須賀敦子
コルシア書店の仲間たち
文芸春秋 1992 白水社 2001
ISBN:4167577011

 須賀敦子が『ミラノ・霧の風景』を書いたとき、61歳になっていた。それまでに彼女が呼吸してきた瑞々しい世界感覚は、べつだん本を出さなくたって存分に周囲に放射されていたのだが、この一冊によってわれわれも須賀敦子の呼吸の奥にある言葉による再生感覚を知ることができ、彼女も翌年からたてつづけにその才能を本にする機会に恵まれた。
 “そういう女性”はいろいろなところにいるものだ。“そういう女性”たちは、すばらしい人生を送りながらも一冊の本も書かないことが多いけれど、たいていはある領域の文化をみごとに動かしている。おそらく“そういう女性”がいなければ、その界隈の文化の花は咲かなかったであろうような、そんな役割を思わず知らず担っている女性たちである。ぼくはなぜか、“そういう女性”によく出会う。そして須賀敦子もそのような一人だった。
 阪神文化に育ち、聖心女子大から慶應大学院に進んだ須賀敦子は1953年にパリに留学、1958年からイタリアへ再留学したのち、ミラノに入った。30歳のころである。それから10年以上にわたってのミラノ暮らしが始まる。そしてミラノの都心にある一軒の不思議な書店にまぎれこむ。
 本書は、須賀敦子が62歳のときに懐かしくもゆかしいミラノの日々を回想して綴った珠玉の一作である。

 舞台はミラノの小さな書店。コルシア・デイ・セルヴィ書店。サン・カルロ教会の物置を改造した小さな書店である。
 そこは書店でもあったが、「聖と俗の垣根をとりはらおうとする新しい神学」の流れを受けつぐ共同体でもあった。彼女はその共同体の仲間になっていく。彼女をそこに連れていったのはローマ留学中に出会ったダヴィデ・マリア・トゥロルドという神父である。彼女は何も知らずに、書店に案内される。
 そこには小柄な老女ツィア・テレーサがいた。この老女はイタリアで最も大きなタイヤ会社の令嬢で、未婚だった。そして、このカトリック左派ともいうべき神学運動共同体のパトロンでもあった。けれども、この老女には「大きな人類愛」のようなものはあったとしても、この書店のもっているいっさいのイデオロギーには関心がないらしかった。やがてテレーサの二人の姪に会う。ニニはマジョーレ湖畔に領地をもつ貴族の未亡人、エレナは夫が会社重役で、7人の子供をかかえながらボランティア活動ばかりしている。
 ジョヴァンニはよく出自がわからない男で、噂ではレジスタンス時代の手紙をこつこつまとめた編集者ということらしい。フェデリーチ夫人は出資者の一人であるようだが、やはり何が目的で動いているのかは見えてこない。そのほか、カトリック司祭、弁護士、新聞記者、高校教師、ワルド派の牧師、ユダヤ教のラビ、学生たちも訪れてきた。そんな人々が何かの約束を守るかのように、この書店にうごめいていた。

 誰もが正体を説明しない動きのなかにいたが、ダヴィデ神父がなかでもわかりにくい。体躯もギリシア古典劇の英雄のように巨きくて、スクロオショという滝の流れる音をあらわすイタリア語の表現があるが、笑うとそのスクロオショのようになる。
 イタリアではけっこう名が知られているらしいのだが、詩人だか神父だかわからないし、政治運動の何かのカギを握っているようにも見える。
 そもそもカトリック左派の思想の淵源は13世紀のアッシジのフランチェスコまでさかのぼる。精神主義をそのままでおわらせずに現実の生活や社会に組み入れようというもので、1930年代のフランスで最高潮に達した。モーリアック、ベルナノス、エマニュエル・ムニエはその先導者たちであり、失意のキリストを描いたルオーもその一派だった。
 ダヴィデ神父はそれらの統括をしているようでいて、どうもそうでもなかった。須賀敦子が仲間の一人のベッピーノと婚約するというので周囲が驚いていたころには、ダヴィデは書店にはあまり足を運ばなくなってもいた。が、それに代わって、書店にはふらふらと新たな人物が訪れる。著者はその跡形のようなものを追うともなく追っていく。それは書店に来る人々がときどきひらくサロンでの出来事になっていく。
 たとえば銀行家のアンジェリーニ。モダンで広壮なアパートメントに住んでいて、あれこれの文化にやたらに造詣がある。その広間で著者はキリスト教民主党に近い経済学者や社会主義者の歴史家や歌手のジーノ・ノグリに出会う。たとえば弁護士のカッツァーニ。ここの客間には夥しい絵がかけられている。とくにジュルジュ・モランディの絵が目立っていた。
 フェデリーチ夫人のサロンは彼女がもっている四階建の館の一角で、召使のサンティーナが飴色に磨きあげたフロアの上でひらかれる。みんな静かな声で淡々と話す会話は、しかしトーマス・マンにさしかかるとちょっと熱を帯びる。若いステファノ・ミノーニだけは現代詩のことを喋るが、みんなは彼がもともとは化学の専攻だったことを知っていたので、その香気がふいに洩れるのを耳をすまして聞いている。

 こんな調子で古きミラノの熱い日々が織物の模様のように綴られていくのである。そして、著者の夫がそんななかで死んでしまう。けれどもそのことを綴るペンは、ミラノでおこるいつもの出来事のひとつのように決して多くの文字を使わない。
 須賀敦子は最後に書いている。「コルシア・デイ・セルヴィ書店をめぐって、私たちは、ともするとそれを自分たちが求めている世界そのものであるかのように、あれこれと理想を思い描いた」。そして、こう結んでいる。
 「若い日に思い描いたコルシア・デイ・セルヴィ書店を徐々に失うことによって、私たちは少しずつ、孤独が、かつて私たちを恐れさせたような荒野でないことを知ったように思う」と。

参考¶須賀敦子さんは、本書のほか『ミラノ・霧の風景』『ヴェネツィアの宿』『トリエステの坂道』『ユルスナールの靴』などを風のように残して、1999年3月に亡くなった。いま須賀さんの言葉に耳を傾けるファンがやっとふえている。

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