トマス・ホッブズ
リヴァイアサン
岩波文庫 1954
ISBN:4003400410
Thomas Hobbes
Leviathan 1651
[訳]水田洋

 生存は譲渡不可能なものである。だからこそアナキストが「さあ、この命、もっていけ」というのやテロリストの自爆は、この原則を大幅にくつがえすものとしての意味をもつ。
 しかしこれは例外であって、どんなシステムやステートにおいても生存権は譲れないということが大前提になる。それゆえ自身の生存は自身で保つ以外はない。これが自己保存権である。ホッブズの政治思想はここから出発する。
 ところが、心身の健全な個人が自己保存権を守りきろうとすれば、どこかで別の個人との自己保存との摩擦や競争がおこることは避けられない。憎悪も対立も殺害も、このためおこる。これらの個人の生存保存欲が個々ばらばらにつながれば、そのうち集団間での戦争まで発展しかねない。これが社会の自然状態というものだ。
 この自然状態から生まれる対立と混乱を解消するには、村落や自治都市などを想定することになるが、これを最大限に拡張すれば、そこに国家主権を設定することになる。このとき個人に発生する人権と国家に発生する国権はどのような緊張関係をもち、どのような調整をはかるべきなのか。そこにどのような政治社会システムがあるべきなのか。
 これが『リヴァイアサン』という大著のテーマになった。時代は17世紀のイギリスを舞台にしている。

 ポール・オースター(第243夜)に『リヴァイアサン』(新潮文庫)がある。一人の男が道端で爆死して、その死体が15メートル四方に散乱した。
 この男ベンジャミン・サックスは自由の女神像を爆破しようとしていたテロリストだった。アメリカには自由の女神が各地に何体も何十体もあって、それをことごとく爆破しようというテロリストである。男は何度かの成功で「ファントム・オブ・リバティ」(自由の怪人)を名のっていた。この男と作家である「私」は、ある朗読会で一緒になったことがあった。ちょっと親密感も感じていた。それに「私」は彼の女房が好きだった。それにしても、その男がどうしてテロリストなどになったのか。その男が追いつめたかったリヴァイアサンとは何か。「私」はその謎を追ってさまざまな人物たちに出会っていく。なぞは深まるばかりだが、「私」は国というものの本質にどこかで触知したように思った。そういう小説である。

 リヴァイアサンは旧約聖書に登場する巨大な幻獣のことであるが、当然、ポール・オースターはホッブズの『リヴァイアサン』を下敷きにしている。すなわち近代国家の先駆体としてのリヴァイアサンである。
 そこには絶対の権力が秘められている。どんな個人も、その根本の生存を追求すれば、いつかリヴァイアサンに出会うことになる。
 オースターはこの問題を20世紀末のアメリカ社会に蘇らせようとした。小説冒頭のエピグラムに、エマーソンの「すべての現実の国家は腐敗している」を引いているのも、オースターの言いたかったことを暗示する。プロットやテーマからして、映画にすればおもしろくなるだろう

さて、ホッブズが『リヴァイアサン』で設定した問題は、国家が個人を圧殺する宿命をもっているということではなかった。
 ホッブズの時代の国家は王権時代である。王権が主権であるような社会では、この自然的な生存権を保証しようとするときにどういう問題がおこるのか。ホッブズはそこを考えたかった。
 王権は臣民の生存保存権を保証しなければならない。そのためには人権は絶対視されなければならない。ときには臣民に絶対服従をしてもらわなければ、王権下の人権は統制できない。しかし、王権が臣民の生命と身体を傷つけるようになるなら、その者は絶対服従を解除されて抵抗または逃亡する権利があるはずだ。それが生存権というものである。けれども、このように考えると主権と人権はどこかでどうしても矛盾する。そこをどう考えればいいか。
 そこでホッブズは、国家というものは人権が寄り集まって国家をつくるのだと考えた。すなわち国家機構は、厖大な人間が集まってつくりあげられた巨大な“人工人間装置”のようなものではないか、それは幻獣リヴァイアサンのようなものではないかと考えたのである。
 このことは、『リヴァイアサン』の第1部で国家の諸機能を人体と比較していることにもよく象徴されている。
 あまりにアナロジカルな“国権-人権近似説”のようにも思われるかもしれないが、このような国家機構観はそれまでまったくなかったものだった。独創的だった。そのため、発表当時は次世代の理神論者やデヴィッド・ヒュームなどをのぞいてまったく理解されなかったのだが、やがて啓蒙時代がやってくると、ルソー(第663夜)やモンテスキューによって「社会契約説の先駆理論」として評価されるようになった。

 ホッブズが幻獣国家リヴァイアサンを“発見”したのは、ホッブズがフランスに亡命していたときのことである。
 クロムウェル率いる議会軍隊によってチャールズ1世が断頭台で処刑されるという前代未聞の“市民革命”のなか、ホッブズが陰謀をたくらんでいるとか無神論者扱いされたからだった。10年以上の亡命生活だった。が、そこでホッブズは近代国家の怪物たるリヴァイアサンを“発見”する。
 ホッブズがリヴァイアサンを“発見”したのは、社会に自然状態というフィクションを想定できたからだった。国家も法律もない社会に裸の人間をおいてみる。このフィクションからスタートをして、何がおこるかというシナリオを考えた。
 このシナリオでは生命原理がエンジンである。それが生存権にあたる。ところがこれでは「万人の万人による闘争」に陥ってしまう危険性がある。これを克服するには、個人はいったん個々の生存権をどこかに“おあずけ”し、万人闘争を休止させる必要がある。単なる“おあずけ”では誰も承服しない。それは封建制への逆戻りになる。人民の徒手空拳の“おあずけ”を保証する機構が必要である。ホッブズはそれがリヴァイアサンとしての国家だとみなしたのだ。ルソーはこの“おあずけ”に社会契約説の先駆性を見た。

 このリヴァイアサンとしての国家機構は、以上の理由からもわかるように、個々のすべての生命と身体をすべて吸収したものである。そのため、国家機構のどんな部位にも個々の生命や身体の代理機関や代償部品がびっしり装着されることになる。そういう意味では、これは無数の人間を集合させた化け物である。
 そうなのだ。リヴァイアサンはちっぽけな人間を無数に集めて造られた巨大なトロイの木馬であり、人間まがいのチップを集積した巨大な回路であり、人体をばらばらに部分解体してこれを別のプログラムで再生させた超大型マシーンであって、つまりは、フィリップ・K・ディックの『ヴァリス』(第883夜)あるいは大友克洋の『AKIRA』でもあったのである(第800夜)。

 スペインの無敵艦隊がイギリスを侵攻しようとしている噂がもちきりの1588年、トマス・ホッブズはブリストル近郊に国教会牧師の子として生まれた。この1588年がちょっとした暗示的な年だった。
 レギオモンタヌス(ヨハネス・ミューラー)の予言ではマリアの処女出産から1588年目に世界大混乱が到来し、メランヒトンによれば1518年にルターが法王に反逆してから70年目にアンチキリストが倒されて最後の審判がくだることになっていた。そういう1588年だ。こんな時代にホッブズは91歳もの長い生涯をおくった。ただし有為転変は激しいものだった。
 キャリアのスタートはオックスフォードのプレイズノーズ・カレッジである。当時のオックスフォードはまだスコラ哲学一辺倒で、プトレマイオスやプリニウスの自然観・宇宙観が大学に覆いかぶさったまま、むろんコペルニクスの天体回転論などまったく無視されていた。
 ルネサンス期とちがって、少数のエリート学生たちはろくに勉強をしていない。過渡期社会が来ていたことをあらわしている。
 ホッブズもきっとつまらない学生生活を送ったと思われるけれど、そこへちょっとした幸運が転がりこんだ。イングランド有数の名門キャヴェンディッシュ家の初代ハードウィック男爵が長男ウィリアムの家庭教師としてホッブズを選んだ。これでホッブズは長きにわたってキャベンディッシュ家の庇護をもらえることになった。もうひとつ、ふたつ、退屈なホッブズを変えてくれた幸運がある。

 1610年、ホッブズはウィリアム・キャベンディッシュと大陸旅行をした。アンリ4世が暗殺されたフランスにもいた。このときホッブズはカトリックというものが狂暴になりうることを見る。宗教が人民を統括していないことを知ったのは収穫だった。
 この旅行から帰って、ホッブズはフランシス・ベーコンの秘書の一人になった。すでにベーコンはジェームズ1世の大法官になっていたが、スコラ哲学とは正面から対決しようとしていた。このベーコンに従事したことが大きかった。庭園を散歩しながら口述するベーコンの思想をずうっと筆記したことだ。
 ベーコンの著述をラテン語に翻訳する機会も得た。ベーコンの指示でツキディデスの『ペロポネソス戦史』も訳した。ベーコンは幾何学にひそむ方法に深い可能性を感じていたので、ホッブズもユークリッド幾何学を初めて知った。こんな機会を得て哲学や思想というものを歴史的に見るというバネと、幾何学的な方法で社会を見るというバネをつけたホッブズは、しだいに政治思想というものに関心を寄せていく。『リヴァイアサン』はベーコン流の社会幾何学を下敷きにした政治哲学書だったともいえる。
 ベーコンはまたウィリアム・ハーヴェイをホッブズに紹介した。血液循環論のハーヴェイである。これでホッブズは科学にめざめた。のちにガリレオやガッサンディなどともサロンで出会っている。ホッブズが『リヴァイアサン』で見せた一種の冷徹な客観主義は、こうした科学への共感にも、もとづいていた。

 イギリスのウェストミンスター国会議事堂へ行ってみると、正面にオリバー・クロムウェルの銅像が立っている。日本の国会議事堂の正面ホールには板垣退助と伊藤博文が両側に立っているのだが、クロムウェルは右手を剣の束に置き、左手に聖書を携えている。
 1642年から48年におよんだクロムウェルの革命、いわゆるピューリタン革命(最近はイギリス市民革命と呼ばれるが、はたしてそうなのかどうか)については、ホッブズは懐疑か憎悪かをもったにせよ、その動向の意味がよくわからなかったのではないかと思われる。
 いや、クロムウェルという人物がわからなかったのではないか。なんといっても国王を処刑してしまった男なのである。いったい何がおこったのか。イギリスにおいても長らく評価が定まらず、最近になって市民革命の嚆矢であったろうことが定説になってきたのだが、これに納得できないものも少なくない。ましてホッブズの同時代では何がおこっているか、納得はできなかったはずである。

 そもそもチャールズ1世が1640年に招集した議会が、なんと11年ぶりのことだった。たちまち国王と議会が対立し、国王大権に対する徹底制限を求める抗議文が下院を通過した。ここで国王派(長老派)がこの危機に押されて逆に結集した。クロムウェルは議会派に立ち、鉄騎隊を組織してしだいに激化する対立を内戦に導き、チャールズ1世を捕らえるにいたった。
 これで万事は一段落と判断したクロムウェルが軍隊を解散させようとすると、兵士たちの反発が高まり、ここからクロムウェルは軍への懐柔と議会の強化の両方をハンドリングしていく。
 その後、クロムウェルはしだいに権力志向を逞しくして、とくに反議会派の拠点であるアイルランドやスコットランドの征圧を遂行してからは、自身を「護国卿」に任命すると、新たな護国卿を頂点とする新体制を樹立することに邁進するようになった。
 途中、一時はクロムウェルを国王にする動きもあったのだが、これは反対派に潰された。結局、広範な支持がないままに軍事独裁型の護国卿政権を維持して、1658年に死んだ。
 こういう動向をホッブズは亡命先のフランスでじっと見ていたのである。チャールズ1世がルーベンスやヴァン・ダイクをロンドンに招いたことも(この招聘によってイギリスの芸術活動はこのあと隆盛期を迎える)、クロムウェルが議会軍の指導者として進軍していったことも、国王が処刑されたことも、クロムウェルの「章典」の発布も、また言論の自由を押さえる議会派に対してジョン・ミルトンが『アレオパジティカ』を刊行したことも、対岸からことごとくじっと眺めていた。いや、最近の研究によるとホッブズはかなりの情報を母国から取り寄せていた。
 こうして、このとうてい理解しがたい故国の動向の一部始終を凝視できたことによって、『リヴァイアサン』という反撃が執筆されたのだ。ぼくには、これはクロムウェルによる「血を見る革命」に対するにホッブズの「血を出さない国家」の提案だったとも思える。

 一言加えておく。ホッブズの政治思想は「死への嫌悪」をもっている。社会におけるタナトスの徹底排除をなしとげたのが『リヴァイアサン』だった。
 これは生命原理だけで環境社会を保護しようとしている今日の環境倫理思想に似ていなくもない。ポール・オースターも登場人物の会話で仄めかせていたことであったが、全体の健康や全体の保護を考えることは、ある意味では狂気の発動に近いものでもあったのである。
 同じことを稲垣足穂は「全体の病気を持ち出そうとする者ほど、病気にかかっている奴はいない」と書いた。ホッブズの提案は社会契約としての国家として近代国家のモデルになったけれど、その国家が一度だって出来がよかったためしなど、なかったのである。

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