金両基
キムチとお新香
河出書房新社 1978 中公文庫 1987
ISBN:412201428X

 韓国人は感情を外にあらわすことを美徳とし、日本人は感情をおさえることを美徳としている。
 こういう文章で始まる本書は、このあと次々に日韓比較文化論を繰り出していく。全体の床を温めるオンドルと中心に火をおく囲炉裏(いろり)、顔よりも大きくできている伎楽面と顔よりも小さくできている能面、「生きがい」を求める韓国の武人と「死にがい」を重く見る日本の武士、そしてキムチとお新香。
 本書を通じて、著者はモノをストレートに見る韓国人、モノに心を託して間接的に見る日本人という対比を好んだようだ。そういう視点で見ると、韓国人は実利に強く具体的であり、日本人はムダな行動が多くて冴えないような気もしてくる。

 金さんとは京都のシンポジウムで一緒になった。気さくに何でも喋る人で、同じ席にいた山内昌之が寡黙に見えた。
 金両基は『キムチとお新香』と、つづく『能面のような日本人』で、いわば日韓文化比較ブームの先鞭をつけた人である。よほど鋭いタイプを想像していたのだが、あくまで柔らかく、どんな話題にもゴム紐のように伸びてくる人だった。そこでついつい図にのってダンクン(檀君)のことについで、気になっていたハヌニムのことを聞いてみた。
 ハヌニムは韓国の天空神で、日本の神々とはちがってちゃんと天空に君臨している神である。ぼくはこのハヌニムがもうひとつ捉えられずにいたので、ハヌニムが太陽神なのかどうか、唯一神の性格をもっているのかどうかをまず聞いた。金さんの答えは豊富なもので、いろいろ見方があることを教えてくれたが、結論をいえばイエスだというものだった。
 そうすると、韓国で白が愛されているのはやっぱりハヌニムと関係があるのかと聞いてみた。これもイエスであった。韓国人が自分たちを白衣民族だとよぶ習慣があるらしいが、それはハヌニムに関係があるというものである。ただし、日本人が想像するような意味で韓国の白を意味付けると、少しニュアンスがちがってくる。そのちがいが実は大事なのだと言った。
 ここである。「日本人が想像するような意味で韓国をとらえてはいけません」というところが、金さんの日韓比較のポイントなのである。これは、もともと金さんが本書やその後の著作を通して最も言いたかったことだった。ぼくはそのことに思いあたったので、これ以上は質問をつづけるのをやめた。

 本書の特色はいろいろあるが、最も興味深いのは、柳宗悦が民芸を愛するあまり韓国文化を曲解したのではないかという指摘だったろう。たとえば柳は韓国の白を悲哀の白と見たのだが、金さんはそれは日本人の見方だと訂正をしたわけである。
 金さんによると、韓国における白のコンセプト・イメージはもともと朝鮮という国名にもひそんでいるばかりか、白頭山・太白山・白馬江などのネーミングにもあらわれていて、まぶしいばかりの明るさの象徴だというのである。それを柳が李朝民芸陶器の白い線にすら悲哀を見出したのは、あまりに当時の歪んだ韓国史観にとらわれていたのではないかというのであった。
 金さんはこれらはハヌニム信仰と密接な関係をもっていると見ている。そして、その中央にあるイメージは「飛翔」というものだ、と断定している。
 そう言われてみると、たしかにわれわれの韓国文化に対する見方には、なにか歪んだものがある。ついついアリランの悲哀をかぶせてなにもかもを見ようとしている。安岡章太郎がタクアンの切り口に感情を見たようには、つまりは日本人がお新香に日本人独得のささやかな「今日」を感じるようには、韓国人はキムチに今日を感じていない。むしろキムチの白も「明日」の白なのである。そういうことになってくる。

 とにかく韓国民族をなにかというと"悲劇の民族"というふうに見るのはやめてほしい、韓国人は喜怒哀楽のすべてについてエネルギッシュであって、とくに悲哀を美とは見ていない、本書の主題のひとつはそこにあったのである。
 それは『春香伝』や『沈清伝』などの代表的な物語を読んでもらえればわかるように、いかに悲劇的な筋書が展開していても、最後はハッピーエンドになっていることでも憶測できるでしょう、そういうわけなのだ。韓国の美の本質は「楽天」にあるという結論なのである。
 ところで、本書で初めて知ったことに「ムオッ」がある。ムオッは日本語になりにくい言葉だそうだが、伊達。粋、ワビ、サビ、風流に近いのではないかという。なかでも粋に近い感覚らしい。
 このムオッは、李朝白磁に最も適確にあてはまる。白磁の白ではなく白磁の形をつくっている曲線だ。ときにデフォルメされた形にムオッがあるという。そして金さんの言うには、このムオッと飛翔との中和こそが韓国美の本質なのではないかというのだ。これはたしかに日本の中和とはだいぶんちがう。「飛翔+粋=韓国」なのである。

 いまでもそう思うのだが、日本文化のことが気になる者は、どこかで早い時期に『キムチとお新香』を読んでおくことだ。そうでないと日本文化をとりちがえてしまう。日本と韓国の似て非なるところに分け入ってみること、いまの日本人が引き受けなければならない視点がここにある。
 もっと勧めたいのは、本書につづいてまとまった『能面のような日本人』である。この本は前著よりも示唆に富む。イ・オリョンの「日本=縮み文化」説の原型もこにある。金さんは日本文化にも驚くほど詳しく、本書にも日本神話から歌舞伎までが、能面から歌謡曲までが、ふんだんに扱われる。
 ぼくは韓国文化には強くないものの、金さんの日韓比較だけはどこか信じられるのだ。

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