益富寿之助
カラー自然ガイド・鉱物
保育社 1974
ISBN:4586400137

 京都の初音中学校で入学してすぐに「化石鉱物倶楽部」というものに入った。正式にはたしか「郷土部」といったようにおもうが、みんな化石部とか鉱物部とよんでいた。
 このクラブは1年をすぎると、「科学部」というまことしやかなものに昇格した。かえってつまらなくなったようにおもったが、ぼくもそのまま昇格した。おまけに、そこではクラブ担当の先生(吉田先生という名前で“チョーク”という徒名)がいつも白衣を着ていて、われわれに科学実験をするように勧めた。
 ぼくはそれも嫌いではなかったので(なんてったって、ずっと誠文堂新光社の「子供の科学」を購読していたのだ)、さっそくいろいろな実験のプランを出して、それが先生に認められると実験にとりかかった。ガリレオの落体実験の“もどき”や校内の細菌を培養して分布図をつくったのがそのころである。なぜだか、京都全域の科学実験コンクールにも学校代表で出ることになり、3位かに入賞した(このときぼくと一緒に発表した友人は、いま京都で最も有名な茶道具屋の大番頭になっている)。
 けれども、ぼくがそのころ一番好きだったのが、鉱物や化石だったのである。1年のときにハンマーやルーペや磁石を揃えて夢中になった鉱物化石採集の日々が忘れられなかったのだ。

 そのころ、採集してきた鉱物や化石は学校の図書館で調べるか、先生に尋ねればよかった。保育社と北隆館の大きめの図鑑だったとおもう。
 だいたい中学生の最初ころまで、ぼくは自分で本を買ったことがなかった。小学校では学級文庫というものがあり、これは生徒が近所の書店で好きなものを買ってくると、先生がそれにハンコを押してくれて、読んだあとは教室の学級文庫の棚に入れておくというしくみだったので、本は買わなかった。たいていは母が買ってくれるか、父の本棚でまにあったのだ。そうでなければ学校の図書館である(小学校では図書委員をしていた)。
 それが中学2年の夏休みに、初めて自分で本を買った。最初の本が何かは憶えていない。寺町二条の若林書店という本屋だったことは憶えているが(ここはかつて梶井基次郎が書棚に檸檬を時限爆弾のように置いて立ち去っていった丸善があったところ)、何かは忘れた。何冊目かは岩波文庫のデカルト『方法序説』だった。
 そして、よく憶えているのが小さなポケット鉱物図鑑だった。ところが、このポケット図鑑はその後どこかに消えてしまって、どこのものだったか、おそらくはここに紹介した保育社のもののような一冊だったとおもう。

 さて、本書はまことに可憐な文庫本サイズのガイドブックなのだが、まず「益富寿之助」という名前がすごいのである。
 この名前は鉱物派のギョーカイでは富士山のように燦然と輝いている名前で、「マストミ」の名を知らない者はモグリだということになっている。財団法人益富地学会館をおこして、長らく理事長を務めておられたが、1993年に亡くなられた。「昭和雲根志」という仕事もされた。ぼくはいまでもよくミネラル・ショーのたぐいを訪れるが、そこにはたいてい益富寿之助老人の姿があった。京都の出身でもあった。
 次に、この可憐な一冊には冒頭に次のようにあって、これがたまらない。「鉱物にはいろいろのものがある。そのなかで、水晶ほど見る者に感動を与えるものは少ない。ことに少年たちが水晶を見ると、何か先天的に水晶にあこがれをもっているような興奮をあらわす」。
 この文章を読んで、少年は鉱物派になることを決意するだけではなく、自分がミネラリストになったことに自信をもつ。そうか、水晶がかっこいいと思うだけで、ぼくも鉱物の世界とつきあってもらえるんだという喜びなのだ。
 実査にもこのガイドブックは水晶・石英系を中心に少年のための鉱物学入門を案内してくれている。書かれている文章はけっこう高度だが、その「心」がひしひし伝わるようになっている。これがマストミ・パワーというものなのである。

 文章もさることながら、もともと鉱物図鑑のたぐいの値打ちは、たいていは写真や図版によって決まる。これはオズボーンの昔日からのことで、荒俣宏君などはその値打ちを求めてしょっちゅうイギリスに物色に行っていた。
 それはそのとおりであるのだが、図版(イラストレーション)はともかくとして、鉱物については自分で採集した逸品を載せるということが条件になる。借り物ではダメなのだ。本書は可憐な一冊でありながらも、その点でもすごい。なにしろすべての鉱物サンプルがマストミ・コレクションなのである。
 というわけで、今回の案内はぼくの子供時代の記憶の中にある幻のポケット図鑑を想定してみた。
 このほか鉱物図鑑には採集の前に夢中になり、採集にも連れていく「フィールド図鑑」型のものもあれば、自分のコレクションのラベリングのために詳細なことを調べるための大型図鑑もあるが、なんといってもポケットガイドがものすごい光を放つことから、少年の冒険は始まらなければならぬのである。

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