桂文楽
芸談あばらかべっそん
青蛙房 1957 朝日ソノラマ 1967 ちくま文庫 1992
ISBN:4480026126

 八代目である。
 本当の名人だった。子供のころ、というのは小学校の2年までのことであるが、人形町末廣で文楽を聞いたときは怖かった。『愛宕山』だった。何を憶えているかというと、一八が帯をしごき、竹を弓のように撓らせて、谷底からカワラケ投げの中腹まで飛び上がる準備をしている場面の描写が、真に迫って怖かった。このときはカワラケ投げの場面と、この場面しか憶えていない。
 次に『富久』を聞いた。いや、見たともいえる。文楽は見なければすごさはわからない。それも末廣の桟敷の前のほうに坐ってのことである。これは興奮した。上気しきったといってよい。小学校の2年生で落語の口舌に興奮して、その口調が耳から離れない。
 それから何度、文楽にほれぼれしたか。実は京都ではナマの文楽の高座にほとんど出会えなかった。大半がラジオであり、その後、何度かモノクロのテレビで味わった。
 それでも、いつ聞いても、いつ見ても、本当の名人だった。

 文楽か、志ん生か。その香ばしい優劣と玄人好みを嬉しそうに話す時代にまにあったぼくが、その僥倖をここで語ることを抜きにしては、やはり文楽は語れない。
 しかし、志ん生に比較して文楽を語ってしまっては元も子もなくなるとも確信できる。たとえば、文楽は「楷書の芸」で、志ん生は「草書の芸」だというような、そういう比較はつまらない。文楽にだって張旭や懐素が走るときがあるし、志ん生に良寛の細楷が区切られることもある。文楽は文楽をもって語るべきなのだ。
 けれども文楽をどう語れるというのだろうか。いつかそんなことを誰かに吹聴してみたいとはおもうけれど、今晩、これを綴っているぼくは、文楽を語る言葉よりも、文楽を偲ぶ心が勝っている。

 本書は正岡容が文楽に聞き書きしたものをまとめた名著。書名の『あばらかべっそん』は、意味不明だが、文楽が困って窮したときに洒落で言う相槌で、たとえば小股の切れ上がったシャダレ(芸者さん)なんぞをお座敷の客に急に押し付けられたとき、「いや、もう、なんとも、あばらかべっそん」。
 文楽の得意にはもうひとつ「べけんや」があって、これも困って興奮し、それでも適当にその場をはずして横にスルリと泳ぐときに、「いやいや、べけんや、べけんやですな」というふうになる。のちに新内の岡本文弥がさかんに傾倒した常套句であった。
 だから、本書は芸談とはいってもあばらかべっそんで、切れ味のよい語り口の文楽が、ふと踏みはずして語るに落ちるところを正岡容があばらかべっそんしてみせた記録なので、どこがどうという話の展開はない。色っぽい話もあれば、落語の真骨頂をサラリと述べるくだりもあれば、昔日の席亭の風情を髣髴とさせるところもありで、うんふん頷き、感心して読むようになっているべけんや。

 ぼくを落語に導いたのは父である。
 ものすごい落語好きだった。落語家の何人かを贔屓にもしたし、祝儀もはずんでいた。「旦那、そいつは困りましたね」とか、「大将、そいつはうれしうござんすね」と落語家たちが父に言っているのを聞いて、ぼくもその口調をまねた。
 父は落語だけが好きなのではなく、歌舞伎も新派も相撲も大好きで、それぞれ贔屓をもって散財をした。しかし、ひとつ筋が通っていた。それは玄人中の玄人にベタ惚れするということで、こうなるとキリがない応援ぶりなのである。
 もうひとつ父の趣味は、そういう玄人の芸をぼくに見せたがること、その芸の説明をしたがることである。詳しい説明ではない。タイミングでつつく。「ええか、セイゴオ、ほれ、このあと見得を切るさかいな」「ここや、この両差しや」「あれが花柳章太郎の値打ちなセリフやな」。
 それで文楽についてはどうだったかというと、「さあ、ここで手に唾をつけるとこや、威勢を見ることや」「セイゴオ、目を、目を見なさい。ええか、ピューッって走るで」。こういうことは高座を見ている最中に囁いた。気が気じゃなかったものだ。寄席へ行く途中にも手を引きながら説明がある。「今日は文楽やな。ええか、文楽は甲高い声になったら、ハリを聞かなあかん。そのハリがなんぼほど今日は続くかやな」「文楽はな、タッタッタッタッ・タ・タ・タ!がすごいなあ。だんだん速ようなるし、だんだん気合で迫る。まあ、剣術みたいなもんや」。
 ああ、今晩のぼくは文楽を思い出すばかりです。もうちょっとましな話は志ん生のなめくじ長屋の中で話したい。

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