才事記

父の先見

先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。

ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日本もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。

それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、若いダンサーたちが次々に登場してきて、それに父が目を細めたのだろうと想う。日本のケーキがおいしくなったことと併せて、このことをあんな時期に洩らしていたのが父らしかった。

そのころ父は次のようにも言っていた。「セイゴオ、できるだけ日生劇場に行きなさい。武原はんの地唄舞と越路吹雪の舞台を見逃したらあかんで」。その通りにしたわけではないが、武原はんはかなり見た。六本木の稽古場にも通った。日生劇場は村野藤吾設計の、ホールが巨大な貝殻の中にくるまれたような劇場である。父は劇場も見ておきなさいと言ったのだったろう。

ユリアのダンスを見ていると、ロシア人の身体表現の何が図抜けているかがよくわかる。ニジンスキー、イーダ・ルビンシュタイン、アンナ・パブロワも、かくありなむということが蘇る。ルドルフ・ヌレエフがシルヴィ・ギエムやローラン・イレーヌをあのように育てたこともユリアを通して伝わってくる。

リカルドとユリアの熱情的ダンス

武原はんからは山村流の上方舞の真骨頂がわかるだけでなく、いっとき青山二郎の後妻として暮らしていたこと、「なだ万」の若女将として仕切っていた気っ風、写経と俳句を毎日レッスンしていたことが、地唄の《雪》や《黒髪》を通して寄せてきた。

踊りにはヘタウマはいらない。極上にかぎるのである。

ヘタウマではなくて勝新太郎の踊りならいいのだが、ああいう軽妙ではないのなら、ヘタウマはほしくない。とはいえその極上はぎりぎり、きわきわでしか成立しない。

コッキ&ユリアに比するに、たとえばマイケル・マリトゥスキーとジョアンナ・ルーニス、あるいはアルナス・ビゾーカスとカチューシャ・デミドヴァのコンビネーションがあるけれど、いよいよそのぎりぎりときわきわに心を奪われて見てみると、やはりユリアが極上のピンなのである。

こういうことは、ひょっとするとダンスや踊りに特有なのかもしれない。これが絵画や落語や楽曲なら、それぞれの個性でよろしい、それぞれがおもしろいということにもなるのだが、ダンスや踊りはそうはいかない。秘めるか、爆(は)ぜるか。そのきわきわが踊りなのだ。だからダンスは踊りは見続けるしかないものなのだ。

4世井上八千代と武原はん

父は、長らく「秘める」ほうの見巧者だった。だからぼくにも先代の井上八千代を見るように何度も勧めた。ケーキより和菓子だったのである。それが日本もおいしいケーキに向かいはじめた。そこで不意打ちのような「ダンスとケーキ」だったのである。

体の動きや形は出来不出来がすぐにバレる。このことがわからないと、「みんな、がんばってる」ばかりで了ってしまう。ただ「このことがわからないと」とはどういうことかというと、その説明は難しい。

難しいけれども、こんな話ではどうか。花はどんな花も出来がいい。花には不出来がない。虫や動物たちも早晩そうである。みんな出来がいい。不出来に見えたとしたら、他の虫や動物の何かと較べるからだが、それでもしばらく付き合っていくと、大半の虫や動物はかなり出来がいいことが納得できる。カモノハシもピューマも美しい。むろん魚や鳥にも不出来がない。これは「有機体の美」とういものである。

ゴミムシダマシの形態美

ところが世の中には、そうでないものがいっぱいある。製品や商品がそういうものだ。とりわけアートのたぐいがそうなっている。とくに現代アートなどは出来不出来がわんさかありながら、そんなことを議論してはいけませんと裏約束しているかのように褒めあうようになってしまった。値段もついた。
 結局、「みんな、がんばってるね」なのだ。これは「個性の表現」を認め合おうとしてきたからだ。情けないことだ。

ダンスや踊りには有機体が充ちている。充ちたうえで制御され、エクスパンションされ、限界が突破されていく。そこは花や虫や鳥とまったく同じなのである。

それならスポーツもそうではないかと想うかもしれないが、チッチッチ、そこはちょっとワケが違う。スポーツは勝ち負けを付きまとわせすぎた。どんな身体表現も及ばないような動きや、すばらしくストイックな姿態もあるにもかかわらず、それはあくまで試合中のワンシーンなのだ。またその姿態は本人がめざしている充当ではなく、また観客が期待している美しさでもないのかもしれない。スポーツにおいて勝たなければ美しさは浮上しない。アスリートでは上位3位の美を褒めることはあったとしても、13位の予選落ちの選手を採り上げるということはしない。

いやいやショウダンスだっていろいろの大会で順位がつくではないかと言うかもしれないが、それはペケである。審査員が選ぶ基準を反映させて歓しむものではないと思うべきなのだ。

父は風変わりな趣向の持ち主だった。おもしろいものなら、たいてい家族を従えて見にいった。南座の歌舞伎や京宝の映画も西京極のラグビーも、家族とともに見る。ストリップにも家族揃って行った。

幼いセイゴオと父・太十郎

こうして、ぼくは「見ること」を、ときには「試みること」(表現すること)以上に大切にするようになったのだと思う。このことは「読むこと」を「書くこと」以上に大切にしてきたことにも関係する。

しかし、世間では「見る」や「読む」には才能を測らない。見方や読み方に拍手をおくらない。見者や読者を評価してこなかったのだ。

この習慣は残念ながらもう覆らないだろうな、まあそれでもいいかと諦めていたのだが、ごくごく最近に急激にこのことを見直さざるをえなくなることがおこった。チャットGPTが「見る」や「読む」を代行するようになったからだ。けれどねえ、おいおい、君たち、こんなことで騒いではいけません。きゃつらにはコッキ&ユリアも武原はんもわからないじゃないか。AIではルンバのエロスはつくれないじゃないか。

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エレガントな宇宙

ブライアン・グリーン

草思社 2001

Brian Greene
The Elegant Universe 1999
[訳]林一・林大

【1】 【2】 【3】 【4】 【5】

 地球から1億5000万キロ離れたところに太陽がある。半径70万キロの巨大な恒星だ。過去46億年にわたってエネルギーを放出しながら輝いてきた。日本の原子力発電所が発電するエネルギー(2004年現在)の1兆倍の1万倍になる。
 このエネルギーは核融合反応による。だから太陽の中心部は温度が1500万度になっている。太陽の主成分は水素だが、1500万度の中心部では水素原子は陽子と電子に分解している。陽子が互いに激しくぶつかりあっている状態だ。このプロセスがくりかえされると、最終的にはヘリウムの原子核ができる。このとき水素1グラムにつき約20トンの石炭が燃えたのと同じ莫大なエネルギーが生み出される。これが核融合反応エネルギーで、太陽はこの状態のまままだ50億年は輝くだろうと予想される。
 こういう太陽によって地球型(水星・金星・地球・火星)と木星型(木星・土星・天王星・海王星)の惑星ができた。そのほか冥王星、無数の微小天体ができた。そもそも惑星はこの微小天体が渦巻いてつくられたものだった。
 太陽系を飛び出ると、冥王星のはるか彼方に「オールトの雲」がある。ここは彗星たちを作製している工場で、太陽系が生まれたときの初期の塵やガスの名残りが吹き溜まった空間だと考えられている。彗星はここから飛び立っていく。「オールトの雲」の先には空虚な空間が広がっていて、それをしばらく突き進むと、やっとケンタウルス座のアルファ星にぶつかる。太陽系から一番近い恒星だ。

 ここまで、太陽中心から光速で飛んで四年以上かかる。すなわち4.22光年。仮に「千夜千冊」を光速で書けば、1000夜目にちょうどここまで着くということになる。1光年は地上の距離になおすと、約10兆キロになる。
 さらに進むと、10光年の距離のあたりに10個ほどの恒星がある。こういう恒星はわれわれも夜空を見上げればだいたいわかる。観測する気になれば、およそ1000光年の距離までの星たちが見える。見ていると、星々は夜空にびっしり針の穴をあけたように煌めいてはいるが、実際の恒星と恒星のあいだは少なくとも3光年(30兆キロ)ほどは開いている。恒星間の平均距離は直径の3000万倍以上はある。
 この疎密感はわかりにくいだろうが、太平洋にスイカが3個ほどぷかぷか浮かんでいる程度だ。だから恒星どうしが衝突するなんてことはまずありえない。
 もっと太陽系から遠ざかると、多様な天体が見えてくる。たとえば、おうし座の中のスバル(約400光年)、白鳥座の北アメリカ星雲(約2300光年)、オリオン座のオリオン大星雲(約1500光年)、こと座のリング星雲(約2600光年)、へび座のわし星雲(約7000光年)、おうし座のカニ星雲(約7200光年)などである。これらはすべて野尻抱影さんのロング・トムでも、ぼくが軽井沢に置いてあるちっぽけな天体望遠鏡でも、だいたい見える。アマチュア天文ファン垂涎の天体たちだ。これらはおおむね18世紀の天体観測者メシエによって精密に分類され、メシエ天体目録に登録された。「M31星雲」などの名称はここに由来する。またもや「M」なのだ。

 こういった星はすべて「星の一生」をもっている。星の誕生は宇宙空間に漂っている星間ガスがゆっくり回転しながら“星の種”をつくっていくことに始まる。
 星間ガスは平均して直径100光年くらい、質量が太陽の10万倍ほどもある。密度は1立方センチメートルあたり原子が1000個。温度は絶対温度で15度(摂氏マイナス258度)くらい。ガスの90パーセントは水素原子だ。残りはヘリウム原子だが、ごくわずかに炭素・窒素・酸素・ネオン・マグネシウム・珪素・鉄がまじる。この超微量な原子が星の一生が進むうちに、中心部にたまっていく。
 このガスがなんらかのきっかけでゆっくりと回転しはじめる。回転すると同時に中心部ができてきて、そこに質量の収縮がおこる。ぼくはかつてここに「光圧」がかかわったという仮説にご執心だったのだが、いまこの仮説がどうなっているかは知らない。
 回転と中心収縮とともにそれにつれて温度も上がり、1万年から10万年くらいたつと温度は1000万度ほどになる。こうなると水素がヘリウムに変わる核融合反応が連続的におこって、恒星は自立する。星は「回転する水爆装置」なのである。
 やがて生まれたばかりの星は進化して表面温度を上げていき、だいたい太陽と同じくらいの規模に成長したときに主系列星にランクされる。天文学ではつねに太陽が水準モデルなのだ。星が主系列星になるのは水素がヘリウムに変わり始めたときと見てよい。ヘリウムに変わる量が大半を占めはじめると、「星の一生」は次のステージに移る。いわゆる赤色巨星だ。
 ヘリウムは1億度程度以下の温度では核融合をおこさない。だから熱も発生しない。そういう状態では熱発生による内部圧力が小さくなっていくから、星は自分の重みで潰れはじめる。潰れはじめると、その勢いで中心部の温度が上がり、そのため水素がよく燃えるので、星の外側は逆に膨張していく。そうすると表面温度が下がって、星は赤く見えてくる。これが赤い星の外見になる。
 赤色巨星の潰れ方が進むと中心温度は1億度に上がってしまう。そうなると今度はヘリウムが核融合に入る。ここで炭素や酸素ができあがり、メンデレーエフの元素周期表の順に星の内側に向かって元素が着々と組成されていく。ここから先、星はまことに多様な展開を見せる。星の人生に個性が出てくるわけである。
 
 星の個性は質量によって決まる。大きいか小さいか、筋肉質か柔らかな体かで、個性の発揮が異なってくる。星の個性は体質で決まるのだ。天体物理学の目盛りでは、太陽の質量の4倍以下と4倍以上で体質を区別する。
 その4倍以下の「軽い星」では、中心部の温度はそれほど上がらず、元素複合星ができあがって、星は摂動してその外層をまわりの空間に吹き飛ばす(頻繁きわまりない火山噴火のようなものである)。そのため内部の高温部分が素通し丸見えになることもあり、この高温部分の明るさが吹き飛ばした外層を輝かせることもある。これはリング星雲になる。まことに美しい。しかし、こんなことをしているうちに、優等生の「軽い星」も中心部が収縮をくりかえして、見かけはついに半径数1000キロの地球くらいの星となっていく。そのくせ質量が1立方センチメートルあたり1トンにものぼる。これが白色矮星である。白色矮星はしだいに冷えていって、静かにその一生を終える。
 一方、太陽の4倍以上の「重い星」のほうは、ヘリウムが核融合するまでは「軽い星」とほぼ同じ人生を歩む。「軽い星」と「重い星」は小・中・高が同じなのだ。ただし、スピードがちがう。「重い星」は飛び級をした。そのため中心部の温度は大学を出るころには約3億度に達する。この温度上昇はその後もとまらず、ここで「重い星」は2つのコースを選択する。
 ひとつは、炭素の核融合がおこって、星全体を内側から一挙に吹き飛ばしてしまうコースで、これがその名も有名な「スーパーノヴァ」(超新星)になる。カニ星雲はこうして生まれた。Ⅰ型超新星という。もうひとつのコースは太陽質量より8倍ほど重い星がとるコースで、ここでは炭素の量が多いので核融合によって大量の熱が発生する。そのため中心部がいくぶん膨張して温度上昇を抑える。その結果、核融合反応が適度に進行して次々にそこから元素が生まれ、最後に鉄の原子核ができる。鉄の原子核は核融合しないので、中心部は冷えていく。
 これがぼくが名付けた「宇宙のアイアン・ロード」というもので、これについては252年ほど前のことになるが、『全宇宙誌』(工作舎)に詳しい解読をしておいた。「重い星」はノヴァになって宇宙空間に飛散るか、中心に鉄を作ってその荷重の宿命とともに進むか、この選択をしているという論考だ。
 鉄の荷重をふやした星は、やがてその荷重に耐えられなくなって中心部が押し潰されて、外層も中心部にむかってなだれこむ。ここでふたたび岐路がくる。きわめて堅い中心部ができたばあいは、外層が中心部に急速にぶつかって、ここにまたまた大爆発がおこってハイパーノヴァになる。これを含んでⅡ型超新星という。大爆発がないばあいは、さきほどの白色矮星に近い道を歩む。
 Ⅱ型超新星になった「重い星」は、その中心部分が鉄の原子核が溶けてできた中性子だらけになるので、ここで中性子だけからできた中性子星に姿を変える。他方、太陽の質量より30倍も重い星では、この中性子星の段階になるよりはやく、鉄の中心核に星の外層が落ちこんできて、この小さな中心領域に重力が集中して、すべてのものがこの中に吸い込まれた状態になる。これがブラックホールである。ブラックホールは「毛がない」といわれるように(外がハゲているのではなく、中がハゲている)、この世で一番速い光さえもここからは抜け出られない。重力場の特異点がつくられたのである。

 ざっとこんなふうに、天体たちはそれぞれの体質にもとづいた別々の人生を歩んでいく。人生は別々だが、これらの星々はそれぞれ集まって銀河系をつくり、さらにその銀河系が集まって銀河団をつくっている。
 天の川は銀河系のひとつで、左右に長い腕をもった円盤状の姿をしている。それでもざっと2000億の恒星が集う。その中心には「バルジ」とよばれる直径15000光年の球状星団がある。バルジの星は古い星ばかりで、いわば銀河の古老集団にあたっている。ハローには約200個の球状星団がいる。
 銀河団には、たとえば、おとめ座方向約5900万光年のところにおとめ座銀河団がある。3000個をこえる銀河でできている。べらぼうなスケールだ。視線方向に細長く、9000万光年にわたる巨大フィラメントをつくる。
 われわれの銀河系(天の川)をふくむ局所銀河系群は、このおとめ座銀河団の重力の中心のほうに引っ張られて悠然と動いている。銀河団のコアがほとんど楕円銀河で占められている理由ははっきりしない。
 そうした銀河団が10個以上ほど集まったものを超銀河団という。その大きさは3億光年におよぶ。おとめ座銀河団も超銀河団に属する。かみのけ座銀河団もかみのけ座超銀河団に属する。重要なのは、銀河団は銀河団どうしの重力によって引き合っているのだが、超銀河団は宇宙の膨張速度による影響をうけているということだ。
 超銀河団には、もうひとつ特徴がある。鮮明な境界がない。超銀河団がくっつきあっている。けれども超銀河団としてのまとまりもある。そこで1990年代に入って、このような超銀河団が形成する宇宙構造に「泡宇宙」という、いささかいかがわしい名称が与えられた。なんだか宇宙全体がソープランドのようになってきたのだった。しかし泡宇宙論はきわめて重要な発見もした。泡の一部には巨大なボイド(空洞)があるのではないかというのだ。実際にも、うしかい座方向五億光年のあたりになんと2億光年にわたるボイドが発見されもした。
 ここまでくると、宇宙の全体はいったいどのように決まっているのか、それが気になる。銀河系や銀河団や超銀河団が宇宙全体に組み合わさっているということまではわかるものの、では、これらが総じて、どういう大ドラマの中にあるのかということは、以上のような個々のドラマからは見えてはこないからだ。
 そこでここからは宇宙全体の進化というシナリオを用意する必要がある。これがビッグバンからビッグクランチにおよぶ宇宙進化シナリオというものになる。最初の鍵は宇宙が何によってどのように膨張しているのかにかかっていた。
 
 いま、宇宙の歴史はおよそ137億年か138億年くらいであろうということになっている。そう言われてもすぐには見当もつかないけれど、この年齢を、なんだそんな程度かと思う向きもあろう。生命の歴史が30億年とか40億年とかいわれているわりには、浅い気がする。しかし、これは浅いのではなく、速いというべきなのだ。
 第167夜(ハッブル『銀河の世界』)にのべたように、宇宙年齢の本格的な算定を最初になしとげたのはエドウィン・ハッブルである。観測と計算によって宇宙が膨張していることから逆算した。
 最初に狙いを定めたのはアンドロメダにあるセファイド変光星だった。ウィルソン山天文台の2.5メートル望遠鏡(当時世界最大)を自由に駆使できるハッブルならではの発見だった。遠く離れた銀河が互いに遠ざかりながら離れつつあることを知ったハッブルは、互いに1000万光年離れた2つの銀河が秒速300キロで遠ざかっているのなら、以前にはこれらがもっと近かったと推理して、100億年ほど前には2つの銀河は重なっていただろうと結論した。
 こうしてハッブルは、銀河の遠さの距離が2倍になれば遠ざかる速度も2倍になるという「ハッブルの法則」(後退速度は距離に比例する)を発見した。
 遠くの銀河ほど高速で遠ざかる。これはどういうことを意味しているのかというと、たとえば、われわれがいる銀河が過去に爆発していることは観測されているから、その銀河爆発の力によって星々が遠ざかっているのだろうと考えてみる。けれども、この見方で後退速度が距離に比例することを説明しようとすると、昔に飛び出した銀河ほどより速く飛んでいることになる。銀河は昔のほうが威勢がいいということになる。これは辻褄があわない。われわれの銀河から銀河が飛び出していくとすると、われわれの銀河の数はどんどん少なくなっていくはずである。
 銀河は何万何10万とあり、1つの銀河に含まれる星は少なくとも1000億はある。太陽系が所属している銀河の星の数はだいたい2000億だ。そう考えていくと太古の銀河はばかでかかったことになる。それに、あと1、2回ほど銀河爆発がおこると、われわれの銀河の星はどうみてもほとんど飛び散らかって、なくなるにちがいない。こんなことがおこっているとも思えない。
 加えて、宇宙の膨張はわれわれが地球から天体を見てそうなっているだけではなくて、どの銀河の一点から見てもそれぞれ遠のいて見えるはずなのだ(宇宙の等方性)。銀河爆発で宇宙が膨張しているという説は、この条件も満たさない。
 
 ハッブルの法則があてはまる宇宙膨張の理屈を考えるには、新しい考え方をとるしかない。とくに、宇宙に中心があってこれが膨張していくという見方を捨てなければならない。
 われわれの身のまわりのものは、だいたい中心がある。森にも都心にも家にも中心が想定できる。が、これらはすべて端か周囲かがあるものであって、端がないものには中心があるとはかぎらない。球には中心がある。その中心が球に覆われている。では球の表面はどうか。球の表面世界にはどこにも中心はない。だから端もない。無限に長い棒にも中心はない。棒の中心はちょうど長さが半分のところにあたるのだが、無限に長い棒ならどこをとってもそこが中心になる。これは中心がないに等しい。
 宇宙もこういうものなのである。かつてジョルダーノ・ブルーノが命がけで主張したように(結局、火あぶりになった)、宇宙はどこにも中心がないか、もしくは多中心なのだ(宇宙の多中心性=宇宙原理)。ということは、われわれの銀河から見てすべての銀河が遠のいているということは、他の銀河から見ても互いに遠のいているということになる。つまりは、すべての銀河は透き通った球の表面にくっついて動きまわっている巨大なアリの集団なのだ。そして、その球自体が風船のように膨らんでいる。
 そこで、このアリ銀河とアリ銀河の距離の計算を、観測できたすべての銀河アリにあてはめてみると、あらゆる銀河(銀河団・超銀河団)がほぼ100億年前には一点に集中していることになった。このような結論が得られるのは、やはり宇宙が膨張していることを告げている。

 ハッブルの算定はいまではさまざまな訂正をうけて改正されている。膨張速度が宇宙史のフェーズによって異なっていた。最初期の爆発膨張力がものすごく、それがしだいに衰えていくことがわかった。また、銀河と銀河集団(銀河団・超銀河団)の遠ざかりの度合がかなりちがっていた。
 遠ざかりあうばかりではないこともわかってきた。たとえば、われわれの銀河とアンドロメダ銀河は秒速200キロの速さで互いに近づいているのだが、銀河団の中ではハッブルの法則があてはまらず、銀河間の重力の力が関与しているからだった。
 さらに最近になってわかったことは、宇宙は星と真空ばかりで構成されているのではなく、そこらじゅうにおびただしいボイド(空洞)とダークマター(暗黒物質)とがあって、星はほんの少々しかないだろうということだ。そのダークマターにも、熱いダークマターと冷たいダークマターのちがいがあることもだんだん見えてきた。もっとごく最近には、時間の進みぐあいとともに変化する正体不明の「クインテッセンス」(5番目の奴)という未知のエネルギーの影響があることもわかってきた。
 こうした条件を組み合わせて、宇宙半径をコンピュータではじくと、137、8億年くらいという数値になったのである。こういう宇宙史のなかで最も重要なドラマは、すでに見当がついただろうとおもうが、宇宙膨張と物質の量の関係である。

 宇宙膨張は重力によって引きとめられるが、その重力は物質の存在によって生じる。したがって物質の量が少なければ、宇宙膨張はいくらでも続く。物質の量がある分量に達すれば、宇宙は膨張したのちに収縮に転じる。
 そのある分量を「宇宙の臨界量」というのだが、この臨界量をこえてもなお物質の量がふえつづければ、宇宙はどんどん収縮しつづけて、論理的にはついに一点に縮んでしまうはずである。これがビッグクランチである。一巻の終わりではなく、一点の終わりになる。
 これらのことから、宇宙が「閉じた宇宙」なら膨張はいつか収縮に転じ、「開いた宇宙」なら永遠に膨張をつづけるというヨミになる。そのヨミの決め手を握っているのが物質の臨界量なのである。臨界量は1立方キロメートルあたり、たった100兆分の1グラムしかない。銀河の平均密度はその10万倍の高密度だから、計算すると、宇宙の任意の1立方センチメートルあたり水素原子1個という物質密度になる。つまり宇宙はきわめて稀薄なのだ。稲垣足穂がいう「薄板界」である。
 しかし、この話は観測可能な物質を計算の前提にしているだけなので、ダークマターやダークエネルギーを勘定に入れると、とたんに事情が異なってくる。宇宙が膨張するか収縮するか、宇宙のかたちが開いているか閉じているかは、いまのところは計測不能のダークマターやダークエネルギーこそが鍵を握っているということになる。
 と、いうことで、宇宙は137、8億年をかけてどのようになろうとしているかはまだわからないのだが、その逆に、かつてはどういうものであったかは、だいたいの太始の事情が見えてきた。
 
 137、8億年前の宇宙はどういうものであったのか。ビッグバンがあった。ビッグバンがあったということは、巨大宇宙はたった一点に集中していたということだ。
 どうにも信じがたい結論であるけれど、ハッブルの法則から帰結できる唯一の結論がこれなのだ。ということは、約120億光年以前あたりの宇宙光景こそが、落語の与太郎が大家に聞いても聞いてもわからなかったいわゆる「宇宙の果て」だったということになる。けれどもその奥があった。与太郎は驚いたであろう。「宇宙の果て」は実は「宇宙の原初」だったのだから――。
 原初の状態がどういうもので、その後どうなっていったかは、大家はむろん、ハッブルの法則をいくらいじくってもまったくわからない。これを解きあかそうとしたのがビッグバン理論である。宇宙は最初の爆発でその原形のすべてをつくってしまったという大胆な説だった。かつては火の玉宇宙論ともいわれた。
 ビッグバン理論の最初の提唱者は「不思議の国のトムキンス」を語り部にした、かのジョージ・ガモフだった。協力者にラルフ・アルファやハンス・ベーテもいたので、いっときはかれらのイニシャルをとってαβγ(アルファ・ベータ・ガンマ)理論ともいわれた。ぼくはそう言われたほうが懐かしい。

 ビッグバンによって何がおこったかといえば、最初に空間と時間が発生した。宇宙膨張は空間の膨張である。だから、論理的にはまず空間が生まれたと考える。
 時間とは、ひとつずつの空間を1秒、1時間、1日、1年と積み重ねることをいう。これは物理的な時間にあたる。時間には、この物理時間とはべつに生物的な時間などもある。いずれにしても時間は空間なしではありえない。ライプニッツはいみじくも「時間は秩序の継起である」と言った。そうだとするとビッグバンによって空間とともに時間も生じたということになる。
 ビッグバン時の宇宙は火の玉みたいになっていた。そこにはガス状の水素とヘリウムくらいしかない。あとは光(電磁波)だ。光の波長は宇宙膨張とともに伸びて長くなるから、過去にさかのぼれば光の波長はずっとずっと短かったと考えられる。波長が短くなるということは、高エネルギーになっているということであり、アインシュタインによればエネルギーは質量と同等だから、宇宙が過去にさかのぼればさかのぼるほど、光は重くなるわけである。
 火の玉宇宙では、その、高エネルギーで重い光が最初に満ちていた。さしずめ「火の鳥」だ。この「火の鳥」は最初に翼を広げて飛び立つところが一番の見どころで、それもあっというまに飛び立った。

 最初期のビッグバン宇宙は、「宇宙最初の三分間」といわれてきたように、超スピードで仕上がった。しかしいくら「火の鳥」だとはいえ、そんなことってあるのだろうか。宇宙の卵がたった3分間でできたなんて、それじゃ、宇宙は“ゆで卵”みたいじゃないかと言いたくなる。ぼくもスティーヴン・ワインバーグの『宇宙創成はじめの三分間』(ダイヤモンド社→ちくま学芸文庫)を読んだときは、納得しなかった。
 何がおこったかということは、なんら証明されているわけではない。いくつかの観測事実を組み上げてはいるものの、あくまで理論仮説なのである。けれどもいまのところはこの仮説以上のものはない。異なる理論もありうるだろうが(スウェーデンのノーベル物理学賞の受賞者ハンネス・アルヴェーンのプラズマ仮説など)、まだビッグバン理論の精緻な組み立てを崩すほどの反論は成立していない。それでも『ビッグバンはなかった』(河出書房新社)とか『宇宙誕生の疑惑』(大和書房)といった本がつねに書店を賑わせている。
 だからとりあえずはビッグバン理論を拠りどころに考えるしかないのだが、そう決意して詳細に立ち入ると、たしかにこれほどよくできた理論はないということもわかる。なによりも素粒子の究極の姿がつかまえられる。今日のビッグバン理論が「素粒子的宇宙論」とよばれるのも、この魅力によっている。
 
 宇宙の最初は「熱い光」そのものだった。これが「火の鳥」だ。温度は約1000億度。物質と輻射はまったく分化していない。想像つきにくいことだろうが、そのときの宇宙の大きさは米粒かボウリングの玉くらいだったろう。やっぱり“ゆで卵”くらいだったと思えばいい。そこには瞬間的に陽子・中性子・電子・ニュートリノ・反ニュートリノなどが混じって現れては消えていた。最初の熱平衡状態なのである。
 この直後に宇宙が膨張を始めた。インフレーションだ。それとともに温度が下がりはじめた。温度がちょっと下がると水素からヘリウムができて、すべての中性子はヘリウム原子核の中にとりこまれた。最初の原子核の誕生である。最小宇宙の誕生だった。この出来事がビッグバンのほぼ3分後にあたる。温度は約10億度になっていた。宇宙は最小の「素粒子の缶詰」の蓋があいて、動きだしたのである。
 ビッグバン宇宙は超高温・超高密度のプラズマ状態だった。そのためそこでは、水素やヘリウムの原子核と電子は完全自由な状態でとびまわっていた。このときの完全自由な光の放射が、いまでも宇宙を観測するとうっすらと感知できる宇宙背景輻射というものになっている。
 この輻射は絶対温度三度の物体から放射されるマイクロ波と同質のものであることもわかっている。発見したのはベル研究所のペンジアスとウィルソンで、これがビッグバン理論の最初の歴史的証拠となった。7月7日の那須で、ぼくが七夕の天体に感じた「宇宙のさざなみ」というのは、これだった。
 あらかじめ注意しておきたいのは、宇宙最初の3分間には、最初の最初の宇宙開闢の瞬間は含まれていないということだ。最初の宇宙の温度が1000億度に下がったときから数えての、3分間の出来事だけが組み立てられたにすぎない。ということは、この3分間のそのまた「直前」という状態があるわけで、この「直前」(すなわち缶詰の中)を問題にしたときにこそ、スーパーストリング理論やM理論が浮上してくるということなのである。
 その「直前」とは、まさに1秒とか1000分の1秒の宇宙の出来事になる。それを宇宙と言ってよいかどうかはわからないが、その缶詰の中を覗けば、そこには「4つの力」が互いに分離して、自由クォークとレプトンと光子のスープがあったことが見えるにちがいない。

 話を戻して、ビッグバン後の光景を眺めておく。光景としては2つの出来事がとくに重要になる。ひとつは「インフレーション」とよばれる高速膨張が急速におこったこと、もうひとつは「宇宙の晴れ上がり」がおこったということだ。
 宇宙はビッグバンから10万年ほど時間がたった。温度は3000度くらいに下がっている。ここではそれまで自由に運動していた電子が、陽子やヘリウム原子核のような正の電荷をもっている粒子に引かれ、それぞれ水素原子やヘリウム原子をつくった。原子は中性だから、この時期を「宇宙の中性化」ともいう。これは宇宙から電荷をもった粒子が消えた時期である。
 宇宙が中性化すると、光と物質の関係が変化する。宇宙の温度が3000度以上のときは高温のなかで電荷粒子が運動するので、光は放出されたり吸収されたりする。そのため陽子と電子と頻繁に衝突する。粒子が中性になってからは、光は放出も吸収もされないので、物質の状況とはまったく無関係になる。
 かくて3000度以下の宇宙では、宇宙を飛び交う光は物質と衝突することなくまっすぐ走る。この光景が「宇宙の晴れ上がり」にあたる。雲がばっと晴れて見通しがよくなったからだ。初めて光はまっすぐ進めることになった。「宇宙の晴れ上がり」は物質と光が無関係になって、宇宙に密度のゆらぎが登場してくる境目にあたる。
 ここまでくれば宇宙はいよいよ堂々たる光速進化の旅になっていく。ここからさきは星があらわれてもくれるし、銀河や銀河団も登場してくれる。太陽の一生の物語もスタートする。けれども、問題はそれ以前の話なのである。初期の宇宙がどうして急激にインフレーション膨張できたのかということ、それ以前の3分間を素粒子的宇宙論として解読するとどういうことになるのかということ、そして、3分間以前(つまりビッグバン以前)はどうなっていたのかということだ。
 もう一度、ビッグバン前後の光景を組み立てなおしてみたい。次にはその話をしてみるが、ここからがいよいよ素粒子的宇宙論と量子重力理論による宇宙論になっていく。スーパーストリング理論とM理論は、この途中から姿をあらわしてくる。

【また、つづく】