徳川夢声
話術
白揚社 1949・1996
ISBN:4826990340

 ちょっと意外だった。
 「千夜千冊」500冊記念に講演とも書籍談話ともつかないトーク・パフォーマンスを、今年3月の銀座ソニービルのホールで御披露したことがある。
 舞台に書棚と机と椅子をおいて、「千夜千冊」から選んだ30冊ほどのぼくの文章をパソコン出力しながら適宜選びつつ、それをネタに勝手な話をするというものだったのだが、終わってのパーティで山口昌男・高橋睦郎坂田明・浅葉克己さんらとともに“お言葉”を頂戴した井上ひさしさんが、「縦横無尽な松岡さんの話を聞いていると徳川夢声の再来を感じた」と言われたのである。
 これは意外だった。ぼくはあんなに含蓄のある喋り方はできないし、飄々ともしていない。それからあんなふうに「間」をもってニヤッと笑えないし、相手を誘うように一拍ずらしてギョロリと睨めもしない。だいたい話術がない。
 いつか井上さんに、あれは激励だったのか皮肉なのか、それとも何かぼくが気がつかない共通項があるのか、その真意を確かめなければいけないと思っている(ひとつだけ思い当たることがないわけではないのだが、そのことについては、遠慮がちにのちに少しふれることにする)。

 徳川夢声は45歳以降のラジオ「宮本武蔵」で一世を風靡してからの夢声と、その前とはどうも違っている。
 その前といっても、それがまたいくつかの時期に分かれるが、最初の無声映画の活弁(活動弁士)をしていたころの赤坂葵館や新宿武蔵野館時代の夢声、昭和8年に古川緑波・大辻司郎らと浅草常盤座に「笑いの王国」をつくり、その5年後には岸田国士・杉村春子と文学座結成に乗り出したころの夢声、映画俳優としての夢声などがいた。
 残念ながらこのあたりの夢声は、ぼくにとっては伝説でしかなくて、夢声ならぬ“有声”が聞けないいまとなっては、どうにも憶測のしようがない。夢声の活弁は当時流行だった美文調ではなくて、リアルで淡々としたニュースタイルなものだったというのだが、そのあたりがわからない。どこかにレコードでも残っているのかもしれないが、寡聞にして知らない。
 なんとなく想像できることは、若き日の夢声はそうとうに斬新でラディカルな方法意識の持ち主だったのだろうということである。ともかく新しいことばかりに着手していた。

 そのようにラディカルで斬新な夢声が、トーキーの出現とともに活弁の座を失い、代わってラジオを舞台に吉川英治の「宮本武蔵」を読み始めて、変化していった。
 とくに、戦後のラジオ「話の泉」「西遊記」やテレビ「こんにゃく問答」「私だけが知っている」で知られるような夢声は、つまりはぼくが知っている夢声は、まさに“話の翁”のような風情をもった洒脱と滑稽と含蓄に至っていた。しかし失礼ながら、その大半はよくいえば“翁語り”、ぶっちゃけていえば“オジン語り”なのである。少なくとも青少年時代のぼくには、そのように聞こえていたのだった。
 ただし、ラジオでは夢声の真骨頂はまだ半分も伝わっていないということが、その後になってやっとわかってきた。とりわけその真骨頂が如何なく発揮されているのは「週刊朝日」に400回にわたって連載された「問答有用」である。

 最近、その「問答有用」の一部が2冊の『徳川夢声の世界』として再構成されて、斎藤慎爾さんの深夜叢書社から刊行されていたのでざっと読んでみたのだが、ともかくどんな文豪ともどんな芸人ともどんな学者とも、まことに自在に話し回している。
 ラディカルというわけではないけれど、なんというのか、つねに対等であり、つねに敬意が尽くされ、つねにユーモアと遊びを忘れていない。たしかにこんなふうに誰とも同じような調子で話せる人材は、そうそういない。しかもその内容は、たえず臨機応変で、話題が滞るということがない。川口松太郎は「その教養の広さと深さはべらぼうである」と書いていたが、それをひけらかすということもない。
 どんな話題もまるで偶発のごとく繰り出すのだ。あたかも道端で旧知の知り合いに出会って、そのまま床几に腰掛けてメーテルリンクから進化宇宙論に、サバの味噌煮からマッカーサーの政策におよぶという具合なのである。
 しかも一つの話題を5分と続けない。掘り下げない。では適当にあしらっているのかというと、そうではなく、短い言葉にして掘り下げている。そうでない場合は、うまく相手にそれを言わせ、さっと引いてる。つまり相手のよさを巧みに引き出して、それが出たところでさっさと話題を次に振っていく。これはぼくが知らない達人だと思った。

 久保田万太郎が松岡洋右はひどいが、大野伴睦は政治家にしてはいい句をつくると言う。夢声は野田大塊の句は綿入れのようだからいいと言う。
 万太郎が、このあいだ名人会で松永和風の越後獅子を聞いたら淡々と唄っていたが、あれは横町の隠居めいてよくない。俳句もそのへんが見えないとよくならないと言うと、そういえば博多のお秀さんの博多節は絶品で、こういうものかと思って感心していたら、この前、京都で松本さだの踊りを見て、自分のしていることが恥ずかしくなった。こういう淡々はいいと切り返す。
 志賀直哉とは最初は窓の外から見えた犬の話、次に部屋にかかっている高田博厚から貰ったというルオーの『月夜の教会』の話。ルオーは買わずに貰うにかぎるなんてことを言い合っている。それからすぐに宮田重雄が古九谷に驚いたという話になって、「そういえば吉川英治がその前で思わず座りなおしましたな」という話から、そうそう、里見敦の『十年』に倪雲林が出てくるが、あの倪雲林の見方はねえという話になっていく。
 江戸川乱歩とは、おばあさんの乳を吸ったかどうかという話である。おばあさんの乳を吸うからいじめられる。劣等感とおばあさんはつながっているという話になる。
 そしてさらに「で、同性愛はどうだったの?」と夢声がさらっと聞く。乱歩も「性欲以前だよ」と恬淡と答え、「文献的には研究しているよ、実行はあまりしないがね」と言うと、すかさず「あんまりしないってのは、多少はするということ?」と突っ込んで、二人で笑っている。こう高いの対話のなかで、乱歩にこういう突っ込みをした人物はいないのではあるまいか。
 これはたしかに徳川夢声を根本的に見直さなければならないという気がしてくる。しかし、こうしたものを読んでも、ぼくとの共通性など、とても比較できるわけではない。

 そこで本書を読んだ。『話術』である。
 豊富な例がいろいろ繰り出されているのは、予想通りだが、案外に本格的な話術論が披露されていて、へえ、そうかと思った。たとえば座談と会談と業談を分けなさい。演説と説教と演芸を分けなさいというところから始まる。
 「座談十戒」もちゃんとまとめてあって、これは15項目にわたっている。①一人で喋るな、②黙る石となるな、③反り返るな、④馬鹿丁寧になるな、⑤世辞を言うな、⑥毒舌になるな、⑦こぼすな、⑧自慢するな、⑨法螺を吹くな、⑩酢豆腐になるな、⑪賛成だけするな、⑫反対だけするな、⑬軽薄な才子になるな、⑭愛想を欠かすな、⑮敬語を忘れるな、というものだ。
 酢豆腐というのは、5分もそのことについて話せないことなら、知ったかぶりをするなという意味だ。
 このほか、話はそもそも人格であるということ、いや人格は話がつくっていくものだということ、声の質を決めること、空間を測って話しなさいということ、いろいろ書いてある。
 いずれも達人ならではの達意だが、しかし、最も感銘をうけたのは「日本語をたいせつにするために話すのだ」というところで、とくに話によって日本語をつくっていく、整備していく、いいものをふやしていくことを強調していることだった。
 ここがひょっとするとぼくと共通しているのかなという感じた点なのである。

 いま、徳川夢声など、誰も関心をもっていないとおもわれる。まして注目が払われているとはいいがたい。40歳以下の日本人で夢声を知っている人すら少なくなっているにちがいない。
 しかし、やはり夢声はすごかった。
 その場で消えるかもしれないような「話」に命を懸けたというのは、「パッサージュ」に注目したウォルター・ベンヤミンどころではなかったのである。これはあらためて議論されるべき傑物であって、大物である。こんな人材は、ぼくから見るととてつもない領域を占めた人なのだ。
 ということは、やはり井上ひさしさんは、どこかで思い違いをしていたということである。ぼくはとうてい夢声に及ばぬどころか、何かがずれてしまっている。ただ「日本語」についてだけ、ぼくも夢声の後塵を拝したいとは考える。

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