大木英夫
ピューリタン
中公新書 1968
ISBN:4121001605

 キリスト教社会には中世このかた「コルプス・クリスチアヌム」というものが覆ってきた。「キリスト教的社会有機体」といった意味をあらわす。
 各個人に先行し、社会にいわばア・プリオリに存在する全体性めいたものをいう。キリスト教社会にいる者はこの有機的全体性を破れない。そういう意味ではキリスト教は全体主義なのだ。エルンスト・トレルチの指摘であった。
 この「コルプス・クリスチアヌム」はやがて教会と国家の分離によって分断される。それがキリスト教西欧社会における「近代化」である。近代社会はそれまでの神との契約とは別に、国家や会社との契約を発進させた。これによって個々の人間像がキリストの体や教会の壁にくっついた「浮彫的人間」から、社会の囲いの中に立ち往生する「立像的人間」へと転換されることになった。
 結果的にこの転換は強行されたのではあるが、当然ながらそこには容易に埋めがたい溝や矛盾があった。説教詩人ジョン・ダンや憂鬱の哲人ロバート・バートンが綴った「メランコリー」とは、まさしくその溝の感覚のことである。
 そこで、この転換にはそれなりの宗教的な確信が必要だった。その溝を生めるために、中世から近代に向かう転換期に登場したのがピューリタニズムである。

 ピューリタニズムについて、日本人はほとんど理解を示さない。ぼくが語りあってきた知識人で、カトリシズムとプロテスタンティズムとピューリタニズムの決定的な違いや変遷をあらかた正確に理解していた人物はかなり数が少ない。とくに若い知識人や作家や政治家は大半がとんちんかんだった。
 そのわりにかれらはヨーロッパ社会の近代化をめぐる議論やアメリカの絶対世界主義の議論だけは熱心にする。やたらに詳しいところもあるのだが、どうも説得力がない。近代における「コルプス・クリスチアヌム」の挫折と転換と強弁が理解されていないせいだった。
 ピューリタニズムについてはキリスト教関係の本をみればいくらでも説明があるのだが、大きな研究書を別にすると、意外に充実した適確な本が少ない。本書はそういうなかでは、よく書けていた。餡(あん)はピューリタンの発生と定着の歴史をかいつまんで書いているのだが、外側の皮に近代にひそむ転換意識と移行意識を描いている。その視点が明快なのである。こういう本は実はそんなに多くない。
 著者は東京神学大学学長をへて、いまは聖学院の理事長についている。そろそろ喜寿になられているはずだが、初期の『ピューリタニズムの倫理思想』(新教出版社)や『終末論』(紀伊国屋書店)以来、一貫して近代の亀裂の意味を問うてこられて、衰えるものがない。

 ピューリタニズムはルターの宗教改革から50年たったケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに発祥した。世はエリザベス女王時代。最初の中心人物はトーマス・カートライトである。
 当時、エリザベス女王はカンタベリー大主教パーカーにアングリカニズム(英国国教会)による国民的礼拝様式の統一と強化を依頼していた。アングリカニズムはヘンリー8世のイギリス的宗教改革によって生まれたもので、カトリシズムがユニヴァーサリズム(普遍主義)だとすれば、ナショナリズム(愛国主義)と結合した。いまもロンドンのウェストミンスター・アベイに入ると、そこがいかにイギリスの土着ナショナリズムで満たされているかが一目瞭然である。そこにはイギリスが生んだ神武天皇や楠木正成の聖人像や記念碑が埋め尽くされている。
 ヘンリー8世がアングリカニズムを主張したのは、ルターのプロテスタンティズムによってカトリシズムが脅かされたことに対する反発が動機になっているのだが、一方では、このままローマ教皇庁によるカトリシズムを守るだけではイギリスの宗教政治はやっていけないという現実判断にももとづいていた。
 だからヘンリー8世のアングリカニズムは次の3つの柱でできていた。ナショナリズム、国王絶対主義、そして受動的服従主義である。
 これをエリザベス女王が引き継いだ。
 ところが、カートライトはこの3本柱をことごとく批判した。それはアングリカニズムが体制の思想であるとすれば、まさに反体制の思想であった。

 カートライトの反体制思想は、もともとはカルヴァンのプロテスタントな宗教思想から出ている。
 カルヴィニズムとは一言でいえば「ソラ・スクリプトラ」、すなわち「聖書のみ主義」である。ピューリタニズムは聖書が適用できないような「間隙」をけっして認めない。どんな隙間も聖書に書いてあるとする。逆に、ヘンリー8世のアングリカニズムはこの「間隙」を生かした国教だった。
 これに対して同じプロテスタンティズムでも、ルターのばあいは「ソラ・フィデ」(信仰のみ主義)である。
 しかし、これらの差異はまだ思想上のことであって、社会的にはそこにアン女王時代(1550年代)に迫害されてジュネーブやオランダに逃れた「エミグレ」がイギリスから帰ってきた事情が直結していた。
 エミグレはもともと移住者とか亡命者を意味するが、ピューリタニズムの生きた本質があるとすれば、まさにこの「移住すること」にある。その後の歴史上のピューリタニズムが、ついに「移住しつづける者の思想」となったからである。なんといってもカートライト自身が大学から追放され、エミグレとなったのだ。

 ピューリタニズムはそもそもが外来的な思想なのである。エミグレの移住宗教なのである。もうすこし正確にいえば、人間をエミグレにする宗教思想なのである。
 キリスト教の教父思想はもともと宇宙論的な世界存在思想をもっていた。それが教皇と国王があいならぶにつれ、各地に都市国家ができあがるにつれ、しだいに歴史思想に転化していった。歴史の変化をうけいれるようになったのである。それがダンテの『神曲』からミルトンの『失楽園』への変化というものである。
 しかしそこにはまだ、樹木のように自然の中に育っているような人間を想定しているところがあった。
 それに対してピューリタニズムはそのような樹木のように植わっている人間を、近代社会に向けて脱出させる。そういう強烈な方針をもっていた。ピューリタン文学の代表作であるバニヤンの『天路歴程』にはそういう人間像が描かれていた。だからピューリタンたちは「新しいエルサレム」への移住をどこかで希求する。

 こんな宗教思想がエリザベス時代の社会体制に受け入れられるはずがない。
 そこでエリザベス女王はかれらに、表面上だけでも「コンフォーム」(服従)させるようにした。コンフォーミズムとよばれる。しかしピューリタンたちがこれで満足できるわけはない。かれらはそこで3つの活動に転進していった。ひとつは地下説教運動へ、ひとつは国外脱出へ、ひとつは革命へ。
 第1の地下説教運動の指導者となったのがカートライトである。クラシス運動という。第2の国外脱出(エクソダス)をやってのけたのが有名なピルグリム・ファーザーズ(旅人なる父祖たち)である。最初は1620年にサザンプトンを出港したメイフラワー号で旅立ち、1630年には大挙して新大陸に移って、かれらこそが「新しいエルサレムとしてのアメリカ」をつくることになる
 そして第3の道がピューリタン革命(清教徒革命)になる。

 ピューリタン革命の経緯は省略したい。オリバー・クロムウェルの革命だ。
 本書ではそのクロムウェルに先行したジョン・リルバーンという興味深い自由人に宿ったクリスチャン・ソルジャーの感覚や、なぜ「王」(チャールズ1世)を殺すことがピューリタン革命の頂点にならざるをえなかったかということを、端的な調子で描き出している。ぜひ読まれたい。
 ここではその頂点を説明する代わりに、この時期にピューリタニズムが派生させた決定的な価値観を、3つだけあげておきたいとおもう。
 第1には、多様な「コングリゲーショナリズム」が生まれたことである。日本では「会衆派」と訳され、その活動は独立派とか組合教会となって、それが日本では新島襄の同志社系になっているなどと理解されている活動形態だが、ここにはもうすこし重要な意味が隠れている。
 かつてのカトリシズムが「回勅の宗教」であるとすると、コングリゲーショナリズムは新たに「会議の宗教」をつくったということなのだ。いまでも“the
sence of meeting”とよばれて、アメリカ人やイギリス人と仕事をするとその思想が前面に躍り出る。日本人が欧米の真似をしてミーティングのルールやディベートのルールをおぼえようとしたのは、ほとんどコングリゲーショナリズムにもとづいている。

 第2に、このコングリゲーショナリズム(信者の集まり)の波及から、社会における“人間向上のプログラム”の変質が実質的におこっていったことがあげられる。
 それを簡潔にいえば、さしずめ「コンヴァージョン」(回心)から「エデュケーション」(教育)へという転換だ。
 これでだいたいのことの見当がつくだろうが、「信仰と会議と教育」はピューリタン精神のなかでは、ひとつながりのものなのであり、このひとつながりの途中にそれぞれ介入してくるのが「ディシジョン」というものなのだ。
 第3に、ピューリタン革命がまさにそうだったのであるが、ピューリタンたちがコモン・ロイヤーと結び、ピューリタニズムの社会のなかに契約社会をつくっていったことが特筆される。すでにメイフラワー契約にもそれはあらわれていたが、クロムウェルの革命そのものが契約革命の推進だったのである。このモデルをプロテスタンティズムに拡張し、さらにそれが資本主義の起源になっていると指摘したのがマックス・ウェーバーだった。

 ピューリタニズムはたいへん妙な思想であり、運動である。その起源には王を殺した宗教運動があり、その後は、つねに父を喪失した状態の宗教思想でありつづけている。
 つねに移住先を求めるし、どこかに定着したらしたで、移住者の再編成を課題にせざるをえなくなっていく。ノーマッドな思想に似ていて、まったくノーマッドではない。脱出する地点が必要な旅立ちなのである。しかも旅先には目的地があって、そこに“建国”と“会議”が待っている。
 しかし、これがヨーロッパのキリスト教社会が「近代」を生むにあたってつくりあげた最も合理的な実験装置だったのである。その合理装置からは思いがけないほどの副産物がもたらされた。たとえば、ピューリタニズムこそが「霊的」(スピリチュアル)という言葉に対して、初めて「内的」(カーナル)という言葉を持ち出したのだったし、「自由」と「デモクラシー」と「信仰」とを矛盾なき状態で実践する前提を拵えたのだった。
 もうひとつ、われわれ日本人がピューリタニズムを正確に知っておくべき理由がある。
 それは日本の明治を動かした「ボーイズ・ビー・アンビシャス」のキリスト教とは、まさにピューリタニズムだったということである。われわれはピューリタニズムをもうすこし惧れ畏れて、また怖れ懼れて、知るべきではあるまいか。

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