ヘンリー・ミラー
北回帰線
新潮文庫 1969
ISBN:4102090010
Henry Miller
Tropib of Cance 1934r
[訳]大久保康雄

 ロレンス・ダレルが褒めていなければ、ヘンリー・ミラーなんて読まなかった。ダレルはぼくの先生なのだ
 ところがダレルは『北回帰線』をメッチャ褒めた。インド生まれでギリシアのコルク島に住んでいた、やたらにかっこいい青年詩人は、これまたかっこいい若いナンシー夫人と連れ立ってパリのヴィラ・スーラにわざわざやってきた。ここは中年ヘンリーがパリの本拠にしていた場所だ。
 なるほど、『北回帰線』がなかったなら、ダレルの『アレクサンドリア・カルテット』もありえなかったのは、これでよくわかった。いまでもぼくは、ときどき『ミラー=ダレル書簡集』を読む。あれは、あたかもロマ書のようなものだ。
 それから、アナイス・ニンがミラーのことをあんなに詳しく日記に書いていなければ、やっぱりヘンリー・ミラーなんて読まなかったろう。アナイスはミラーという男を“創造”することにすこぶる真剣で、おまけに『北回帰線』の初版本はアナイスのとびきりの序文がついていた。ぼくはアナイス・ニンを一も二もなくリスペクトしている者なので、それならばと渋々ミラーを読んだのだった。
 もうひとつ、白状しなければいけないことがある。ドス・パソスやエズラ・パウンドやハーバート・リードが『北回帰線』に寄せた書評を読んだときは、さすがにぼくもすっかり『北回帰線』も『セクサス』も『ネクサス』を読みおえていたけれど、それらの書評の中身の盗み見によって、こっそり『北回帰線』の読後感を修正したものだ。
 ようするにぼくは、まったく邪道なヘンリー・ミラーの読者だったのである。

 当時のぼくは若すぎた。いまならちょっとはエロスとタナトスもぼくの日常に身近になっているので、変わった読み方もできるにちがいない。

 いや、そうじゃない。むしろそのころは観念でわかったつもりになって、わざとらしくエロスとタナトスのアマルガメーションを武器に読んだのだった。それが失敗だったのだ。そのころ連続的に読んできたサドバタイユクロソウスキーの延長で、巧みにでっちあげて読んだのだ。青年の過誤というものだ。
 こんな読み方でよくも読み通したとおもうのだが、いまでもこれが邪魔になっていて、まだなおヘンリー・ミラーの良き読者になりえないままにいる。なぜかというに、いまぼくが最近になってやっと知りつつあるエロスとタナトスは、ぼくが若き日に想像していたものとはまったく違っていたからだ。
 だから本当は『北回帰線』の感想をここに書く前に、ぼくが最近になって溺れてもいいとおもえた彼女をホテルに呼んで、スカートをまくってもらい、それから今夜の『北回帰線』について書き始めるべきだったのだろう。
 けれども、そういうわけにもいかなかったので、ここではヘンリー・ミラーがこの作品を書くにいたった出来事にいくつかふれて、ついでにぼくの悲惨な話も少々おりまぜて、本書の感想のお茶を濁そうとおもう。

 ライダー・ハガードといっても誰も知らないだろうが、ブルックリンの移民貧民街に育ったヘンリー・ミラーにとっては、ハガードの『ソロモン王の宝庫』や『彼女』こそは異常な想像力の源泉だった。少年ヘンリーは、ともかくそうとうな読書家だったのである。これはのちのミラーの文章を見れば、そういうことがありうる事情だったことがよくわかる。
 ニューヨーク市立大学は2カ月で退学した。雰囲気もカリキュラムもばかばかしいものだったからだが(どんな大学もそういうものだが)、あっさりセメント会社に入って最初の給料を貰うと、街の女やモギリの女をはじめ獰猛な性遍歴に耽っていった。母親ほど年齢がちがうホーリン・チャウトウとも同棲し、『わが読書』によると、文字通り「セックスの奴隷のような日々」あるいは「地獄の境涯のような日々」をおくった。しかし、セックスの奴隷なんて長く続くはずがないと、のちに老年ヘンリーは書いている。
 それが本当かどうかはわからないが、ひょっとしたらそうかもしれないということが、ぼくにもおこっていた。

 いささか私事になるが(しょっちゅう私事ばかりを書いているのだが)、ぼくは学生時代に3日間を娼婦の家に“幽閉”されたことがあった。3カ月でも3年でもない。たった3日だ。それでもかなりの経験をした。そのことをちょっと挟んでおきたい。
 その大きなワンルームの家(アパートメント)には、数組の男女とゲイたちが同居していた。これだけでも、学生時代のぼくには腰を抜かすような極限の光景だったのだが、それだけではなく、かれらはのべつまくなくセックス三昧をし、それを互いに見せあっていた。
 そんな異常な光景のなか、娼婦に3日3晩の攻勢をうけた(ゲイからも攻撃が加わった)。実は、これが何を隠そう「わが童貞卒業」の日であって、初体験と目眩く過剰甘美な体験とが一緒につながって、なにもかもがどっと襲ってきた。
 地獄とはおもわなかったけれど、それでも目は霞み、体は前も後もヒリヒリ痛くなって、こんなことをしていては何もできなくなると思い、這々の体でこっそり“脱出”したのである。
 そんなことが3カ月、1年、3年続けば、きっとたいそうな生き地獄だろうという想像がつく。ミラーにはまさしくそれがおこったのだろう。ちなみにぼくは、そのあと長いあいだにわたり、どんな女性とも感応しなくなっていた。

 まあ、ぼくのことはともかくとして、青年ヘンリーは女に囲まれたニューヨークを離れ、漂泊するように西部へ行った。
 まさに放浪だ。セパレーションである。そして、臨時雇いやパートで食いつなぎながらサンディエゴに入ったときに、とんでもない女性に会った。
 エマ・ゴールドマンである。そのころすでに名声を馳せていた正真正銘のアナキスト革命家。ミラーは彼女からヨーロッパという世界があること、そしてロシア文学というとてつもない世界があることを教えられる。これでドストエフスキーが巨大な壁となって、ミラーの前に立ち塞がった。
 このエマ・ゴールドマンとの出会い、およびドストエフスキーを耽読しつづけたことが、のちにヘンリー・ミラーを「文学者」にさせる大きな動機になったことについては、いまではミラーの読者たちは誰でも知っている。けれども、ミラーの文学にアナキズムの粒々が泡立っていることは、そんなには認知されていないようにおもう。『北回帰線』の魅力は、そこだけは若いころのぼくにもわかったのだが、どこかバクーニンの『神と国家』か、エマ・ゴールドマンが大股で歩くような風情をもっていたものだ。
 ドストエフスキーで大審問にやっと直面できたミラーは、ニューヨークに戻って親父の稼業を手伝うようになる。ただし、そこへフランク・ハリスがあらわれて、ミラーはふたたび女性遍歴の崇高さに目覚めてしまう。セックスの日々を赤裸々な身上にしたポルノグラフィ『わが生涯の愛と性』の独白者である。 

 何がどうまわりまわったのか、ミラーは26歳でピアニストと結婚をする。『セクサス』に出てくるモオドである。
 ちゃんと娘も生んだのだが、その娘が父親ヘンリーが再会するのはなんと30年後のことになる。
 1917年、アメリカも第一次世界大戦の渦中に入る。何を思ったのか、ミラーは新聞通信員のかたわら陸軍省や経済調査局に勤めている。むろん長続きはしない。百貨店に仕事を見つけると、カタログ編集に精を出した。それからが『南回帰線』や『セクサス』に綴られた日々に重なるのだが、皿洗い、バスの車掌(想像もつかない)、新聞の売り子、メッセンジャーボーイ(あのヘンリー・ミラーがとおもうとやっぱり想像がつかない)、墓掘り人夫、ビラ貼り、体操教師(これが一番想像を絶する)、ホテルのボーイなどを次々に転職し、ニューヨークのウェスタン・ユニオンにやっと落ち着いた。処女作『切られた翼』にとりくむのは、それからである。
もっとも、処女作はぼろくそだった。「君には作家のための一片の才能もない」と言われたことが『セクサス』にも出てくる。
 しかし、ここからは作家志向が鎌首をもたげたようで、タクシーガールとよばれていたブロードウェイの専属踊り子ジューンをつかまえ、前の妻と離婚して再婚にこぎつけると、詩集を売り歩き、スピークイージー(もぐりの酒場)で客をとり、やはり仕事はめちゃくちゃではあったが、ともかく書きまくった。妖婦っぽいジューンとは喧嘩と和解の連続で、それでも夫ヘンリーはこのジューンとの日々が「精神のシベリア」をもたらしたらしく、それが自分を決定的にさせたと、のちにダレルへの書簡に書いている。
 こうして1930年、ジューンを置き去りに、ミラーはパリに行く。アナイス・ニンと出会い、ついにデビュー作『北回帰線』が生まれるパリに。所持金はたった10ドル。のちに“最後の国籍離脱者の乱暴”と言われた。

 こうして生まれたのが、ほぼ処女作といってもよい『北回帰線』である。アナイスの助言がすばらしかったのか、早々みごとにヘンリー・ミラーの文学になっている。
 ただし、筋はない。そこが非難囂々だった。当時、プロットのない小説なんてまったくなかったからである。しかしミラーは徹底してノン・シンセティックだったのだ。それはミラー自身の生活が乱雑きわまりなく、なんら統合がとれていなかったことによる。
 また、あまりに赤裸々な性描写であった。だいたい劈頭数ページで娼婦がぞくぞく登場してくる。ローナはトッテンハイム街の路上に寝てドレスをまくりあげて指をつかっているし、アメリカ女はぼくの一物を握ったままあいさつしてくるし、善良な心の奥底まで娼婦だったジェルメールはベッドに体を投げ出すと同時に美しい脚を奥まで広げる。
 いま読めばひとつひとつの描写はどこにも猥褻なものがないはずだが、それが連打乱打されれば、当時はたいていの連中が引っくり返ったのだろう。しかし、アナイスはその効果をすぐに喝破して、むしろ片言節句ではあっても放出されるミラー独得の言葉のきらめきのほうを奨励し、さらに序文に、この作品はパタゴニアの巨人となって読むべきものだと暗示した。
 処女作の評判は大半が侮蔑交じりのものだったが、ジョージ・オーウェル、T・S・エリオット、プレーズ・サンドラルス、ハーバート・リード、エズラ・パウンドが手放しで褒めた。誇張された抽象性、戯画感覚、激しい性描写、狂ったような文体、哲学的言辞の突発、黙示録っぽい観念、ときおり見せる東洋神秘主義。それらの脈絡のない放出と、それをあくまで管理しようとしないノン・シンセティックな意志。こうしたことがヨーロッパ有数の知的思索者たちを引きずりこんだのだ。
 これはミラーを有頂天にさせた。アナイス・ニンの読み勝ちともいえるであろう。

 ヘンリー・ミラーが処女作でどんな文章を書いていたのか。まだミラーに対して処女である諸君のために数行を引用しておく。こんなイメージの、こんな文体だ。

 「アレクサンダー3世橋。橋に近い大きな吹きさらしの空。陰気な裸の街路が、その鉄格子で数学的に固定されている。廃兵たちの陰鬱が円屋根から湧きあがって、広場の隣の街路に溢れ出ている。詩の死体置場」。
 「ぼくがそう言っているあいだに、彼女はぼくの手をとって股にはさんでしめつけた。便所で、ぼくはものすごく勃起して、便器の前に立った。翼のある鉛の棒かなんぞのように、それは軽くもあり、同時に重いような気もした」。
 「クリュゲルは、あの狂ってしまった聖人の一人であり、マゾヒストであり、きちょうめん、正直、自覚を自分の法則としている肛門型の人間であった」。
 「エルザが八百屋に電話をかけている。鉛管工が便器の上へ新しい台をとりつけている。ドアのベルが鳴るたびにボリスは冷静さをうしなう。興奮してコップをとり落とす。彼は四つん這いになる。フロックコートを床に引きずっている。ちょっとグラン・ギョールに似ている」。 
 「今日まで、ぼくの身に起こったことは、一つとしてぼくを破壊するほどのものではなかった。ぼくの幻影以外、なにものも破壊されなかった。このおれは無傷だった。世界は無傷だった。明日にでも革命か、疫病か、地震が起こるかもしれない。明日にでも、同情を、救いを、誠実を求めうる人間は、ただの一人も残らないかもしれない」。
 「世の中には秘教的という言葉が神聖なアイコオ(気状液)のごとく作用する人々がいるらしい。『魔の山』のヘル・ピーパーコルンにとってのセトルドに似ている」。
 「硫黄で点火されてぼくのそばを通りすぎて行く音や女たち。カルシウムの征服をまとって地獄の門をあける門番たち。松葉杖にすがって歩く名声。それらは摩天楼のために小さくなり、機械の歯につけた口で擦り切れるまで噛みくだかれる」。

 ヘンリー・ミラーとは会ってみたかった。ホキ徳田と結婚したからではない。
 ボリス・ヴィアンやルイ・フェルディナンド・セリーヌと会えなかったぶん、ミラーから何かしらの“放蕩の実在”というものがどのように洋服を着ているのか、それを嗅ぎとりたかったからだ。実はいまでも悔やんでいるのだが、ヘンリー・ミラーと会いたいと思いながらニューヨークで明日のアポイントメントを迷っているうちに、ぼくはノーマン・メイラーと会う約束を取り付けてしてしまったのだ。あきらかにビビっていたとしかいいようがない。
 ぼくは最初から最後まで、ヘンリー・ミラーを悪読みしすぎてきたようだ。

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