシリス信仰は広まった。ということは、危機に再臨してくれる神として、オシリスはつねに待望されたということだ。
 この危機に再臨する神を待望するという思想は、まさに「メシア」を待望する思想に似ている。実は、そうなのだ、オシリスは姿を変えて救世主メシアとして、ユダヤの民の幻想のなかに継承されたのである。
 このメシアの思想をそのまま引き取っていったのが、イエスが磔刑される以前の原始キリスト教だった。謎のクムラン宗団のことは第174夜に書いたのでここでは省くけれど、その周辺には「善の教師」や「救世主」や「再生者」などの、いくつものオシリスのヴァージョンがあらわれている。
 こうしてイエス・キリストが登場して、すべてはキリスト教のものとして集大成されていく。とくにイエスの誕生日を12月25日にしたことが特筆されるのである。

 12月25日のクリスマスにイエスがベツレヘムに生まれたということは、いつ決まったのか。これについては多くの議論があるところだが、407年に死んだことがわかっている聖ヨハネ・クリュソストモスがその説を定着させたということが通説になっている。この聖人は「黄金の口のヨハネ」と尊称されていた。
それだけその言葉に信憑性がもたれたのだろう。
 それによると、天使ガブリエルがマリアに受胎告知をしたのが3月25日で、イエスが誕生したのが12月25日だということになっている。それまで、キリスト教教会でイエスの誕生日を特定する議論がひっきりなしにおこっていた。とくに異教の好きな古代ローマ帝国に蔓延しつつあったミトラス教が冬至の日をもってミトラ(ミトラス)の誕生日だとしていることの影響力が大きかった。
 察するに、このミトラスの日とオシリスの男根が切られて次のホルスへの継承が刻印された日を重ねることによって、教会の議論はイエス冬至誕生説に傾いていったのかとおもわれる。遅くとも4世紀くらいには、イエスの誕生日とクリスマスの日時が決まっていたということだ。それにしてもキリスト教会の編集力は侮れない
 しかし、これでイエスにまつわる編集が終わったわけではない。イエスをイエス・キリストと名付けた謎がのこる。本書の山下主一郎もそこに疑問をもった。

 イエス・キリストは姓名ではない。イエスが名で、キリストが家名なのではない。だいたい古代ユダヤに姓はなかった。イエスはイエスとだけ呼ばれていた青年だった。
 ちなみにイエスはカトリックでは「イエズス」で、正教会では「イイスス」である。「イエス」と呼称してきたのはプロテスタントだけだった。カトリックでは「神父」、プロテスタントでは「牧師」になるのと同様、カトリックとプロテスタントはことごとく何かが異なっているのである。それはともかく、そのイエスはなぜイエス・キリストなのか。
 キリストはギリシア語クリストスの発音に近い。『新訳聖書』をギリシア語で書いたとき、ヘブライ語のキリストに当たる言葉を「クリストス」とした。それがキリストになった。しかし、そうだとするともともとのヘブライ語のキリストがどういう言葉で、どういう意味だったか、である。
 ヘブライ語ではキリストに当たる言葉は「マーシーァハ」という。これは「油を注がれた者」という意味をもつ。それだけではない。実は「マーシーァハ」は「メシア」のことなのだ。これですぐさま見当がつくように、オシリス=メシア=キリストはキリスト教にとってはほぼ同じ情報なのである。それをまるごと戴いた。それがキリスト教というものだ。
 しかし、ちょっと疑問ものこる。なぜ「油を注がれた者」のイメージをイエス・キリストは継承したほうがよかったのか。教会ではそんなことはしていない。聖水をつかい、洗礼のために水に浸かることはあっても、油はほとんどつかわない。

 ここで油とは、実はオリーブの実の油のことである。すなわちオリーブ油。すでにバビロニアの昔からオリーブ油は特別の力があると考えられていて、とくに油を体に塗ることは大変な治癒力をもたらすと信じられていた。バビロニアでは医者をアシューとよぶそうだが、これは「油に詳しい者」という意味なのだ。
 のみならずバビロニアやアッカドやアッシリアでは、支配者を司る祭司は王位の継承者に油を注いでその就任に意義を添えていた。
 さて、こうなるとじっとしてはいられない。いったい油と王の関係がどのようになっていたかを決着しなければならない。『旧約聖書』を読むと、「創世紀」にはヤコブはベテルに枕にしていた柱に油を注いでそこを神の家と名付けたとある。「出エジプト記」にはアロンは祭司の職に就くときに油を注がれたとある。「レビ記」では大祭司がしばしば「油を注がれた祭司」であった。
 つまり、油を注ぐとは「聖別する」ということだったのだ。キリスト教はその「聖別」がほしかったのだ。イエスはこうして油を注がれたキリストとなったのである。

 イメージというもの、このように連鎖し、編集されていく。そのイメージのネットワークを辿りはじめたらキリがないくらいだ。
 今夜、本書を媒介にイシスから始めたイメージの連鎖も、たちまちイエス・キリストの称号にまで重なってしまった。
 いま好きに進めた連鎖にして、そのネットワークのわずか一本の連鎖に少しだけ翼がついたにすぎない。たとえばこれをイシスの舟に注目すれば、またイメージは異なる方向へものびていく。たとえば古代ローマではイシスは舟の女神として崇拝されてもいたのだが、それは舟をイシスの子宮の象徴と見立てていたからだった。だからイシスの宮殿にはたいてい石で彫られた舟がある。それはまた「月の舟」であって、「再生の舟」なのだ。
 それとそっくりのキリスト教の教会がローマにある。サンタ・マリア・デラ・ナヴィチェラである。「舟の聖母マリア教会」だ。これはあきらかにイシスの宮殿をのちにキリスト教がテイクオーバーしたわけである。

 このようにイメージというもの、必ず歴史をもっているし、どんなイメージにも「糊代」というものがついていて、それは他のイメージの糊代といくらでもくっつく可能性をもっているものなのだ。
 ぼくは編集思想の真骨頂はアナロジーにあると思っているのだが、そもそもイメージの本体もまたアナロジーの連鎖の途中を切断したものなのである。むしろ神名やキャラクターや場面そのものが、すべてひとつながりのイメージの劇場の飛沫だったと見たほうがいい。そして、その多くに物語の型と編集の型がひそんでいるとみなしたほうがいい。オシリスとイシスの物語がそのようなイメージ編集のアーキタイプだったのである。

附記¶著者の山下主一郎さんは「イメージ連想」そのものを学問の対象とした人である。昭和とともに生まれ育って、東大では英文学を、その後に中央大学で教えるようになってからは、多くのシンボルとアレゴリーの研究に携わった。『イメージの博物誌』『シンボルの誕生』(大修館書店)があるほか、ぼくがしょっちゅう遊ばせてもらっているアト・ド・フリースの『イメージ・シンボル事典』やバーバラ・ウォーカーの『神話・伝承事典』、ルルカーの『エジプト神話シンボル事典』(ともに大修館書店)などの監訳者や訳者を引き受けている。フェミニズムを背景に縦横に神話世界を再解釈してみせたウォーカーの事典はとくにすばらしい。

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