ニコライ・ゴーゴリ
外套
岩波文庫 1938 平凡社 1964
Nikolai Vasilievich Gogol
Shineli 1842
[訳]岩上順一

 ドストエフスキーは「私たちはみんなゴーゴリの外套の中から出てきた」と『作家の日記』に書いた。
 ここには、『外套』という作品からの影響という意味と、その作品で変な外套を着ていたアカーキー・アカーキエヴィッチのその外套の中からという意味が二重化している。ドストエフスキーはこの二重の意味をアタマの中の観念でつくりだしたのではなかった。ゴーゴリの『外套』が1842年に発表されたころ、ドストエフスキーは『貧しき人々』をまさに外套の襟をたて、凍えるようにひっそりと書いていた。

 ぼくは『外套』がめっぽう好きなのである。どうしょうもない。ところが、その理由は最初からろくにわかってはいない。いまもってわからない。そこがまたゴーゴリと『外套』が好きな理由になっている。
 物語はごくごく簡単なもので、その筋書が好きになったわけではない。貧しい小官吏のアカーキー・アカーキエヴィッチが一大決心をして外套を誂える。その外套が仕立てられているあいだに、外套はアカーキー・アカーキエヴィッチの生涯の夢になる。ところが、その外套ができあがってきて最初に着た夜に、ペテルブルクの暗い街区で外套を剥ぎとられてしまう。アカーキー・アカーキエヴィッチは悲嘆のあまりに死んでしまう。すると夜な夜な街区をうろつく幽霊が出る。そして幽霊が高慢ちきな上司の外套を剥ぎとってしまう。そんな筋である。
 最初、おそらくはアカーキー・アカーキエヴィッチという名前に惚れたのだとおもう。ぼくはハンプティ・ダンプティやオオヤマトトモモソヒメやアリ・ババなどの、発音や綴りに繰り返しがある名前に惚れやすい。
 ついで、ペテルブルクの街に惚れた。ペテルブルクの街とはいっても、それはゴーゴリのペンが描いた街であるのだから、これはゴーゴリの目と言葉の力に惚れたのだ。そのペテルブルクを歩きまわっているロシアの人間も化石が動いているようで、ぼくの趣味に合う。ゴーゴリふうにいうなら「ぶつぶつ言っている歩行者」というやつである。それをペテルブルクの多様な看板が見下ろしている。
 最後に風采のあがらない主人公に惚れた。主人公だけではない。登場人物のすべての風采があがらない。ゴーゴリはそれを「チノーヴニク」(官吏)に取材しているが、それがおもしろいというのではなくて、屑のような人間を作家が描けたということにおおいに惚れたのだった。
 これらは言ってみれば「瑕」(きず)とか「痕」(あと)とでもいうべき魅力である。その「瑕」や「痕」を描く力をゴーゴリはもっていた。

 ゴーゴリ以前に、この都市と人間の「瑕」や「痕」に気がついたのはアレクサンドル・プーシキンただ一人であった。プーシキンにはロシア文学のすべてが萌芽した。プーシキンこそいっさいの祖父である。
 しかし、物語のオブジェはゴーゴリによって一斉開花した。いやいや開花ではあるまい。化石開花か、それとも手術都市の中のボール紙細工の嗅覚像の放出である。そこには「衝撃の滑空」ともいうべき文学がある。「瑕」と「痕」を物語として滑らせる装置というものがある。

 1809年、小ロシアの小さな市場町に生まれたゴーゴリがどんな時代に育ったかということは、ゴーゴリを解くうえでは決定的である。
 ギムナジウムを了えてペテルブルクに赴き、北ドイツに旅行をしたうえで再びペテルブルクに戻ってきたとき、女子学院で教鞭をとりはじめたゴーゴリは22歳になっていた。すでにこっそりとウクライナに題材をとった物語をつくりはじめていた。
 そして、その3月にプーシキンに出会う。プーシキンはゴーゴリの10歳の年上である。さかんにゴーゴリを支援した。そもそも出世作『検察官』がプーシキンのヒントによっている(プーシキンが『検察官』を読んで、「ああ、わがロシアはなんという悲しい国だろう」と嘆いたのは有名な話だ)。
 ちなみにツルゲーネフはゴーゴリの9歳年下で、25歳のゴーゴリがペテルブルク大学の助教授となって退屈な世界史を講義していたときの学生だった。ついでにいえば、ドストエフスキーはゴーゴリの12歳年下、トルストイは19歳年下である。ようするにゴーゴリこそがロシア文学の父たる時代の中心にいたわけである。
 しかし、父ゴーゴリはそういう時代にいながらも、父たろうとはしなかった。まさにロシア文学がどこからか烽火をあげようとしているまさにそのときに、ペテルブルクを幽霊のようにうろつく化石人間を描いた。ロシア文学を燃えさかる火として描こうとしたのではなく、ロシア文学の燻りを描いたのである。
 ゴーゴリがすごいのは、その燻り(くすぶり)を物語の炭火のようにおこしたことだった。

 こうしてぼくはゴーゴリに惚れていったのである。そしてふと気がついたときは、ぼくがペテルブルクの往来の只中にいるのか、ゴーゴリの文章の途中にいるのか、もっとはっきりいえば、ゴーゴリが街にいるのか文章にいるのか、わからなくなっていた。
 諸君、『外套』を読みなさい。諸君は必ずやアカーキー・アカーキエヴィッチになって外套の襟を立てたくなるはずだ。

参考¶ゴーゴリについての評論はたくさんあるが、ぼくが一冊だけ選ぶとすれば、ウラジミール・ナボコフが独自の視点で綴った『ニコライ・ゴーゴリ』(紀伊國屋書店)である。ナボコフがゴーゴリに直結していることは、ナボコフの解読にも大きなヒントをもたらしてくれている。

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