ティモシー・リアリー
神経政治学
トレヴィル 1989
Timothy Leary
Neuropolitics 1977
[訳]山形浩生

 ニクソン政権下、ティモシー・リアリーは彼の言い分による“イデオロギーの囚人”として、独房にぶちこまれていた。実際はたいした罪状などなかった(マリファナ所持の程度)。本書の前半はそこで書かれた。
 リアリーは、影響の大きすぎるプログラムやニューパラダイムを発明した者が社会のメジャーリーグに出るときは、その多くが無視されるか、ペナルティボックス送りになることをよく知っていた。だから、独房にぶちこまれたことは、リアリーの誇りになっていた(おまけに脱獄をして有名を馳せた)。

 独房のリアリーが「ニューロポリティックス」(神経政治学)という奇抜な対抗計画を思いついたのは、のちにアップル社をおこすスティーブン・ジョブスとウォズニアックが粗末なガレージでシリコンチップと格闘を始めた時期にあたる。リアリーはそんなマイクロ・コンピュータ誕生前後の時期、本書に600ほどのアイディアを知識電極のように埋めこんだ(本人の勝手な算定による)。あまりに早熟な知識電極だった。
 本人の弁によると、その3分の1はまったく理解してもらえないようなこと、3分の1はおそらく関心すらひかないだろうこと、残りが読者の叡知のトリガーを引くものだという。
 すぐにわかることだが、リアリーはどんなアイディアも惜しみなく提示するのだが、それが断片ではなくてなんらかの予備システムに組み立てられているということは、めったにない。これはリアリーがアイディアこそがソフトウェア・プログラムそのものだと確信していたせいでもあった。

 本書は2部構成になっていて、そのなかの区分がいくつかに分かれている。もっともここにはどの刑務所でそれを書いたかという違いがあるばかりで(ティムは何度も刑務所に入っている)、とくに大きな意図の違いというわけじゃない。
 それでも本書の2つのタイトルはとんでもないもので、「地球政治の黄昏」と「地球外政治の夜明け」というものだ。いったいこの荒唐無稽なスケールは何なのか。ふつうなら、大半の読者はここでたじろぐことだろう。けれども、第1部「地球政治の黄昏」はアメリカの病根とティム自身の60年代的先駆性を振り返った文章で、リアリーが1960年にハーバード大学に招かれて、当時は「行動変化」とよばれた研究、つまりはLSD投与による意識実験をしたことをきっかけに、その後に何を考えようとしたかが述べられるのであって、そこまでだけなら、驚くことはない。
 幻覚性精神治療とか性格分析とかオルターナティブ・セルフの発見とか呼ばれたその実験研究は、ようするにヘッドトリップをしてターン・オンするとはどういうことかを、世界に先駆けて表明したわけなのだ。
 しかし第2部になると、突如として宇宙移民をするための計画が述べられる。しかもそのためには、従来とはまったく異なった方法による中央集権も地球意識を巨きく束ねていくべきだというのだから、これはオカルト政治かマインド・コントロールか、そうでなければ単なる妄想である。それともティヤール・ド・シャルダンの再来か、オーロビンド・ゴーシュのニューロダイナミックス版か?

 ふつうならそう思いたくなるのだが、ところが誰もティモシー・リアリーをそんなふうには思わなかった。
 それどころか、唯一の例外を除いて、リアリーはすべての意識開放技術の先駆者とみなされたのだ。唯一の例外はアメリカ連邦政府であった。
 ようするにリアリーは、そのアイディアの発端においてすべての常識的社会を突き抜けようとしたのであるが、その途端にその前途をアメリカ政府によって阻まれたのだ。そのため、リアリーの著述活動のいっさいは、この立ちはだかる巨壁そのものを突破するためのセンセーショナル・メッセージに変貌していったのだった。
 が、それはともかく、リアリーがだいたいはどういうことを書いているかを、簡単にかいつまむことにする。あらかじめ言っておくが、以下にかいつまんだことは本書からすべて濃縮したものではあるが、このほかのリアリーの著書『大気圏外進化論』(リブロポート)や自伝の『フラッシュバックス』(トレヴィル)でも、だいたい似たようなことが書いてある。念のため。

 最初に端的にリアリーの考え方の出発点を言っておくと、リアリーは「自我」や「現実社会」というものは神経のシナプス連結の束がつくりだした一種のフィクションであって、表層的な交感性パラノイアの産物にすぎないとみなしていた。
 そこで、それに代わって、神経回路が直接に論理表現となるような言語やシステムやソフトウェアが開発できるなら、くだらない精神病の摘発や妄想の軍門に下っておかしくなる連中も少なくなるのではないか。そう、考えたのだった。
 ようするに人間が自分のアタマの使い方を知らなくなっていく社会史に歯止めをかけ、これを飛躍的にヘッドトリップさせて、社会意識をターン・オンさせようという計画、その計画に着手することがリアリーの活動なのである。
 こうしてハーバードでLSDの実験に着手するのだが、これはたちまち物議を醸すことになり、大学教授の座を追われることになる。そこで1963年、リアリーは実験の成果をさらに独自に拡張するためにトレーニングセンターを開設し、さらには富裕な庇護者たちの資金によってニューヨーク州ミルブルックに「カステリア協会」を設立して、神経論理学的言語の開発にとりくんだ。64室もある広大な邸宅だったらしい。

 ところが1966年をさかいにアメリカ社会全体に「反動」(リアリーの言葉)が始まった。その象徴は連邦議会がLSDの取り締まりに乗り出したことにあらわれた。
 リアリーはマリファナとLSDの擁護のために戦線を張り、一方で、麻薬とヘロインの危険を訴えた。リアリーからすればLSDを麻薬扱いすることなんて、根本的な国家犯罪なのである。しかし、リアリーへの締め付けは激しくなるばかり、おまけにベトナム戦争に駆り立てられた若者たちの背景の社会文化が、とんでもなく腐ってきた。
 リアリーは国家に挑むことを決意するとともに、返す刀でテレビ・チャイルドたちと、それを用意するメディア産業による“コンセプト犯罪”を摘発することにした。
 それでもリアリーの怒りはとうていおさまらない。東海岸のエスタブリッシュメントには“経験主義キリスト教”による度しがたい倫理犯罪を指摘し、カリフォルニア・ヒッピーやフラワーチルドレンたちには“ぬるま湯仏教”と“お手軽ヒンドゥ教”にたちまちふらふらすることに、過激な文句をつけることにした。
 こうしてリアリーがアメリカ社会に文句をつければつけるほど、リアリーのカリスマ性は増していき、その名前さえ囁けばそれで済むというほどに、ようするにティモシー・リアリーの理論を学習する者などいなくなってきたほどに、有名になってしまったのである。
 そこでこれはいかんと獄中で書きはじめたのが、神経論理学のための「8つの脳」というアイディアだった。すなわち本書である。

 以下、読んでもらえばわかると思うが、これはどうやら本気な計画なのである。しかし、その本気な計画が気の狂った妄想でも、科学技術の取り違えでもなく、たいそうハートフルな発想から生まれたものであるように感じられるには、ティム・リアリーという男に出会わないとわからないかもしれない。
 少なくともぼくは、幸運にもティムと出会い、ティムがぼくの青葉台の仕事場に遊びにきて、愛犬のリボンを抱き上げながらニコッと笑って「シーリアス!」と言うまでは、以下の計画の前半はともかくも、その後半部分を誰かに解説してあげる気にすらならなかったのである。

 リアリーの仮説では、神経組織は8つの回路発展をするという。これをギアとかミニブレインと呼んでいる。
 ①は「生物生存回路」である。海洋性ないしは植物性の脳で、ジョン・C・リリーが注目した。リリーについては第207夜の『意識の中心』を読んでもらいたい。②は「感情回路」。進化的には脊椎動物が出現したときの動物脳にあたっていて、この脳から政治的な哺乳類があらわれた。③は「器用シンボリズム回路」(dexterity symbolisn)という奇妙な名の脳で、ヒトザルからヒトが分化したあたりの未分化の大脳である。
 ここには3つの領域の回路がいささかごっちゃになっていて、「意識回路」「自我回路」「精神回路」がひっついたままになっている。すでにポール・マクリーンが『三つの脳』であきらかにした仮説でもある。
 ④は「社会的・性的回路」という段階で、ヒトが社会の群となって特定の性交渉を家族や一族に仕立て上げていく。ここには少しく時間の脳が加わっている。
 以上の4つの脳がリアリーによると地球レベルの脳で、この程度なら、①の活性化には阿片を吸えば、②にはアルコールを飲めば、③にはコーヒーやお茶やコカインを使えば活性化がおこり、④には特定の刺激剤が見つかっていないのだが、たいていは激しい恋情によって、この4つ目の脳が動き出す。
 なんとも危険なお奨めがつづくのだが、ティモシー・リアリーの大胆なアイディアはここから先に撥ね上がる。

 リアリーが5番目に考えたのは、⑤「神経肉体回路」で、これはユークリッド的な脳ではなくて、マルチディメンショナルな脳であるという。
 あまりに説明が感覚的すぎてわかりにくいのだが、どうやら古代インド・古代中国・古代ギリシアに芽生えた“恍惚技術”のことらしい。たとえばヨーガやハオマによる瞑想幻覚状態の脳なのだ。
 この5脳の活性化のためにはマリファナがお奨めだ。ハイになったり、スペース・アウトになる感覚をいう。ここにはまたドン・ファン・マトスやアレイスター・クロウリーの魔術も入っていて、この脳はかなり危ないものになっている。第420夜の『呪術師と私』を読まれたい。
 ⑥は「神経電気回路」というもので、これまでとは異なって、「自分自身を認識しつつある神経組織」が想定されている。リリーが「メタプログラミング」と呼んだものに近いのだが、ティムはここに“コンテリジェンス”という造語をあてはめた。コンシャスネス(意識)とインテリジェンス(知能)を合体したもので、いわば「意能」の回路。歴史的には密教やカバラや後期ヘルメス学の成果にあたっているようだ。これを活性化するのが、メスカリン、シロシビン、LSDなのである。
 この6番目の脳を開放することは、これまではあまりに超越的だとか無意識的だと思われていたために、しばしば「無我」とか「無心」といった言葉でしかあらわされてこなかった。
 しかしリアリーはここで踏ん張って、バックミンスター・フラーのシナジェティックスやリリーのメタプログラミングの言語作用を設計しさえすれば、この段階の脳を機能主義的に取り出すことも可能ではないかと、後には引かない覚悟なのである。それにしても“コンテリジェンス”とは!

 ⑦はいよいよ「神経遺伝子回路」であるが、ここまでくると説明がかなり右往左往する。原理としては、神経組織が個々のニューロンの内部からの信号を受信できるレベルになった脳のことらしいのだが、それは「DNAとRNAの対話にあたる」などと言うものだから、なんとも怖くなってくる。
 さすがのリアリーも、ユングの「集合的無意識」やスタニスラフ・グロフの「系統発生的無意識」がこれに近いのではないかという憶測をするにとどめている。
 こうしてついに⑧の「神経原子回路」になっていく。これは量子レベルで脳がユニットや関係をとりむすんでいくものらしく、ここからは地球外無意識とか、量子的コミュニケーションとでもいうしかない様相がおこるようなのだ。

 これだけをかいつまんだのでは、むろん不公平だろう。リアリーはもっといろいろのことを言っている。しかしそれらは残念ながら大同小異でもあって、これ以上、このアイディアを擁護することはできない。
 けれども、である。このようなリアリーの単独犯のような発想は、その後ずいぶんたって、量子力学者たちによって「意識と量子の力学的関係」のテーマのもとに、何度も国際コロッキウムが開かれたことでもあったのである。またそれが、今日ではロジャー・ペンローズの「量子脳」仮説にもなってきた。
 つまり、リアリーの問題は独房であまりにも性急に結論を急ぎすぎたということと、独房にいたために科学者たちとの存分な討論ができなかったというだけなのだ。

 と、ここまではなんとかリアリーの“神経論理”の案内をどうにか務めてみたのだが、次の“神経政治”になると、これは案内はできても説明ができないものになっていく。それが「地球外政治の夜明け」というものだ。
 まあ、ぜひとも読んでもらって、意見を聞いてみたいところだ。リアリーの地球外的な思考の提案とは、「宇宙移民」と「知能増大」と「寿命延長」をするということなのだ。

 では、ここで、テイモシー・リアリーを前後するべき「千夜千冊」の旅を案内したい。
 以下のコースは特別すぎて、旅人が少ない”じゃらん”である。編集学校の諸君も、なかなかこのへんまでは目が届かないらしい。みなさんあまりにも文芸派に偏っている。
 しかしリアリーを知るには、ときにはこういう旅も必要なのである。リアリーがいまいたら、「千夜千冊」をこのくらいには組み立てただろうとも思う。けれども、そういう異才はまだ出てきてないね、ねえ、伊藤穣一君!

1)★ジラール『世の初めから隠されていること』(492)フェルマースレン『ミトラス教』(445)マッギン『アンチキリスト』(333)ペルヌー『テンプル騎士団』(477)マッキントッシュ『薔薇十字団』(698)ヌフォンテーヌ『フリーメーソン』(496)スピノザ『エチカ』(842)ブレイク『無心の歌・有心の歌』(742)フーリエ『四運動の理論』(838)高橋巌『神秘学序説』(185)グルジェフ『ベルゼバブの孫への話』(617)ギンズバーグ『ギンズバーグ詩集』(340)カスタネダ『呪術師と私』(420)パーシング『禅とオートバイ修理技術』(469)間章『時代の未明から来たるべきものへ』(342)など。

2)★ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(772)マルクーゼ『エロス的文明』(302)ウィルソン『アウトサイダー』(372)クラーク『地球幼年期の終わり』(428)ローザック『意識の進化と神秘主義』(366)ハーディソン・ジュニア『消失と透明化の時代』(871)ラブロック『ガイアの時代』(584)など。

3)◆ベッカー『数学的思考』(748)ワイル『数学と自然科学の哲学』(670)アインシュタイン『わが相対性理論』(570)ド・ブロイ『物質と光』(349)ハイゼンベルク『部分と全体』(220)ガモフ『不思議の国のトムキンス』(768)ベルタランフィ『一般システム理論』(521)ウィーナー『サイバネティックス』(867)サイモン『システムの科学』(854)アトキンス『エントロピーと秩序』(368)プリゴジン『確実性の終焉』(909)ガードナー『自然界における左と右』(83)渡辺慎介『ソリトン・非線形のふしぎ』(848)リオーダン&シュラム『宇宙創造とダークマター』(687)など。

4)◆ペンフィールド『脳と心の正体』(461)デュボス『内なる神』(10)ハーディ『神の生物学』(313)三木成夫『胎児の世界』(217)グロデック『エスとの対話』(582)ラカン『テレヴィジオン』(911)ホロビン『天才と分裂病の進化論』(684)ヴァイツゼッカー『ゲシュタルトクライス』(756)ベイトソン『精神の生態学』(446)ワトスン『スーパーネイチュア』(101)シトーウィック『共感覚者の驚くべき日常』(541)ピート『シンクロニシティ』(805)リリー『意識の中心』(207)リアリー『神経政治学』(936)リン・ホワイト『機械と神』(168)茂木健一郎『脳とクオリア』(713)郡司ペギオ幸夫ほか『内部観測』(51)など。

5)★ローレンツ『鏡の背面』(172)カイヨワ『斜線』(899)ホール『かくれた次元』(213)ド・デューブ『生命の塵』(200)木下清一郎『細胞のコミュニケーション』(701)ヘニッグ『ウィルスの反乱』(27)マーグリス&セーガン『性の起源』(414)小谷真理『女性状無意識』(783)ブラックモア『ミーム・マシンとしての私』(647)ペンローズ『皇帝の新しい心』(4)ジョルクヴォル『内なるミューズ』(625)ホランドほか『インダクション』(930)など。

6)★オング『声の文化と文字の文化』(666)マクルーハン『グーテンベルクの銀河系』(70)キットラー『グラモフォン・フィルム・タイプライター』(529)イングリス『メディアの理論』(903)タプスコット『デジタル・チルドレン』(92)高城剛『デジタル日本人』(149)ニールセン『ウェブ・ユーザビリティ』(190)レヴィンソン『デジタル・マクルーハン』(459)ホランドほか『インダクション』(930)レイモンド『伽藍とバザール』(677)中村雄二郎『共通感覚論』(792)レッシング『コモンズ』(719)ジャン=リュック・ナンシー『共同体(コルプス)』(816)など。

7)★ジェイムズ『ねじの回転』(429)夢野久作『ドグラ・マグラ』(400)ジャリ『超男性』(34)シオラン『崩壊概論』(23)ゴールディング『蝿の王』(410)バロウズ『裸のランチ』(822)バラード『時の声』(80)ピンチョン『V』(456)ガーロ『未来の記憶』(404)ディック『ヴァリス』(883)萩尾望都『ポーの一族』(621)デレク・ジャーマン『ラスト・オブ・イングランド』(177)ギブスン『ニューロマンサー』(62)デリー『エスケープ・ヴェロシティ』(230)大友克洋『AKIRA』(800)ペレグリーク『ダスト』(402)など。

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