リチャード・フォーティ
三葉虫の謎
早川書房 2002
ISBN:4152084448
Richard Fortey
Trilobite! 2002
[訳]垂水雄二

 ついに出ました三葉虫。ざっと4億年前のタイムカプセルが動き出したのだ。しかもこの再現映像の監督はリチャード・フォーティだ。ロンドン自然史博物館の古生物学者である。
 われわれはずっと以前から、ロンドンのリチャード・フォーティとボストンのスティーブン・ジェイ・グールドを「東の横綱・西の横綱」というふうに呼んできた。第209夜の『パンダの親指』にも書いたように、グールドはボストンのハーバード大とスミソニアン自然史博物館にかかわる古生物学者。ロンドンのフォーティはつねにボストンのグールドを意識して、あえて言うならたえず挑戦的な言辞を投げかけて、グールド仮説にいちゃもんをつけてきた。
 しかし米のグールドと英のフォーティを分けているのは、グールドが古生物を基盤としながらも、多様な生物のキュートな解読者であるのに対して、フォーティはなんといっても三葉虫一本槍といっていいほどの“三葉虫中心主義者”であるということだ。フォーティ自身が「もし一目惚れというものがあるのなら、私は14歳のときに三葉虫と恋に落ちたのだ。以来、私の世界観は三葉虫中心主義的世界観である」と言っている。

 三葉虫と恋に落ちるなんて、いささか女性諸姉には不気味なことだろう。本書に収められている数々の三葉虫の化石や再現図やその細部の“どアップ”を見れば、この古生代全体を3億年ほど生き抜いた生物の姿と形は、かつてハンス・ルーディ・ギーガーに始まったエイリアン型宇宙異様生物の原型としか思えないほどに、見れば見るほどグロテスクで醜悪なのだ。その後のハリウッド映画のエイリアンのすべての造形は、三葉虫のギーガー版をモデルとしてこれをあれこれ膨らませてきたにすぎなかったといえるほどである。
 そんな三葉虫に恋ができるとは、古生物学者というのはそうとうに不気味な連中だ。そう、思われてくる。しかし、ハリウッド・エイリアンさえちょっとカメラがゆっくり表情を捉えると、なんだか可愛いところもあったのである。ましてそいつがアップのままにこちらをじっと見つめているなんぞ、なるほど世の中には爬虫類や蛇をペットにして偏愛する連中がいてもおかしくないと思えるほどに、愛嬌もある。
 かくいうぼくも、実はエルラチア・キンギの化石をいまでも大事に小箱にしまって持っている。街のミネラル・ショップでときどき手に入る一番ありふれた三葉虫の化石のことだ。

オンドトプレウラの三葉虫

 本書は“三葉虫の科学”をまとめたものではない。フォーティがどのように恋人・三葉虫に魅せられていったのかを、事細かに書いている。どちらかといえば研究ドキュメントに近い。だから一冊を通して三葉虫学者が次から次へと数十人あらわれて、いろいろな探検冒険失敗をやらかしては消えていく。
 そのため人名を追っているだけで、いささか混乱させられるのだけれど、これこそが古生物学では「バージェス・ボーイズ」とよばれている“バージェス頁岩に4億年の夢を託した連中”の素顔なのである。人名の多さはともかくも、そこからは「バージェス・ボーイズ」こそが地球生物の最初の謎に最も真剣に、最も陽気にとりくんでいる軍団だったことがまことに生き生きと伝わってくる。
 カンブリア紀の幕開けとともに、劇的な進化の大爆発がおこったのである。今日の生物の多様性の大半がここで用意されたといっていいほどの大激変だった。けれどもその記録はどこにも書き残されてはいなかった。初期の物語のいっさいが消滅してしまったのである。それ以外の物語は“進化の船”に乗って、すっかり姿と形を変えてしまった。ただバージェス頁岩がその初期記録のいっさいを沈黙したまま残したのだ。この記録の解読にひたすら向かっているのが「バージェス・ボーイズ」たちである。

 本書はそうした記述のなかから、いまだかつて誰もが知らなかった三葉虫の正体とその細部が不気味に浮かび上がってくるようになっている。これがバージェイ・ボーイズ以上のパンクでグラムな連中なのだ。
 5億3500年前のカンブリア紀初期のこと、オレネルスが登場したのが最初の出来事である。これはフォーティたちにとってはモーセの出現に匹敵するほどの神々しい出来事であるようだ。続いて現れたのは巨大なパラドキシデスで、これで三葉虫の歴史が確固たるものになる。パラドキシデスが『申命記』となったのだ。ところがそのあとに身を翻すように出現した“ミニチュア三葉虫”めくアグノストゥスによって、三葉虫は精緻なデザインを繰り広げることになった。これはいわば土師と預言の時代だった。生物言語と生物文法が細部にわたったと見ていいだろう。
 こうして8つの胸節によるほぼ完璧なファセット構造をもったイソテルスが君臨し、ここに三葉虫ダビデと三葉虫ソロモンによる王国が築かれたのだ。ついではロデリック・マーチソン卿が記念すべきウェールズ横断で発見したトリヌクレウスが続き、そのあとを襲ったのがバカでかいヘッドライトがあるために単眼巨人キクロプスに擬せられたキクロピゲだった。
 キクロピゲの眼球は方解石と同じ成分でできている精巧なクリスタル・レンズのようなものだった。あるバージェス・ボーイがこれをカメラにして写真を撮ったほどである。

 ここからは三葉虫の歴史も“新約時代”に突入する。イラエヌスは体を凸状にし、頭鞍と胸節をくっつけた。
 カリメネはいまでも誰もがこれを見ると「ああ、これこそが三葉虫だ」とおもうような設計をつくりあげた。フォーティは「ふっくらとして紛れもない根源的な魅力をもっている」などと、まるでできたての神戸屋のパンのようなことを言っている。けれども写真の撮り方によっては、そうとうに奇怪なものにもなるし、ブローチ宝石のようなこの世のものとは思えぬほどの美しいものにも成り変わる。このへん、ぼくにはなんとも理解をこえるものがある。
 デボン紀の三葉虫を代表するのはファコプスである。まさにカメラ・オブスキュラに匹敵する眼球レンズの持ち主で、1820年にドイツで発見された。この親戚たちはどこか両生類じみていて、ときにカエルの起源がここにあったのかと思わせる。
 このほか、刺を尖らせ、尾っぽに爪がついているのかと思わせるクロタロケファルス、カジキマグロのような一本の背鰭が目立つダルマニテス、カレイのように偏平なスクテルムなんて奴もいる。こうしてしんがりに登場してきたのがフィリップシアやグリフィチデスとなる。
 この奇怪なパレードの最後に登場した三葉虫たちは二畳紀までは生き残る(2億6000年前)。けれども、そのあと突如として絶滅してしまう。3億年にわたった大パレードはここでぷっつり途切れてしまうのだ。あとはバージェス頁岩の化石ばかりが残される。

 フォーティはむろん三葉虫の“再現”や“再生”を神の力を借りてでもやりたいと思っている。そのためホックス遺伝子の研究にも着手する。
 なにしろジュラシックパークなど子供騙しで許せない。“ソラシックパーク”の実現こそがフォーティの夢なのだ。この危険きわまりない夢は、しかしながらまったく可能性があるとは思えない。三葉虫からは一個の遺伝子も取り出せなくなっているからだ。三葉虫は感情と言葉を失った怪物なのである。けれども、なぜそんなふうになってしまったのかということが、またフォーティを駆り立てる。
 それなら、三葉虫を使って生物学の根源を読み取る“三葉虫エスペラント語”を作りたい。フォーティはそんなことをさえ考える。つまりは何もDNAばかりが生物を読み解く記号である必要はないじゃないかという考え方なのだ。新たに三葉虫から作り上げた梵字やルーン文字のような新言語によってこそ、古生物たちの真相が新たな物語になってもいいじゃないかということだ。
 こうなると、本書を詠む手が震え、目がガタガタと揺れてくる。フォーティはどうやら「三葉虫だけが知っている言葉」を再生し、これによって三葉虫の王国の再現を企んでいるとしか思えない。これはあきらかに、フォーティ、あなたは三葉虫フランケンシュタイン博士に近付きはじめたということなのである!

 まあ、これは半ば冗談だ。しかしながら本書の後半になって、リチャード・フォーティが自分の発見した三葉虫に新しい命名をしている光景になってきて、ぼくはやっぱりいささか身震いしてしまった。
 フォーティは最初はその三葉虫にパラピレキア・ジャックエリナエと名付けたのである。これは奥さんの名前から採ったものだった。きっと古生物学者だって奥さんにおべっかをつかって勝手な日々を送っている者もいるだろうから、これはまだ理解のうちである。
 ところが、次に発見したぴちぴちした三葉虫に対してフォーティはどうしたか。そのくねくねとして肢体のエロティックな三葉虫嬢に、なんと「モンロエアエ」と名付けてしまったのだ。モンロエアエ――そう、これは“マリリン三葉モンロー虫という意味だった!
 三葉虫言語によって書き替えられるかもしれない地球と生命の“出エジプト記”。いったい、これからどんなふうになるのやら――。

参考¶本書の前に、フォーティはグールドの話題の書『ワンダフル・ライフ』に対抗して『ライフ』を書いた。邦題は『生命40億年全史』(草思社)というつまらないタイトルになっている。内容は挑戦的だ。本書が三葉虫ばかりをクローズアップさせたのに対し、この前著はカンブリア紀に始まってオルドビス紀・シルル紀・デボン紀・石炭紀に及んだ三葉虫の“仲間”までを扱っている。第200夜のド・デューブ『生命の塵』、第277夜のエヴァンスの『虫の惑星』、第616夜のパウエル『白亜紀に夜がくる』などと併せて読まれるとよい。


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