ニッコロ・マキアヴェリ
君主論
中央公論新社 他 1962
ISBN:4003400313
Niccolo Machiavelli
Il Principe 1513?
[訳]池田廉

 ヘンリー・キッシンジャーは、インタヴューをうけると十回に一回は「それであなたは、マキアヴェリの影響をうけたんですか」と聞かれると、うんざりした口調で回想していた。そのつど、どんな影響もないと答えたようだ。
 マキアヴェリズムという言葉ほど誤解されてきた言葉はめずらしい。目的のために手段を選ばないでいいなどと、マキアヴェリは一度も書いてないし、『君主論』のどこを読んでもそのような論旨が展開されているところはない。マキアヴェリが仕えたメディチ家の当主たち、およびマキアヴェリが接したチェーザレ・ボルジアやマクシミリアンやユリウス2世に共通して欠けていたのは、どんな事態のなかでも発揮できる柔軟性だと、マキアヴェリは何度も言ったのである。
 しかしマキアヴェリズムという言葉と柔軟性とは、おそらくほとんど結びつかないと考えられてきた。少なくともキッシンジャーをインタヴューした連中においては。

 マキアヴェリは外交官である。その経験からマキアヴェリが結論づけたことは、明快だった。
 第1に、政治の目的はどんな状況下でも「国の維持」であるということである。どのような国かというより、まずその国を維持すること、そこに照準がないかぎり何をしても始まらないとマキアヴェリは考えた。
 第2に、そのように維持されるべき国にとって最も重要な土台は「良き法」と「良き軍隊」だということである。ただしマキアヴェリはこのことについては急いで注文をつけている。「良き法」よりも「良き軍隊」のほうがずっと重要であると。なぜならば「良き軍隊」がないところに「良き法」など育たないからである。
 第3に、国は二つの友をもたなければならないということだ。すなわち市民の力(これは民兵になる力のこと)と、もうひとつは同盟国という友である。こういうところはマキアヴェリはとくに明快だった。

 第4に、マキアヴェリが君主すなわち国のリーダーに要求したことはヴィルトゥ(ヴィルトゥース)、すなわち「力量」である。
 君主は自身の力量を知らねばならず、民もまた君主の力量を判定しなければならない。ヴィルトゥ(力量)については、マキアヴェリはほとんど譫言に近い調子で、何度も『君主論』のなかでその重要性を繰り返す。
 第5に、君主は「良くない人間になりうること」を学ぶ必要があり、必要が命ずるときはそれを実行しなければならないと言う。このあたりがいわゆる「悪のマキアヴェリズム」とみられてしまうところだが、しかしマキアヴェリはここでも注意書きをつけた。それらの言動は決して不正と見えてはならないということだ。
 マキアヴェリは善悪の判定などというものは周囲の観察や歴史の進行でどちらにも転ぶものだが、不正はリーダーの行く手を阻むものなのでちゃんと管理しなさいと喝破していたのである。
 第6に、マキアヴェリはこうしたことのすべてを包む力として最後に「運命」(フォルトゥーナ)の重要性をあげる。
 このフォルトゥーナをめぐってマキアヴェリが何を考えようとしていたかということは、かつてからさまざまな議論が噴出してきたところで、ぼくもよくわからない。しかし、「運命」や「宿命」がヨーロッパの宗教・哲学・文学のいずれをもつねに強圧的に覆っていたことをみれば、ここにマキアヴェリの理想哲学の最後の「神の覗き穴」があいていたということなのだろうとおもう。

 まだいろいろなことを書いてはいるが、絞ればマキアヴェリの主張はこのような点に立脚していた。こうしたことは『君主論』を読めば、誰だって、まちがいなく抽出できるマキアヴェリの政治哲学なのである。
 それなのになぜマキアヴェリが誤解されてきたかというと、おそらく考えられることはひとつしかない。人々は、とくに政治社会では、あからさまに行動の意図の真実が述べられることを正当に評価しない仮面思考がまかり通っているということである。偽善はまだしも偽悪を受け入れられる余地がないということなのだ。
 しかしマキアヴェリは、偽悪どころか意図と現実の関係をあからさまに述べた。人々はこのような表明に耐えられないということなのだろう。

 もうひとつマキアヴェリが誤解されてきた理由には、マキアヴェリが君主を「至高」に導こうとしなかったと見えるためだった。
 キリスト教社会において、そもそも人心は努力すれば向上し、汚れなきものに少しずつは進むはずだという共通の約束事のようなものがある。とくに君主は道徳的にも至高の者であってほしい。歴史的にいえばフリードリッヒ大王などは、まさに反マキアヴェリ者としての君主像をめざしていた。しかしマキアヴェリはそのようなことをあえて示さなかった。むしろ、そのような約束事が社会にあるにもかかわらず、社会というものは醜く争うものだということを前提にした。
 これでは、マキアヴェリを悪の称賛者に仕立てるのは簡単だったのである。とくに『君主論』を称揚したのがクロムウェルやメッテルニヒやムッソリーニのような、図抜けて独断的な決断者たちだったことも禍いになった。
 しかし、マキアヴェリの“真実”をはやくに指摘した者たちも少なくなかった。ドゥニ・ディドロやジャン・ジャック・ルソーらがそうで、かれらは最初からマキアヴェリの構想を共和政治の理想とみなしていた。炯眼である。さらにマキアヴェリをまっとうに評価したのはフィヒテであり、ランケであった。つまり歴史を深く見抜いている者は、たいていマキアヴェリを正確に読めたのである。

 マキアヴェリが理想とした国家は国民国家であった。しかし、その視点がどこから出てきたかといえば、どうもルネッサンスの人文主義的な秘密集会に根差しているようにおもわれる。
 そもそも『君主論』自体がマキアヴェリにとっては、一個の「作品」だったようなところがある。もっと正確にいえば、マキアヴェリにとっては「国家」もまた一個の結晶的な「作品」なのである。それほどに愛しいものなのだ。のちにマキアヴェリは大著『フィレンツ史』をへて、まことに幻想的な『マンドラゴラ』という物語作品を書く。実はぼくは『君主論』より先にこちらのほうを読んだ。たいへんよくできた神秘主義的な作品になっている。
 それでかえってぼくなりのマキアヴェリ読みができたのかもしれないが、『君主論』にはどこか劇的なところがあるし、登場人物こそ振り当てられていないものの、全体としては「国家の演劇」のような印象がある。しかも、そこには国家のサイズがない。透明だとは言わないが、現実のサイズがなく、むしろ「凝縮した政庁」のようなものが浮かび出してくる。
 つまりは、マキアヴェリは「君主政治の世界模型」を作品化したかったのではないか。そういう気もするのだ。
 そこで、当時、ふと思いついていたことなのだが、これはひょっとすると、マキアヴェリは中世に芽生え、ルネッサンスに育まれた秘密結社のルールに強い関心をもっていたのではないかということだ。
 秘密結社は外部からその内実が見えないようにさまざまな意匠を凝らし、その統制をゆきとどかせるわけであるが、マキアヴェリの国家にもそういう面がある。共和政治の体制をとっているのだが、外敵からはその本質が容易に見えない国家なのである。つまりはマキアヴェリの国はマンドラゴラの国なのだ。

 ところで、ぼくはマキアヴェリの『君主論』の指摘に従った君主がいたとするなら、そういう君主やリーダーにはほとんど魅力を感じないだろうとおもう。
 ぼく自身、マキアヴェリの君主から最も遠いところにいるし、しかもそれは反マキアヴェリストの位置からも遠い。ようするにマキアヴェリの言い分にしたがっていえば、ぼくが関心をもてる君主は「運命」(フォルトゥーナ)によって決定されてしまった君主だけ
なのだ。
 そういう意味では、天皇や家元や創業者の息子たちの、日本でいえばいわゆる「世襲の者」たちこそが、ぼくが関心をもつ正統派マキアヴェリストなのである。かれらこそはマキアヴェリを読むとよいのではあるまいか。
 なお本書は最初、中央公論社の「世界の名著」に入ったもので、ぼくもそれで初読した。ここに採り上げたのはその訳にさらに手が入ったもので、「新訳」と銘打たれている。

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