マイケル・リオーダン&ディヴィッド・シュラム
宇宙創造とダークマター
吉岡書店 1994
ISBN:4842702486
Michael Riordan & David Schramm
The Shadows of Creation 1991
[訳]青木薫

 小さいころ、教会の日曜学校ではクリスマスになるとキラキラ光る星のついたカードをくれた。
 それだけではなかった。「冬の星座」という讃美歌をアレンジした歌を、東華幼稚園の才女よこしまたかこちゃんに袖をつつかれ、促され、なんとも羞かしげに唄ったものだった。
 ぼくはクリスマスはなぜか嫌いだったのだが(いまでも嫌いである)、オルガンの音とそれを弾くシスターの笑顔と「冬の星座」はやけに好きだった。「♪月なき御空に、煌めく星座」という歌詞と「♪輝く夜空の星の光よ、瞬くあまたの遠い世界よ」という歌詞が二つあったと憶う。その、まるで冬の夜空で凍えているような歌の言葉の響きがこの世のものともおもえず、子供なりに「悠久」というものを感じたものだった。

 以来、星座を追いかける少年をへて、宇宙の構造に関心をもつ青年になり(ぼくが最初に書いたエッセイは『十七歳の幾何学』という非ユークリッド幾何学に関するものだ)、さらには『全宇宙誌』という全ページが漆黒で行間におびただしい星々が瞬く書物をつくるようにもなって、ぼくの「冬の星座」は変化していった。
 そしてしばらく、空間と時間をつなぐ天文学の最前線を理解することをひそかな課題にしているような日々が続いてきたのだが、あるときその持続がぷっつり切れたのである。
 どこかでふと目をそらしてしまったせいなのだろう。突如として「宇宙の正体」に関する議論が様相を一変させたことに気が付いたのだ。1980年代半ばのことだった。それからは、「宇宙の正体」よりも「宇宙の方法」に関心が移っていったのである。
 ここで「宇宙の方法」というのは変な言い方だが、これは宇宙についての理論をつくりあげる考え方を示すことのほうがおもしろいということで、すべての宇宙論は「方法宇宙というモデル」なのではあるまいかという見方によっている。
 このとき、このような方法的な見方こそがどうしても必要だと思わせたのが、いわゆる「インフレーション理論」と「ダークマター仮説」の登場だった。ぼくは大いに考えさせられた。実のところをいえば、この仮説がもたらす全貌は、まだまだぼくを満足させていないし、そのすべてが説得力をもっているとも思ってはいない。けれども、考え方がどんな分野のセオリー・ビルディングの仕方よりも刺激的なのである。スリリングなのだ。
 そこで、これから試みる拙(つたな)い黒板講義は、最新の宇宙論仮説が運んできたクリスマスの贈り物‥‥ではなくて、その贈り物を包んでいた包み紙にくっついてきた「冬の星座」のお話ということになる‥‥。ではしばし、冬の夜空に耳を澄まして、星たちの呟きをぶつぶつ‥‥。

さあ、みなさん、この冬の星座に似た黒板を見てください。ここには天体に関する難しい数字がいっぱい並んでいます。カムパネルラ君、いいですね。
 ところが、このような数字による理論の仮説には、しばしば「望まれないもの」が入っているんですね。そういうことってよくありますね。
 詳しい説明はしませんが、重い粒子の「磁気単極子」もそのひとつでした。なぜなら、理論上では一応は定義されたこの粒子は、いくら試みてもいっこうに観測にかかってはこないのです。どうやっても存在が確認できないのです。そこで物理学者や天文学者たちは、この「望まれない粒子」を理論的に消すことにしたのでした。まるで魔法のようですね、ジョバンニ君。
 1979年にMITのアラン・グースという天体物理学者が考えたこともそのようなことで、宇宙は誕生してすぐに途方もなく膨らんでいってインフレーション(物質が光の量にくらべて過剰になってきたことです)の状態になり、そこに、仮にも重い粒子があったとしても、きっと彼方に吹き飛んでいったのではないかと考えたのも、その辻褄合わせでした。
 ところが、この辻褄合わせのグースのアイディアが、たちまちにして新たな仮説を引き出していったのです。それがこれからちょっとだけ紹介するダークマターです。ダークマターだなんて、暗黒物質という意味ですから、とても変ですね。怖そうですね。

 ダークマターは、観測にかからない物質で、光を出すことも反射することもしない物質です。
 これだけでも奇妙ですが、これまで人間がつきとめてきたどんな物質とも似ても似つかない物質です。しかもその大半はなんと行方不明なのです。どこにいるのかわからない。そういう不気味なダークマターがおそらくは宇宙の90パーセントほどを占めているのではないのだろうか、きっとそうにちがいない。そういう仮説です。
 たいへん変なことですが、いまこの仮説を全面的に疑う天文学者はごく少数しかいません。みんな、そういう変な物質が宇宙中にあるんだろうなと思っています。それにもかかわらずダークマターの正体はほとんどわかっていないんですね。

 さてこの本は、30年ほど前にワインバーグという人が書いた『宇宙最初の三分間』がたいへんなベストセラーになったのですが、それ以来の最もすぐれた宇宙解説の名著だといわれています。
 べつだんベストセラーだから名著だというのではありません。それからこの本には“五体不満足”の天才スティーブン・ホーキングが序文を書いているのですが、それだから名著というのでもありません。実際にとてもよく書けているのです。
 最近の宇宙論についての解説は、その内容がとても奇妙であるため、多くの本が出回っているのですが、こういうときはなんとしてでも正確な推理が読める本だけを選ぶといいですね。ただ、そういう本はなかなかありません。だから、いつかこの本を読んでみてください。でも、そんな名著でもダークマターの正体をあきらかにはしていません。

 けれどもそれより何よりも、このような本を読んで知るべきことは、"WHAT"ではなくて"HOW"というものを知ることなんです。"WHAT"は時代によっても立場によってもいくらでも名称と数値を変えるものです。けれども"HOW"は何百年に一度か二度しか変わらないかもしれません。だから"HOW"を考えましょう。この本では、"HOW"がどのような宇宙仮説になったのかということを知ってほしいのです。いわば、「宇宙の正体」より「方法の正体」のほうが大事なんです。

 さて、みなさん、宇宙というものはたとえどんなに革命的な装置があっても、その全貌が観測できないようになっているのです。それが宇宙というものの本質です。
 宇宙が最初のビッグバンでつくられたことは知っていましたね。最初は火の玉宇宙です。そのときたくさんの光が放出されたのですが、その火の玉宇宙が冷えてからだいたい150億年ほど過ぎ去ったいま、私たちがここにいます。ということは、その最初の光がそのあいだに飛ぶことができた距離よりもっと遠いところは、私たちには絶対に見えないわけですね。ジョバンニ君、わかりますね。これを「宇宙の地平線」といいます。それから、そのように宇宙が膨張しつづけていることをハッブル膨張といいます。
 このことは地球上のどんな観測者にとってもあてはまるだけでなくて、宇宙のどこにいる観測者にとってもあてはまります。つまり宇宙にはどこから見ても、「ちょうどいっぱいの半径」とでもいうべき特質があるわけなんです。これを臨界密度というふうに考えてみます。

 そんなふうに膨らみつつある宇宙には、さあ、何十億もの銀河や銀河団や超銀河団が浮かんでいます。英語でいえば、たくさんのクラスターやスーパークラスターですね。
 これらのクラスターはビッグバンから数えておおよそ10億年ほどたったころに、ほぼ形成されました。当初は無数の小さな「泡」のようなものだったのに、それがどんどん大きくなり、それぞれが巨泡めいたクラスターになっていったわけです。
 そのクラスターたちがそれぞれの臨界密度のなかで、ハッブル膨張をつづけています。ということは、互いに遠ざかりあっていることになります。カムパネルラ君、わかりますか。天体は互いに遠ざかりあっているんです。くしゃくしゃの風船に銀色の点をたくさん打っておいて、それをだんだん膨らませると、その銀色の点はだんだん離れていきますね。銀色の点がクラスターです。
 宇宙はそのように、おのおののクラスターが互いに離れて遠ざかりつつあるのです。けれども、ここにちょっとおかしなことがあります。疑問が生じます。

 なぜ、これらの天体クラスターはそれ自身が重力をもっているはずなのに、互いをめざして落下しないのでしょうか。だって重力は引力のことですから、互いに引き合うはずですね。でも、クラスターは引き合わない。なぜでしょうか。
 ひとつの考え方は、この銀色の点たちは自分で落下しないだけの速度を発揮できているということでしょう。いいかえれば、風船を膨らます速度よりも、銀色クラスターが遠のいている速度がちょっとだけでも上回っているということでしょう。
 こういうとき、風船の速度と銀色クラスターの速度がちょうど釣り合っているばあい、それを単体クラスターは臨界速度をもっているというふうに考えます。

 さあ、ここからがいよいよダークマター仮説の本番の入口です。ここでいろいろのことを頭をひねって考えます。たくさんの考え方が出てきそうですね。
 こうしたとき、考え方がいくつもありすぎる場合は、理論物理学者や数学者がよくやるのですが、ファッジ・ファクター(補正のための因子)を少なくするということが大切です。考え方を進めるにつれて、途中でその不備を埋めるための要素をあらかじめ減らせるように考えるということです。「それでね、それはね」というふうにならないようにすることですね、カムパネルラ君。そういう人、たくさんいますよね。
 そうすると、だいたいは次のような考え方が出てきたんです。

 まずひとつは、宇宙は天体クラスターをぶつかりあわなくさせるような時空の形状をそもそももっているのではないかと考えることです。
 すでにアインシュタインは重力というものは「空間の曲がりぐあい」(曲率)であるということをあきらかにしましたね。そして、その「曲がりぐあい」は「物質の詰まりぐあい」によって決まるとしたのでした。
 天体力学では、このような空間の中の物質たちを相手にするときは、お互いの物質がもつ臨界密度と臨界速度の関係をΩ(オメガ)であらわします。そして、Ωの値によって宇宙形状を決めてきました。
 そこで、どうなるかといえば、Ωが1よりも大きければ、宇宙はどこかで閉じた四次元空間になっていて、それは三次元表面をもっていることになります。巨大なボールのようなものですね。また、Ωが1よりも小さければ、宇宙は双曲状に開いていて馬の上にのせる鞍の形のようになり、幾何学でいうロバチェフスキー空間に似たものになります。
 では、もしΩがちょうど1ならば‥‥? 宇宙はわれわれには馴染みのある平坦なユークリッド空間になるのです。

 実はアラン・グースのインフレーション理論が正しいのなら、Ωは1にかぎりなく等しいはずなのです。
 ただし、無数の小さな泡をもった宇宙風船がかぎりなく膨張したために各所の泡も平らに近くなったというだけで、ぺったんこの宇宙が無限に広がっているというのではありません。
 しかしそれにしても、Ω1の状態の宇宙がどうしてつくられたのでしょうか。なぜでこぼこしたりしないのでしょうか。ビッグバン理論では宇宙はハッブル膨張をつづけているということですから、どこにも平坦めいた空間(時空)がつくれるには、そこに何か別な力がまんべんなく関与していて、巨大な泡が閉じないようにしているとでも考えなければならなくなるではありませんか。
 ところが、そんなものは見当たらない。少なくともそういう事実が観測されたことはないのです。では、何かがまちがっているのでしょうか。
 そこで、次のように考えてみることになります。ビッグバン理論が正しくて、インフレーション理論も正しいのなら、にわかには想像しにくいことではありますが、われわれの観測にかかる物質以外の何百倍何千倍もの“見えない物質”がまんべんなく宇宙の各所にあって、その物質たちの影響によって天体クラスターが相互落下しないようになっているにちがいない! そう、仮説してみることです。そして、そのようになっているから、Ωが1に近い状態でいられると考えてみることです。
 結論を先にいえば、のちのちダークマターこそがこの“見えない物質”にあたることになったのでした。しかしこのことを成立させるには、いくつかのもう少しこみいった仮説的条件が必要になります。もう少しだけ、黒板に絵を描いてみましょう。いいですか、窓の外を見てばかりいるジョバンニ君。

 物質というものは、ある状態である性質の光を放出しているものです。電磁波の波長はそうやってできているわけですね。
 けれども、ダークマターは光はおろか、何も発信していそうもありません。こういうのは、いったい何がおこっていると考えればいいのでしょうか。二つの考え方がありえます。
 “見えない物質”ことダークマターは、光すら放出しない“引きこもりの物質”であるか、それともなんらかの理由によって光を届けられない“忙しい事情をもつ物質”があるか、そのどちらかだということです。
 後者のほうは、みなさんがよく知っているブラックホールに似ています。ブラックホールなら光を届けられないのは当然です。なぜかといえば、ブラックホールには毛がないからです。ハッハッハ、みんなすべり落ちていくんです。これなら“見えない物質”があってもおかしくはありません(いえ、おかしいですね)。それらはブラックホールの囚人なのですからね。
 しかし、そうだとすれば、そういうブラックホールの数は宇宙の90パーセント近くを占めていなければならなくなってしまいます。どうもこれはありそうもないことです。だってそうだとすると宇宙全体がブラックホールになってしまいます。それでは私たちも存在していなかったでしょう。

 そこで前者の見解をとることにします。さきほどの“引きこもり物質”ですね。
 ところで、宇宙はさきほども言ったように銀河団やら銀河やらからできていて、その銀河は星でできています。ではその星は何でできているかというと、今日の科学では「バリオン」という基本粒子群でできていると考えます。バリオンというのは、定義がしだいに変化しているのでややこしいのですが、かつてはバリオンは重い粒子のことで、たとえば陽子や中性子のことを、それに対して「レプトン」は軽い粒子で、主に電子やニュートリノのことをさしていました。いまでは大半を「バリオン物質」とよび、そこに結びつく相手のことをレプトンというふうに見ることになっています。
 ところが、“引きこもり物質”は、そういうバリオンとしての特性をもっていないんです。もっていないから、何の情報もやってこないわけです。それでは、“引きこもり物質”はバリオンではない物質なのでしょうか。“見えない物質”はバリオンではできていないのでしょうか。

 実は、そうらしいのです。ダークマターはバリオンではない物質で、つまりは「非バリオン物質」でできているようなのです。
 しかし、そう考えてみてもまだ不都合があるんです。ややこしいですね。そういう非バリオン物質によるクラスターが天体の各所にあるとしても、それらがクラスターの成分なら、すでに非バリオン物質のちょっとくらいの特性が見えてきてもよさそうなのに、まったくそういうことが見えないからです。やっぱりのこと、ダークマターは“見えない物質”なのです。
 とすると、それらは何も情報を送ってこないでいられる事情の持ち主だということになりますね。
 さあて、こうなってくると、ここで大きな発想の転換が必要になります。どういう転換なのでしょうか。“見えない物質”というのは、きっと「見えない」ことをこそ特性としている何かの力だろうと考えてみるのです。物質なのに見えないのではなくて、見えないという物質があるということですね。そうなると、これはいつまでも「物質」という言葉をつかってきたことがまちがっていたかもしれない、そういうことになるでしょう。

 こうして、さらに新しい考え方(方法)を駆使した発想の世界が次々に広がります。ここからは、ジョバンニ君、これまで以上に想像しにくい考え方がいくつも組み合わさっていくのです。
 でも、それこそがたのしい「冬の星座」の物語なんですから、どきどきしてくるでしょう! 
 ここで、突如として浮上してくるのが、とくに「負の考え方」と「柔らかい考え方」というものです。

 数学や電磁気学や理論物理学は、ずっと以前から「負」については、けっこう自信に満ちた伝統をもってきました。
 マイナスの符号をつくり、負の電荷を設定し、虚数のiを考えだしました。また、量子力学者のポール・ディラックのように「マイナスの真空の海」といった、とてつもないアイディアもつくられました。ディラックはそれでノーベル賞をうけました。それから、物質には正の物質のほかに「反物質」があることも証明されてきましたね。たとえば、電子に対する陽電子が反物質の例ですね。負の物質です。いまでは反ニュートリノも確認されていることは、カムパネルラ君も知っているでしょう。
 このように現代物理学にとっては、「負」という考え方はおなじみなんですね。これに対して、「反言語」とか「反俳句」って考えにくいでしょう。人文系では、この「負」が苦手です。けれども、これからはそういう考え方も必要です。

 それはともかく、もうひとつの考え方は、これまでの古い定義によらない空間や時間や物質の属性を柔らかなソフトウェアに見立てることです。といっても、何のことかわかりにくいでしょうが、すでに有名になっている例でいえば、素粒子よりもさらに小さなクォークというものがありますね。あのクォークには、「奇妙」(ストレンジネス)、「魅力」(チャーム)、「風味」(フレーバー)といった、柔らかくてソフトな属性がついているんです。とても物理的な属性とは思えないでしょうが、そのような「みかけ」や「様子」を属性に考えることも大事なんですね。いわば見立ての属性が想定されているのです。
 ですから、ダークマターが「見えない」のなら、たとえば「インビジブル」とか「けむたい度」とか「隠れぐあい度」などを考えてみたって、いいんです。宇宙にもこの見立てソフトを使ってみてはどうでしょう。
 実のところをいえば、今日の科学では、このような負の属性やソフトな見立てだけの属性をもつものを、すでに“非バリオン風だ”と言うことになってきたのです。

 しかしながら、あれこれを検証してみると、どうも非バリオン物質をいくら総動員してもダークマターには届かないということがわかってきました。ほんとうに、ダークマターは厄介ですね。
 なぜ届かないのでしょうか。ここであきらめてはいけません。もし何かの理由があって届かないなら、その「届かなさ」というものを想定してみればよいわけです。それがさきほどのソフトな見方であって、「負」の考え方を持ち出してみるということにあたります。
 そこで、そのような「届かなさ」を仮に「ボイド」ということにしてみましょう。ボイドというのは、届かないのなら、そこにボイドという隙間があるのではないかということです。さあ、やっと突破口が見えてきました。問題はボイドをつくっている力を考えればいいのです。念のためにいいますが、むろんボイドの正体があるわけではないんです。ここはボイドとでもよぶしかないような「負の壁」が想定されるということなのです。いいですかジョバンニ君、そろそろ眠くなりましたか。もうちょっとです。

 こうしていよいよ最後に登場してくるのがダークマターと重力の関係です。
 どういうことかといえば、ダークマター群には見えない腕(ハロー)のようなものがついていて、これが重力の架橋となって天体クラスターの動きに影響を与え、相互落下を阻止し、宇宙の各所のΩを調整しているのではないかという見方です。「ボイド」や「負の壁」とは、重力のハローという架橋だったんですね。
 わかりましたか。重力なら、もともと“見えない物質”だったわけですからね。しかも、その重力はダークマターという重力物質のような姿をしているのですから、これは見つからなくても仕方がありませんね。
 ここから先、今日の宇宙論はもっともっと複雑な仮説を組み合わせて、もっともっと不思議な姿を描きはじめています。けれども、それを話しはじめると話がもっともっと長くなるので、省きましょう。だって、ジョバンニ君はもう夢を見はじめているようですからね。ちなみにカムパネルラ君のために言っておくと、このもっと複雑な仮説というのは、たとえば熱いダークマターと冷たいダークマターとか、シャドーマターとか、重力レンズの作用とか、そういうものです。すごいですね。難しそうですね。
 でも、これは、方法の冒険のお話なのです。いくらだって正体はつくれるという話なんです。ですから、ぼくのクリスマスの贈り物の包み紙遊びも、このくらいでやめておきましょう。
 大事なことは、すでにのべておいたように「宇宙の正体」がどういうものかということではなく、宇宙が見せている「方法の正体」はどうなっているのかということなのですよ! では、メリー・クリスマス! メリー・ダーク・クラスター!

 今宵はクリスマスである。古代の冬至祭をキリスト教がクリスマスに変えてしまったものである。

 地上のクリスマスにはまったく関心がないけれど、年の瀬に瞬く「冬の星座」のためにちょっとだけ言っておきたいことは、そもそも古代このかた宇宙論というものは、案外人間の思考にとっつきやすい方向にむかって次々に方法宇宙のモデリングをしつづけてきているのではないかということである。
 とくに「負の存在」や「柔らかい状態」を考えることは、宇宙に包まれた人間がいつも採用したがってきた考え方なのではないかということだ。どうもぼくはそういう気がしてならない。われわれは、そして宇宙は、最初から「柔らかい負」でつくられていたはずなのである。
 なぜならわれわれの「思考の正体」が、もともと宇宙によってマイナスに穿たれて、生まれてきたものであるからだ。メリー・リバース・クリスマス! メリー・リバース・グラビィティ!

コメントは受け付けていません。