坂田明
クラゲの正体
晶文社 1994
ISBN:4794961855

 坂田さんとは一度だけ“共演”したことがある。新潟県長岡の縄文シンポジウムというものだ。そのあとサックスで泣かされた。日本の童謡を吹いてみせたのだ。これはずるい。ぼくは童謡にいちばん弱いのだ。
 童謡で泣いた顔を隠せたとおもったら、今度はみんなで食事ということになったのだが、いちいち食べるものに解説がつく。ぼくはこの解説にまた弱い。
 坂田さんは淡々と食べたいらしいのだが、まわりの連中がその土地の産物らしきものが出るたびに、まるでちょっかいのように体をなさない質問をする。体をなさないのが魂胆で、これにひっかかって坂田さんは話をする。なにしろ広島大学水畜産学部水産学科の出身なのだ。産物とか、どこで採れるのですかねえは、絶対の禁句なのである。その禁句を出して坂田さんを乗せたのだから、とまらない。ぼくもついつい解説の囚人と化していた。
 おかげで結局はミジンコの話になってしまった。その料理屋ではミジンコなどは出なかったのに。

 ぼくはクラゲの大ファンである。それから坂田明の大ファンでもある。これでは本書『クラゲの正体』には身がよじれる。小西得郎ではないが、打ちも打ったり、捕りも捕ったり、である。
 この前に出た『ミジンコの都合』はまだよかった。坂田さんの対話の相手は日高敏隆さんで、この人はいまは滋賀大学の学長なんぞをしているが、30年前は日本の大学教授で初めてパンタロンを穿いたといって笑われ、日本一の動物行動学者なのに奥さんからネコの扱いがヘタだといって笑われた人である。実際にも、ぼくも日高家で日高敏隆がたいしたエソロジストではないことを知って、安心したものだ。
 だから『ミジンコの都合』は、笑いころげながらも安心して読めた。それに坂田明はミジンコの大研究者である。ミジンコの話をしても誰も文句は言わない。ミジンコが「微塵子」であることから、ミジンコが水と生命の本質的な代表性をもっていることまで、すべてちゃんと話せる人なのである。
 しかし、クラゲはぼくの領分にも入る。ぼくが海外に行ったのはフランスが最初なのだが、そのとき以来、海外の町で何がたのしみかというと、鉱物とクラゲの本を買うことだったのだ。ぼくの誕生日にスタッフがその日まで内緒にしてわざわざ連れていってくれたのも、クラゲ・ミュージアムだったのである。
 そのクラゲについて、なぜ坂田明が話すのか。なぜ坂田明はクラゲにまで手を出したのか。そこがよじれる原因だった。

 ところが困ったことに、こんなおもしろい本はなかった。いくら海外でクラゲの本を買ってきても、これほど深くて、タメになる本はなかった。ぼくが袋にいっぱいの鉱物動物本をつめこんで税関を通ってきたのは、まったくムダだったのである。
 第1にイントロがいい。これは坂田さんの音楽の演奏でもそうなのだが、なんというのか、だんだんじらすのだ。じらしながらだんだん始まるのではなく、だんだんじらして、じらしている中に突然に本質の粉末が撒かれる。これにしびれていくのである。そのイントロ「ことのはじまり」が本書でも存分に効いている。
 第2に、本題にすべっていく例題がいい。本書は「種の都合」を枕にしているのだが、これを男の発情で解題する。それがいつのまにかタナゴの生殖事情になっている。タナゴの次はサンショウウオで、その次はもうクラゲなのである。このように運ばれると、坂田さんがクラゲの素人でも、クラゲがちゃんと受けいれる。
 第3に、ゲストとして迎えられたクラゲ博士の柿沼好子さんの説明を誘導する手口がいやらしいほど、うまい。だいたい女のクラゲ博士など、どのように探してどのように口説いたのだろう。これではクラゲの細部に入っていくのにぴったりである。
 第4に、途中に挿入される図説・解説・ノートがおいしい。ジャズのアドリブにもモジュールがあるように、前後の辻褄を見てノートが入る。ブルーノートである。
 第5に、二人目のゲストに江ノ島水族館をつくった廣崎芳次さんを迎えたのが、いよいよ坂田さんの全面展開を呼んで、たのしい。水族館の浦を探検するというのも、読んでいるとちょうどそういう場面に臨みたくなるタイミングなのである。
 ざっとこういうぐあいで、『クラゲの正体』は有隣堂で買ったその足で入った喫茶店であっというまに読んでしまった。大いに称賛したのは、クラゲの本であり、坂田明の本だからである。初めてあかすが、本というものはえこひいきするべきものである。

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