上西一郎
理科年表を楽しむ本
丸善 1996
ISBN:4621042645

 ぼくの書棚は、いま現在は赤坂の編集工学研究所と松岡正剛事務所、および西麻布の自宅に分かれて配当されている。5、6万冊ほどあるとおもう。
 こんなふうになっていると、書棚の再編成も容易ではない。できれば1年に1度の“改変”がのぞましいのだが、それを全貌におよぼすのは困難になっている。おまけに、その書棚のあちこちにはスタッフの机や椅子や会議用テーブルがあり、そこは書棚の空間というより、かれらの“住処”や“アトリエ”の風情をもっている。ときには書棚にスタッフの持ち物や書類や小物が、ばあいによってはコーヒーカップがおかれていたりもする。
 ようするに、ぼくのすべての書棚は日々の仕事の現場に交じっているわけなので、立派な書庫のようなところで書物だけに接しているという将軍のような気分にはなれない。

 もっとも、ぼくは状況に応じて書棚構成をつくり、その書棚と書籍に30年にわたって縦横に接してきたので、純粋な図書幾何学的な空間のようなところで、静謐に書物に接したいとは、思っていない。
 むしろ、苛酷な条件のなかで書籍をあれこれ工夫をして配置していく苦闘をたのしんできた。ただし、そのためいろいろな不都合もおこる。そのひとつが、書棚と書籍の関係にいくつもの“死角”が生まれ、こんなところにこんな本がいたかという仕打ちをしてしまうことである。

 3年ほど前は、ぼくの書斎にすべての辞書事典のたぐいが集中していた。いまはそれがジャンルごとに分散した。
 辞書や事典というものは、何かの都合でパッと見るためにある。その瞬間に引けない辞書や事典は億劫だ。そのため長らく書斎の中にレキシコグラフィック・ディスプレーを試みてきたのだが、それが分散してみて、まったく見なくなってしまったものがいろいろ出てきた。「理科年表」もそのひとつである。数年ごとに買い替えることもしなくなったし(いま手元にあるのは1995年版だった)、めったに見なくなってしまった。

 「理科年表」がどこで編集されているかは御存知だろうか。東京天文台である。年度ごとに刊行されている。発行発売は丸善がうけもっている。
 たしかに「理科年表」など、しょっちゅう見るものではない。理科現象の基本をおさえるデータブックであるからだ。しかし、何かのきっかけでちょっと調べたいことや確認したいことがあるとき、「理科年表」は何十年も勤めてきた執事のように正確な応接をしてくれた。
 ともかくも、ぼくはけっして邪険な理由ではないものの、あれほど誠実だった「理科年表」を見なくなってしまったのだが、あるとき本屋の片隅に「理科年表読本」というシリーズの数冊が並んでいるのを知った。『地震』『くもった日の天文学』『地球から宇宙へ』『太陽系ガイドブック』『数の不思議』などというシリーズである。なかに『理科年表を楽しむ本』があった。
 立派な執事への敬意をこめて買ってみた。パラパラ見ていると、これがたいそうおもしろい。「夕方の西の空のつきはどんな形か」「北極星は北の空の中心にあるか」「南半球では春の次に冬がくるか」「地球は一定の速さで公転しているか」といったヘッドラインがずらっと並んでいて、その問いに簡潔な解説がついている。そして、そのように推理の解説ができるのは「理科年表」にこんなデータが載っているからだという“おまけ”までがついている。
 なんだか「かたじけない」という気分になった。
 が、正直なところ、「理科年表」を見るだけではここまではおもしろくなれないので、「理科年表」の書棚に行って、深々とお辞儀をするようなことはしなかった。

 そのうち第2弾が出版された。今度は『理科年表をおもしろくする本』というもので、これはもっと示唆に富んでいた。
 かつてのロゲルギスト・グループのエッセイをおもわせた。ぼくはその一人の高橋英俊さんにはずいぶん影響をうけたのだ。「自転車ダイナモとエネルギー変換」「変化する光速」「原子スペクトルで銀河の速さを知る」なんてエッセイは、その昔日のロゲルギスト・エッセイを髣髴とさせただけでなく、あの時代の科学エッセイでは書けなかった新たな科学の事実にもとづいていた。
 この本もエッセイの段落ごとに「理科年表」との照応を示してくれている。けれども、これを読んだときも、ぼくは書棚の一角に忘れ去られた「理科年表」を覗きにはいかなかった。ごめんな、東京天文台、ごめんね、理科年表。

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