森繁久弥
品格と色気と哀愁と
朝日新聞社 2001
ISBN:4022642831

 何に弱いといって森繁久弥にはめちゃくちゃ弱い。見れば泣かせられる。それも筋書からすればまだ泣くほどの場面ではないのに、モリシゲの目がちょっと虚ろになって泳ぎはじめると、もういけない。うるうる、くすんくすん、だ。
 それが『雨情』や『恍惚の人』や『屋根の上のヴァイオリン弾き』なら、あの哀しさ、あの名演技なのだ、きっとうるうるは誰にもおこっているだろうものの、そうではなくて、喜劇映画の『社長太平記』や『駅前旅館』でもそうなってしまうのだった。あきらかにモリシゲ病だ。
 なぜモリシゲに弱いのか、さきほどいろいろ思い出して原因をつきとめた。
 ぼくはモリシゲの「歌」から入ったのである。当時、モリシゲはたいてい紅白歌合戦に出ていて、あのモリシゲ節で『船頭小唄』やのちに加藤登紀子がおハコとした『知床旅情』などを披露していた。紅組は越路吹雪、白組はモリシゲ。このオトナの二人が紅白歌合戦の絶品絶頂となっていた良き時代で、北島三郎などはまだ新人、美空ひばりすら江利チエミ、雪村いずみと並んでいた程度だった。ぼくは炬燵に入りながら、ひたすらモリシゲ節に酔っていた。

 以前にも書いたように、九段高校に山田勝利がいて出版委員会こと新聞部の1年先輩だった。水泳部のキャプテンもしていたが、ぼくはこの山田先輩に可愛がられ、よく亀戸の駅前近くの自宅に遊びに行った。
 映画館やパチンコを経営している家だった。子供のころにイチジクを食べすぎて親戚の家に泊まったのを除いて、他人の家に泊まったのはこれが最初ではなかったかとおもう。他所の家で夕ごはんをいただくのはなんとも楽しい。食器もメニューもすべてが新鮮だった。
 食事も楽しいが、山田先輩が繰り出す秘密はもっと胸ときめいた。そのひとつにレコードがあった。「なあ、松岡、これ知ってるか?」と言ってはいろいろ聴かせてくれた。そのなかにドボルザークや藤沢嵐子のタンゴとともに、LP森繁久弥アルバムが入っていたのである。これにぞっこん参った。とくに『琵琶湖周航の歌』『銀座の雀』など、どれほど先輩と物干し台に出て放歌放吟したことか。
 モリシゲ節がぼくの涙腺を手術してしまったのである。これが原因だった。それからは大変である。森繁劇団の旗揚げ公演の『佐渡島多吉の生涯』など、何度泣いたことか。
三木のり平にも、ね。

 森繁久弥は多彩である。だいたい古川緑波一座で鍛えられたあとは、満州に渡ってNHKのアナウンサーになっていたし、喜劇軽演劇悲劇ホームドラマ百般はすべてこなすし、なんと50年も続いている加藤道子とのラジオ『日曜名作座』の朗読は日本の話芸の至宝といってよい。市原悦子と常田富士男の『日本昔ばなし』しか知らない世代は、これをぜひとも聞かなくてはいけません。
 そして、歌はモリシゲ節。これはなんといっても森繁久弥の哀愁そのものだが、それだけではなくミュージカルも旨い。それからヨット、クルージング、「あゆみの箱」などの慈善事業、さらにはエッセイの達人で、『森繁自伝』(中央公論新社)『こじき袋』(読売新聞社)『帰れよや我が家へ』(ネスコ)ほか、著書もすこぶる多い。
 しかし、これを落としてはモリシゲの画龍点睛を欠くというのが、挨拶名人であって、弔辞仙人だということだ。スピーチが軽妙洒脱であることはむろんのこと、まさにその数分には「品格」と「色気」と「哀愁」が絶妙に醸し出されて、もうおしっこを漏らしたいほど格別なのである。
 本書は、この、「弔辞仙人のモリシゲ節」が大いに奏でられている一冊である。すでにこの一冊を綴ったとき、森繁久弥85歳。自身が余命を延ばしていることに忸怩たるものを感じつつ、先に逝った者たちを淡々と偲ぶ随筆になっている。実際の弔辞はごく僅かしか入っていないが、その情感を余してあまりある。とくに一点だけあげれば、亡くなった莫逆の友・勝新太郎をめぐる文章だ。

 勝が言う。「シゲちゃん、何か欲しいものないか」。「うん、そうだな、台杉が欲しいな」。台杉とは北山杉のことである。忘れたころに、勝が植木職人10人ほどとトラックに台杉2本を乗せて東海道をひた走って、森繁の家にドンと置いていった。それから会うたびに「俺の杉は元気か」と勝は不敵に笑う。
 ある日、勝が茫然としている。「何か、あったんか?」「おふくろが逝っちゃったんだよ」。森繁も言葉を失っていると、「俺、兄貴と二人でおふくろのアスコを見たよ、通夜でさ」と、とんでもないことを言う。
 「俺たちが出てきたアスコを拝んでいたら、涙が無性に出てきてな」。変な奴だと思ったとたん、森繁も泣いていた。
 この勝新太郎と森繁久弥の関係は、日本の男と男が組合わさった最高の「バサラ数寄」をしでかせる無類の組み合わせなのである。なにしろ以心伝心しか二人には、ない。たとえば勝が撮る映画に誘われた森繁は、何をやらされているのか、いつもまったくわからないらしい。蕎麦の屋台をもってきて、そこで好きなことを喋り続けてくれ、あの土手からゆっくり上がってきてくれ、そこでシゲちゃん唄えよ。さっぱり筋の説明をしないらしい。
 その勝が人生で一番好きな歌が次の歌である。

   夕空 晴れて 秋風吹き
   月影落ちて 鈴虫泣く
   思えば 遠し 故郷の空
   ああ わが父母 いかにおわす

 森繁は勝に、死ぬ前にこの歌を唄ってやりたかったようだ。あるいは三味線が旨かった勝に、しみじみこの歌を唄ってほしかったのか。しかし、いまぼくもまた、かの森繁爺さんに「ああ、わが父母、いかにおわす」と唄ってほしいのだ。
 昭和史とは森繁久弥の歴史だったのである。

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