マフディ・エルマンジュラ
第一次文明戦争
御茶の水書房 2001
ISBN:4275018478
Mahdi Elmandjra
The First Civilizational War 1992
[訳]仲正昌樹

 アラビア語の「ズィクル」は『コーラン』の中に268回も出てくる。「記憶」を意味する。「引用する・書きとめる・思い出す・おぼえている」を含む動詞「ザカラ」から派生したらしい。
 アラブ・イスラム社会では「ズィクル」を捨てることは神を見限ることである。第二次世界大戦以降だけでも、この社会は278回の武装対立にまみれ、ざっと5000万人の犠牲者をつくってきた。このズィクルは忘れてはいけないのではなく、忘れられないはずのものなのである。
 本書の著者マフディ・エルマンジュラはマグレブ地域で育ったモロッコ人。国連機関に入り、いまはモロッコのモハメド5世大学で国際関係論などを教えているが、一年の半分は世界中を飛んでいる。アラブ・イスラム・第三世界の諸国に対する勝手な介入と貪欲な搾取と意図的な支配に、頑強な抵抗を続ける
“怒りの人” としても著名だ。
 そのエルマンジュラが最も重視している言葉が「ズィクル」なのである。「記憶」だ。ところが、その記憶がアラブ・イスラム社会でしだいに人為的に、また暴力的に塗り替えられ、本当の記憶と虚偽の記憶とが錯綜しつつあるという。民族・文化・宗教がもってきた本当の記憶にヒビも入ってきた。

 エルマンジュラが育ったモロッコでは、悪名高い「フランコフォニー」という政策が何度も実行され、何度も議論されてきた。「フランス語による共同社会の実現」というもので、これによってモロッコのアラブ・マグレブの多くがフランス的な思考を強いられ、フランス的に自分たちの記憶をストックするようになった。
 いったい、このような記憶の塗り替えにどのように抵抗すればいいのだろうかというのが、エルマンジュラの闘いの原点にあることだった。闘いを通し思索を通してエルマンジュラが気がついたことは、「集合的記憶」が世界をつくり、「集合的記憶」が世界を変えつつあるということだった。
 集合的記憶には二つのものがある。ひとつはズィクルのように、民族や風習や宗教がその内側で自生させてきたものだ。もうひとつは「フランコフォニー」やハリウッド映画の出来事のように外側から外挿されたものである。
 エルマンジュラはアラブ・イスラム社会が未曾有の「集合的記憶の危機」に直面していることをはっきり認知し、できるだけ早くそこから脱出しなければならないことを、そしてそのために自分は何でもしなければならないということを、決断した。
 そのような決断をした矢先、そこにおこったのが1991年1月の湾岸戦争だったのである。本書はその前後のエルマンジュラの決断と予測が入り交じって読み応えがある。

 山内昌之は「ハンチントンの罠に突き進むアメリカ」と書いた。サミュエル・ハンチントンは『文明の衝突』(1993)によって文明衝突の予想を説いたのだが、アメリカはその予想に嫉妬して、みずから罠にはまっているのではないかというものだ。
 ハンチントンは、現在の世界をヨーロッパ、中国、日本、イスラム、ヒンドゥ、スラブ(東方正教会)、ラテンアメリカ、アフリカの8つの文明圏に分け、これらがたとえば「西洋vs東洋」「西欧文明vsイスラム儒教コネクション」といった構図でいずれ衝突することはあっても、近未来の世界に普遍的な文明が出現することはないと主張した。
 エルマンジュラ流にいえば、この8つの文明圏には著しい集合的記憶の伝統があるということになる。
 しかし、この予想は「世界新秩序」の盟主を謳いたいアメリカの矜持からすると、まったく気にくわない。だいたいアメリカは8つの文明には入ってはいない。アメリカは自分の力で集合的記憶をつくる以外になくなっている。アメリカの記憶だけならなんとかなろう。しかし、そうではなくてそれを「文明の記憶」にするには、アメリカが盟主となった新たな文明集合的記憶をつくる必要がある。これがレーガン、父ブッシュ、クリントンの「新世界秩序」というものだ。
 こうしてアメリカは「ハンチントンの罠」にはまっていったのではないかというわけである(日本はその罠の綱の一部になりつつあるが)。
 ちなみにハンチントンの論文はラフなもので、精緻な分析がほとんど欠けていたが、話題になったという点では20世紀最後のセンセーショナルな一冊となった。日本でも山内昌之の一連の著作をはじめ、大澤真幸の『文明の内なる衝突』や町田宗鳳の『文明の衝突を生きる』など、なかなか骨太い著作が相次いだ。

 本書に収められたのは、湾岸戦争直前直後に書かれたものやインタビューを受けたものばかりである。けれどもそれだけに、今日でも生々しく、また筆鋒も舌鋒も、そして苦悩と怒りも新鮮だ。
 エルマンジュラは湾岸戦争を早くに予告していた。
 いまとなってふりかえればやっと誰もがわかるように、湾岸戦争はイラクがクエート侵攻をしたからおこったのではない。その前にとっくに決まっていた。
 ただし、あのときは事態の進行が早すぎた。そのため、アメリカはイラクに壊滅的な打撃を加えたにもかかわらず、サダム・フセインを捕縛できず、多国籍軍を巻き込む
“理解” をぶんどったにもかかわらず、その体験は世界の集合的無意識の形成にはならなかったのである。
 あのとき事態がどのくらい急速に、かつ過激に進んだかというと、1989年11月にベルリンの壁が崩壊し、その一カ月後に米ソの冷戦終結をアピールしたマルタ会談が開かれ、そのわずか7カ月後に湾岸危機がおこったのだ。ソ連はまだゴルバチョフが最後の仕上げにとりかかろうとしていた時期だった。

 しかし、それにもかかわらずエルマンジュラはアメリカの意図を読み切った。エルマンジュラは1990年8月をもって、世界は「ポスト・コロニアル」の時代に突入すると書いたのだ。
 アメリカは必ずやこのポスト・コロニアルの開幕に向かって「新世界秩序」をふりかざした異様で残酷なクサビを打ちこむにちがいない。そのためにはこの新秩序の予定を乱す
“悪者” をほしがるだろう。その “悪者” がいるところは東欧の民主化がおこり、ソ連解体が間近であるいま、アラブ・イスラム社会でしかありえない。エルマンジュラはそう読んだのである。
 こうしてサダム・フセインがその餌食となって、湾岸戦争が仕組まれた。たった1週間で広島の原爆の5倍もの爆弾が落ち、2週間後はその15倍を爆撃させた。しかし、これはイラク国民とアラブ・イスラム社会に対する開戦だというべきだった。開戦日にあたった1991年1月17日は、エルマンジュラの言葉によれば、世界史上最初の「文明戦争」の開戦日なのである。
 アメリカはこの日が文明戦争の忌まわしい記念日であるとは、むろん認めない。そこでビンラディン指導ともくされる全米同時テロがおこった「9・11」を新たな開戦日に切り替えた。このことについても、最近のエルマンジュラはこの
“捏造” に怒っている。アメリカはイラク国民に対する湾岸戦争の暴挙について、いまだどんな説明責任も果たしてはいないのだ。

 ちなみに、湾岸戦争の失敗に懲りたアメリカは、いままた二度目の湾岸戦争をおこそうとして、世界の賛同をとりそこねて苛立っている。
 ぼくがこれを書いている今日は2003年2月25日の時点でも、イラクは国連査察を受けながらもなお大量破壊兵器の確たる証拠を
“露呈” させてはいない。それにもかかわらず、アメリカはイラク爆撃を早々と “決定” しきっている。ようするに、あのときもそうだったのである。

 さて本書を読んでいると、アラブ・イスラム社会にひそむ集合的記憶がどういうものかがよくわかる。
 それはズィクルとともに、「イフティラーフ」という言葉に象徴されている。「差異」という意味であるが、ここにはアラブ・イスラムの開放的な多元主義がこめられている。すなわち、アラブ・イスラム社会というものは多様で多元的な社会を許容することによってかれらの集合的記憶を守りたいという社会だったのである。
 問題は、そこなのだ。湾岸戦争がアメリカの酷いシナリオによるものであったことについては、本書も石油をめぐる覇権と分け前のことをはじめ、数々の視点から暴いている。しかし、エルマンジュラはそれ以上の深刻で憂慮すべきズィクルとイフティラーフの問題として、湾岸戦争が世界を「文明戦争」の名を借りた「文化侵略」に向かわせていることを訴える。これではアラブ・イスラム社会は科学と文化と情報の名において「ジハード」をするしかなくなるだろうとも、書いた。
 さすがにエルマンジュラはそのジハードを「テロ戦争」とは呼ばなかった。また、アルカイダやビンラディンらによって、あれほど大規模のテロがおこなわれるとは予想しなかった。しかし、事態の大小はあれ、すべてはついに集合的記憶を賭けた闘いとして語られる事態に突入してしまうであろうと、正確に見抜き、それをこそ憂慮したのだった。
 そのようにエルマンジュラが書いてから1カ月後、父ジョージ・ブッシュは「われわれは湾岸戦争において、われわれのライフスタイルと仕事を防衛しているのだ」と演説をした。なんという低俗な演説か。もはや集合的無意識などつくれなくなったアメリカが、ライフスタイルを持ち出したのだ。それをエルマンジュラは戦争の対象が「文化」にさえ向かってきたと嘆いている。

 それから12年、子ブッシュを見ているかぎり、事態はまったく変わっていないどころか、もっと俗悪になっている。
 ぼくは、最近のテレビニュースに映し出されたトニー・ブレアの顔を見て、なんとも醜悪な相が出ていることにぞっとした。ヘタな吸血鬼俳優なのである。ダイアナ妃葬儀のときは、まだよかったのに。

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