マックス・フォン・ベーン
ビーダーマイヤー時代
三修社 1993
ISBN:4384021968
Max von Boehn
Biedermeier, Deutschland von 1815-1847 1911
[訳]飯塚信雄・永井義哉 他

 ビーダーマイヤーはもともとは架空の教師の名前だった。ドイツの「フリーゲンデ・ブレッター」という絵入り雑誌に1850年代に連載された記事で、ビーダーマイヤーという名の小学校教師が先行する王政復古時代の家具・調度・服飾を風刺して、それがもとで「ビーダーマイヤー時代」という名称がついた。
 政治的にはカール・ルートヴィヒ・ハラーの命名によるように、ビーダーマイヤー時代はぴったり王政復古期のことで、ウィーン会議の1815年から三月革命の1848年に至る33年間をさしている。日本でいえば文化文政期というようなものである(実際にもその時期にあたる)。ドイツの歴史ではメッテルニヒの時代ともフランクフルト連邦会議の時代ともいえるのだが、ビーダーマイヤーがもともとは「愚直な奴」という意味であるように、ドイツの家庭が簡素・朴直・平凡の中にあって、徒らに虚飾に走ることを堪(こら)えていた時代だったので、そういう生活文化の時代感覚をあらわす用語となった。
 だからこんな時代文化は、神秘主義や宗教革命や疾風怒濤やロマン主義を突き抜け、カントにもヘーゲルにもベートーベンにも深く思索したドイツの精神文化からすれば、まったく本流に属さないもので、事実、長らく庶子扱いされてきた。月並みで因習的で、ほとんど独創性に欠ける時代文化だと思われてきた。
 しかし、マックス・フォン・ベーンの本書をきっかけに、どうもそうとばかりは言っていられない「近代文化の本質的な属性」がここにはあるのではないかと見られるようになってきた。

 ビーダーマイヤーの生活文化の特色をかいつまむのは、ある意味では恐ろしいことである。ここにはわれわれ日本人の日々の何かに直結しているものが、あたかも似絵のようにぬくぬくと育っているからだ。
 フォン・ベーンの600ページにおよぶ記述にしたがって順に選び抜いていくことにするが、まずもって、これまでドイツ人が頑なに重視してきた宗教事情は、この時期にいっさいの神秘性と魔術性を失っていた。宗派間の議論は絶え、プロイセン国王はカトリックとプロテスタントの合同会派をつくろうとさえしていた。
 しかしその「寛容」はあっけなく崩れていったのである。フリードリッヒ・ウィルヘルム4世は保守的なルター派正当主義を奉じ、ついにドイツの宗教文化を根こそぎにありきたりな、退屈なものにしていった。
 愛国心も、この時期は単なる体制擁護の便利なキャッチフレーズで使われるだけとなっている。
 フォン・ベーンが次に指摘するのは、ジャーナリズムのいかがわしい「匿名批評性」と市民による「教養願望」の盛行と「コピー文化」の隆盛である。新聞は匿名のときにのみ時代を罵り、町では公開講座の花が咲き、ヘタウマめいた特有の文体がもてはやされて、古典的な様式はことごとく失われていった。建築建材で使われるのは模造素材ばかりなのである。
 ようするに“実体の文化”が退嬰し、“擬造の文化”が勃興したわけである。こういう時期はいうまでもなく、いまの日本がそうであるように、大学の質は最低のレベルまで落ちていた。しかしながらだからこそ、ビーダーマイヤー時代は初めて書店が町にいくつも登場し、銅版画がリトグラフに生まれ変わり、肖像画が写真に飛び移っていった時代でもあった。
 いわば「思索の価値」よりも「展示の価値」が勝った時代なのである。
 それゆえせっかくの書物と書店の爆発は、ただちにヴィジュアルな絵入りや挿絵や写真に覆われて、はやくも活字文化の曲がり角が伝統派の知識人によって懸念されたのだった。いかにもわれわれがよく知る国の、われわれがよく知る時代に酷似していよう。

 老ゲーテはまだビーダーマイヤー期の最初のうちは健在ではあったが、『ウィルヘルム・マイスター』は七面倒臭いものとして反感をもって迎えられ、そのかわりウォルター・スコットがタレント作家のようにもてはやされた。ウォルター・スコット・オートミールの広告さえあったことを、本書は記録してくれている。だからジャン・パウルなど、まったく読まれなくなっている。
 こういうときは、むしろポップスが流行するものである。やっとドイツ語で日常会話することのほうに関心が進んだのも、その傾向のひとつなのであろう。それゆえ音楽という音楽はポップで気分のよいディレッタンティズムに二日酔のような感覚の背中を押され、家庭でも公共の場においてもやたらに流行した。ピアノが家庭に普及したのはビーダーマイヤー時代の貢献である。そうしたなかでフランツ・リストは英雄扱いさえされた。
 つまりは愛国的であっても異国的であっても、またポップであってもスクウェアであっても、どんな文化も画一的なのである。そのぶん都市は、ベルリンがそうであったのだが、やたらにせわしかった。
 では、民衆は何を喜ぶかといえば、家庭では質素にしている代わりに、賭博ができる温泉、クリスマスは賑やかに飾る菓子屋をいそいそと訪れ、すぐに平均値が獲得できる無印良品めいた国民服を着たり、男たちは髭と帽子を凝り、女たちは「豪華と流行」などの服飾雑誌を眺めるのを趣味とした。
 とくに男たちが額からこめかみにちょうどかかるように巻き毛を垂らすのを得意がっていることと、女たちが袖をどんどんふくらませてその具合を気にしていたことを、フォン・ベーンは皮肉に描いている。

 ビーダーマイヤー時代とは、われわれがつねに陥ってきた「近代の陥穽」なのである。むろんそこにはドイツ的なるものが横溢してはいるが、のちにミラン・クンデラが「存在の耐えられない軽さ」とも呼んだ、あの借り物ばかりで時代を乗り切ろうとする愛すべき愚直が渦巻いたのだ。
 いったい日本ならどこにビーダーマイヤー時代をあてはめるのであろう。また、その時代を何と名付けることになるのだろうか。たとえばそれが「聖子の時代」とか、「崩壊二子山部屋時代」とか、「フツー時代」とか「民主党の季節」などと呼れないことを祈るばかりだ。

参考¶マックス・フォン・ベーンには妙な能力がある。生活文化をメゾスコピックに(中間領域で)描く能力だ。邦訳ではそれが『モードの生活文化史』(河出書房新社)によくあらわれている。また本書のあと、フォン・ベーンは同じような大著『ドイツ十八世紀の文化と社会』(三修社)を著した。本書の前の時代のメゾスコピック・レポートである。

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