藤田紘一郎
笑うカイチュウ
講談社 1994
ISBN:4062070693

 ぼくが子どものころ、日本人はナマの野菜など食べなかった。そのかわりみんな腹に一物もっていた。カイチュウである。
 だから、みんながみんな検便をした。駐留中のアメリカ人はそのことを極度に恐れ、蔑んで、ひそかに「清浄野菜」というものを大量につくって、レタスやブロッコリーをばりばり食べた。
 やがて日本が高度成長とともに裕福になり、ニューファミリー時代が定着してくると、日本人もアメリカ人の真似をしてサラダ派になり、野菜をナマで食べるようになった。そして気がつくと、日本中が「清浄野菜」ばかりになった。それとともに日本にカイチュウがいなくなった。それまでは国民の70パーセントが寄生虫病にかかっていた。土壌伝播寄生虫病という。
 そのカイチュウこと寄生虫がいなくなったのだ。寄生虫予防協会は解散に追いやられ、全国の衛生研究所の寄生虫部の看板が外された。そればかりか寄生虫がいなくなったのだから、大学の医学部でそういう教育をする必要がないとされ、各大学から寄生虫学教室が改組され、消滅していった。
 こうして本書の著者、すなわちカイチュウ博士はまったくヒマになったのだが、最近になって日本人はふたたびカイチュウを飼いはじめた。有機野菜ブームが急激に蔓延してきたからである。いま、カイチュウ博士はほくそ笑んでいる。仕事がふえ、日本人のウンコが生きたものになってきたからだ。

 日本人が70パーセント以上のカイチュウ所有率を20数年間で0.2パーセントにしてしまったというのは、日本人の特質をよくあらわしている。
 一斉になんでもやってしまうという特質だ。これは恥ずかしい、それがみっともない、あれはいけないとなると、一斉にこれらを撲滅する。そのとき国も市も、学校も企業もメディアも、一斉にこの“運動”にとりかかる。こうして右のものは一挙に左に移り、かつては黒だったものはなくなり、すべてが白になる。
 それで日本が戦後復興をおこし、ナショナルの蛍光灯がつき、マイカーブームがおき、道路がきれいになったのだから、この特質には役に立つところもある。しかし、ここには途中のプロセスがないのだから、驚くべき反作用もおこっている。そのひとつがカイチュウ博士によれば、花粉症やアトピー性皮膚炎などであるらしい。
 日本人が一気にカイチュウを徹底駆除してしまったのが、まわりまわって花粉症やアトピーにかかりやすいおかしな日本人をつくってしまったのだという。

 アレルギー症は、スギやダニのような微細な物質がヒトの体内に入ってIgEという抗体をつくり、それがふたたび体内に入ってきたスギ花粉やダニと結合しておこる。
 ところが、寄生虫がヒトの体内にいると、このアレルギー反応のもとのIgEを多量につくる。そうすると、スギやダニが入ってきて抗体をつくろうにもその余地がなくなっている。それでアレルギーにかかりにくいということらしい。
 こういうことがあるので、カイチュウを撲滅するなんてことをやみくもにすると、一方では花粉症やアトピー症がおこるということになってくる。だいたい30年前までの日本には花粉症なんて用語すらなかったのだ。これはカイチュウ撲滅とともに浮上してきた現象なのである。

 本書は大半はまじめな寄生虫に関するエッセイで埋まっているのだが、カイチュウ博士の書きっぷりがいささかユーモアに走っていて、話題になった。
 ユーモアのほうは、実はたいしたことはない。カイチュウが回虫ではなくて怪虫のようで、しかもそんなものに真剣にとりくんでいるカイチュウ博士の姿がなんとなくおかしいので、全体にユーモアが富んでいるように見えるだけである。が、中身はおもしろい。むしろ考えさせる本なのだ。
 ぼく自身、子供時代の体験とおおいに重なるところもあって、学校中で検便をしていたころが懐かしく、あのビクビクした感じがなくなるとともに日本がツルツルで衛生無害な国になっていったことを、本書を読みながらおおいに回顧できた。
 こうなると、誰かがわれわれの世からヒビやアカギレやシモヤケがなくなっていった理由を書いてもらえないだろうか。われわれの手がツルツルになっていったことには、何か怪しい原因がありそうなのである。

参考¶本書は講談社出版文化賞をとった。もともとは「文芸春秋」に書いたエッセイがもとになっている。その後、カイチュウ博士の名は有名になって、『空飛ぶ寄生虫』(講談社)というとんでもない本が出た。その一方で『ボンボン・マルコスのイヌ』(ルック)という心優しい著作もある。著者はやたらに心優しいひとなのだ。そのほか「おいしい水」に一石を投じた『癒す水・飲む水』(NHK出版)がある。

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