パーナード・マッギン
アンチキリスト
河出書房新社 1998
ISBN:4309223346
Bernard Mc-Ginn
Antichrist 1994
[訳]松田直成

 ロマン・ポランスキーの『ローズマリーの赤ちゃん』の主題はアンチキリストの母親とは誰かという、ヨーロッパ2000年の謎を継承したシナリオにもとづいた映画だった。ミア・ファローはその途方もない苦悩をよく演じた。
 これにくらべると『オーメン』はアンチキリスト思想が20世紀末の世の中にはびこっていることを訴えるにはもってこいだったものの、ダミアンの頭髪の中の666の数字といい、犬狼的獣性の暗示といい、いささかハリウッド的すぎてもいた。
 現代においてアンチキリストの存在を信じているのは、世界中に数百万はいるといわれるキリスト教根本主義派(ファンダメンタリスト)たちである。かれらはちょっと信じがたい推理によって、現代においてもなおアンチキリストがいることを指摘する。たとえばヘンリー・キッシンジャー、たとえばミハイル・ゴルバチョフ、たとえばテレビ伝道師のパット・ロバートソン、たとえばサダム・フセイン……。

 アンチキリストが現代社会にひそんでいるという考え方は、現代文学にも露出している。
 T・S・エリオットが「本当の世界にわれわれを導くために綴られた超常的な作品」と絶賛したチャールズ・ウィリアムズの『万聖節の夜』は、大戦がやっと終わった1945年に発表された作品だが、主人公のクラーク・サイモンを魔術師シモンの再来として描いた。この作品はロンドンの日常性に隣接するらしい「シティ」というヴァーチャルな分身都市に迷いこんだ二人の男女をサイモンが支配するという筋書きだが、ウィリアムズはこうした奇怪なアナザーワールドを設定して、現代社会に巣食う「悪の本質」をアンチキリストとして象徴化した。この主題はウィリアムズの友人のC・S・ルイスも得意としたし、コリン・ウィルソンから荒俣宏におよぶ多くの批評家を虜にした。
 これより前の作品ではウラジミール・ソロヴィヨフの『戦争と進歩ならびに終末に関する三つの会話―アンチキリストの短い物語』が目立つほか、それに影響をうけたアンドレイ・ベリの『ペテルブルク』、メレシコフスキーの『キリストとアンチキリスト』、ロバート・ヒュー・ベンソンの『世界の主』が際立った。アンチキリストは20世紀文学の主題のひとつでもあったのだ。
 現代文学が「悪」を描こうとすると、その作家やその作家が育った風土にキリスト教やギリシア正教があるばあい、多くのばあいにその主題はアンチキリスト観念と交差したのであった。
 これらの文学作品がアンチキリストを描いた源泉は、おそらくはドストエフスキーの『作家の日記』、とりわけ『カラマーゾフの兄弟』の中の「大審問官」に起因しているとおもわれる。ドストエフスキーをはじめとするロシア文学がなぜに黙示的な傾向をもっていたかということは、すこぶる興味深い問題ではあるが、ここでは省いておきたい。

 では、いったいアンチキリストとは誰なのかということだ。
 どのように発生したキャラクターなのか。
 アンチキリストの存在を確信する異様な歴史は、しつこいほどにヨーロッパを襲ってきた。
 むろん恐怖が原因である。その恐怖は「あらゆる神性に刃向かう最終的人間の登場」に対する恐怖であって、それは究極の人間悪というものへの憎悪によっていた。神ももちろん畏怖の対象である。神こそは全知全能であり、最大の力の持ち主である。けれども、その神に救われるべき魂に「悪」が宿っていたらどうするか。神の善は人間の悪を必ず打倒してくれるのか
 古代このかた、悪が誇ってきた例は枚挙にいとまがない。暴君や暴帝はいくらでもいたし、家族や共同体を破壊する悪人は数かぎりなく輩出していた。むしろ悪こそが力の象徴だったのだ。そうだとすれば、そのような人間悪は、憎悪の対象ではありながら、ひょっとすると神をも凌ぐ力をもつのではないか。
 恐怖とは、その恐怖なのである。ミルチャ・エリアーデが「歴史の恐怖」とさえよんだ恐怖であった。

 このような恐怖あるいは憎悪がどこから生まれたかというと、紀元前3世紀以降のユダヤ教第二神殿時代にまでさかのぼる。
 そこに黙示的なメシアの思想が芽生えたとき、そのメシアの存在こそが、同時にそのメシアに反旗をひるがえす集団にとっての憎悪の対象となったのである。
 ということは、アンチキリスト像の真の登場は、そのメシアがナザレのイエスとして登場したときだったということになる。意外なことに、イエスそのものの存在がアンチキリストの存在の原型なのである。なぜ、このような見方が成立するかということは、ちょっと考えてみればすぐ理解できる。イエスはメシアとして待望されたのであるが、そのイエス像が絶対化されたとたん、そのような絶対像に対極する絶対像が想定できるからである。

 もともとこういう見方の先駆的な温床となったのは、いわゆる黙示文学だった。
 黙示文学は神の啓示を伝える内容をもつが、大別すると二つの流れに分かれる。ひとつは天上界の秘密の解明を語るもので、これは各種の天界の物語となっていった。もうひとつは、その啓示の内容に時の神秘や時の流れが含まれるもので、ここに世界の年代やその終焉が語られ、歴史の終わりと新たな神の時代の始まりが予告された。時の終わりが綴られたのだ。
 なかで有名なのが『ダニエル書』や『エノク書』である。これらは悪の軍勢に対して神の裁きが下されるという内容だった。とくにその『ダニエル書』7-12章の黙示録はその歴史の終末の年代を暗示した。

 こうして黙示的終末論がはびこったのである。
 二つの気になる問題が蟠っていた。第1には、いったいその「神の裁き」はいつ下されるのかということだ。この算定は長期間にわたってキリスト教徒を悩ませる。3世紀にはヒッポリュトスが紀元500年が終末の日だとしたし、別の者たちは1000年とか1050年代を算定した。この算定合戦はひきもきらず、かのアイザック・ニュートンさえもがアンチキリストの出現の日時を『ダニエル書』と『ヨハネの黙示録』によって算定しようとしていたほどなのだ。
 第2には、おぞましくも強烈な新しいキャラクターが登場しそうなことである。悪魔(サタン)だった。その原型は第二神殿時代のユダヤ教や『ダニエル書』に「小さな角」と揶揄されたアンティオコス4世エピファネスにも見られるが、エッセネ派の分派クムラン宗団の"義の教師"に対する"偽りの教師"や"邪悪な司祭"や、ユダヤ教徒を迫害したヘロデ王にも見られた。
 ともかくも、終末がいつかくるはずだということと、悪魔が神に対抗するという発想とが車の両輪となって、以降、アンチキリスト像は加速的に強化されていく。

 本書は読むのにちょっと疲れる大著である。著者はシカゴ大学の神学部の研究者だが、黙示的信仰論と至福千年論の権威であるせいで、真面目すぎるし、詳しすぎるのだ。
 しかし、詳細な研究だけがアンチキリスト像を正確に浮上させるといってもよい。なにしろアンチキリストについてはあまりにもオカルト趣味が蔓延(はびこ)っている。つい『オーメン』や『エクソシスト』や、そうでなければルシフェロやダースベイダーの肩をもちたくなりかねない。ぼくもずいぶんいいかげんな議論にふりまわされてきた。
 しかし、本書でかなりのことが歴史的にはっきりした。ざっと次のようなことである。

 ひとつ、アンチキリストには6つの特性がある。①ユダヤ人の血統をもっている、②使徒を派遣する、③世界中から民人を集める、④追随者に徴(しるし)をつけたがる、⑤人の姿をとってあらわれる、⑥神殿をつくる。
 ひとつ、アンチキリストは「二重のアンチキリスト」としてあらわれる。奇蹟を与え、そして人類をことごとく滅亡させるという二重性である。
 ひとつ、アンチキリスト像がほぼ完全に確立したのは中世であるが、その背景にはアンチキリストを異教徒たちを改宗させる反面教師としてつかったことが大きかった。大グレゴリウスがその筆頭に立っている。
 ひとつ、背教者をアンチキリストにしたてることが流行した。ユスティニアヌスはその一人である。
 ひとつ、アンチキリスト像は6世紀前後に登場した『ヨハネの黙示録』の図版に大きく依存した。
 ひとつ、意外なことには、教皇こそが実はアンチキリストという言葉を普及させた張本人であり(十字軍の派遣のために教皇がアンチキリスト概念を拡張してしまった)、それが昂じて教皇権力の反対者からは教皇こそがアンチキリストであるという発想を出させてしまった。後世、教皇をアンチキリストとして弾劾した最も有名な男はマルティン・ルターだった。
 ひとつ、結局、アンチキリストを民衆に広めたのはユオン・ド・メリーの『中世騎士物語』である。

 このほか、アゾとビンゲンのヒルデガルトとフィオーレのヨアキムのヴィジョンがアンチキリストのイメージを引っ張ったということもわかった。
 しかし、ここまでは迷信深い中世までの出来事である。どんな説が出ようともおかしくはない。問題はそのようなアンチキリスト像がその後も生き延びて、20世紀の社会にもかぶさってきたということだ。
 理由はいくつかある。まず宗教改革とプロテスタンティズムがカトリック批判や教皇批判のためにアンチキリストのレッテルを活用した。これはエリザベス女王以降のイングランドでは決定的なものとなっている。ついで、ロシアがアンチキリスト・イメージの舞台になった。
 もともとロシアは17世紀には自分たちの国が"第3のローマ"であろうという自覚をもとうとしていた。モスクワ大公国に実現された教会=国家こそは『ダニエル書』2章の"第四の帝国"を任ずる最後の国であるという思想である。
 これがピョートル大帝の時期に潜在的に拡張し、ピョートル大帝の人格と悪政こそがアンチキリストの象徴であるというふうにみなされた。悪政とは私生活の乱脈とロシア社会の西欧化ということをさす(メレシコフスキーの『キリストとアンチキリスト』はピョートル大帝をアンチキリストとして徹底的に描いている)。ドストエフスキーやソロヴィヨフが"ロシア的黙示文学"ともいうべきを深化させた背景には、以上のような事情もあったのである。
 さらにナポレオンやナポレオン3世がアンチキリストに見立てられたことも大きかった。これは新大陸アメリカにわたったピューリタンたちの喧伝も手伝った。この風潮はアナキストをアンチキリスト呼ばわりする傾向にまで流れこんでいる。

 こういうぐあいで、アンチキリストは宗教の問題から社会の問題に横すべりしていった。
 ところが、こうした社会化したアンチキリストに対して、むしろ心理化したアンチキリストの存在の重要性を指摘した者があらわれた。カール・グスタフ・ユングである。ユングはキリスト教にはそもそもキリストとアンチキリストという二重性があると分析して、そのような二重性は「自我の影」としての人間の心の暗部を象徴する必然性なのだと説いた。
 ありうることである。ただし、そうなると誰の心にもアンチキリストが棲んでいるということになる。はたして、そこまで言えるのか。本書の著者はこのようなユングの見方に反対している。神学者であるマッギンはあくまで信仰における偏向の役割としてのアンチキリストを捉えたいからだ。
 しかし、ぼくが本書を読んだかぎりの感想では、アンチキリストの力はそもそもの歴史の当初から信仰の問題よりも心理の問題よりも、むしろ社会の問題として浮上してきたのではないかとおもわれる。いつかじっくり考えたい。

 意外なことに、アンチキリストという用語は、『ヨハネの第一の手紙』と『ヨハネの第二の手紙』だけにしか出てこない。
 それにもかかわらずアンチキリストという言葉が流布してしまったのは、さまざまな文書に「キリストに代わる者」とか「偽のキリスト」とか「キリストに対立する者」という言葉が頻繁にみられ、それらがやがて"一人のアンチキリスト"に集約されていったからである。
 とくに『ダニエル書』、パウロがテサロニケ人に送った二つの手紙、『ヨハネ黙示録』がアンチキリストの"原典"として何百回、何千回と読み替えられてきた。そこにエドム人ドエグ、ゴグとマゴグ、レビヤタン(リヴァイアサン)とベヘモート、魔術師シモン、七頭の龍の伝説、淫婦バビロンなどのキャラクターがアンチキリスト像に習合された。
 しかし、当時も今も、アンチキリストは複数者のことであって、世の中にはいくらでもアンチキリストがいるという見方がとられてきたのである。

参考¶著者のバーナード・マッギンには『黙示論的霊性』『終末のヴィジョン』『神秘主義の起源』『ヨーロッパの伝統における黙示的終末』など多くがあるようだが、翻訳書は『フィオーレのヨアキム』(平凡社)くらい。1937年の生まれで、最初は中世思想史を専攻していた。

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