ハワード・エヴァンズ
虫の惑星
早川書房 1979
ISBN:4150501823
Howard Evans
Life on A Little-known Planet 1968
[訳]日高敏隆

 夏の日のベランダから観察が始まる。一茶の句ではないが、ハエが一匹、手摺りの上を動いている。そしてブンブンと小さな旋回を始める。そこへもう一匹が飛んでくる。
 ハエといってもオドリバエだけでも数百種がいるし、そのオドリバエの求愛活動にもいくつものディスプレーがある。フウセンバエならオスが風船をつくることがメスを刺激する。なぜこんなにもハエに種類がいて、それぞれのライフスタイルを守っているのか。それは地球にとってどんな意味をもっているのか。
 そんなことを思いめぐらしているうちにヘンリー・デヴィッド・ソローの『ウォールデン・森の生活』が思い出され、そこから、この地球という星がいったいどういう星なのかという清新な思索が動き出す。そして、地球が「虫の惑星」であったこと、そう見れば人間は実は巨大すぎるのではないかということに、ハワード・エヴァンズの感覚が包まれていく。

 著者はアメリカ屈指の昆虫学者で、この本を書いた当時はハーバード大学比較動物学博物館のチーフキュレイターでもあった。
 いろいろな雑誌に執筆しているが、ともかく文章がうまい。文章だけでなく、昆虫生態の詳細に入っていくにあたっての場面づくりがうまい。処女作の『スズメバチ農場』(1962)はその文章力と場面力で「ニューヨーク・タイムズ」に激賞された。
 たしかにこの本ほど読ませる“昆虫本”は、それ以前は意外に少なかった。昆虫に関する本は数かぎりなくあるものの、ほんとうに読ませる本は劈頭を飾ったファーブルの『昆虫記』やメーテルリンクの『蜜蜂の生活』『蟻の生活』などを嚆矢としても、そんなに多くない。
 本書はその読ませる本の一冊であり、かつこの本のあとに“昆虫書ブーム”とでもいうものがあったことをおもうと(海外でも日本でも)、パイオニア的な一冊だった。
 ぼくは本書に出会う前もいくつかの昆虫博物学とでもいうべき本を読んでいたけれど、この本で初めて「虫から地球を見る」という視点を教わった。そうか、虫から世の中を考えるということがありうるんだという確信がもてた本なのだ。
 必ずしも“虫愛”によって綴られているのではない。そういう飾りはない。これみよがしの研究力を誇示しているのでもない。よけいなことは何も書いていない。それなのに次から次へと観察と思索が飛んでいく。正確で大量な情報を駆使しつつ、虫を見る人間の呼吸とでもいうものが「地球という星の意味」をあかしていく。そういう眼で綴られている。

 いまでもおぼえているのは、第5章の「詩人コオロギと拳闘家コオロギ」や第6章の「魔術師ホタル」という章である。
 コオロギが“両手きき”ではなく、ヤスリのような右翅を左翅の上にのせる“右きき”であること、その音をコオロギ自身も聞いているのだが、その“耳”はコオロギの前肢にあること、ジョン・キーツが「大地の詩は死なず」でコオロギを謳っていること、フィラデルフィアで開かれた世界初の科学振興会でルイ・アガシーがぶった演説はコオロギの“発声”(チャープ=さえずり音)についてであったこと、などなど。世界中のコオロギ音楽の文献も紹介されていた。のちに角田忠信さんが『日本人の脳』で、秋の虫に音楽を感じているのは日本人だけだという説を出したとき、これはおかしいかもしれないと思ったのは、本書を読んでいたせいであった。
 ホタルはぼくが少年時代にいちばん感動した虫である。京都に生まれながら小学校2年までを東京日本橋に送ったぼくは、小学3年の7月に京都に戻るのだが、このとき嵐山で初めてホタルに出会って、驚いた。ものすごく感動した。母が言うには「そのときのセイゴオったら、なかったえ。泣き出しそうやった」。
 本書には6種のホタルがそれぞれの高さで別々の点滅をしている黒ベタ白ヌキの発光図版が載っていて、似たものは「ライフ」のネーチャー・シリーズなどで見てはいたものの、その発光ニッチのちがいの解説には本書で初めてかじりついたものだった。

 ハワード・エヴァンズの意見は、生物というもの、少なくとも昆虫というものは、どんな種も全部異なっていて、そのひとつひとつをある程度研究しないかぎり、どんなことも一般化はできないということにある。
 それとともに、そうした異なるライフスタイルの生物たちがそうとうに狭い領域で“同居”していることから何かを学びたいということである。何を学ぶかは、簡単ではない。たとえばレイチェル・カーソンの『沈黙の春』に共鳴して環境の保護を主張するのもそのひとつの学び方であるが、そして殺虫剤を制限することで人間との“調整した共生”を訴えることになるのだが、エヴァンスはむしろ「賑やかな春」を見るべきだという学び方をしている。人間がどんなに悪辣にふるまったとしても、とうてい昆虫を撲滅することなど不可能だという学び方だった。ぼくはどちらかというと、こちらの学びのほうが好きだった。
 1エーカーというのは400平米ほどにあたるが、この1エーカーの土の中にはなんと約1兆におよぶ昆虫(正確には節足動物)がいる。1億ではない、1兆である。
 地球は「人の惑星」であって「水の惑星」であり、「花の惑星」であって、そして「虫の惑星」なのである。

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