サマセット・モーム
月と六ペンス
岩波文庫 1959 新潮文庫 1990
ISBN:4003225422
[訳]中野良夫

 諸君は実在する秘密諜報部員やスパイを扱った小説や映画は好きだろうか。諸君はゴーギャンの絵やゴーギャンの人生に関心をもっているだろうか。諸君は男が女に愛想をつかす理由や、女が変わった男に惹かれる理由、さもなくば男が女にすがる理由に興味があるだろうか。
 もし、この三つのことがちょっとでも気になるというなら、さっさと『月と六ペンス』を読むべきだ。
 理由は次の通り。

 (1)サマセット・モームはもともとがイギリス諜報機関のメンバーで、ジュネーブでの諜報活動に携わっているうちに激務で健康を害し、スコットランドのサナトリウムで静養しているあいだに本書を書きあげた。
 (2)『月と六ペンス』の主人公はチャールズ・ストリックランドというのだが、これはポール・ゴーギャンその人をまるまるモデルとしたかなり風変わりな伝聞伝記なのである。
 (3)そこには、作家の「僕」がパリで出会った画家(ストリックランドすなわちゴーギャン)が妻を捨てパリに出て、友に助けられながらも、友の妻を自殺に追いやり、その夫が去った妻を思い、画家が南国の女に愛されるといったような男女の絆が、次々に描かれている。

 書店に行くたび、気になる装幀の気になる本がいつも並んでいると、ついついその本の1冊を買ってしまうことがある。
 ぼくはそのようにして『月と六ペンス』をむりやり読んだ。そうやって読むような本は、たいていは予想とちがった本である。がっかりすることが多いが、、なかに予想外の収穫もある。たいていは中身と関係のない理由で読みはじめてしまう。
 そのころ、サマセット、モーム、人間、絆、月、六ペンス、雨、赤毛といった大きな活字が、すっきりしたタイプフェイスでどんな書店の一角をも堂々と占めていた。なかで「月」「六ペンス」という対比に惹かれ、ただそれだけの理由でつい買ってしまい、つい読んでしまった。もうひとつちょっとした理由もあった。高校時代の夏休みの英語の補講で読んだモームの『凧』という短編が気にいった。もっともモームに関心をもったわけでも、『月と六ペンス』をちょっとでも知ったわけでもなかった。実際、その補講ではむしろグレアム・グリーンの短編のThe Innocentのほうが上々の印象だった。
 ともかく、こうして『月と六ペンス』を読んだのである。
 おもしろかった。高校生として現代英文学のおもしろさというものを初めて知ったというのは言いすぎだが、おそらくストーリーテリングの技に巻こまれたのだとおもう。

 どんな美術にもほとんど関心がなく、どんな画家の才能や生涯に対してもほとんど知りたいという動機を何ももっていないような男が、ゴーギャンにひとかたならぬ関心をもつとしたら、いったいどういう物語をつくればいいだろうか。
 モームが本書でやってみせたことは、このことである。
 駆け出しの作家の「僕」はロンドンでサロンを開く夫人が気になるのだが、その夫とは一度顔をあわした程度だった。ところがある日、突然にその夫ストリックランドが姿をくらました。夫人のたっての頼みでパリのどこかにいるらしい夫に会いに行くことになった「僕」は、そこでストリックランドが妻を捨てた理由が、ただ絵を描きたかっただけだったということを知って呆れる。
 すべてが理解できない「僕」は、パリの友人の画家がストリックランドの絵はすごいというのもわからない。しかもその友人が自分のアトリエを貧乏なストリックランドに開放し、あげくに自分の妻がストリックランドに心を奪われているのに平気であることが、さらにわからない。
 おかしなことに、この小説では「僕」は終始、ストリックランドの絵を理解できないばかりか、その寡黙な生き方がさっぱりわからないままなのだ。
 いくつかの事件や事故がおこり、「僕」はストリックランドを見失う。そして時間がたつ。けれども何かが気になってストリックランドが移住してしまったというタヒチを訪れる。すでにストリックランドは死んでいたが、「僕」はそこでアタという現地の女に愛されたストリックランドの日々を知って、またまたわからなくなっていく。

 筋といえば、たったこれだけのことで、しかもゴーギャンの芸術のことやゴーギャンの言葉のようなものは、何も出てこない。
 それなのに本書は、ゴーギャンの研究家たちが必ず言及してきた物語になっている。ゴーギャンが「負の描写」によって浮き彫りにされているからだ。
 いやいや、『月と六ペンス』でゴーギャンを知ろうとおもってもムダなのだ。そうではなくて、モームという男がゴーギャンの伝記をもとにこんな変な物語をつくったということが、むしろ何かの参考になるのである。何が参考になるかということは、それがまた変な話だが、本書ではわからない。それは『人間の絆』を読むことになっていく。

 モームは、やはり秘密諜報部員なのである。
 ようするにプロなのだ。それも文学に秘密諜報機関をつくれると確信したプロだった。
 ぼくはそのことにどこかで気がついて、これはいつまでもモームの術中に嵌まっているわけにはいかないぞとおもって、結局はこの諜報機関から逃れることにしたのだが、もし一度もそのエスピオナージュな危険の味を知らない者がいるんだとしたら、悪いことは言わない、ハリウッド映画のサスペンスを見るつもりで『月と六ペンス』を読むとよい。ちょうど映画を見る程度の2時間くらいで読める。言い忘れたが、題名の「月」は幻想をあらわし、「六ペンス」は現実をあらわしているらしい。
 もうひとつ言い忘れたことがある。モームは、その後イアン・フレミングらによって確立していったスパイ小説の原型ともいうべき連作『アシエンデン(秘密諜報部)』を書いた。

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