ジョナサン・スウィフト
ガリヴァ旅行記
新潮文庫 他 1951
ISBN:4102021019
Jonathan Swift
Gulliver's Travels 1726
[訳]中野好夫

 政治に野心をもっていながら、その道から蹴落とされた者の人生には、ぼくのような政治の場面にまったく身をさらす気のない者では想像がつかない復讐心があるようだ。
 それに、どういう政治状況に取り巻かれたか、どんな人脈に引っ張られたかということもある。スウィフトがダブリンに生まれてトリニティ・カレッジを出たころの世の中は、英国はスチュワート家のジェイムズ2世が旧教を導入しようとして失敗をし、フランスに亡命するという事態、いわゆる名誉革命の渦中にあった。これでアイルランドも政治社会秩序の大半がガタガタになった。

 そういうときに、スウィフトは父親の縁故でウィリアム・テンプル卿の秘書になる。アイルランドの一流政治家である。スウィフトは勇んだ。
 ところが、過激な世の中でめきめき実績をあげるほどの才能がなかったのか、スウィフトは僧職にでもついたらどうかということになり、テンプル卿のもとを離れ、1695年の28歳のころには司祭になっていた。ろくな司祭でないことはたしかだった。
 そのかわり本をむさぼり読んでいる。1697年の記録が残っているのだが、それによると、ホメロス、ウェルギリウス、ホラチウス、キケロ、ペトロニウス、アエリアン、ルチウス・フロルスなどともに、スライダンの『トリエント宗教会議』、キャムデンの『エリザベス』、バーネットの『宗教改革史』などを読んだか、あるいは蔵書していた。

 司祭なんぞが勤まるはずもないのに、政治家でなければいつも司祭の地位を望んだスウィフトは、やはり司祭は勤まらず、このあとふたたびテンプル卿のところ(ムーア・パーク)に戻り、1699年に高齢のテンプルが死ぬときに残してくれた100ポンドと、きっと国王がスウィフトを引き立ててくれるだろうという遺言だけを身につけて、ここで社会に放り出されることになる。
 本音かどうかは保証のかぎりではないが、テンプルの死に際しては「これで人間の中のあらゆる善なるものが滅んだのだ」とスウィフトは書いている。
 本音かどうかわからないというのは、庇護者であったテンプルが死ぬ前に、スウィフトはすでに『桶物語』と『書物戦争』という本を書いていて、これらは充分に誹謗・中傷・歪曲に富んだ風刺の賜物のような文章だったからである。ぼくは『書物戦争』がペローとフォントネルの「古代人と近代人のどちらが優秀かをめぐる論争」を継承したもので、かつ宗教界の分裂と学界の論争を揶揄したものなので、『遊』の第Ⅱ期にこれを読んで、そうかこういう編集のしかたがあるものかと感心したものだった。

 さて、社会に放り出されたスウィフトがどうしたかというと、風見鶏になった。18世紀に入った英国はアン女王の時代、多様な分裂社会になっていた。
 ロンドンやオックスフォードにコーヒーハウスが次々と登場し、その店に集まる連中が次々に徒党を組んでいた時代である。男たちだけが集まるコーヒーハウスからは政党も生まれたし、保険屋も広告屋も生まれ、ジャーナリズム(新聞・雑誌・会誌)も生まれつつあった。コーヒーハウスの数だけ、考え方も商売も趣味も異なってよかった時代なのである。有名コーヒーハウスは当時のブランドである。なかでトップ・ブランドは政治党派が集まるコーヒーハウスに集中した。
 この時期、政治こそがファッションだったのだ。紳士たちはサンローランをアルマーニに変えるように、イッセイとヨージを比べるように、政治の着替えに勤(いそ)しんだ。
 スウィフトもそれまではホィッグ党(民党)だったのだが、ここでトーリー党(王党)に鞍替えをする。政権闘争の激しいハーリー政権時代(オックスフォード卿)のことで、スウィフトは持ち前の文筆力をもって「エグザミナー」誌に依ると、激越なホィッグ批判と政治批評を次々に執筆しつづける。文筆とはいえ、その大半は毒舌である。それでも、当時は毒舌こそが社会力だったのだ(いまでも、そうかな)。
 このときトーリー党の勢力が頂点に達しつつあった。内閣の外にいて内閣の連中に文筆で影響をもっているのはスウィフトだけという短くもはかない栄光もやってきた。かくてスウィフトはブラザーズ・クラブの名士となっていく。これが政治人間スウィフトの絶頂期であった。

 その後のスウィフトは失望の日々である。恋もしたし、アイルランドに戻って政治腐敗を批判もし、ドレイピア・クラブがスウィフトに敬意を表して創設されたりもしたが、スウィフトの「国に対する失望」はますます深まるばかりだった。
 おまけにどんどん人間嫌いにもなっていった。アレキサンダー・ポープへの手紙には「私は人間とよばれているあの動物が心底イヤでイヤでなりません」と書いている。
 そのかわりといっては変だが、スウィフトは自在な想像力によって"政治"をすることにした。そして、それをイングランドに持ち込んで出版をする。これが『ガリヴァ旅行記』である。10年ほどをかけて書き継ぎ、覆面作家工作などをしたうえで1726年に出版した。やけに当たった。

 ガリヴァ船長は最初にリリパット国(小人国)を訪れる。首府ミレンドウや皇宮に招かれて国事を助けるガリヴァは、まさにスウィフトがしてみたかったことである。船長の体温が感じられる物語になっている。
 次にブロブディンナグ国(大人国)を訪れる。ここでもガリヴァ船長は巨人たちにかわいがられ、近世史の講義や地図の改変の提案などをして、まだおとなしい。世界中の子供たちが童話や絵本で知るガリヴァ旅行記である。つまりここまでは古来からさまざまな民族や部族が語り継いできた例の「あべこべ村物語」とそんなに変わらない。つまり、ここまで、スウィフトが政治の未来に希望をもっていた時期の執筆だろう。
 ところが、その次からの旅行先でガリヴァが見せる態度や感情はしだいに皮肉に高み、過激なものになっていく。
 ラピュタ島は空中に浮上する飛び島あるいは浮き島で、それだけならなにやらファンタジックなのだが、そこの役人や住人がちょっとおかしい。ものごとをすぐに忘れるし、それをハッとさせるための叩き役がいる。みんなが贅沢をしているのに満足がない。すぐれた天文学があるのに、この島はジム・キャリーの映画『トゥルーマン・ショー』のように閉じられている。
 そこで、ここを出て近くの大陸バルニバービに行くことにしたのだが、そこは今度は建物が変ちくりんなだけでなく、かなりポロポロで荒れ放題になっている。住民はみんな急ぎ足だし、目が据わっている。笑いがない。
 ようするにこの国にはいっさいの改革の意志というものが欠けている。学士院に案内されてガリヴァはもっと驚いた。胡瓜から日光を抽出する研究をしている髪と髭が伸びほうだいの男、汚物にまみれて排泄物を摂取物に変換しようとしている男、触覚と嗅覚で使える絵の具の開発研究をしている盲人、蜘蛛の糸をつかった繊維をつくりだそうとして蜘蛛の巣だらけの研究室に住んでいる男、そんな学士院である。
 つまりはろくでもない研究ばかりが10年間も休まず続けられている。ガリヴァは絶対に役に立たないことが目的になる国があることを知る。スウィフトが政治に絶望していたころの執筆なのである。

 こうしてスウィフトは、われわれをしだいに怪しい意識に運んでいく。それとともに得意のスカトロジーを発揮しはじめて、読者を巧みに吐き気を催すほうへ引っ張っていく。
 しかし、そこからが『ガリヴァ旅行記』の本番なのである。その絶頂がヤフー人が登場するフウイヌム国の訪問記になる。
 フウイヌム国の生き物は奇怪きわまりない。毛に覆われているもの、無毛のもの、話しこむ馬、顔だけに直毛をはやしているもの、そんなものばかりで、しかも言葉をしゃべる。よく聞いているとヤフーという言葉がしきりに繰り返されている。
 ガリヴァがヤフーの正体に出会ったときの不快感は本書の頂点をつくっている。地上で最も不愉快な形態をもっているものが、完全な人間であったという不快感である。「我輩の恐怖と驚きとは実に名状すべからざるものだった。顔は平たくて大きく、鼻は落ち込んだようで唇は厚く、口は広く割れている」。
 ところがガリヴァはこの国の言葉を学習し、ヤフーたちと交じりあううちに、自分が向上していくものを感じる。ガリヴァはイングランドの政治史を語り、ヤフーに尋ねられて法律とはどういうものかを説明していくのだが、そういうことをしているうちに、この四足獣と完全なる人間というものの区別がつかなくなっていく。
 ヤフーは生肉を貪り、醜悪な外見をもっているのだが、一方の人間も肉を食べるし、醜悪な洋服で飾りたてることもある。どうもヤフーにおける醜悪な問題を数えあげていけばいくほど、人間を説明しているような気分になる。ガリヴァはそのうちある種の恍惚感をすらおぼえるのだ。

 子供のころのこと、ぼくはガリヴァ旅行記の絵本を読んで夢中になった。いまでもその絵の大半を憶えている。
 その後、『ガリヴァ旅行記』を大人として読む日がやってきた。なんとなく億劫だった。もう子供の気分で読むわけじゃないんだとおもうと、読むのをやめようかとおもったほどに、躊躇した。デュマの『巌窟王』を『モンテ・クリスト伯』として読むとき、ユゴーの『ああ無情』を『レ・ミゼラブル』として読むときに感じる、あの躊躇である。
 実際には『モンテ・クリスト伯』も『レ・ミゼラブル』もすばらしい大作品であって、子供のころに抱いたものすら失わないですんだのだが、『ガリヴァ旅行記』はどうも裏切られる気がした。
 読んでみて、やはり失望しはじめた。ラピュタ国訪問記では、これならフランソワ・ラブレーのほうがずっと上だと感じてしまい、そこでやめようかと思ったほどだった。それは第4部のフウイヌムに入ってもっと的中し、ただただ気分が悪いだけだった。ところが、そこからである。ぼくはガリヴァとともに"向上"していったのだ。

 おかしな作品である。その作品がスウィフトというイギリス史上においても見逃せない政治的な生涯をおくった者によって、コーヒーハウスの片隅やダブリンの暗い川のほとりで執筆されたかとおもうと、よけいに不思議な気分になる。
 なぜわれわれは、スウィフトとともにガリヴァ船長に付き合わなければならないのか。なぜスウィフトを通してアイルランドやイングランドを見るのか。なぜ、イギリス文学はスウィフトの時代にダニエル・デフォーやアレキサンドル・ポープをもったのか。そういうことが、『ガリヴァ旅行記』でわかるのである。
 これは文学というものが近代に向かう前に何をしていたかということを告示しているということなのだ。われわれはイギリス文学をシェークスピアから始まったなどと思うべきではなく、スウィフトとデフォーによって始まったと見るべきなのである。

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