デイヴィッド・ホロビン
天才と分裂病の進化論
新潮社 2002
ISBN:4105419013
David Horrobin
The Madness of Adam & Eve 2001
[訳]金沢泰子

 2002年6月、日本精神神経学会の臨時評議会は「精神分裂病」という名称を破棄して「統合失調症」という名称に変更することを決定した。
 まことに大きな意味をもつ変更である。
 しかし、この専門領域に詳しくない者からすると、精神分裂病と統合失調症では同じ症例らしいのに、あまりにもイメージの違いがありすぎる。けれども日本はこの変更に踏み切った。むろん、歴史は新たに編集されればよい。
 訳者があとがきで断っているように、本書はこの決定が世界精神医学会で発表される以前に翻訳刊行されるため、訳語は精神分裂病または分裂病のままになっている。だからぼくもこの言葉をつかっておく。ただし躁鬱病のほうは、最近改められた「双極性障害」になっている。もっともこの名称もはたして症状を想起させたり、刻印するのにふさわしいのかどうかはわからない。

 さて、そういう事情とはまったくべつに、この本が提案している結論というのか仮説というのか、その主張はきわめて蠱惑的であって、かつ衝撃的である。
 その中心にある仮説は、分裂病の起源は人間の起源に密接に結びついているのではないかというものだ。
 この根拠のひとつは、さまざまな調査研究によっても、分裂病の分布には人種差がまったく認められないということにある。もしそうならば、あいだの説明をとばしていうと、「狂気こそは人類への贈りものだった」ということになる。狂気は「人間以前」にあったということになる。著者の推定では、なんと14万年前に分裂病がすでにあった。そのあとに人種が分かれたのだった。
 これだけでも驚くべき仮説だが、医学者であって分子細胞生物学にも考古学にも栄養学にも深い関心を示す著者は、次々にどぎまぎするような仮説(真相?)を繰り出している。これをまとめていうと、次のような意外なものになる。

 ヒトとチンパンジーの遺伝子上の差異はごくわずかである。だいたいヒトの遺伝子の40パーセントはイースト菌と同じだし、60パーセントはミミズと同じ、80パーセントはネズミと同じ、チンパンジーとは98パーセント以上が同じになっている。
 これらの差異はほとんど突然変異によってもたらされたもので、その分子進化的には偶然の突然変異がゲノムの特定の部位に蓄積された。いま、Y染色体、常染色体、ミトコンドリアを調べると、そのレコードの痕跡がかなり正確に読みとれる。たとえば南アフリカのレンバ族の外見はどう見ても黒人だが、かれらは自分たちがユダヤ人だと主張していた。儀式にもユダヤ的な要素が入っている。そこで遺伝子調査をしてみたところ、ミトコンドリアDNAのレコードはアフリカ人であったが、Y染色体DNAのレコードはユダヤ系だった。

 では、このような人種がどこで交じり、その前にはどうだったのか。この問題は結局はヒトがチンパンジーと分かれたところまでさかのぼる。
 しかしながら著者によると、このときに遺伝子上で決定的な差異をもたらしたのは、せいぜい次の因子だったのである。

  ヒトが快適に直立二足歩行できるようにした遺伝子。
  ヒトに皮下脂肪を与えた遺伝子。
  ヒトに大きくて接続がすぐれたニューロンを与えた遺伝子。
  呼吸器系(鼻腔・口腔・咽頭)のメカニズムを与えた遺伝子。

 この4つの因子がヒトという文明をつくり戦争をおこし交響曲を奏で、ラスコーリニコフの犯罪を哲学する「人間」というものを生んだのだ。
 こんな劇的な変化をおこした因子として、なかでも両手を器用にさせた①の因子と、③の脳にすぐれたニューロンのしくみをもたらした因子が大きい役割をもったのだろうが、その一方で、②の皮下脂肪の遺伝子が「人間」に何かをもたらした。分裂病や躁鬱病である。しかもそのことが、かえって①や②の発達を促すことになった“隠れ活動”だったというのが本書の筋書なのだ。
 おまけに詳しく見ていくと、皮下脂肪がヒトと類人猿を分けていただけではなく、実は③のヒト独自のニューロンのつながりの変化にも脂肪の一種のリン脂質が関与していることがわかってきた。

 なぜ皮下脂肪が主役になるかといえば、ヒトと類人猿を区別する最大の特徴がヒトにおける皮下脂肪の大量蓄積と胸と尻への脂肪蓄積にあるからである。類人猿はエサを多量に与えられたときにだけ皮下脂肪がたまる。
 となると、ヒトと類人猿を分けたもの、すなわち「意識」や「精神」にかかわる何らかの差異の発生の原因のひとつは、この皮下脂肪を司る生化学的な組成変化にあったということになってくる。これは以前から一部で唱えられていたことではあったものの、あまり深くは重視されてこなかった“事実”である。どうやら「脂質の化学」こそが「人間形成」の重要局面にあずかっているらしい。

 皮下脂肪の脂肪酸はほとんどトリグリセリドの形になっている。一方、脳の中の脂肪酸はリン脂質になっている。トリグリセリドは柔らかくてぽちゃぽちゃしているが、リン脂質は精密で秩序だって構成的である。
 そこで、このリン脂質が脳の形成にとっては最も理想的で可変的な“建材”になる。かくてニューロンはリン脂質膜の構造をとり、樹状突起はリン脂質でつくられ、この構造の中にさまざまなタンパク質がはめこまれることになった。
 脳はこのようなニューロンと樹状突起をつかって「制御された漏電」によって信号の交信をする。ニューロンの電気的なインパルスは、リン脂質細胞膜のバルブが巧みに開閉することで漏電(ディスチャージ)をおこす。これをきっかけに、次々に信号が交換され、ついにはニューロトランスミッター(神経化学伝達物質)が「意味」を表示する。
 ところが、このリン脂質にわずかな変化があると、「意味」の解釈にちょっとした異常が出るらしい。分裂病はこのことに密接な関連をもつ。

 脳というものはリン脂質を素材としてつかうことなく新たな接続をつくることもできないし、古い接続をこわすこともできない。
 リン脂質の重要な成分は体内ではつくれない必須脂肪酸でできている。この成分がアラキドン酸などで、これがうまく手に入らないと(すなわち栄養としてうまく摂取できないと)、脳はうまく機能せず、小さくなったり、おかしくなったりする。
 このアラキドン酸などの脂肪酸の量が、ヒトの生きている過程で高まる時期がある。第1には胎児期と乳幼児期で、ここではミクロの接続が形成される。第2は思春期前後で、シナプスの先端にあるホスホリパーゼのサイクルの酵素が活性化して、それまでの脳内構成を再構築する。第3が老年期で、しばしば痴呆がやってくる。これはホスホリパーゼ系の酵素が活性化しながらも再構築がおこなわれない時期にあたる。
 この3つの段階でつねにリン脂質が重要な役割をはたすのである。のみならず、ごくわずかな変化によってリン脂質のバランスは揺れ動くようになっていた。

 原始のヒトができあがる時期、リン脂質による異常はかなり穏やかなものだった。狩猟生活は獲物の入手によって変化はしたが、基本的な栄養源に大きな変化がなかったからだ。
 ところが、農業革命はこうした生化学的組成に大きな変化をもたらした。穀物が主食となったからである。パンや米などの穀物中心の食生活にはアラキドン酸などが小量しか含まれていないからだった。
 ここですでに脳のわずかな狂いが生じてきた。けれども他方では、この狂いこそが脳の機能を補完するためのアイディアを生んだ。文字や図形の発明などである。アルタミラの洞窟画や楔形文字が「外部の脳」としてスタートしたのはこのときだ。
 こうしてヒトは脂質のバランスで意識の安定と不安定を揺れ動く存在になったのである。ちょっとでも脂質の摂取に不都合が生じると、分裂気質や躁鬱気質が派生してしまうことになったのだ。そのような不都合は文明が進捗するにつれ、しだいに頻繁におこるようになっていった。とりわけ決定的なのが産業革命期に必須脂肪酸の摂取が大幅に減少したことだと著者は言う。このとき同時に潜在的な飽和脂肪酸の増加がおこり、ついに人類史において最も不幸な分裂病症状が悪化していったのである。

 あまりに説明をはしょったのでわかりにくいかもしれないが、ようするには著者は、脂肪酸の安定と不安定が人間の意識や精神を触発し、また縮退させる大きな要因だったと言っているのだ。
 もっとも著者は別のことも書いている。モーツァルトやヴィトゲンシュタインの、ドストエフスキーやアインシュタインの気質のどこかには、きっと分裂病の気質が認められるはずなのであるが、もしそうだとすると、適度な脂肪酸の変化はときには天才的な才能を開花させるものでもあって、その才能に与える影響ははなはだ微妙なものだということになるというふうに。
 これは「天才と狂気は紙一重」という昔ながらの言い伝えを確信したくなるような話であるが、本書にはそういう例はごくわずかであって、多くが分裂病や躁鬱病となって辛い日々をおくることのほうになってしまうという説明を強調しつづける。

 分裂病の最初の発症は通例は青年期におこる。特有の「ふさぎこみ」が始まり、孤独癖が高まり、外界との交渉を断ちたくなる
 それにつれてコミュニケーションが無反応かつ無表情になってきて、悲しみや嘆きに対して冷笑するようになる。つまりは、入ってくる情報の軽重が見きわめられず、すべての感情が同等に知覚されるようになっていく。

 幻覚や幻聴をともなうときも少なくない。自分が誰かや何かにコントロールされていると感じるようになり、猜疑心が高まり、外界からの影響に反理性的な恐怖をもつようになることもよくあることらしい。こうなるとこの症状を完治することがなかなか難しく、しかも現状での治療法は世界中どこでも、まことに不備なものになっていると著者は言う。

 脂質と分裂病のあいだに密接な関係があり、農業革命産業革命が分裂病を促進させたというのは、もはやとりかえしのつかないこととして、さすがに暗澹とした気分になりかねないが、なるほどそうですかと言うしかないことでもある。
 著者はまた、くりかえし「宗教的感覚、技術的才能、芸術的創造力などはどこかで分裂病の資質に通底する」と言っているけれど、このことも「きっとそうでしょう」と言うしかない。しかし、本書の言っていることが当たっているとするなら、次のようなことも問題にしなければならなくなるはずなのである。
 それは、こういうことだ。
 はたして精神分裂病が「統合失調症」だとして、その「統合」をはかるために、このような考え方をあまりにラディカルに推進していくと、すべての宗教を信仰している者がいつの日かことごとく分裂病扱いをされはしまいかということである。
 いや、もっとおこりそうではあってほしくない杞憂を言うなら、欧米中心の精神科学の牙城がどんどん広まるにつれ、キリスト教社会を除く熱烈な宗教者たちに、いつしか“つまらない統合”を押し付けはしまいかということである。中東からのニュースを聞くたびに、そんなことまでふと呟いてみたくなる。

コメントは受け付けていません。