ノルベルト・ブロックス
古代教会史
教文館 1999
ISBN:4764266237
Norbert Brox
Kirchengeschichte des Altertums 1983
[訳]関川泰寛

 ナザレのイエスは失敗したのである。
 集団はリーダーを失ったのだ。十字架にかかった者が蘇生するはずはなかった。
 それにもかかわらず残されたメンバーたちは、ガリラヤとエルサレムにおけるパルーシア(再臨)とカリスマ(賜物)の"実現"に賭けた。そして「復活」という物語をつくりあげ、信じがたいほどの強靭で執拗な意志によって「キリスト教」という典礼と教義と教会という独創的なシステムを創りあげた。

 ふりかえれば高校2年のときに飯田橋の富士見町教会を訪ねたときからになるので、かれこれもう40年になるわけだが、ぼくはそのときからずうっとこの出来事の意味を説明できなかった。
 なぜイエスが何もしないで死んだのに、その死骸からキリスト教の花が咲いたのか。この壮大なナルシスは何なのだ。
 本書は20年ほど前に書かれた初期キリスト教史で、著者はドイツのレーゲンスブルク大学のカトリック神学部の教授。
 新たな研究成果をいかしているという以外は、とくに奇矯な主張をしているわけではないが、かえってそういう"正史"のせいか、これを読んでいろいろ考えることができた。

 イエスは失敗した。それなのにキリスト教が"創造"できた。こういうことは、ゾロアスター、ブッダ、マニ、マホメットのいずれにおいてもあてはまらない。孔子も失敗したが、それは宗教の失敗というより政治の失敗である。が、そのかわり孔子はテキストを残して、それが儒教になった。イエスにはそういうものもない。
 初期キリスト教の最初の数十年における福音伝道には、歴史的にみて驚くべきものがある。世界宗教史上最も解きがたい謎といってよい。運動の拡張のスピードという点でも異常だ。仏教もイスラム教も、初期はこんなふうに急速な拡張はしなかった。
 最初の共同体はパレスチナのユダヤ教内に形成された。かれらはユダヤ教の経典(旧約聖書)を読んでいた。テキストはそれしかなかった。しかし、そこがパレスチナであったということは、かつて預言者によってイスラエルに告知された「終末にはたらく神の霊」が動き出したことを感じさせた。
 イエスが死んだあとのメンバーとシンパサイザーは、当初、二つのグループになっていた。アラム語を話す土着のユダヤ人(ヘブライオイ=ディアスポラ)と、ギリシア語を話すユダヤ人(ヘレニスタイ)である。なかで最初に指導的な立場にたったのはヘレニスタイだったようだが、かれらは旧守派に追放された。
 旧守派たちは西暦48年に使徒会議をひらいて、これからどのように福音するかの方針を決める。しかし、この方針が初期キリスト教を"創造"したのではない。

 謎を解くひとつのヒントは最初に追放されたヘレニスタイたちにある。ヘレニスタイこそが新たなメシア思想と黙示思想を加えて初期キリスト教を広げていった。
 ひとつには、道具があった。メディアがあった。ヘレニスタイの手元には七十人訳聖書というギリシア語聖書があった。このテキストを公用語のメディアとすることによって、ヘレニスタイを代表するフィリポとバルナパと、そしてパウロが伝道の中心になっていった。しかし、そこにイエスのことが語られていたわけではない。テキストはずっと以前のユダヤ教徒の教えしか語っていない。そこでパウロは『旧約聖書』のコンテキストとイエスの事績と語りとをさまざまに結びつけることによって、新たなキリスト教という新宗教の骨格をつくっていった。パウロらは、メディアづかいの天才編集者だったのである。
 もうひとつ、あまり知られていないことがある。それは初期キリスト教が"無神論"とみなされたことだ。これは律法と割礼を認めないキリスト教徒を迫害に導くのだが、その一方で、律法と割礼に縛られない宗教心の持ち主を新たなキリスト教の動向に導くのに、すこぶる効果的だったのである。

 初期キリスト者たちが、たくみに当時の皇帝思想を活用したことも特筆される。当時、ローマ皇帝たちは「皇帝は異教によって神聖化される」という思想にとりつかれていて、そのため一つの宗教に殉じることができないでいた。
 キリスト教はそこを執拗に、かつ堅実に揺さぶっていく。キリスト教は本来はシンクレティズム(混淆宗教)なので、異教との接触などどうということはなく、そのためどんな異教との融合をも通してみずからの栄養としていったのだが、そこが皇帝思想の総合性の目にとまったわけである。
 こういうことをいろいろあげていくと、なるほど古代におけるキリスト教の"創造"という大計画もありえたのだということが少しずつわかってくるのだが、そこにはさらに二つの徹底した組織的な工夫があった。たいていはこの努力がいいかげんで、多くの宗教が挫折していったのだった。しかし初期キリスト者たちはここを徹底的に工夫した。
 そのひとつは「信仰生活」を確立するにはどうするかという組み立てにとりくんだこと、もうひとつは教理のための「神学論理」をつくりあげたことである。

 信仰生活が確立できたのは、同じ確信、同じエートス、同じ生活をともにする共同体のモデルを初期古代教会が着実につくっていったからである。
 これは今風には、ちょっとしたコミュニティやクラブやコモンズがつくられたとおもえばいいのだが、その中心に断固として「失われたイエス」あるいは「挫折したイエス」を置いたことが、これらの共同体をふつうのものとはまったく別なものに強化した。
 しかも注目してよいのは、これらの共同体(古代教会)は地方・人種・風土によって適当な多様性と多元性をもっていても許されていたということだ。
 この信仰共同体のことをギリシア語では「コイノニア」と、ラテン語で「コムニオ」という。これらの言葉は、のちにはいずれもコミュニティ、コミューン、コミュニケーションの語源となったものであるが、初期には「聖餐を共にする」という意味と、各地域の共同体(教会)が「交じりあう」という意味をもっていた。この"コム"のルールが決定的だったのだ。

 本書を読んでいて納得できたのは、1世紀以降、各教会のあいだで頻繁に書簡がやりとりされていたということである。
 西暦96年の『クレメンスの第一の手紙』は、その記録が残る最も有名なやりとりだった。そういう手紙が多角的に交信された。これはいまならば各共同体(ラウンジやホームページ)の情報がウェブ上でネットワークされているに等しいようなもので、いずれの交信内容も「自分たちがどのような信仰生活をしているか」というものだった。これが汎用された。
 しかもこれらは、パウロをはじめとする熱心で有能なエディターシップによって、次々に、すかさず『新約聖書』化されていったことは、他の宗派ではとうていおもいつかなかったことだった。つまりは交信記録が聖書化されたのだ。ロマ書(ローマ人への手紙)、コリント書(コリント人への手紙)とは、交信記録の"編集されたサマリー"ということなのである。
 このことに加えて、共同体の交信とともに共同体のなかの職制が確立し、時代を追って増加していったことも見逃せない。最初こそユダヤ教的な長老制であったのが、使徒・予言者・教師が分化し、さらに「奉仕する人々」と「一緒に働く人々」が伴走し、そこに監督者から司教へ、司教から大司教へ、さらには首都大司教(ニカイア公会議の承認)のコースが開いていった。最後には司教区というトポスも出現した。
 いわゆる「初期カトリシズム」の確立だ。ここから"ペトロの後継者"としての教皇の出現まではあと少しである。

 「神学論理」の確立については、本書は弱い。いずれ別の本を通して考えたい。そのかわり本書はむしろ典礼に詳しく、古代教会において典礼が先立ったことこそが神学の確立に有効だったことを示唆している。
 初期の典礼はテキストの朗読、説教とディスカッション、祈りあうこと、のちに讃美歌になる歌をうたうことなどで、そこまではどんな宗教グループにもよく見られることである。が、初期キリスト教では、そこに十字架にかけられたイエスを記念するという意味が付与されていったとたんに、独自の発展をみる。
 そこに導入されたのが「洗礼」(バプテスマ)である。洗礼は浸礼あるいは清めを本来とするのではあるが、同時にそれがキリスト教への入会許可であり、また入信記念であり、イエス・キリストとの一体化の開始となった。
 ぼくはここに「代父」(保証人)という見方が発生したことにも注目したい。なぜならば、代父という役割は、入信者を「選ばれた者」として強調するのに欠かせないし、そこからただちに請願者や登録者といった制度をことこまかに発生させる歯車にもなったわけだし、なんといっても教父の存在を決定的にさせたからである。
 いずれにしても、神学とはこれらの典礼の解釈から発していったものである。典礼のない神学など、最初はまったく意味がなかったのである。

 このほか、日曜日の設定、悔悛と懴悔の制度の発想、破門と破戒の認知、異端審問の徹底、その一方における殉教の重視、ホモウシオス(同質性)の追求、三位一体思想の提案などなど、初期キリスト教が"発明"したアイディアには、その後の国家組織や軍事組織や企業組織が逆立ちしてもとうていおもいつけないようなものが目白押しである。
 これらがすべて古代教会の形成過程であらわれたことは、やはり驚くべきことである。
 ぼくはこうしたキリスト教のすべてを認めるわけではないし、今日のキリスト教が充実しているともおもわないのだが、しかし冒頭に戻ってあらためて念を押せば、やはり「挫折したイエス」を見放さないで、そこから次から次へと典礼と教義と制度と組織とを連打していったその異例の"奇蹟"には、いまなお考えこんでしまうのである。

参考¶本書には訳者による比較的詳しい参考文献表が巻末に載っている。初期キリスト教や古代キリスト教を知るうえでの、だいたいの基本参考書が提示されているので、関心がある向きはこれをヒントにされるとよい。

コメントは受け付けていません。