種田山頭火
山頭火句集
ちくま文庫 1996
ISBN:4480029400
[訳]村上護 編

 無一物と書くのは容易だが、意図して実践できるものじゃない。乞食になるのも、よほどの零落か無気力か、あるいは何か放棄する思想がなければ、なれるものじゃない。
 さらに乞食として諸国を動くのは、中世近世の遊行民ならいざ知らず、いかに禅門の雲水でも昭和の時世には珍しい。しかも俳人である。俳人はどこか医院や学校に勤めていても、それで存分に俳人でありえたという時期である。それを種田山頭火は茫然と遊行したままに、なしとげてしまった。小学校を首席で出て、一応は早稲田大学に入り、退学してからは酒造場を開業し、さらに荻原井泉水に師事したうえでのことである。
 それでいて「無駄に無駄を重ねたやうな一生だつた、それに酒を注いで、そこから句が生まれたやうな一生だつた」と、ただそれだけを振り返った。山頭火、明治15年の生まれ、昭和15年の没である。

 山頭火はなぜ山頭火になったのか。
 いろいろな推測がたっている。11歳のとき、母親が自宅の井戸に投身自殺した。山頭火は井戸から引き上げられた水死体を見て、愕然とした。その衝撃はおそらく山頭火から離れたことはない。父親は政治運動に狂奔していたから家政は乱脈で、それに耐えられなかった母親の自殺だったらしい。のちのちまで山頭火はこの母親の異常な死のことをデスペレートに追想している。「母に罪はない、誰にも罪はない、悪いといへばみんなが悪いのだ、人間がいけないのだ」というふうに。
 弟の自殺、関東大震災、離婚というふうな日々も続いた。そのあいだ山頭火は井泉水の『層雲』に依って句作に励み、国字国語問題に関心をよせ、ロシアからの亡命者と同居して革命を想い、何度か故郷の山口県防府に戻り、また熊本に愛着をおぼえて熊本を訪れたりもした。
 ただ、ひとつ山頭火からけっして離れないものがあった。酒である。それも大酒飲みだった。飲めば正体をなくし、前後不覚となった。約束も職場も友情も、酒はたちまち食い破っていった。だからいつも貧乏だった。それを山頭火は「生活難ぢゃない、生存難だ、いや、存在難だ」と書いて清算しようとしていた。そして、そんなことばかり続いて40代になった。

 山頭火の変化は関東大震災あたりでしだいに煮詰まっている。大杉栄と伊藤野枝が虐殺された東京をあとに熊本に向かったとき、山頭火の行く手を何かが待っていた。
 43歳、山頭火は熊本市公会堂の前を疾走中の路面電車の前に仁王立ちをした。ひどく酔っ払っていた。電車を止めようとしたのか死のうとしたのかどうかはわからない。人だかりのなか、一人の新聞記者が機転をきかして「貴様、こっちこい」と引っぱりあげ、そのまま禅寺の報恩寺に放りこんだ。
 山頭火も新聞記者も知っていた寺である。山頭火はこの禅寺の末寺に住みこむことになる(味取観音堂)。住職の望月義庵がめんどうをみた。これが山頭火を変えた。

 義庵はおそらく『無門関』を与えた。
 第一則から自己の本性を問い、本来の面目に立ち向かわせる公案のある禅語録である。翌年、山頭火は出家得度する。酒で気分を紛らわさずにはいられない寂しがり屋の山頭火には耐えられない山林独住の日々が始まった。
 そこへもうひとつ変化がやってきた。
 やはり関東大震災と大杉栄虐殺の前後に妻と別れて京都の一燈園に入った尾崎放哉が、『層雲』に「入庵雑記」を連載していたことである。「この度、仏恩によりまして、此庵の留守番に座らせてもらふ事になりました云々」「私の流転放浪の生活が始まりましてから、早いもの已に三年となります云々」とある。山頭火はこれを読んで泣き尽くした。その5回にわたる連載には「こんなよい月を一人で見て寝る」などの自由な句が入っていた。
 こうして山頭火が「松はみな枝たれて南無観世音」といった句を詠む日がはじまったのである。

 ぼくが山頭火を知ったのは、青年期なら誰もがそうだろうとおもうが、何かで「分け入っても分け入っても青い山」「まったく雲がない笠をぬぎ」「いつも一人で赤とんぼ」「塔をめあてにまっすぐまゐる」などの変わった句を見た程度のことで、それで急に動かされたというわけではなかった。
 どちらかというと、小学生のころから俳句をつくっていたぼくには碧梧桐や井泉水はすぐになじめず、そのころは芭蕉から蕪村のほうに惹かれていた。
 蕪村とくらべるのは不公平だとはおもが、当時の正直な実感でいうと、山頭火の句にわざとらしいものを感じたのだとおもう。抜けたものには感じられなかった。ヘタをすると日本酒や煎餅のコピーのようにさえ見えた。
 それが、ちょっと待てよ、なぜ山頭火がこんな句をつくるようになったのか、それが気になって井泉水の周辺を追うようになって、しだいに見方が変わってきた。
 もうすこし正確にいうと、最初は井泉水の『一茶随想』を読んでみて、井泉水が一茶全集の編集に多大の時間を費やしたことを知ってからのこと、そのうち井泉水を慕って集まった俳人たちの動向に巻こまれ、山頭火にあらためて出会ったという順番だった。

 だから、出家以前の山頭火の句を見ることが、ぼくの初めての山頭火入門だったのである。

壁書さらに「黙」字をませり松の内
徹夜ほのぼの明けそめし心水仙に
風はきままに海へ吹く夜半の一人かな
夢深き女に猫が背伸びせり
光と影ともつれて蝶々死んでをり
蝶ひとつ飛べども飛べども石原なり
蝿打つてさみしさの蝿を見つめけり
いつ見ても咲いてゐる花赤い花

 こういう句が、初期の句であった。それがやがてピカソの絵が変わるように変わっていく。しかしこれらも、たしかに山頭火だった。「いつ見ても咲いてゐる花赤い花」など、なかなか作れない。
 ただし、山頭火はそれではダメだとおもった。ここをどう省略していくか。剥いでいくか。蝶々がひとつ「飛べども飛べども」ではしょうがないとおもったのである。「石原なり」では「なり」もつまらない。そこで、これはのちの『柿の葉』に入った句だが、

ぬれててふてふどこへゆく
ひらひら蝶はうたへない

 というふうになった。「光と影ともつれて蝶々死んでをり」も考えてみれば、うるさい。そこで「てふてふもつれつつかげひなた」というふうにやってみた。
 逆に、その消去や剥離の行為を通らないで、すぐにポツンと句が出るかどうか。そこをやってもみたかった。
 たとえば「風はきままに海へ吹く」と言ったうえで「夜半一人かな」といったのでは遅いのだ。そこで、これも『柿の葉』や『行乞途上』や『山行水行』などに入った句であるが、

 
風の明暗をたどる
旅は笹山の笹のそよぐのも
けふもいちにち風をあるいてきた
風の枯木をひろうてはあるく

などと、そこへ放り出した。
 もともと禅というものには「このまま」から「そのまま」へというところがある。白隠や盤珪はそういうことを突き出したまま、禅をした。山頭火にも「このまま」から「そのまま」へ、がある。うまいかどうかというものではない。
 うまいともヘタとも言えないものになっていく。そこが山頭火の俳句というものだった。

 こうして山頭火の日々の一挙手一投足は「行乞」(ぎょうこつ)というものになる。
 修行僧としては当然の行脚だが、どうも山頭火のそれは一途な行脚とちがっていた。味取観音堂でじっとしていられない。寂しくて寂しくて、それで旅に出る。そうすると寂しいことが動いていく。その動きが見える。いや、見えるときがある。寂しさというものが山や道のどこかで、ふうっと動く。それを句に仕立て、また行乞をする。
 山頭火はそこで「途上、がくねんとして我にかえる」ということを知った。そうであれば、それが最善だとおもうようになっていった。山頭火はそこを「空に飛ぶ」とも言っていた。「空」は色即是空の「空」で、「飛ぶ」はおそらくは「遊化」であろう。

 49歳、「三八九居」と名付けて、旅の拠点をつくった。サンパクと読むらしい。昭和5年のことである。
 この三八九居から九州一円を歩き、四国八十八カ所をめぐり、良寛の越後を訪れ、中国路をてくてく回った。が、あいかわらず酒は欠かせない。いじましく酒をもとめ、ありつけば浴びるように飲んだ。その一方で井泉水を招き、句会を開きもしたし、友人たちと交わりもした。
 行乞の日々ではあったし、無一物に近い生活ではあったが、また消費の日々でもあったのである。そこはバタイユだった。ただ女にはまったく関心をもたなかった。
 けれども結局はそうした自分に厭きて、54歳の夏、カルチモンを多量に服用して自殺を図った。それから5年を彷徨い、心臓麻痺で死んだ。

 では、久々に句集を開いてみて、いまこの時点で響いた山頭火の何句かを書きだしておく。ほぼ『草木塔』から採った。

炎天をいただいて乞ひ歩く
しぐるるやしぐるる山へ歩み入る
雨だれの音も年とつた
うしろすがたのしぐれてゆくか
いつまで旅することの爪をきる
ここにおちつき草萌ゆる
水音しんじつおちつきました
ぬいてもぬいても草の執着をぬく
何が何やらみんな咲いてゐる
松かぜ松かげ寝ころんで
遠山の雪も別れてしまつた人も
何か足らないものがある落葉する
月のあかるい水汲んでおく
春の海のどこからともなく漕いでくる
鎌倉はよい松の木の月が出た

参考¶山頭火の句集はいろいろ刊行されている。年代順の全句集になっていて入手しやすいのは大型本『山頭火大全』(講談社スーパー文庫)であろうか。山頭火論や評伝も少なくない。大山澄太『俳人山頭火の生涯』(アポロン社)、上田郁史の『俳人山頭火』(潮文社新書)や『小説山頭火』(永田書房)、本書の編者でもある村上護の『放浪の俳人山頭火』(東都書房)や『山頭火放浪記』(新書館)や『放浪の俳人山頭火』(学陽書房)、金子兜太『種田山頭火』(講談社現代新書)、石寒太『山頭火』(文春文庫)など。

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