ステファヌ・マラルメ
骰子一擲
思潮社 1991
ISBN:4783728178
Stephane Mallarme
Un Coup de des Jamais N'abolira le Hasard 1897
[訳]秋山澄夫

 投-企。そして方法。

 一擲が詩になる。詩が一擲になる。そのどちらも、詩を何かに貼り付けたからできるのだ。
 マラルメにとって、詩が方法なのではなく、方法が詩であったのだ。その方法がどこにあったかといえば、紙に付いていた。

 類形同似、だって。

 オクタヴィオ・パスは、「フランス語はそのリズムの貧しさにもかかわらず、マラルメのおかげでこの半世紀のあいだに、ドイツ・ロマン主義が実質的に内蔵してきた可能性を展開した」と書いた。
マラルメのおかげで、というところ以外が当たっているのかどうかは、知らない。とくにフランス語のリズムが貧しいということは。ドイツ・ロマン主義との関係も、ノヴァーリスには強く惹かれていたけれど、とくに濃い線を引けない。
 むしろマラルメがオクタヴィオ・パスに与えた影響が大きい。そこだけを強調しておいたほうがいい。そのつながりにこそ濃い引き込み線があって、それは「イゾモルフィスム」(類質同形性)という引き込み線であるからだ。

 キリンは麒麟。

 イゾモルフィスムとは類似を繋ぐこと。類似は類似を呼ぶこと。マラルメにとっては、言葉が発するすべての類似の内側で、外なる類似をできるかぎり繋ぐこと。
 これはかつて象形文字そのものが知っていたことで、ライプニッツが「モナド」と呼んでみたかったものでもある。ただし、マラルメのモナドは文字のモナドで綴られた。

 象形モナド文字。マラルメが蹲る。

 マラルメが発見したイゾモルフィスムは「類推の魔」と名付けられた。万象の諸関係の総体のために用意された方法である。ぼくもしょっちゅう使っている。
 が、これはレヴィ・ストロースとジルベール・デュランがやっと辿りついた時期から数えると1世紀前に発見された方法で、意味作用の複数性もしくは複合性こそが意味だった、ということを告げるための方法だった。ついでにいうなら、ソシュールより1世紀半前に、マラルメは構造言語学の基礎を独力で打ち立てていた。
 こんなことはマラルメにとってはお茶の子さいさい。マラルメはさまざまな領域方法の発見者だった。まずは詩篇だ。誰も試みなかったことを試みた。アンドレ・ジッドはマラルメ晩年の結晶『骰子一擲』を「人間の精神がおこなった冒険の究極である」とまで絶賛したし、同時代の偉大な先輩だったティオフィル・ゴーティエはただ一言、脱帽!と言った。
 サルトルにいたっては、何も社会活動なんてしなかったマラルメの作品そのものに、わざわざ「アンガージュマン」(現実参加)の称号を贈った。

 偶然の持続。マラルメ生涯の方針。

 いまぼくがマラルメから引き出したいことは、マラルメの業績では一般にはそれほど知られていない「書物」と「流行」ということの、そのうちの「絶対書物」ということでありたい。
 が、それを引き出すのを少しだけ我慢して、なぜマラルメが『エロディアード』を綴るのに「地球の外の印象を感じとる」ための言葉を磨いたのか、なぜ『半獣神の午後』のような作品を書くために、イストワール(物語=歴史)の顛末を凝縮したいと思ったのか、その話を誰かにこっそり教えたい。
 ボードレールに始まった高踏派は次の曲がり角に来ていたわけである。それが最後には最後の『骰子一擲』になったわけだった。詩は書物であり、書物であろうとすることが、詩だったのである

 天体の息子。マラルメの別称だ。

 マラルメの詩はすべての詩篇、単語の一つずつ、その言葉の表象する対象の一つずつが、すべて何かの交点を暗示するようにつくられている。そして、そこからさっと糸を引き抜く。

耳で見るオトグラフ。

 だから、マラルメの筆跡はまことに細字。かつ人生すこぶる淡いかぎりだ。作品は? 作品はマラルメ自身の言葉によれば「暗い災厄からこの世に落ちてきた静かな岩」だというのだから、あたかも夜の帳(とばり)が降りたようもので、そんなこと、気がつかない奴には決してわからない。
 それがわかりたいなら、試みに自分で「夜の帳」と題したエッチングをしてみればよい。何本の線条をいったいどこまで刻めば、夜がどのように降りてくるのかがわかる。

 余白。そこからマラルメは歩いてやってくる。

 詩思考とは、余白を責めることである。ところが、1行の文字は1行の余白を殺したぶん、1行をはるかに超える意表の余分をつくる。この勘定は、あわない。マラルメがはみ出るか、それとも詩をはみ出させるか、あるいは行を殺すか。
 マラルメはそのすべてを格闘し、そのすべてを繊細した。そのすべてを調合し、そのすべてを減殺した。それを一言でいうなら、インタースコアだ。相互記譜である。ただし、絶対書物という自立においての、そのための――。

マラルメは非-個人。

 擦り減らす「対の関係」というものがある。このことを知っているのはマラルメか、世阿弥か、デヴィッド・リンチだ。そうでなければスティーブン・ジェイ・グールド
 減らすのは対であるのだが、減数分裂をしてはならない。むろんタイスウ・ブンレツでもない。自分に何もふえないように一対の関係を消去すること。それである。では、そのようにしたことを、誰が見いだしてくれるのか。そのときは、そう、そこをイタリック体にすればいい。それから、骰子(サイコロ)のどこかの数字を一つだけ消しておけばいい。
 マラルメは言語の魔術師なんかではなかったのだ。マラルメはついに個人であることを拒否しつづけた六面骰子の書物だったのだ。

 絶対書物。それは突発。

 マラルメが計画していた書物は、ぼくが計画してきた書物の列柱にあたり、これからぼくが計画するであろう書物の東向きの窓にあたっている。
 ポール・ヴェルレーヌはこう書いた。「マラルメはいま一冊の書物と取り組んでいるところだが、その書物の深さは万人を驚かせ、その壮麗な輝きも、盲人をのぞいて、同じく万人を幻惑するだろう。それにしても、友よ、いったいいつになるのか」。
 1884年ころ、マラルメのサロン「火曜会」に集まる少数の者たちにむけ、マラルメはきっと書物の計画を洩らしたのである。翌年のヴェルレーヌへの手紙では――書物は突発だ。
 「20年以上も前から、私はいつも違うものを夢見て、試みを続けてきました。あたかも錬金術師のように、です。その“違うもの”とは何か。言いにくいのですが、数巻よりなる書物というか、建築的で、あらかじめ熟考された書物、もっと突っこんでいえば、究極的で、絶対的な書物だと申せばいいでしょうか‥‥」。
 そんなことはマラルメに言われなくともわかっていたのだが、それなのにマラルメが恋しいのは、恋しいのは――。

 書物とは、逆脱落。

 中国ではページは頁(けつ)である。その頁が丁になり、その丁が葉になり、その葉が冊になる。
 では、当初に冊から始まっている先行する書物たちとは何なのか。ピーター・グリーナウェイはそういう書物を許さずに、そこから零れる超越映像を食べてしまうオペラ計画をもっていた。
 ぼくもそんなことを100冊の円環に封じ込めたことがある。 封印の内側に厖大な集積回路を用意して。けれども、それはマラルメの計画そっくりに実現しなかった。なぜかといえば、ぼくもマラルメのように神経細胞に頁をもってしまっていたからだ。

 ISISのマラルメが、次に。

 『骰子一擲』とは、投げられる前の骰子が書物でありうるということだ。マラルメの計画は、計画そのものが書物の骰子。その神殿であるような想念。その配列だけになることだ。
 マラルメが絶対書物の計画に着手しつつあったのはあきらかだけれど、そこに一冊の書物が想定されてはならなかった。著述したい書物があるのではない。書物という絶対的なものだけが空中放散してほしいだけ。マラルメの決意が書物だったのだ。
 やはりマラルメのISISは再生されるべきなのだろう。書物は冊知‥。書物は、挨冊‥。書‥物は・冊戮‥。書物は‥観冊‥‥。書物は診・冊‥‥。書・物・は・冊傷‥‥‥。書物は‥冊害‥‥。書‥物は‥暗冊‥。‥‥書‥物‥‥は‥‥‥表冊?

1896年頃のラマルメ

1896年頃のマラルメ

参考¶マラルメを読むのはマラルメになることだ。まだ最後の1巻が刊行されていないけれど、なんといっても筑摩書房の全4巻の『マラルメ全集』が銀色の函で手放せない。とくに第4巻。詩集なら定番は鈴木信太郎訳の『マラルメ詩集』(岩波文庫)かもしれないが、なんだかぼくの性にはあわなかった。10年くらい前だったか、関西大学出版部が刊行した『マラルメ詩集』(加藤美雄訳)が、その解説を含んで手作りで、マラルメの洋服に袖を通す雰囲気がした。
 マラルメ論は数かぎりない。一番古くてマラルメの星図のように輝いているのがアルベルト・ティボーデの『マラルメ論』(沖積舎)、一番新しくてマラルメの行数のように踊っているのがギィ・ミショーの『ステファヌ・マラルメ』(水声社)。

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